I am.


Clotted cream. 01

「よう、麻衣ちゃん」
カウンターの向こうから顔を出して手を振る、オシャレなヒゲを生やしたいい男は圭一郎さんというおにいさんだ。
おじさんといわれると傷ついてるのを知ってるし、俺もその気持ちはわからなくもないのでおにいさんと称している。
圭一郎さんの働くお店は、アンティークという名前のケーキ屋さん。
実のところ一度も店に入ったことがなくて、なのになぜ店主が俺を見てひらひら手を振るかというと、家が二軒となりにあるからだ。開店時はうちに挨拶に来てくれて、お母さんと俺はそこの焼き菓子をいただいたきり、他のメニューの味は知らない。
「こんにちは!」
「いま、学校帰りかい」
「うん」
見るからに裕福ではない母子家庭、と圭一郎さんも知っているので無理に誘ってくることはない。でも見かけたらいつも笑顔を向けてくれるので、一度きちんとお邪魔してみたいものだ、と思っていた。
ガラス越しにおいしそうなケーキが並ぶが、俺はそこにお腹をへばりつけて、圭一郎さんの前に立つ。
「いーにおい」
「お腹減ってるか、学校帰りじゃ」
すんっと中の匂いを嗅いでると、圭一郎さんはくすくす笑った。
「カレーの匂いより焼き菓子の匂いがするって、なかなか贅沢」
「でも麻衣ちゃんはカレーの匂いの方が好きだろ?」
「わかるう?今日の夕ご飯カレーにしよっかな」
「作るの?えらいじゃん」
「えーレトルトだよお、わざわざ作ってたら食べきれないし」
「そっか」
俺たちはこうして、ケーキを買わないけどカウンターを挟んでたまに談笑することが多い。
帰宅時間と、お店が暇になる時間がちょうど重なるからだ。もちろん他のお客さんが来たらカウンターを離れて帰るようにしてる。今日は一向にやってこなくて、たくさん話ができるみたいなんだけど、それはとても残念なことだと思う。
「いつも買ってけなくてごめんね」
「いつか特別な時にうちを選んでくれれば十分さ」
圭一郎さんの手が伸びてきて、俺のおでこをするりと撫でた。
俺が普通の女子中学生だったら顔を真っ赤にしてとびのいてるとこだぞ。
「今度母の日だから……ここのケーキ買いにくる」
「そりゃ嬉しいね。とびきりのものをご用意いたします」
柔らかく笑った圭一郎さんは、同じ男の俺でも惚れ惚れするほど精悍な顔つきだ。
俺もあのようになりたいものだが、まあ高望みはしない。自分の将来の顔は一応、知ってるしな。

またくるねー、今度はケーキを買いにっと別れた俺は自分の歩く足元を見る。
膝丈スカートは女子のそれで、幼く貧相な足がそこからのぞいた。
本当は俺は男だし、麻衣という名前でもないし、もっと大人として生きていたはずだった。


どういうわけか、───多分、死んで───、谷山麻衣という名前で生を受けた。
女の子のように育てられて、中学生になった今もそのように過ごしている。
お母さんは当然のようにそうしていて、俺も反抗したことはなくて、だからなんの問題もなくここまで来てしまった。周りの人のどれほどが、本当の俺を知っているのかわからない。誰も何も言わないし、俺も確かめようとしないまま。
しかしなんの問題もないように思えたのは、本当は気のせいで、問題は山積みだった。
問題にしないように目を背け続けて来ただけなのだ、俺も、俺たちも。
お母さんは体調を崩したのを機にどんどん体が弱っていって、帰らぬ人になった。肌寒い冬のある日だった。
体調を崩した時に病院へ行ったが、お母さんは医者との話を俺まで届けてくれることはなかったし、入院しようともしない。きっと経済的に入院はしたくないとか、働けなくなるとか、お母さんに思うところがあったのかもしれない。
中学生で働けない自分が情けなくあった。無力で、無念だ。

