I am.


Clotted cream. 05

渋谷サイキックリサーチの事務員としての仕事はなかなかに平和だった。
何もやることがないというほど暇ではないし、かといって積み上げられるほど忙しなくもない。依頼人は時折訪ねてくるがそのほとんどがナルとリンさんにより無下に断られ追い出される日々。
その日もお茶の準備をしてったらもうリンさんがドアまでお送りしたところだった。
「あー……」
またお茶が無駄になった……。
トレイにのせたグラスを見下ろし眉を垂らしていると、リンさんが俺の残念そうな顔に一瞥くれる。
「今日のお客さんは最初おとなしかったから……準備してしまった」
来た途端からいいニオイがしなくて、話もソコソコでナルにスッパリ断られてくれれば俺も引き返せるのだが。
騙されたぜえ、と妙に損した気分になって丁寧に入れたアイスコーヒーを片手に持ち変える。しょーがない、自分で飲むかなあ、さっき飲み終わったばっかりで、今そんなに欲しくないのよねえ。
「あ、リンさんよければ、飲みませんか」
「…………」
ここにバイトしてから何度もナルにはお茶を入れてて、最近では種類のリクエストまでよこされるんだがリンさんはまず滅多に顔を合わせないのと、聞いても即座に結構ですと返されるので一度もいれたことはない。
そんなに好かれてないのは知ってるもん。
今回も即答で断られるかと思ったけど、リンさんはみゅっと眉間にしわを寄せて口を結んだ。え、何。いい加減その問いかけやめろって?
「折角だからもらったらどうだ、リン」
意外にも口を挟んだナルに、俺たちは一度視線をやる。
「麻衣はお茶を入れるのだけは上手い」
だけはって何だ、だけはって。
まあ?圭一郎さんのスパルタ教育と日々アンティークでお茶を出す実践を数ヶ月重ねてますし?
アンティークはお茶もこだわってますし?
初めてナルにお茶を入れた時、目をぱちぱちさせて「うまい……」とこぼしたので認めてくれてるのは知ってる。
リンさんはナルと俺を交互に見てから少し間を置いて口を開いた。
「……いただきます」
大きな手が、そっとグラスをとって資料室に入っていった。俺はなんだか、それだけでちょっと嬉しくなった。

さてお昼も回ったのでアンティークに急がねば。
夏の新作が出始めているのでこの土日は混雑を予想されている。
リンさんにはあれっきり会うこともなかったし、俺はナルの許可をもらってオフィスを出た。
お店の前に行くとテイクアウトに行列ができていた。そこは圭一郎さんが丁寧かつ素早く、いろいろなものをお勧めしてサバくからいいとして。……となるとちいちゃんがイートインで一人ぽわぽわしてるに違いない。
「オハヨーございま〜す、すぐ出ま〜す」
店の中を通って奥に行き、ぱっぱと服を脱いで制服に着替える。
「ちーちゃんこのケーキマジうまいよ!?」
「でしょ!?でしょ!?」
「うそ〜あたしも食べよ。ちーちゃんリモニーもうひとつ〜」
常連であるギャルのねーちゃんと楽しくお仕事してる姿にほっこりしつつ店内を見ると、もうひと組のお客さんがそっと手を上げて声を出す。ちいちゃんはひとつひとつ仕事をさせたいので、俺がさっと近づいてにっこり挨拶をした。
この人も常連で……たしか元刑事で過去に圭一郎さんの誘拐事件を捜査していた人だったはず。スイーツ好きで、奥さんとたまに食べに来るしテイクアウトも頻繁にしていく。
「リモニーを二つ、それにアイスティーとブレンドを」
「かしこまりました」
ちいちゃんがギャルのねーちゃんにリモニーを持って来るのとすれ違いに厨房へ行く。まずはコーヒーコーヒー。
アイスティーを作りながら、リンさんのことをちょっとだけ思い出した。
次回からまたいれさせてもらえたらうれしいな。

