Stay. - epilogue.
リンさんと俺は想いが通じ合って恋人になったけど、その後も度々犬化した。
好きだという気持ちが理解し合えただけで、不安や不満は勿論あるだろう。そして原因は俺だけに関わらず。どうやら今は、犬化しやすい癖がついてるとか。それに、まだ薬が飲めないのも一端を担っている。
だから、しばらく徹夜が続くなどの肉体的疲労とか、ナルに理不尽にこき使われた後の心労とか、そういうのも全部積み重なるというわけだ。
ある日、よろめく恋人の姿が気になった俺は、ひっそりと資料室を訪ねた。
「温かいお茶でもいれようか?」
「……いえ……ナルは良いんですか」
最近の俺はリンさんに手伝ってもらう資料整理が終わり、今度はナルの手伝いを言い渡されていた。
それでリンさんはナルを気にしたようで、俺は背後の閉じられたドアを一瞥する。
「ちょっと休憩」
ナルは現在コンタクトが痒いとかいって席を外しているので、俺も作業を抜けてきた。
居眠りをしてたら怒られるだろうが、資料室から出てきた場合はさほどサボりを疑われない。
リンさんは俺の返事に小さく頷いた。
「昨日はちゃんと眠れた?」
「眠れています」
聞くに、リンさんの生活自体はそう乱れてないらしい。
だけど疲れは自覚していて、原因が何であるのかはわからないのだそう。
「それは限界のサインでは? 犬になっちゃうんじゃない?」
「いっそ犬になった方がマシです。甘やかしてもらえますから」
俺はその振り切った発言に失笑した。
それから少し考えた後、手を軽く広げる。
「……なる? 犬に」
え、と口ごもったリンさんは俺の手と顔を交互に見た。
「大型犬も好きだけど」
「───!」
更に手を広げると、リンさんは意図を理解して俺を抱きすくめた。
背中と後頭部に腕を回して撫でてあげると、俺の首筋に鼻先を埋めて深く呼吸をする。犬の時も犬じゃない時も、どうやら匂いをかぐのが好きみたいだ。さすがに人の時に犬並みの嗅覚ではないらしいが。
ほう、と吐き出された甘いため息が、耳たぶにかかる。
「癒された?」
「少し」
「足りない?」
「全然足りませんね」
頭に擦り寄って来るリンさんに、俺は少しだけ恥ずかしくなってきた。
ハグに喜んでくれてることも、もっとくっつきたいと言ってくれることもわかってる。でもここでそれ以上のことをするのはいけない。やんわりとリンさんの腕を解く。
リンさんだって仕事の合間に、ドアを隔てた向こうにナルがいる状態で自分の立場を忘れたことはしない。
「───ひとつ、お願いしたいことが」
「ん?」
リンさんはやけに真面目そうな顔つきで、離れて行こうとする俺の手を絡めとって引き留めた。
なんだろう、と思いリンさんを見上げて言葉を待つ。
「私に、首輪をつけて欲しいのです」
ン????
「く、ゆ、指輪じゃなく?」
「指輪はいずれ私が贈ります。首輪です」
指で手の甲をするりと撫でられる。『首輪』は聞き間違いじゃなかったし、指輪はいつかくれるそうだ。でもときめいてる場合ではなかった。
「なんで首輪……?」
「私が犬で、あなたは主人だからです」
主人というのはポメガに対してパートナーのような意味を持つらしい。けして主従関係などの優劣があるわけではない。
世間一般的にはあまりその言葉も意味も浸透してないけど、恋人とほぼ同義である。だから特に構えず受け入れてる名称だけれど、首輪については初耳だった。
「主人から首輪をかけてもらうのは、犬にとって安心できる儀式なんです」
物々しく感じた俺に対し、リンさんが話したのは首輪のデザインは何でも良いこと、犬の時も人の時も服とは違ってその首に残ること、それが心の支えになることだった。
不思議な現象と倫理観に触れそうな文化ではあったが、リンさんがそれを望むならと俺は了承することにした。
その日の夜、早速一緒に買いに行って選んだ首輪を、リビングで装着する儀式は始まった。とはいえ別に部屋を暗くして蝋燭をつけるとか、呪文を唱えるわけではない。
リンさんをソファに座らせて、その横から俺が膝立ちになって首に手を回した。さすがに犬用の首輪をつけるつもりはなくて、アクセサリーに見えるチョーカーにした。
大事なのは、普段ワイシャツのリンさんの衿の中に隠せること。シャワーや就寝の時は外すので、基本的には自分で着け外しが出来るように。また、本人がなるべくつけたままで過ごしたいというので、飾りなどはついてないこと。
もし俺の好きなデザインがあればそれをと言われたが、特に思い浮かばなかったのでひとまずリンさんと同じ意見でシンプルなものにした。