骨壷の入った白い入れ物を抱えて、バスからおりた。
その日は朝から雨が降っていて、お母さんと火葬場でお別れした後こうして家に帰る時間になってもまだ降っていた。火葬場の職員さんが気を使って俺に傘をさしてバス停まで送ってくれたから、うっかり向こうに自分の傘を置き忘れていたことに下車して気づいた。
ちょっとした屋根のあるバス停で立ち尽くし、ほんの少し踏鞴を踏む。
ああ、お母さん濡れちゃう……。
一番に考えたのはそれだった。
「入ってきな」
「───へ?」
いつのまにか傘を持って佇んでいた男性、圭一郎さんが俺を見下ろしていた。
屋根の外にいて、傘に雨粒が当たる音がする。
「圭一郎さん、買い出しでも行ってたの?」
ああでも荷物がないなあ、と思いながら圭一郎さんの傘を持ってない方の手を見た。
「麻衣ちゃんちに行ったら、近所の人に今日だってきいてね。そろそろ帰ってくる頃だと思って待ってたんだ」
「あ、式とかはちょっと、してあげられなくて……すぐ」
「うん」
圭一郎さんが俺の肩を抱いて、傘の中に入れる。自然な動作で歩き出されたら、雨に濡れないために俺もそうするしかない。
「わざわざ、バス停まで迎えに来てくれたんだ。お店へいき?」
「今日は他にもスタッフがいるからな」
「そっか、ありがとう。スタッフってちいちゃん?」
「そう、千影」
アンティークに最近入ったらしいちいちゃんは千影さんといい、圭一郎さんの幼馴染のようなものらしい。
でっかくて、サングラスをしてる風体にはちょっと驚くが、喋ってみると物腰柔らかく可愛い人で、圭一郎さん同様俺を見かけるとひらひら手を振ってくれる。お花も飛ぶ。
「寒くないか?」
「え、ああ……───寒いなあ」
「コートとか……マフラーもしてかなかったのか」
バスのシートがとても暖かくて、ちょうど暖房の風が当たるところにいたから忘れていたけど確かに寒い。
家を出て来た時も多分寒かったはずなんだけど、気づかなかった。
お母さんを荼毘に付して、なんというか、一区切り着いて、ようやく現実に戻って来たのかもしれない。
「車であっちまで迎えに行きゃよかったな……そもそも連絡先知らねーし」
あーと顔をしかめてる圭一郎さんを見上げる。
たぶんこのお迎えがなかったら、傘もささずに雨に濡れたまま何も感じることなく家について、長らく現実に戻って来られなかったかもしれない。さすがにシャワーくらい浴びる理性もあるだろうし、立ち直るのは翌日とか。もしかしたら風邪ひいたりして。
「圭一郎さん、お店寄ってっていい?お茶のみたいな」
「おう、そのつもりだ」
どうせ飯も食ってないんだろうから軽食も食え、と圭一郎さんは前を向いたまま少し口を尖らせた。
普段から気遣いのすごい、優しくしてくれる圭一郎さんなんだけど、多分親を亡くした今の俺に対してどうやって優しくしようか考えてくれているのだろう。

「麻衣!」
「麻衣ちゃん!!」
お店に行くとでっかいちいちゃんと可愛い顔したエイジくんがいて、俺を見るなり駆け寄って来た。こらこら接客業、他のお客様が驚くでしょうが……って思ったら残念なことに店内は誰もいない。
エイジくんがパティシエ見習いなのに厨房から出てたのはこのせいもあるんだろう。
「お前かーちゃん死んじまったってなんですぐ言わねーんだよ」
「おいエイジ!」
「さびしかったでしょう、ひとりで」
「千影!!」
直接的な言葉を言うエイジくんと縋り付いてるちいちゃんを、圭一郎さんは咎めるように呼び首根っこ捕まえてひっぱる。
騒ぎを聞きつけて滅多に厨房から出て来ない小野さんまで出て来て、光景に口をあんぐりと開けた。
「二人とも、それじゃあ麻衣ちゃんが困るでしょ。お母さんと一緒に席に案内してあげて」
「あの、おじゃまします」
「いらっしゃいませ」
小野さんは微笑みながら俺に挨拶をしてくれた。
エイジくんとちいちゃんは圭一郎さんに乱暴にひっぺがされてるので、小野さんが俺を先導して椅子を引いてくれた。俺は先にお母さんから手を離すことにする。

