I am.


Breath.  03

という名を興徐に与えられてからは、長閑な日々だった。
普段は興徐の中で周囲のものごとを見聞きしているか、頭の中で二人で会話をするか、はたまた誰もいないところで面と向かって話をするか。そういったことにしか思考を割かない俺の生活に、目立った変化が訪れたのは、興徐が日本へ行くことになった時だ。

子供の頃から興徐が度々面倒を見ていた双子の片方、ジーンが日本で命を落とした。それをイギリスにいたナルが透視で知り、ジーンの身体を探しに行くことになったそう。
聞くに、ジーンは殺された後、どこかへ身体を隠されたようだ。双子の親であり興徐の恩師でもあるマーティン先生は悲し気にその話を興徐にした。そして、興徐のことをナルの目付け役として抜擢したのだ。

「興徐はたしか、日本がキライではなかったかしら」
日本に行くことを了承したその日、家に帰って来て人の姿をとりながら聞いた。
興徐は少し物憂げに微笑む。
「ええ……ですが、これは上が決めた事ですので」
「健気だね。よしよし、俺がついているよ」
「それが何よりの救いです」
俺は興徐を甘やかす隙を逃さないし、興徐も俺に甘える隙を逃さなかった。
肌を擦り付けて憂いを取り払ってあげると、興徐はよろこんで、俺の髪を丁寧に梳いた。



日本では少しの間滞在するために住居の代わりははホテル、研究室の代わりはオフィスが用意された。
ナルはジーンの遺体を探しながら本業であるフィールドワークもこなすらしい。興徐は主に本業をサポートするのが役目だとか。その中でナルが未熟さゆえに無茶をしないかを、大人が一人見ていなければならないという配慮も理解した。
「俺がジーンを探すのを手伝おうか?」
日本に来て早速留守にしたナルを見送った後、俺は興徐以外誰もいないオフィスに姿を現して問う。
しかし興徐はすかさず、俺の提案を辞退した。
「そのような御慈悲を賜るわけにはいきません」
人にとって龍の力を借りることは、簡単に出来る事ではない。もっと言えば龍はその存在を目にすること、知覚することさえ畏れ多いことである。
契りを結んでいる興徐ですら俺に望むことは傍に在りたいということと、時折触れることで霊力を味わう程度。この身から零れる恩恵を降らせる程度ならまだしも、犬のように使われる真似はよせ───と、イマジナリーじじいが脳裡で騒ぎたてている。
興徐がここでお願いと言えば龍の威厳など無視してもよかったのだけれど、興徐は絶対にそんな願いを言わない。俺よりも俺が龍であることを尊重しているからだ。
例え人並みにナルやジーンに肩入れしていても、俺のことはけして同列にできない。それが人と龍の違いで、そんな龍と共にありたい興徐の分別であった。

「興徐、俺の名を呼んでみろ」

俺は龍として敬愛されることをよしとしながらも、興徐に名を呼ぶように強請る。再びイマジナリーじじいが俺に、犬のように喜ぶなと騒いでいるが、……うるせい、どっかいけ。
じじいを振り切るようにして興徐の膝に滑り込み、その胴体にへばりついた。犬ではなく龍らしく巻き付いてやろ。
耳元でいとおし気に俺の名が紡がれたので、じじいの残像はすぐさま消えた。
「……お前の霊力はずいぶん俺に馴染んだ」
顔を摺り寄せ合い、胸に手を当て、下腹部に身体を巻きつけてうっとりとした。これは、興徐にある三つの力の源である丹田を感じているのだ。
口にした通り、興徐にはこれまでたくさん俺の霊力を与え、耐えられるようになってきた所である。丹田で渦巻く興徐の力からは濃厚な俺の霊力が感じられた。
には、たくさんご寵愛いただきましたから」
滲みだす体温のような霊力がふわりと俺たちの身体の周りを取り巻く。体液を摂取するまでもなく、こうしているだけでも俺たちの霊力が混ざる。
目を細めた興徐は、かつてのように眩暈などに襲われてはいなかった。
こういった興徐の身体の変化や態度が俺を満たすので、力に頼ってくれなくてもいいか、と思った。



