I am.


Clotted cream. 11

ちいちゃんの娘であるでこちゃんにすっかりめろんめろんになったエイジくんは、ぽわーんとしながら厨房で小野さんにこぼす。
「でこちゃんて超かわいくないすか……」
「そうだね」
たまたま食器を片付けに入った俺は、見事にでへでへな顔を見てしまった。
「ねー先生、女っていくつんなったらケッコンできるんでしたっけ……」
え!?という顔で小野さんはエイジくんを見ている。そして俺の姿も見つけたようだった。

「ひどい!俺へのプロポーズは嘘だったんだ……!!!」
「げ、ま、麻衣!ちげーよ!!」
「何が違うってのよ!!」
お客さんがいなかったので茶番劇を始めてみたが、エイジくんが何気に迫真の演技である。
浮気発言をしてしまった男っぽさすごい。
「だってお前、ケッコンできねーんだろ?」
後に引けなくなって来たというか、ヤケになってぐずぐず泣き真似をしてみる。
小野さんは俺がふざけているとわかって苦笑していたが、エイジくんは未だ迫真の演技を続けている……というかこれはもしかしたら本気のやつじゃないか。

「泣くなって」
……泣いてません。

抱きしめられてポンポンされた俺は、小野さんにどうしようの視線を送ってみたが頭を抱えられた。はい、自業自得です。仕方なくこめかみをグリグリされるの覚悟で冗談です〜と背中ペンペンした。
ばっと体を離して俺の顔を見て、まったくこれっぽっちも泣いてないし、むしろヘラヘラしてるとわかったエイジくんはぎうううっと俺を抱き締めた。
「ギブ!ギブ!!」
「てんめ〜〜せっかくの決心を!」
「決心てなに決心て!?ケッコンは一人の決心じゃダメだしでこちゃんがケッコンできるのは16歳だから……ちょ、ま、」
「そうじゃねーよ!バーカ」
さらにぐぎゅぎゅうっと体が締まった。
ああ……!俺のクリームがでちゃううぅ。


「───というわけでフランス語習いに行きなさい」
「え〜〜〜!?」
ある日エイジくんに試練が立ちはだかる。どういうわけで?
お客様がいない店内で宿題をしてた俺も厨房の話し声が聞こえてきて、覗きに行った。

「げ〜〜マジ〜〜?オレ日本語だってよく訳わかんねーのに!!ベンキョーなんかもう一生したくねーし、てゆーかケーキ作んのにそんなもん必要ないじゃないすかあ!!」
「もうしたくねーって今までちょっとでも勉強したことあんのかよ!?お前は」
怒涛の言い訳ラッシュを眺めてふふっと笑う。
「だいたい今までお前、あのナパージュだのグラサージュだのアングレーズだのいう山のよーな製菓用語をどうやって覚えてきたんだ!?」
たしかにエイジくんは小野さんの言うなんとか〜ジュにも瞬時に対応してるから覚えてるんだよなあ。
「それは何かこうフィーリングで……呪文のよーに丸ごとムチャ覚えってカンジ!!」
「まあまあ神田くん。週に三日夜だけの授業なんだし、無理せず少しずつやればいいんだよ」
腕を組んで意味がわかんねえという顔をした圭一郎さんの横で、小野さんは優しく微笑みながら諭した。
エイジくんは確かにそういうフィーリングで物事を覚えたり、判断したりしているところあるよな。

「麻衣は?」
「え、なんで俺」
のぞきに来ても口を挟んでなかった俺を一応は気づいていたらしい。
「麻衣は習いにいかねーの」
「麻衣は日常会話くらいできるようになったんだよ」
「普段あんまり使わないからそのうち抜けそう〜」
以前小野さんの元彼が訪ねて来たときはそんなにわかんなかったけど、むしろそのことがあったからなのか圭一郎さんが再び俺にフランス語を叩き込む時期があってな。製菓知識にフランス語がつきものなのでちょうどいいだろって言われたけどその前に英語を教えてくださりやがれってんだ。
それ言ったら勉強量が倍になる未来が見えたので言わなかったが。
「アン?じゃあ店内での会話フランス語にしてやろうか」
「やだ〜」
なんとなく覚えたけど頭使いたくないので拒否した。いやでも、覚えたの忘れんのも勿体無いかな。
「あ!じゃあ、エイジくんが覚えたらエイジくんと練習する」
「う、おう……」
エイジくんは照れ臭そうに小さく頷いたけど、それでもやっぱりどこか、不本意そうな顔をしていた。
小野さんが、いつか一人前になって独立するわけだし……と言ったのがエイジくん的に傷ついてるんじゃないかと俺は思うのだけど、小野さんにそれを教えてあげるタイミングがつかめず宿題に戻った。

翌日から、心の底から勉強したくなさそうな顔をして、フランス語スクールへ行ったエイジくんの背中をちいちゃんと共に見送る。
「心の底から勉強するのがキライなんですね……わかります……」
「あはは」
圭一郎さんが授業料出してまで通わせるっていうことは、つまりエイジくんに期待してるし、信頼もしてるはずだ。伝わってないけど。
小野さんにパティシエとして見込みがあるのか?と聞いてるのだって、今後も大事にしようという思いがあってのことだろう。
ちなみに小野さん曰く、「僕を超えるパティシエになりそう」なので、圭一郎さんはそれを絶対本人には言うなと言いつけた。
「え?ダメ?」
「いってあげなよー」
「だってそれ聞いたらあいつメチャクチャ調子こいちまうじゃねーか」
「そんなことは……」
「麻衣も!言うなよ!?」
「え〜……エイジくんかわいそう」
どこが?と圭一郎さんは目を剥く。小野さんもきょとんとして俺を見ていた。
ちいちゃんはしきりに頷いてるけど、それは多分自分が勉強をしたくないからだ。
「期待してるのは、ちゃんと言ってあげないとさ」


