I am.


Desert. 02


地べたに置いてたケースを引っ張って、ギターをしまっていると幸村先輩の声が後頭部にぶつかる。
「───もう照れないんだね」
「え?」
聞き返しておきながら、以前に面と向かって歌うのを恥ずかしがったのを思い出した。
「ああ、あの頃は……人に歌を聴かせるのに慣れてなかったので」
当時幸村先輩と親しく話していたとはいえ、関係もどこか遠いものだった。今が近くなったかといえばそうでもないけど、時間だけは経っただろう。
だから俺、出会って間もない人相手に何やってんだろって思ったんだっけ。歌詞も歌詞だったしな……。
「今は慣れた?」
「まあ、そう、かも?」
転校してしばらくした後から音楽活動は緩やかに再開したし、今は東京の学校に通いながら本気で目指してるところもあるわけだから。
ギターを仕舞った流れで立ち上がると、幸村先輩も立った。
「これからは色々なところで、歌っていきたいと思ってます」
「───」
俺の決意にも似た発言に、息を呑み、次第に喜色ばむ顔を見た。
「俺ね、」
いつかきっと言おうと思っていたことがたくさんあった。今日は突然の再会だったから、お母さんのことを伝えられただけでもよかったけど、次にまたいつ会えるかわからない。
もしかしたらまた先延ばしにしてしまうんじゃないか……そう思ったら、俺は幸村先輩に自分の性別が男であることを告げていた。
「今は東京に住んでて───声変わりしたら、本格的に音楽をやってくことになります」
「え……そう、なんだ」
しばらくして平静を取り戻さんと、しどろもどろに幸村先輩は相槌をうった。

俺はSPRの事務所でバイトをしながらも別のそういう事務所にも所属して、細々とだけど準備をしていた。嬉しいことにデビューの話も上がっていて、でもまだ俺の声が未発達で変わりやすいから、と露出の仕方を考えているところだった。

歌の道に進むこと、そして夢を叶えようとしていること。
それは、きちんと報告したいと思ってた。しかしそこには、性別の話が必要不可欠だった。
俺が歌をやるのは、ゴーストハントとも麻衣とも何の関係もない、俺自身の夢だから。
「どこにいても、谷山さんの歌が聴けるようになるってことか」
「そうなるのが目標ですけど……まだ全然先のことですよ」
「ふふ、楽しみだな」
「……その時は、って名前になります」
「あ、芸名?」
「お父さんが遺してくれた、男としての名前」
俺の麻衣ではない方の名前も伝えられた。おそらくその名前でこれから生きていくことになるから。
「───良い名前だ」
「麻衣も好きですけどね」

堤防の上からおりて、駅まで見送るといった幸村先輩が隣を歩いた。
さほど距離がないので、話せるのはわずかな時間だろう。でも、そのくらいで丁度良かった。
言いたかったこと自体はもう言えたし、ここから先、何もかもを言ってしまえばいいというものでもない。
「谷山さんは、どっちの名前が良い?」
「こだわりはないですが……いずれ麻衣で居られなくなるのはたしかです」
「それでも、君が望んだ名前で俺は呼びたいんだ」
少し口ごもる。まだ俺は皆には麻衣と呼ばれたいし、これからだって、麻衣を覚えていてくれる人が居てほしいとさえ思ってる。でもそれはきっと、わがままで、儚い願いだ。
幸村先輩にお願いしたら、もしかしたらずっと、麻衣のことを想っていてくれるのかな───。
俺の答えを静かに待つ、幸村先輩の顔を見た。
、がいい」
歌うのは未来の俺だから。
麻衣ではないから。
「───じゃあ、
谷山さんでもなく、麻衣でもなくて、名前で呼ばれた。
こうして少しずつ、俺の中に麻衣ではない自分ができていく。


駅の前にきて電光掲示板を見ると、あと数分もすれば、東京へ帰る電車がくるところだった。
一本見逃すか、それとも、と考えながらポケットの中のICカードに触れてその存在を確認する。
「今日は色々とありがとう」
「え……?」
別れの言葉を言う前に、お礼を言われた。
見送りしてくれたことや、俺の告白を受け止め続けてくれたので、こちらのセリフでは……?と思い首を傾げる。
「俺に話そうとしてくれたことが嬉しかった」
「言えないで別れるのは、もう嫌だから」
事情があったとはいえ、こうしてまた会うまで、結構な時間がかかってしまったのは事実だ。
幸村先輩もそれを感じたのか苦笑した。
「俺、あの時一人になりたかったんです。自分を思ってくれる人たちからも、夢からも逃げたかった……」
「それでもいいんだよ、時間が必要だったんだろう」
自分の行動を後悔しているわけではないけど、悪いことをした自覚はあった。
でも幸村先輩は、どうしても前向きになれない時があると知っているから、深く頷いた。
「───だから今まで、待っていてくれてありがとうございます」
久しぶりに来た故郷の海に、ようやく涙がたどり着いた気がした。



next.

お母さんが亡くなったことも、自分の性別も、夢も、幸村には自分でいいたかった。
それが二人の築いたものだといいなと思ってます。

April.2022

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