ある日、ナルが日本で初めての依頼を受けたので、俺たちは都内にある学校へと来ていた。
十六歳から十八歳頃の男女が通う高等学校というもので、俺の以前人間だった記憶がほんの少しだけ引き出される。───龍として生まれてから経った年数と、今の時代からして俺が生きていたのはこの世界とは違うような気もするけれど、小さい事を考えるのはよした。
とにかく、ただ懐かしいと感じる校舎を興徐の内側から覗くにとどめる。
そうしているとある時、興徐の身体が何者かに脅かされた。思考などは勝手に読み取る気はないが、視界や耳、身体の感覚などに大きな衝撃が起きると、俺にも細波レベルの衝撃が打ち寄せて来る。
俺は反射的に興徐の危機かと思い、意識を強く周囲に張り巡らせていた。
するとどうやら興徐の身体から抜け出して顕現してしまったみたいで、俺は倒れてきた下駄箱の下敷きになった興徐と同じように、地面に寝そべっていた。
龍の姿だと物質に触れる時に力を籠めないといけなくて、しかしそうすると壊してしまう恐れがあるのでしかたなく人の姿をとって、脆い木くずのような瓦礫を退けた。
「───っ、」
興徐は俺が出てきてしまったことに気づいて、慌てて身体を起こす。どうして、と言いたげな顔をしているが、すぐに俺が出てきた理由に思い至ったのか口を噤んだ。

「今の音は何だ?」

騒然とするその場に、ナルが駆け込んでくる。
俺と興徐は座ったまま、崩れた下駄箱の破片を周辺に追いやってナルを見あげた。そしてもう一人いた少女───この娘がうっかり下駄箱を倒した───は、幸いにも難を逃れて狼狽えているところだ。
ナルはある程度状況を理解できたようだが、俺が姿を現していることに不思議そうにしている。
「ロン───……?」
俺が興徐の『式』であることはわかっているが、初対面の日以降で対面したことは全くなかった。そんな俺が、今ここにいるのだから驚くのも無理はない。
少女の方も、先ほどまではなかった姿に目を白黒させていた。
「怪我は」
「問題ありません」
「うそだ、脚が痛いはず」
俺は膝を立てたまま立ち上がろうとしない興徐の脚に触れる。
俺の目には、興徐の足首のあたりが滲んで見えたので、膝から脛を辿って患部へと手を動かした。ぴく、と身じろぎをした興徐の反応からして痛いのはココで合っている。
「ナル、こちらは俺が見るから、その娘のことは任せる」
「……ああ、わかった」
「俺に掴まって、ほら、倒れたりなんかしないったら」
「て、手伝いま───っ」
俺は興徐をどこかで安静にさせなければ、と他のことをナルに任せて背を向ける。
すると背後から慌てたように少女が駆け寄って来たみたい。だが何かを言いかけて、興徐に腕を振り払われて止まる。
彼女はきっと小さな体の俺が興徐を支えているのを見ていられず、手を貸そうとしたのだろう。なおかつ俺に触れようともしたのかもしれない。
「手を触れないでください」
興徐は咎めるように言った。人に触れられたくないのは自分もだが、それ以上に俺を誰にも触れさせたくないからだ。
露骨な拒絶を受けた少女には、憐みさえ覚えた。しかし、俺が声をかけたところで空気を悪くするだけ。
そんなわけで俺は無意味な口出しなどはせず、ナルに目配せをした後、興徐の身体を支えながら校舎を出ることにした。