テイクアウトの行列はいつしか途切れ、イートインのお客様もオーダーを出し終えたので店内が少しだけ静かになる。
洗い物をしていた俺は圭一郎さんにのしかかられて、上機嫌な笑い声に体を揺らした。
「ひっひっひっひっひ……あ〜笑いが止まんねえ」
「おもい……」
「ニュースプラス5の特集放送以来売上1.5倍増〜」
「そーなんだあ」
「おいオヤジ!皿割っちまうだろヤメロ!」
今は繊細な食器類ではなく鍋やらボウルやらを洗ってたので問題無しだ。エイジくんも横で手伝ってくれたので、圭一郎さんの重みで体が傾く俺は遠慮なくエイジくんに寄っかかる。
「やっぱメデイアの力は偉大だよな、雑誌の紹介記事だって一気にほれ」
圭一郎さんは俺たちの様子など気にも留めず、小野さんに雑誌を見せびらかしにいった。
そういえばこないだ雑誌の取材も受けてたっけ。俺は雑誌の方には写真撮られてないけど、テレビの方には一瞬ちらっと映ってる。
「なー小野やっぱ二号店は青山!?青山か!?や吉祥寺あたりもいいかな!!なあ!!」
「オヤジドリーム入ってる!!ドリーム!!」
エイジくんは鍋を流して水切り棚に置いたあと、手を拭きながら呆れた顔して圭一郎さんと小野さんの話に加わりに行った。
「何行ってんだ代官山にある有名なタルト屋だって本店は静岡なんだぜ?それ考えりゃうちだって不可能じゃ」
「人手が足りないっつの!!今だってもう先生がどんだけ大変かわかってんのか!?」
俺のシフト数が少ないのは、それはそれ、これはこれ。
流しを綺麗にし終えて、水をきゅっと止める。
「ああ神田くんそんなこと無い無い、今の1/10くらいの給料で毎日明け方から夜中まで18時間くらい働いてたこともあるよ、あの時に比べたら───」
「え!?」
「1/10!?」
「18時間!?」
小野さんの過去の労働環境に俺たちはそろって目ん玉ひん剥いた。
曰く、忙しいのは苦にならないそうだけど。
「冬にディオールのコート分割払いで買っちゃってまだローン残ってるのに、こないだプラダでいいパンツ見つけちゃって……だからねえ橘ちょっとだけボーナス出してもらえるとすっごくありがたいなーなんて」
あっもちろん神田くんも、とエイジくんへの気遣い見せつつ欲望をこぼした。
「え?先生俺は別にいらないっす」
「ああんそんな、それじゃ僕一人が金のためだけに働いてる人間みたいじゃな〜い」
「てゆーかホントにお前一人が金のためだけに働いてんだよ」
「いや俺もお金のためだけど」
「お前は今後の暮らしのために金が必要だからだ、ディオールだのプラダだのを買うためじゃねえ」
圭一郎さんにそう言われ小野さんの理解者候補としては外された。
仕事にお戻りなさいと手をしっしとされたので厨房から出ると、ちいちゃんがギャルのねーちゃんを見送るところだった。
入れ違いに、一人の男性が入店する。外国人なのはともかくあの赤いバラ……。
ジロジロ見てしまうのは失礼だけど、それくらい目立つ赤いバラを脇に抱えていた。さぞ視線を集めたことだろう。店の外でギャルのねーちゃんも振り返ってるくらいだ。
「Excusez-moi.」
「いらっしゃいませ!」
ちいちゃんは条件反射で挨拶をするが、相手はフランス語で何かを言ってるので全く理解できてない。
俺もなんとなくしか聞こえないが、小野さんの名前が出て来たのでいらっしゃいませを繰り返すちいちゃんの腕をぽんぽんする。
「Bonjour,Comment tu t'appelles?」
「Jean……」
小野さんの知り合いなんだろうと思って名前を尋ねてみるとジャンと返って来た。その後何か言ってたけどごめんよくわからん。俺が圭一郎さんに習って覚えられたフランス語は初歩の初歩の初歩だ。
「ちいちゃん、小野さんにジャンという名前の人が来てるって言って!」
「はい!」
ジャンさんは何やらぶつぶつと、あまり機嫌が良くなさそうな雰囲気でフランス語を垂れたのだが俺にはよくわからず、小野さんよりも先に圭一郎さんが勢いよく対応。
口喧嘩みたいなのをしたのち、小野さんが登場した。ほっとしたのもつかの間、感極まったジャンさんは小野さんの手にキスをしてモナム〜と愛を囁いた。

