Adamant. 08
渋谷の道玄坂にあるオフィスは、想像していたよりも随分綺麗なものだった。そりゃあ天下のSPRだし、ボロくて汚いアヤシゲな場所じゃいけないよな、と納得する。
すりガラスの嵌めこまれたドアの前に立ち、ひとつ頷いた。しかし───、ふっと一人で笑ってしまう。
そのガラスには大きめのフォントでまず『SPR』と堂々記載されている。が、下には『Shibuya Psychic Research』とあった。
楽しむことわずか数秒、すりガラスの向こうに影が映る。
反射的に表情を整えると、ドアが開いた。
俺を出迎えてくれたのは、ここに呼び出した本人である渋谷さんだった。
「こんにちは、お出迎えありがとうございます」
「迷った?」
「いいえ。……面白い看板だなと、しばらく見入ってしまいました」
おそらく数秒ほど俺の影がじっとしているのが向こうから見えたのだろう。
痺れを切らしたのか、歓迎の気持ちと親切なのかはわからない。
世間話は黙殺され、応接スペースのソファに通される。
渋谷さんがリンさんを呼ぶと、オフィス内に並んで二つあったうちの一つのドアが開き、背の高い彼が少しだけ身を屈めて出てきた。
挨拶をすると、非常に静かに返事をして軽く会釈をした後、渋谷さんに「お茶を入れて」と言われてまた静かに歩いて衝立の向こうへ消えていく。
「今日は簡単に君の経歴を聞き取りさせてもらおうかと思っている」
「そうですね……何からお話したらいいんでしょう……」
俺がゆったりと首をかしげたので、渋谷さんがいくつか質問をしてくれた。
「それでは、体調を崩すような力を使った回数や、その時にやったことを出来る限り詳しく」
「はい」
いくつか答えていたその途中、リンさんがお茶を持ってきてくれたのでお礼を言いながらティーカップに触れる。
向かいに座る渋谷さんの隣に、リンさんも腰を落ち着けたので、一口紅茶を飲んで程よく喉を潤すことにした。
「───大抵は貧血とか一時的に失神したりとかがこれまでに五回ほど。一番大きな力を使ったのは、二年前に誘拐された時です」
改めて口を開き、記憶にある限り、そして病院に運ばれている限りは鮮明に伝えられた。
軽いものから、重いものまで何でもござれだ。
二人は最後に穏やかではないワードを聞いて、目を見開いた。
「部屋に閉じ込められていたので、逃げ出したくて窓を壊しました。鉄格子がはめられていて」
ドアでも良かったんだけど、そこには見張りがいるかもしれないし、駆け付けてきた人に捕まると思ったし……と頭の中で当時を振り返る。
「なんとか街中に出たはいいけど、そのまま倒れてしまいました。幸い周囲に人がいたのですぐに救急車を呼んでもらえて事なきを得ましたが」
あの後中々に重い症状が出ていたので、例えば誰にも見つけてもらえなかったり、誘拐犯にもう一度捕まっていたりなんかしたら、俺はここにはいないんだろう。
けして笑い話ではないんだが、もう自分だと笑うしかないのだ。
ただ話を聞いてる二人は、相手につられて思わず笑うなんてタイプではなく、ゆっくりを顔を見合わせる。
なんだかとてもいたたまれないので、俺はティーカップにそっと口をつけて沈黙を誤魔化した。
その後、キャンドルとスプーン、ガラスの容器に入れた球体がテーブルに置かれた。
体調に障りない程度で良いと前置きして、キャンドルは灯した火を揺らすこと、スプーンは曲げたり形を変えたりできるか、球体は浮かせたり動かしたりできるかをやって見るように言われた。
───俺はどれも成功した……方、だとは思う。
火は揺らすどころかフッ消したし、スプーンは捻じ切れたし、球体は浮いたがガラス容器が割れたので。
「へたでごめんなさい……加減がむずかしくて」
さすがに破損させたのは申し訳なくて謝る。
「いや、十分すぎるほどだ」
「身体に不調は?」
二人は俺がものを壊してもけろっとしていて、身体を気遣ってくれた。
考えてみればまず、効果が出ることが稀だしな、と思い至って肩をすくめる。
力の発現率については清四郎にも散々規格外と言われていた。そして体調を崩すということは、その力は人間の持てるレベルの力ではないということも。
「体調は大丈夫ですよ。それなりに体力もある方なので」
「こういう力はいくら身体を丈夫にしても、無理があるものなんだ」
「……そうですね」
自分のことはつい強がってしまうけど、周囲はけしてそうは思わないので苦笑する。
「だけど、武術を習って心身ともに鍛えるのは良い判断だと思う」
「それは以前、研究者の方に言われたんです。力を暴発させないためには、精神的な落ち着きや身体に巡るエネルギーの発散が重要だと」