人の姿を保ったまま、タクシーを呼んでホテルに戻った。
俺は怪我を癒す方法を“舐める以外に知らないが、そもそも俺の霊力を浴び続けている興徐のことだから、人よりもうんと早く回復することだろう。ベッドで安静にさせ、傍に居てやるだけでいい。
数時間後には一度ナルが部屋に訪ねて来て、興徐にいったい何があったのかを尋ねた。俺も現場を見てはいたが、どうしてあんなことになったのだかは理解できなかったので一緒に話を聞いた。
───きっかけは些細だった。興徐は人の出入りがないはずの古い校舎に生徒が入り込み、調査に使うカメラに触れようとしていたのを見て声をかけただけ。生徒はそんな興徐に驚き、傍に立てられた古い下駄箱にぶつかった。その結果、興徐とカメラが下敷きになったというのだ。
「巡り合わせが悪かったね」
「……巡り合わせ? 他人の迂闊さが招いたことだろう」
俺の感想に対して、ナルは少し不機嫌そうだ。
調査の初動が悪くなるのは、彼にとって大打撃であるらしい。
「わざとだったわけじゃない。すべての人間がいつでも注意深く、誰かの妨げにならないよう生きているわけではないんだから、そう目くじらを立てるな」
「……意外だな。主人を怪我させたのに」
「ナル!」
興徐はナルの無礼な物言いに抗議するように声をあげた。でも彼は俺を龍だと知らないのだし、知ってたとしても形式的に興徐は俺の主人ある。
そんな俺が、主人ではなく迂闊が事実な他人を庇ったように見えたからナルは不思議に思ったにちがいない。
かといって、式が主人に対して完全な味方とは言い切れないのだけど。
「ナルはすこし、誤解をしている。俺は普通の式にされる霊体とは違う存在だ。だけど、そもそも式には主人守るという思考そのものがない。───ああいうのは、命じられたことのみを遂行する存在でしかないからだ。俺のように物事を見聞きして判断することもなければ、こうして考えを口にすることもできない」
「ロンは自由を許されているということか?」
「どうか、それ以上はおやめください」
俺はそこいらの式と一緒にされたことに腹を立てたわけではなかったが、ナルが少し偏った認識をしていると感じたのでそれを正そうとした。しかしそうすればするほど、俺という存在がいかに異例であるかを知らしめることになるわけで、興徐から制止が入ったのは当然のことだった。
俺は興徐が望むのでニッコリ笑って口を噤む。ナルも興徐の深刻そうなその顔つきに、これ以上踏み込んではならないと理解しただろう。やがて「痛みが引くまでは安静に」と言い残して、部屋を出て行った。

俺はドアが閉まったのを確認してから龍の姿に戻り、興徐の身体に巻き付くように寝そべった。身体をくねらせて、尻尾の先で興徐の足首をフサフサと撫でる。
『早くよくなあれ』
略式の祈りだが、龍がそう願うのだからきっと叶うだろう。
このままウトウトして、起きた時にはきっと興徐は良くなっているはずだ。
そうして龍の身体が興徐の中に消えていきそうになったとき、興徐は俺の身体にそっと手を這わす。こうして触れられるのも俺たちが力を共有しているからだ。
それにしても、人の時は慣れたが龍の姿の時は恐れ多くて触れてこない印象だったので、珍しいことだと頭をもち上げる。
「ナルとあの生徒のことはどうか気を揉まないでください」
『別に何とも思っていないよ』
今度は興徐の胸の上にぽすっと頭を置いた。
それから身体の上を這いずって、興徐の顎にごちごちと鼻先をぶつけた。

俺が人と関わるのが嫌なのか、それとも人の行動を詫びているのだかわからない時が度々あるけれど、おそらく今回は両方なのだと思う。
興徐にとって俺は唯一無二で最上の存在ではあるが、同族への愛着もある。龍が人を害する姿を見るのは気持ちが良いものでもないだろう。
とはいえ俺は別に、人の言動にいちいち腹を立てるほど本能剥き出しに生きていない。そのことを興徐も理解しているはずなので、やっぱり俺が他人を気にかけることの方が嫌なのかも。
不安を取り除くためといったらなんだが、俺は喉から甘えた声をきゅるきゅる出して、興徐に巻き付いて添い寝をしてあげることにした。




興徐が怪我を負った調査後、少女谷山はナルに雇われることが正式に決まった。
契約を交わしにオフィスに来た時に、興徐を通して姿を見ていたが、わずかにナルと共にジーンの魂の一部が付着しているのが感じられた。