翌日、渋谷サイキックリサーチに依頼が舞い込んだ。俺が事務員としてバイトになってからは初のことだ。
やって来たのは線の細い若い女性で、森下典子さんという大学生だった。その名前を聞いた途端に、ピンとくる。たしか西洋人形が出てくるんだったかなあ、なんておぼろげな記憶がわずかに形を作り始めた。
張り切って用意したお茶は無駄にならず、典子さんは美味しいと囁くようにこぼしながら飲み干して帰った。
「保護者に許可を貰い次第合流してくれ、可能であれば出発の車に乗せていく」
「あいあいさー」
えいえいおーと手を掲げてオフィスを出る。
圭一郎さんは多分オッケーというだろうと思いながらお店に行ったら目当ての人物はいなかった。
「あれれ」
「麻衣ちゃんおかえりなさい」
「おーおかえり」
店内をうろうろしていると、ちいちゃんとエイジくんが声をかけてくれた。ただいまーとこぼしながら尚も周囲をきょろきょろ見回す。
「橘なら出かけたよ」
「え、めずらしい」
特に仕入れやら視察やら取材やらの予定は聞いてなかったので、小野さんの発言に驚く。
じゃあ後で聞けばいいか〜と服を着替えて店に出る。いつのまにか圭一郎さんも帰って来てたが接客にぐるぐるしてたので後で話すことにした。
店内掃除は21時過ぎのお客様が少ない時間にささっとやって、本当に閉店したらビシッとだ。
俺はその時間法的には働いちゃいけないので、主にエイジくんの仕事となってる。
今日は圭一郎さんに上の部屋で待ってろと言われたので、首を傾げつつ暇だしいっか〜と夏休みの宿題を片付けながら待つ。
閉店した2時半をすぎたころ、うとうとしてるといつのまにかエイジくんと圭一郎さんがいて、なにやら荷物をガサガサやってる音がして目を覚ます。
「起きたか、わりーな待たせて」
「ううんーどうしたのー……これ」
周囲には洋菓子の入った小箱がたくさん散らばっている。豪勢だなあ。
エイジくんがもぐもぐしながら一口ずつ食ってんだと説明してくれたが俺にはそれだけじゃよくわかんない。
「小野が引き抜かれるかもしれねーんだ。んで、代わりになるパティシエのアテを探してる」
「なるほど」
「どだ!?どれも一押しケーキだぜ!?1個くらいはこのケーキを作ったやつなら師匠にしてもいいと思うケーキがあるか!?」
「ん〜やっぱ夜食にはうちのケーキが食いてえ〜」
エイジくんの食べた残りをちまちまもらいながら、二人のやりとりを聞いてる。でかい一口で減らされてるとはいえ、3つ食べたとこで、しょっぱいものか苦いものが欲しくなった。
「そんな〜そんなこといわねーで選んでくれよ!!そんなにあのホモの作ったケーキがいいのかよ〜!?」
「なー口直しにうちのケーキ食ってもいい?」
「俺は口直しにラーメン食べたい……」
「そんなこというなよ麻衣〜もっと食え!」
俺の舌はあてにされてないが、消費係その2だったらしく圭一郎さんの叱咤がとんでくる。いや無理だって。
エイジくんほど大食いでも甘いの好きでもないんだからな。


next.

しれっと夏に飛びます。
圭一郎さんは主人公が男なのでさりげなく呼び捨てになってます。
ジャンは原作通りちいちゃんのいらっしゃいませ連呼と、ギャルのおねーちゃんという客層に文句たれたれしてるけど多分マシなのはウェイトレスだけか?くらいは言ってるかもしれないし言ってないかもしれない。
ゴーストハントをやっててリンさんにお茶を飲んでもらうのも断られるのも一種のイベントなのですが、今回は早めにお茶をあげるのに成功させました。
Feb 2019

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