Andromeda. 01
大阪にいた一年と半年くらいの間にできた仲の良い先輩たち。おもしろくて、やさしくて、俺のこと女の子だと思ってるにもかかわらず、そんなの気にせずに輪の中に入れてくれた。帰り道で買い食いしたり、休みの日に家にお邪魔してたこ焼きやったり、テニスをおしえてくれたり。
東京へ来てからはメールのやりとりだけが続いてる。
会わないうちに疎遠になっていくクラスメイトたちよりも、なぜだか続いたのは驚いた。多分光のそばにいた人たちだったからかもしれない。
そんな先輩たちの中の一人、白石先輩に再会したのは高校三年生の春頃、渋谷の横断歩道の真ん中だった。
すれ違いざまに俺を見つけた先輩は俺の腕を掴む。麻衣ちゃんと呼ぼうとした口が、俺の姿を改めてみとめて、ぎこちなくなっていく様子を妙に冷静に眺めた。けれどやっぱり俺は落ち着いていたわけではなく、あっさりとハイの返事をしてしまったのである。
互いに用事があったのでそれを済ませた後に待ち合わせ、ファミレスに入ってご飯食べながら認識のすり合わせが行われた。家庭の事情ともいえなくもないが、ほぼ独断で性別を偽っていたためにうしろめたさはちょっぴりあった。
でも白石先輩は俺を責めることはなくて、新しい名前を親しげに呼びかけてくれた。
夜行バスで大阪に帰るまで結構時間があったのでうちでゆっくりしたらどうかと誘い入れ、他愛ない話をしていればすぐに帰りの時間になってしまった。そろそろやな、と先輩は荷物を持って立ち上がるので、バスターミナルまで一緒に行くために俺も準備をした。
「そこまでせんでもええよ」
電子マネー電子マネーと口に出していると、白石先輩が遠慮がちに言う。
「え〜見送っても、終電ならギリギリありますよ」
「ギリギリ乗れへんかもしれんやろ?」
「うーでも、だって……次いつ会えるかわかんないですし」
「……かわいいこと言うてくれるけどなあ」
ぽんぽん、と頭を撫でられて口をつぐむ。
相変わらずお母さんのような人だ。
「オレ本当はちょくちょく東京来とるんよ」
「そうなんですか?」
「せや、用事あってな。遠いって思うかもしれへんけど、新幹線乗ればすぐやし、バスも苦やあらへん……それなりにバイトもしとるしな」
爽やかな笑顔から紡がれるのはおそらく俺の不安を拭おうとしている言葉ばかりだ。
「東京に来ると、いつも、麻衣ちゃんおれへんかなあって探してた」
「へ」
一瞬なんの話?と思ったけどすぐにあははと笑う。なんだかくすぐったいけど、そのくらい思い出してくれたなら嬉しい。
「メールしてくれたらよかったのに、……こんなだったけど、ずっと隠しておく覚悟もなかったので、会いますよ」
「うん、もっと早くに会うてたらよかったな、財前にはかなわんけど」
「光の場合はハプニングですし……」
頭の後ろをかしかし掻いた。
みんなに黙っていたことは悪かったと思ってる、のです。
そしていずれみんなに挨拶にいかないとなあ、とも思ってる。
「大阪の大学に行くかまではわかりませんけど、また会いに行きます」
「おん、みんな喜ぶわ、安心し───でもオレが言いたいのはそういうことじゃないで」
「?」
ありゃ、と顔を上げる。
「また、に会いに来てもええか」
「もちろんです!東京来たらいつでも呼び出してください!」
「ん」
ふにゃっと笑った先輩はなんだかかわいくって、俺は思わずどきっとする。
そ、そんな顔されたら誰でもきゅんってなるだろうが。
「そしたらもう、ここでええから、うち入り」
「は、はひ」
アパートの外に出て、わかりやすい通りまで、とついて来た俺は伸びて来た手に驚いて動きを止める。白石先輩は甘い顔と声をしているにもかかわらず、指先で俺の髪をくすぐり耳にかけさらには耳たぶをかすって行くという高度かつ甘すぎる動作をしてきたのだ。お、お母さんでもないのに。
ばいばーいと高らかに手を振る計画が、控えめにぴろぴろ振ることになり、俺はぎこちなく家への道を戻った。
外の階段を上がって家の鍵をぶずりと差し込んだところぽとぽとと水の落ちる音が聞こえてはっとする。
「雨だ……!」
鍵を回して玄関を開けた。