「研究者?へえ」
渋谷さんは眉を少しだけ上げる。
「そういえば言ってませんでしたね、十年前に一度SPRで検査と実験、そして訓練を受けたことがあります。期間は一ヶ月程……年齢的に、あまり親元から離せないという理由で」
二人は全く驚いた気配もなく、ただ興味を示すような反応だ。
「もう十六歳になりますから、また訓練を受けないかと誘われていたので九月にイギリスに留学する予定だったのですが」
「それならその方が良いだろうな」
「いいえ、向こうの都合で延期になりました。どうやら忙しくなってしまったみたいで」
「そう、それは残念」
目の前でこんな話をされた程度で、隠していることを容易く話す人たちではない。別に、自白をとりたいわけでもないが。
「……その理由については聞くつもりはなかったんですが、さすがにこちらでお世話になることになってSPRに問い合わせて、事情は聞きました。ごめんなさい。お兄さまのこと、お悔やみ申し上げます」
さらっと話し始めて深々と頭を下げだした俺に、二人は今度こそ驚いたようだった。
「このオフィスの持ち主や代表者はSPRのオリヴァー・デイヴィス博士であるとわかっていました。あらためて、お会いできて光栄ですオリヴァー……と、呼んでも?」
「……いつから知ってた?」
「調査が終わる少し前くらいには」
「ああ───」
渋谷さんは、深くため息を吐いた。何か思うところがあるらしいが、よくわからない。
そしてリンさんは気遣うように、渋谷さん基いオリヴァーを見ている。
「……もちろん口外しないと約束します。訓練の話は断っていただいても」
「口外しないと約束してもらえれば十分だ」
「そう。外で呼ぶことがあれば一也さんと呼びます。わたしのことはどうぞ麻衣と呼んでください」
リンさんも、と付け加えて改めて二人に笑いかける。
彼らがその身分を隠していたのは、騒がれたくないからだろう。他にも色々と事情はあるかもしれないが。
でも俺自身がSPRに過去関わったことや、今後関わる予定だったことを思えば、俺に隠す必要はないことだ。
「───それにしても、なぜ麻衣の留学と訓練が延期になるのに僕が関係するんだ……?リンが同行するから?」
「私以外にも訓練できる者がいないわけではないと思いますが」
「それは、おそらくわたしがオリヴァーと似ているからじゃないでしょうか」
「確かに僕と非常によく似たタイプだと思う、リンに訓練を受けたのも事実だが……」
へえ、そうなんだ。いやそうじゃなく。
「サイコメトリです」
「は?」
「わたしにもサイコメトリの能力があります」
二人は今までで一番驚いた顔をした。
「まさか、"K"───?」
驚きのまま、リンさんが呟いた。
それは、きっとSPRに残された俺の記録だ。
本名はネームバリューがでかすぎるので、伏せてもらっている。おそらく性別や年頃だって記録してないだろう。
「知っているのか?リン」
「実際に記録を読んだことがあります。ナルもその存在は聞いたことがあるはずです」
「……たしかに、僕がイギリスに来る前に一時期同じ能力を持った人がいた、と父が言ってたな。十年前だというなら時期も合う」
オリヴァーとリンさんに順番に視線をやってから、一呼吸おいて会話に交じる。
「オリヴァーは違う国にいたのですね」
「八歳まではアメリカに」
「お父さまはわたしのことをご存じのようですけど、同じ研究所にいらっしゃるの」
「ああ、父は大学で教授をしているから」
聞けばリンさんはそのお父さんの教え子だそうだ。
そしてオリヴァー、と亡くなった兄のユージンはアメリカの孤児院にいたところをその才能を見初められ、今のお父さんの養子になったというわけだ。
「もしわたしがあのまま留学して訓練していれば、もっと早くから二人に出会えていたかもしれませんね」
ちょっとだけそんな想像をして、お茶に口をつけたけどすっかり冷めてしまっていたので、飲まずにティーカップを戻した。
next.
身元を知っていることを隠す必要ないなって思ってこういう設定にしました。あとオリヴァーって呼ばせたくて。
最後の一文、冷めたお茶はのみませんのよ。(入れ直せとはさすがに言わない)
サイコメトリーとPKとテレパシー(特定の相手のみ)というてんこ盛り設定を書いている間、頭の中では一人が持つ力の数じゃないんだよなあ、とか思ったんですが公式(オリヴァー・デイヴィス)がそうなので人としてはセーフという方程式が成り立った。
☆そして夢主なのでそこに『大富豪』もつけちゃう───!
Aug.2023