「麻衣ちゃんはこれからどうするんだ?親戚の人とかは」
「ああ、うち親戚もいないの。だからこのまま……」
圭一郎さんが紅茶を持って来てくれて、湯気のたつティーカップにおっかなびっくり口をつけているときに聞かれた。
うちの両親はどちらも一人っ子で親を早くに亡くしてるので、今やなんのあてもない。
俺の担任の先生が親身になってくれていて、一人の家が寂しいなら家に来て良いと言ってくれた。俺一人じゃ家事とか手が回らないだろう、とのことだ。先生の家はここから離れているし、中学へも徒歩で行ける距離ではなくなってしまう。
そのことを話すと、じゃあうちに来なさいと、厨房に戻ってった小野さん以外が拳を握って宣言した。
中学の担任だって他人だが、だからって近所のケーキ屋の店員さんちに転がり込むのはどうなんだろう。

ちいちゃんは昔暴力を振るうお父さんから逃げてお母さんと一緒に橘家───圭一郎さんちへ入ったそうだが、高校生の時にお母さんが亡くなって一人になったそうだ。エイジくんは孤児でボクシングジムの会長の養子になったけど目の病気で引退し、今では店の二階に住んでるそう。
お、おお……壮絶……とおののいてる俺は騒ぎを聞きつけて再び顔を出した小野さんに大丈夫?と苦笑されている。
二人のことは圭一郎さんがまず無理だと突っぱねた。
「お前らに中学生養う甲斐性ねーだろ」
ちいちゃんもエイジくんも、圭一郎さんにほぼお世話になってる状態だもんな……。
「でも、でも、ひとりじゃかわいそうです!」
「見捨てられるわけねーだろ!いざとなったらケッコンするぞ麻衣!」
「え!?」
エイジくんの突飛な発言にびっくりしていると、がしっと肩を掴まれて顔を覗き込まれる。
「あの変態ジジイの家に世話になんのはやめとけ、オレは今んとこ枯れてるしすぐ手出したりしねーから」
「おまえ麻衣ちゃんになんつーこと言いやがる!」
「ちいだって信用ならねーぞ、頭お花畑だからな……」
そこは別に心配してないんだけどな……と思いつつ自分の格好が格好なのでなんとも否定しづらい。
小野さんがため息をついて、圭一郎さんとちいちゃんは一緒に住んでいてそんな男所帯に中学生の女の子を入れられるわけないでしょと至極真っ当なことを言った。
エイジくんもまだパティシエ見習い、店の二階を間借りしている状態なのでほぼ同じ理由だ。結婚するというのももちろん年齢が達していない以前に俺の同意がないのでダメ。
みんな、麻衣ちゃんは子犬じゃないんだからね。もう。

小野さんに場を任せつつ、俺はのんきにサンドイッチにかぶりついて場の収束を待った。
みんなが俺んとこ来いっていってくれる気持ちはとても嬉しいし、誰のところに行っても俺は大丈夫だと思うくらいには信用できる人柄だ。人の資産をあてにするつもりはない。
高校生になれば働けるようになるのであと一年……いや半年ってところだ。
最終的に俺が何か答えを出さなければ誰も納得が行かないだろうし、もぐもぐごっくんの間に考えをまとめる。
「今まで通り家に住むよ───寂しくなったらここにくればいいもんね」
口をひらけば、四人は俺を見た。
みんなして口を閉ざして何もいってこないので、俺は答えを間違っただろうかと首をかしげる。でも多分これが一番正しい選択だと思うんだけどな。
もしくは中学の先生にお世話になるのが一番かもしれない。でもこのお店にもっと通いたくなったし、そのためには俺はあの家にいた方がいい気がする。
一人が寂しくないといったら嘘になるが、今日、あの家に帰るのはもう怖くない。


next

ずっと前からまいちゃんとアンティーク書きたくて構想練ってまして。
圭一郎さんを圭ちゃんにするか圭一郎さんにするか橘さんにするか非常に迷いました。
Jan 2019

PAGE TOP