たちまち大雨になるというわけではなかったけど、この分だと駅に着く前に身体はぬれる。もう店はほとんどしまっている時間なので、着替えを買えずにバスにのることになって、最悪風邪をひいてしまうかも。
白石先輩には走ればすぐに追いつける距離だ。
信号待ちしててくれたらいいなーと、別れたところより少し先の交差点に出ると、ちょうど横断歩道の信号が青になるところだった。
「先輩!」
呼びかけたら一人が振り向いた。
上着のフードをかぶってやり過ごそうとしていたらしく、振り向いてくれなきゃ危うく見つけられないところだった。
「な、」
「雨!傘!」
咄嗟に持ってきたのは傘一本、走るのに邪魔でささなかったから、俺もちょっと濡れている。
だから白石先輩は驚いて目をまん丸にしてて、上着の中に慌てて抱き込む。薄手のものだし、俺もそれなりに大きくなってるのですっぽり隠れられるわけではない。
「なにやっとるん……」
呆れたような、笑っているような声が耳元でした。
俺も自分に呆れて笑ってしまった。
傘を開いてもひとつの中に二人でいるので、さほど距離はとれない。
「一旦家もどろか?」
「い、いや、この傘持ってってください。俺大丈夫だから」
肩を抱きしめられたまま、白石先輩を見上げた。
「せやかて、出たら濡れるやろ」
「すぐ家だし、バス乗り遅れたらやだから。……あの、離してもらっても」
「───ああ」
ほぼ抱き合ったままの俺はいたたまれずに裾を引っぱる。
顔を動かした先輩の瞳に街灯が反射して一瞬だけ光った。
手を離してくれれば勝手に抜けるのに、どうしてだか先輩は俺の目の前を遮るように顔を傾け、頬とこめかみあたりに顔を埋めた。少しだけ濡れた頬、高い鼻、柔らかい唇とあたたかい吐息がかかる。
「え?」
「傘出すで、走り」
いつだったか、爽やかにもほどがある、と謙也さんが評していたような香りがする。
爽やかっていうか、うん、すっきりしてて甘くて、コートを貸してもらった時にかいだことのあるにおいが、去って行くと同時にふっと吹き抜けていった。
傘から軽く押し出されて、雨がぽつぽつ顔にかかる。慌てて家に逃げたので、白石先輩がその後どんな風に歩き出したのかは見なかった。
あわてて部屋に入ると案の定、俺は家の鍵を閉めるのも忘れていた。でもそんなのを反省する暇はなく、濡れた体ではわわわわと洗面所へ駆け込んだ。
え、俺さっきキスされた?いやされてない、唇は触れてない。
でもあっちの唇は絶対触れてたし、俺のほっぺは絶対、絶対キスされた。
濡れた服を脱いでシャワーを頭からかぶる。水だったのでアーッと悲鳴をあげ、ちょっと距離をとってぶるぶるしながらお湯が出るまで待つ。そして熱いお湯をかぶりなおして記憶をたどる。
抱きしめられたところも匂いも吐息も唇も、全部シャワーで流れていってしまって、思わずあっと体を抱きしめた。
「は……、え」
記憶をたどれなくなる、という短絡的な衝動だった。整理したいだけだったのに、まるで忘れたくないともがいているみたい。
もうなんもわかんなくなってきて、しばらく滝行のようにずっとシャワーを浴びていた。
翌朝、白石先輩からのメールで起きた。どうやら大阪についたらしい。
傘は今度返すと律儀なことを言われたが、前に出先で雨に降られて止むを得ず買った傘なので返さなくて良いと返事した。
そして俺が白石先輩に遭遇してしまった際、救難信号を送った光はニューヨークと同じくらいの時差を経て応答。へえ、とのことだ。
奇遇やな、という意味だと思う、あんちきしょう。
さらなる救難信号……というか相談をしてみようかとも思ったが、正直あれはなんか、雨から守るために抱きしめて別れ際についでにハグしただけの出来事で、それほど俺が男だったことに心開いてくれたということで良いかな?わざわざ友達と先輩の熱い友情を報告されても冷淡なオトコ光はなんも面白くなかろうな。やめとこう。
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財前編の一話から分岐して白石先輩ルート入ります。
aikoさんのお歌のタイトルいただきましたが、歌詞とは逆に交差点で君を見つける話なので内容は一致しません。
Sep 2018