まず、人は肉体が死を迎えるとその身体に内包されていた魂は解放され、散り散りとなりいくつかの場所へと点在する。
身体や墓に残るもの、思い入れのある場所、人の元へいくもの、それから天に昇るものなど様々だ。
ナルと谷山に付着しているのもそのうちの一つで、ジーンの意識だったり記憶だったりがこの世に残っているのだと思う。
俺はその魂に触れることはけしてないが、もし悪い方へ行ってしまいそうならば正す。そのことだけは興徐に伝えてあり、興徐自身も異論はなかった。

そんな風にして見守りつつ、同じ季節を目にすることで一年が経っていたことに気が付いた。ナルと谷山についているジーンの魂に目立った変化もなければ、ナルがジーンの身体を見つけたという話も聞かない。
そうこうしているうちに、今度は二度目の夏を迎えた。
「俺、夏が一番好きだ」
夜、きままに外に繰り出して自由に飛んできた後、興徐の元へ帰ってきた俺はしみじみと呟く。調査でやってきた家の広い和室をベースにしていたのだが、今は同行の霊能者たちは出払い、ナルも席を外しているところだ。思うままに、興徐の膝の上にするりと収まる。
「この前は春が一番好きだとおっしゃっていませんでしたか」
「そうだったか。では一番ではなかったかもしれない」
はよく一番とおっしゃいますから」
「それを聞くと、俺が気が多くいい加減な者みたい」
「そんなことはありません、は寛大でいらっしゃるのです」
興徐、俺のこと全部肯定するな~。
そう思いつつも悪い気はしないのでくふんと笑う。
「一番などと言うまでもなく興徐は特別だ。そのことだけは変わらないんだぞ」
「深く心に刻みます……」
うっとりと興徐が目を細めるので、彼の好きな口づけをしてやろうかと思ったところに周囲が俄かに騒がしくなる。
……俺が本当に真っ当な龍だったら、興徐とのひと時を邪魔されたというだけで、この地にいる霊たちなど一掃してしまうのだけど、そうではないので我慢した。


程なくして、ナルが倒れた。
この家に潜んでいた霊が暴れた結果、彼に憑依したようだった。
元々ナルは自制心に優れていた分、いちど内側に入ってしまえば堅牢な檻に阻まれ外から手出しが出来なくなってしまう。
術を施してナルの身体ごと封じているが、この家の問題が片付かないとナルは永遠に目を覚ますことはないだろう。
興徐もこの時ばかりは俺の力を借りて、霊力でナルの周囲を守るように結界を張ろうと試みた。だがそんなのはまどろっこしいじゃないか、と俺は思う。

「"子守り"くらいなら俺がしていてやろう」

興徐の中からすうっと抜け出した俺は、人の形を作って三人───滝川、松崎、谷山の前へと降り立った。
「な、っ」
「だ……だれ?」
「え、えっ?」
驚きのあまりうめき声の様なものを上げる人々の顔を見下ろした。
興徐も俺が人前に姿を現したことに驚いて、そして困惑して、縋るように俺を見ている。
三人の反応を見るのはすぐにやめて、横に座っている興徐に、にっこり笑って声をかけた。
「───だから、興徐は存分に仕事に励むと良い」
ここで原因である霊たちを使役する土地神を排除するのは、全方位に配慮のない野生の龍すぎるふるまいだ。
俺は興徐を尊重すると決めているので、本当にどうしようもなくなって興徐が頼むまでは出過ぎた真似はしない。
だからネックとなってるナルのねんねを守るくらいなら、俺ってファインプレーなのでは。
そう思ってしたり顔全開でいた。
「っあ、あなたがお出になるほどではありません!」
どうやらこれでも興徐は不満らしい。
「でも、ナルを死なせたら、お前は悲しむじゃないか」
マーティン先生に任された分、責任も問われるのでは、と暗に伝える。
「それは……、ですが今はまだ、そうならないために尽力できます」
意固地だなあ。
悩ましげな溜息が溢れ出す。
「───健気で慎ましい姿は愛いが、俺はそろそろ妬いてしまうぞ」
「……っ、」
「俺はお前にもっと、自覚をもって欲しいのだけど」
「自覚……?」
小さな手で興徐の顎を持ち上げ、指先でつつつとなぞる。
しかし視界にちらつく人の気配が俺達を現実へと引き戻した。勝手に出てきたのは俺の方なのだから、この話は後でにしよう。