「───苦しくない?」
「問題ありません」
サイズはあらかじめ確認したが、リンさんに着け心地を尋ねる。
首とチョーカーの間には指が二本くらいは入る程度の余裕はあった。
つけ終わるころにはリンさんは俺の腰に腕を回して捕まえてたので、そのまま膝の上に跨った。
改めて見ると、ワイシャツの衿を寛げた場所に、俺の付けた"首輪"はよく映えた。
それは俺が主人で、リンさんが俺の犬だという証。
「……かわいい」
「かわいい?」
「うん」
ため息が出るほど可愛い。
返事をしながら、戯れるように唇をつきだして押し付ける。
短くて軽いキスを繰り返しながら、徐々にゆっくりと深いキスに変化していった。
俺はリンさんの首輪の中に指を入れたり、引っ掻いたりしながらその感触を確かめ、リンさんは俺の腰から背中にかけてを撫で上げる。
首輪をされたい犬の気持ちについてはよくわからないが、主人としての自覚やら所有欲みたいなものは、わかるようになってきたかもしれない。
俺の贈った首輪をつけてるリンさん、とても良い……。
この感情の熱が、いつまでも引いていかなくて、今までで一番長いキスしていたように思う。唇を噛んだり、舌を絡めたり、吸ったり、たくさんのことを試した。
今晩、俺たちは一歩近づいた気がする。そして、もっと近づきたいという思いが強くなる。
はりついてた唇が全て剥がれるより前に、俺は抑えきれない感情を溢してた。
「今日、泊まりたい……」
声はかすれてたけど、俺の言葉は通じただろう。リンさんは少し目を見開いて俺の顔を見返した。
これまで、犬化した状態以外でリンさんの部屋に泊まったことはない。
朝になったら人のリンさんがいるけれど、それとこれとは話が違う。今のこの流れから、ただ眠るなんてとても無理だ。
かつては消そうとまでした恋を認め、確かめ合い、スキンシップを重ねた今、次に欲しいのは繋がりだった。
怖いのと、期待が交じり合った震えに耐えていると、リンさんは俺の腰を強く掴んで身体をどかした。瞬く間に俺は、ソファから立ち上がったリンさんに抱き上げられる。
急に視界が二メートルほどの高さに変わり、動き出すリンさんにしがみついた。
「わ、まって」
思わず制止の声を上げたが、リンさんは足を止めなかった。
「待ても、駄目も、聞きたくありません」
俺が怖気づいたように感じたのか、リンさんはこちらを見もせず言った。
別にそう言う意味でいったんじゃないし……。
一瞬言い返そうかと思ったが、リンさんの、視線はよこさないくせに、しきりに俺の反応は気にしているそぶりは、叱られるのを誤魔化そうとする犬っぽくて憎めなかった。
「───わかった、待ても駄目も言わない」
首に抱きつき直して、頭に唇を埋める。
今度こそ投げやりではなく、覚悟を持って「好きにして」と囁いた時、寝室のドアがぱたりと閉められた。
end.
オマケ!
俺とリンさんについて、ナルには『犬と主人』であることは話した。
世間的に、この関係性は相互理解の上に成り立つバディのような関係だという認識だ。
恋による犬化や主人への渇望が知られていないのと同じで、無関係な人達からの奇異の眼を忌避してきた結果だろう。
そうじゃなくても、犬は人が必要だが人は別に犬が必要ではない、という優劣については議論されていた。
しかし、そもそもそう言うことを考える人を犬は必要に思わないので、成立するのは対等な関係でしかない。そしてそのことを、関係しない人ほど信じない。───なんて、不毛な話はもうやめよう。
ナルは俺たちの関係を聞いた時フウンと一言。納得した後に今後リンさんの犬化においては俺が面倒を見ることが正当化され、非常に満足していた。
つまりいざという時に世話役を探す手間が省けた、ということだ。
その無関心さに連なる寛容さには感謝したい。それに、なんだかんだ言ってナルもリンさんが犬化した時は慌てていたので、いざとなったら助けてくれることは知ってる。
俺達が恋人同士であることはまだ秘密のまま、犬と主人であることをナルが知って約三ヶ月。首輪を贈ってからは一ヶ月半。
リンさんの犬化はかなり減った。純粋に月日が過ぎた事、首輪の効果、そして俺とリンさんの関係が深まったことなど色々と理由は考えられる。
余程のことがない限りはバイトに出るので顔を合わせるし、週末は泊まるようになったのが特に大きな変化だろう。
だがここにきて、余程のことが起きた。調査の依頼が入ったのである。