───俺のアドバイスが効いたのか効かなかったのか……いやあんま関係ないだろな。
圭一郎さんはエイジくんが荒れてるのを目の当たりにし、小野さんは期待してると伝え、エイジくんは吹っ切れてた。
フランス語も上達して来たみたいで、俺とエイジくんはたまにふざけてフランス語でやり取りをするようになった。

俺はその頃、依頼が入ったのでしばらく学校を休み、都内にある女子校に通っていた。
どうやら俺だけ呪われたっぽいんだけど、まだそれを断定するに至らずその日は普通に帰ることになった。
協力のため来てくれた霊能者のみんなはまだ呪いに気づいていないので、明日も除霊かあ……と肩を回しつつ校舎を出た。
「ん?あれ麻衣の兄貴じゃねえ」
ぼーさんが指差した先の校門を見てあっと声を漏らす。
俺に兄貴はいないけど、兄貴だと勘違いされてるエイジくんとぼーさんたちの出会いを思い出した。
「わーい、なんで?」
「さっき授業終わったトコ。ここと近いんだよな」
「ああ、そうだっけ」
ぞろぞろと俺の後ろからみんなが歩いてくるので、エイジくんの視線もそっちへ向く。
ナルとリンさん以外は会うの二度目だ。
「あ、初めてだよね。雇い主と〜助手さん」
「どーも。麻衣が世話ンなってます」
「どうも」
身内のような挨拶だがまあ間違いじゃないし、ナルはそれを指摘する人じゃない。
リンさんもなんとなく察したのか黙っていた。
「あ〜、頭使ったから疲れた……ケーキでも食って帰ろうぜ」
アンティークの定休日なのでエイジくんは小野さんのケーキが食べられないのだ。
そしてそのためにここで待ってたのかもしれない。
今日は俺が奢ってやるよ、とフランス語で言われたので俺もメルシーと返した。
「───じゃここで。解散だよね?また明日〜」
「お、おう。……気をつけて帰れよー」
「さいなら、お気をつけて」
「……じゃーね」
「また明日」
今回はお姫様抱っこされてないのに、みんながぎこちなく俺を見送った。
あ、フランス語かな。エイジくんが言ったのに対して俺もわかって答えたから驚いたんだ。
まあそれならいっか、恥ずかしくない。赤いフェラーリよりも、お姫様抱っこよりも、うん。


「なー麻衣ってもう16んなったんだろ?」
「え、うん」
ケーキを食べた後は俺の希望でシメにラーメンしようと歩いてる。
さっき階段からずっこけ落ちそうになったのは呪いなのか、俺のドジなのか、わからないけど。
心配したエイジくんが手を掴んでくれてるので、道を歩く俺たちはどこにでもいるカップルだ。
「女だったらケッコンできたんだよなあ」
「でこちゃんはあと6年だね。でも、ちゃんと同意がないとダメだよ?」
「ちげーよ、でこちゃんは……まあかわいいけど……付き合えたら付き合いてーけど」
ちげくねーじゃん。
「でもすんなら、麻衣のがいいよオレ」
「ん?」
「ずっとあの店にいてーし、ケッコンすりゃ麻衣とも一緒にいられんじゃん」
「んん?」
俺はよくわかんなくなって首を傾げてエイジくんの顔を覗き込む。どういった理由でしょうか。
「俺と結婚しなくたってあの店に居られるよ」
「それはこないだ先生に言われた……。オレ、捨てられたじゃん?だからすげー、怖くてさ」
「そっか」
「麻衣が、俺が不安がってるのわかって、言ってくれたんだってな。サンキュ」
へへっと照れ臭そうに笑ったエイジくん。
フランス語を習わせたのも、自立を促したのも、全てエイジくんのことを大事に思ってるからであって、進んで手放そうだなんて思わないだろう。ただその思いやりを当人同士で理解し合うのは難しい。圭一郎さんとエイジくんならばなおさら。
「圭一郎さんはさあ、エイジくんをほっぽり出すことはないよ。小野さんだって」
「ん……麻衣はさ、すげえ愛されてるよな。俺にはそれがねーって思ってて」
「いやいやいや?そんなに愛されてはいないだろ……」
親に"捨てられた"印象はなく死別する時まで一緒に暮らしたし、アンティークのみんなだって俺に甘いし同情的。その心は嘘偽りなく、愛も感じる。
でもエイジくんのいう愛されてる、必要とされてるという気持ちは俺にだってよくわかんない。
「愛されてるよ!親にもオヤジにも先生にもちいにも、オレにも」
「……ありがと」
「おまえでもわかんねーんだな。自分がどんだけ大事にされてんのかって」
「あはは」
そりゃそうだ、と頭を掻く。
エイジくんの俺を握る手が一瞬だけ強くなったが痛くはなくて、何か気をひくような、それでいてそらすような感じがした。
「あーあ、オレも麻衣と結婚できたらよかったのに」
オレもってなんだ、オレもって。


next.

原作だとフランス語習うのクリスマス後から年明けのことなんですけど、絡むタイミングはここがいいなって思ったので時期ずらしています。
エイジくんは店に居たいから麻衣ちゃんと結婚したいわけではなく、麻衣ちゃんが一緒に居てくれる一番の手段って結婚なんじゃねーかなと潜在的に感じている。後見人になった圭一郎さんを、保護者と認識してそれなりの報告連絡相談をするようになったのを見て、たぶん。
エイジくん本人は血の繋がった親に捨てられている(?)わけなので、戸籍上のつながりとか法的に立証される関係に価値は感じてないような気はする。
Mar 2019

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