「リン……そちらのえらく尊大なお坊ちゃまは?」

俺たちが周囲を思い出して行動を改めた為、滝川がおずおずと口を挟む。
彼は軽い口調ではいるが、松崎と谷山を巻きこむ形で、俺と興徐からやや距離をとっている。
ほんの少し身を屈めているのは、畏怖よりも警戒に近いのだろうが、俺という存在に多少の脅威を感じているのが見て取れる。初めて会った時のナルやジーンより、危機感が備わっているらしい。
まあ、あの二人の場合は子供だったせいもあるだろうが。
「この方は、私の……式です」
興徐はここまできたら多少何かしらは言わなければならないため、言葉を一瞬言い辛そうにしながらも式と表現した。
とはいえ、その恭しさは式に対するものではないだろう。
「式って、浦戸を追い払う時にも使ってたヤツ……?」
松崎がそう口にしたのは記憶に新しい、春に出向いた洋館での調査のことだ。
確か仲間のうちの一人が連れ去られ、救出に行った際に浦戸と呼ばれる死霊が追ってくるのを軽く退けた。あの時は確かに俺が、追いかけてくるのが煩わしいと思って尾でペチンってした。
直前に興徐が霊力を放つところだったので、誤魔化してくれたのだっけ。
「あなた、旧校舎で一度あった子───だよね?」
「ばっ、麻衣……!」
「あの時も急にリンさんの前に現れて……あの後結局どこに行ったのかわからなかったけど」
不意に声を上げた谷山を、滝川は口を覆って止めようとしたが、彼女の喋りは止まらない。
そう怯えなくとも、取って食いやしないのに。

俺は三人を前にして立ったまま、興徐の肩に手を置いて口を開いた。
「ああ、俺はいつも興徐の身体の中に潜んでいるからな。お前たちのことはずっと前から一方的に知っていたし、興徐が望まぬ限りは手を出すつもりはない。二つの意味でね」
本来ただの人間に直接言葉をかけたりはしないのだが、多少なりとも興徐と関りのある者たちだ。それに、自分の意思で出てきた以上、自分の言葉で言わなければと思った。
「ただ、今回はあまりにも目に余った。俺はまだ手を出す気はないが、ここで目を光らせるくらいはしてやろうと思ってな」
結局のところ、俺がこう言っている以上、誰にも意思を阻むことはできない。
三人はもちろんのこと、興徐もだ。


こうして俺は、ナルと同じ部屋に籠ることで結界の役割を担うことにした。
興徐と離れるのは久々だが、繋がりが切れるわけではないのでいつどこで何をしているのかは、その気になれば見られる。ほとんど隣室で仕事をしてることが多いので、わざわざ千里眼を使う必要もないけれど───と、龍の高慢な本能による怠惰を発揮して、ナルに添い寝して寛いでいたら、ある時不意打ちで襖を開けられてしまった。
「ビャッ」
驚いて反射的に短い悲鳴が喉から吐き出される。
開けた先にいた興徐と、その他諸々の顔の方が驚いている。
そりゃ、襖を開けたら長い躯体をうねうねさせた龍がいたらな。
その真ん中に寝かされているナルの存在も相まって、まるで今にも龍に絞め殺されそうな雰囲気。
俺はどぅるんっと身体をしならせて、人型に戻る。ちょこんと小さな身体で座った体勢に戻って、何食わぬ顔をして咳ばらいを一つ。
「おほん、次からは声をかけて」
「………………申し訳、ありません」
興徐は雰囲気にのまれて謝罪をしながら襖を閉じたが、いつだって一〇〇パーセント俺が悪い。やってしまった~~~。
俺が迂闊で自由で間抜けな龍だから、興徐に負担をかけて、興徐に責任をおわせている。
そもそも、どうして皆俺の本性が見えている様子だったんだ。
……あ、ここは霊験あらたかな土地だからか。曲がりなりにも土地神が根付いている場所で、なおかつ俺は結界の役割として力を少しだけ発揮している。俺自身と土地に問題があり、それに感化された人間であれば、姿も見ることはできよう。
この時ばかりは、イマジナリーじじいの説教を脳内で粛々と受けた。びりびりも受けたっていいくらいだ。