場所は遠方ではなかったし、俺は大学の講義があるため、それが終わった後に現場に通った。
リンさんとナルは当初二人で現場に入っていたが、事態が"本物"っぽそうだったので即座にぼーさんが投入された。そして芋づる式に綾子、ジョン、真砂子もだ。
いっそ安原さんを呼び寄せたいくらいの事件に発展してきたが、彼は今社会人一年目。さすがに副業で一人少年探偵団をさせるわけにはいくまい。───代わりに俺が頑張った。
それが近年まれに見る大掛かりな調査となり、とうとう二週間を丸まる費やしても突破口は見出せなかった。
死傷者はいないが、皆連日の昼夜逆転、睡眠不足によって顔色は悪い。というより、事態の低迷そのものがこの憂鬱の一番の原因かもしれない。
「───だから、この言い伝えの」
「じゃあこれが……」
「そうは思いませんわ、だって」
「せやったら、この───」
金曜日の夜、大学の講義を終えた俺は現場に到着してベースに顔を出す。
モニタの監視役であるリンさん、それから一人で考えるのがお好きなナル以外、大きなテーブルに広げられた地図、文献資料、現場から見つかった物品などを前にディスカッションの真っ最中だ。
「おぉ、が来た……今日金曜日か? んじゃ、土日にキリキリ働いてもらうぞ」
俺に気づいた面々がバッキバキの目をして沼に引きずり込もうとしてくる。俺は大学で勉強してきたのであって、別に遊んでたわけじゃないんだぞ。昼間に仮眠もとってないしな。
そう言い返しつつも、皆の苦労を思うと同情は禁じ得ない。
ふと、集団の後ろにナルの顔が見えた。俺が来たことに気づいて顔を向けたが、それよりも顔を驚愕に染めている。どこを見てるかってそれは、リンさんの方で。
───え???
さっきまでリンさんがいた所からリンさんの姿が消えている。
俺が来たことに気づいて振り返っていたのに、今は椅子の背もたれしか見えない。
霊能者たちはまだナルの驚愕には気づかず、テーブルを取り囲んだままだ。ナルはそっと立ってさりげなくリンさんのいた椅子の前に立って俺に目配せをした。
俺は気づかれない程度に頷いて、ナルのそばへ行く。
まさか……まさか。
ナルの後ろにある椅子の背もたれをそっと覗くと、ヘッドホンが胴体にずり落ちた黒い犬がいる。ぽ、ぽめーっ!!! 久々に見たけど、とても、ポメ……。
俺に気づいたポメラニアンはぱあっと顔を輝かせる。尻尾はフリフリ。俺のあげた首輪はちゃんとそこに嵌まってる。
くぅくぅと鳴かれては困るので人差し指で静かにのジェスチャーをした。いや、このくらいのこと、本人も理性ではわかっているはず。それがどうにもできないから犬化するのだ。
「───なあナルちゃん」
「、なんだ」
ふいに呼ばれたナルと、隣にいる俺は身体が跳ねた。ナルが返事をするのが白々しく思えたが、誰もそのことには気づいていない。
俺達は自然と肩をくっつけ合って、背後の椅子を隠す。
これでひとまずリンさんがいないのが見えないにしても、犬が俺に甘やかしてもらいたくて、きゅぅきゅう鼻を鳴らすのも時間の問題だ。
俺はイチかバチかで、ナルの背後にまわって身を屈める。ぼーさんがナルと話すのに注目しているうちに、ポメラニアンの身体をわしっと掴んで、えいっと鼻先にキスをした。
ぷちゅっ、と濡れた感触が唇にくっつく。もう、これしか思い浮かばなかった。
「? あれ、リンは?」
今度は、俺が身を屈めたことでナルだけでは隠しきれなくなり、綾子が不思議そうに声を上げた。でもその時、俺の手の中にはフワフワの毛並みではなく、リンさんの肩があった。椅子から降りて、床に屈んだ体勢になっている。
これで俺達は、あたかもヘッドホンを落としたのを拾って受け渡したように身体を起こし、何食わぬ顔をして振り返った。
一瞬リンさんが消えたかと思った皆も、ああ、と納得した顔で興味を失う。元々リンさんは話し合いにはあまり参加しないからだ。
ナルも俺たちが何をやったかまでは見ていなかったようで、ただ安堵しながらこちらを一瞥。後で「どうやってあの一瞬で戻したんだ」と聞かれたけど、さすがに本当のことは言えなかった。
end.
この後調査が終わるまでリンさんは耐えられるのか。(色んな意味で)
オメガは番に項を噛まれれば首にガードはいらんくなるけど、ポメガは主人がいると首輪をつける、ふんす! てするのが可愛いかなって思って設定しました。
あとはリンさんに際どい発言をさせたかっただけだね!!!!
だいまんぞく。気が向いたら主人公がポメの話もかきたい。
Jan. 2026