それからの俺は一層気を引き締めてナルの守り神に徹した。
何度か奇襲があったが、どれも大した威力ではなかった為もちろんナルは無事。興徐たち人間は少し疲弊していたが、俺が出る幕はなかった。
ナルも松崎の手を借りて目覚めることができたし───と、思っていた矢先に再びナルが倒れた。今度は自分の力を使いすぎたゆえの消耗と、反動である。
呼吸も出来なくなったナルの為に、俺は興徐の傍から離れ、ナルの胸にとん、と指を置いた。
「仕方のない子だな」
「お待ちくだ───……っ」
反対する興徐の声はきかなかった。
ナルにしてやったのは、霊力を注ぐことではない。単純にナルの魂に動くように命じたのだ。
下手に霊力をあげたら幼き日の興徐のように身体の機能を失い、異能を得ることになりかねないので。

結果、ナルは息を吹き返したが、身体が良くなったわけではないので救急車で病院に運ばれた。まだ意識はない。

ベッドに眠る弱弱しい生命は憐れだが、一連の流れを見ているとムカムカと腹が立ってきた。
何故なら、この子供が倒れると保護者である興徐が責められかねない。マーティン先生は理性的な男だから糾弾するような真似はしないが、そういうこっちゃないのである。
ナルが双子の片割れを亡くしたことも、身体が弱いことも、今日の行動を正当化する理由にはならない。
「───
そんな風にナルにやっていた俺の思考を、興徐が呼び戻す。
視線はすぐに、声のする方へ向けた。

興徐は病室の片隅から俺の元へゆっくりと近づいてきて、それから長い身体を折り畳むようにして膝をついた後、俺のつま先の前に平伏した。
「なにをしている」
動揺のあまり、固い声が出た。
興徐は頭を上げないまま押しつぶしたような声で「罰をお与えください」と言う。
罰を与える意味がわからない。俺はつま先を興徐の額と地面の間に差し込み、足で興徐の顔を上に向かせる。やっと目が合ったが、どこかよそよそしい顔をしているように見えた。

そもそも、興徐はここしばらくもの言いたげな雰囲気をしていた。ナルの守り神みたいなことをしたせいだと思うが、それによって何が言いたいのかまではわからない。
だって俺がナルを守ってやったのはすべて興徐のためであって、興徐のことを二の次にしたわけではないことくらい、わかっているはずだからだ。
ここで興徐の心を見透かしてしまうのは簡単だけれど、暴いてしまいたくはない。でも、その心は知りたい。
俺を見ろ、俺に望め、俺を求めろ───。そう命じてしまいたい欲望が腹を蠢く。

「私の身を、焼くとおっしゃったではありませんか」

興徐は問いかける俺に対して暫く沈黙していたが、おずおずと口を開いた。
はて、そんなこといったかな。と思った後、興徐としたやり取りを思い出す。
やいてしまうぞ、と言ったな。日本へ来て人前では日本語を話すようになったから生じた勘違いに、俺は思わず笑ってしまった。
命で贖う覚悟をしていた興徐には申し訳ないが。

「俺を何だと思ってるんだ、いや、───龍か」

けらけらと身体が跳ねるたび、ナルのベッドに身体がぶつかって揺れる。
その所為で、意識がないにもかかわらずナルの身じろぎがあったので、俺と興徐は二人で廊下に出た。



人気のない場所を探してやってきた屋上では、少し強い風が吹いていた。
俺が起こした風ではないが、夏の清涼感のある良い風だ。
自分の長く伸びた髪が揺れるのよりも、興徐の目を隠す髪がはためく光景に目が行く。
子供の背丈では視線が合わないので、アルミ製の柵にひょいと飛び乗り、腰掛けることにした。これで、興徐のことを少し見下ろせる。
「俺が"やく"と言ったのは自分の身の方だよ」
の身が?」
「嫉妬するという意味だ」
言い直すの照れ臭いな、と思いつつも隠すことでもないので伝える。
興徐は声に出さないまでも唇をわずかに動かして、俺の感情の名前を追いかけた。
「俺は、お前にどんな些細な願いでも、無理な願いでも言って欲しい」
「───十分すぎるほどに、私は願いを叶えていただきました」
「ぜんぜん足りない」
いいながら、自分の胸の近くを手で押さえた。少し前から、時々きゅうと締め付けられる痛みの様なものを感じていた。これは、心臓が鼓動する前兆だ。

龍を生物的に考えるのも妙な気分だが、体液だの血だの鱗だのがあるように、心臓もそれと同じで存在していた。だけど龍の心臓は長い生涯故か、はたまた大きな身体故か、自然な心拍数は非常に少ない。永い生涯で一度も鼓動しない龍もいるとか。そのくらい心臓には大した役割がないと思われるが、そうではない。龍の心臓が動くのは、心そのものが動いた時だ。
ありていに言うと、俺は興徐に心を乱され、恋のようなものをしちゃっているってわけだ。
龍の生態的なものは不思議と頭に入っているが、実感を伴うとなんとも言えない気分になる。……龍ってやつは、キュンとするのも大掛かりなんだな、と。

「いとしい……俺の興除、俺の"玉"」

格子に座った身体を乗り出して、興徐の額に口づけるとそこに青い紋が浮かびあがった。
龍が人に与える一般的な加護とは違って、この紋は龍が"玉"と定めたものにつけるものである。そして"玉"とは龍がその生においてたった一つ大切にする存在を意味する。
この紋をつけたとき、俺はその意味を知らなかった。じじいには興徐には絶対に言ってはならないと聞いていたが、もうじじいや興徐の父の許しを得なければならないほど俺たちは子供ではない。

「……っ、私を、"玉"と呼びましたか……?」

興徐は玉の意味するところはさすがに知っていたらしい。
俺の言葉をおずおずと聞き返して来る。
「お前意外に玉になるものなどいないだろう」
「ですがあなたはまだ、幼い……」
「龍は一度玉にしたものを手放さない。それを定めたのが幼い時でも、永劫変わることはない。見縊ってくれるな」
かつて龍たちは、番となる龍だったり、鉱石や樹などの自然物だったり、中には人だったりを玉にしてきた過去にあった。
俺が興徐を選ぶことも珍しいことではない。何を隠そうじじいも、人を玉と呼び大事にしている。人としての寿命を迎えた後にその魂を自分の宮に召し上げ、誰にも会わせず囲っていて、俺ですら顔を見たことはない。
「見縊ったわけではありません、ただ、私がそのような幸運を頂戴してもいいのですか」
「いい加減聞き返すのはよせ。頷くか、許しを請うんだ……お前が嫌だと言うのなら俺はちゃんと諦めるぞ」
興徐ははっとして、慌てて何度も頷いた。
俺の小さな身体をぎゅうぎゅうと抱きしめ、言葉の限りを尽くそうとまでした。
だけど興徐はこういう時、堅苦しく謙遜してしまうので、俺ははむりとその唇を塞いでしまうことにした。
もぐもぐしてると、興徐は少し口を開いた。おねだりに答えて深く口付けてやりながら、差し込んだ舌を絡める。
いつもなら興徐が吸い付いてきて俺の霊力を与えてるけど、この日は俺が興徐の舌を自分の口の中に引っ張り込んで吸う。ちゅうっと音を立てた後、霊力の混ざった唾液をこくりの嚥下する。
ぷは、と唇を離してから俺は一言こぼす。
「おいし」
「───私は、天にも昇る心地です……」
歓喜によって震えるように囁く興徐の頬を撫でた。
いつの間にか柵に座るのではなく、興徐に抱っこされていたので、その肩に絡みつき顔を摺り寄せながら、くふふと笑った。

本当に天に昇る時は、これより気持ちよくしてやらないと。



end.


書きたいとこだけかきました!
主にリンさんの影からヌッと出てくるショタの姿や、龍の姿バレなど。
リンさんはそのうち主人公の霊力で生命維持が出来るようになるので、道教の最高境地(?)不老不死・白日昇天ぶちかましが待っています。がはは。
Jan.2026

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