I am.


komorebi. 05


屋上庭園で花に水やりをして、後片付けをした後に少し伸びをした。
夕日が沈みかけていて、遅くなってしまったなあと独り言ちる。
夏が終わり、どんどん日が短くなっていくので、実のところそんなに遅い時間でもないのかも。
用具入れにバケツやスコップ、ごみ袋を入れて、忘れ物はないかと周囲を見回すとベンチに寝転ぶ人の影が見えた。
あらまあ、気づかなかった。俺、変な独り言とか言ってないかな。
さりげなく起きてるのか寝ているのかを確認するために一度通り過ぎてみたら、多分寝てた。顔がくたりと横を向いてて、胸に本を置いた状態だ。
癖のある黒髪の、線の細い男子生徒で、傾く顔の頬に西日が当たっていたので、きっと眩しかったんだろうとわかる。
足はベンチから降ろしていて、頭上に少し余裕があったので日を遮るようにして腰掛けてみた。
その振動からか、彼は身じろぎをして、僅かばかりに呻くように声を零す。
「もしもし、風邪ひいてしまいますよー」
俺はあくまで親切のつもりで声をかけた。
起こすのは悪いが、ずっと眠らせておくのも気が引けるので。
「わ、え……と」
「よかった、暗くなってしまう前に起きられましたね」
間近に人がいたことを驚いたみたいで、彼は急いで起き上がり、ベンチの端に座って俺を見た。
その時ぶつりと耳元で音がして髪が垂れてきた。どうやら髪を結わいていた片方のゴムが切れたみたいで、肩から跳ねるようにして膝の上に落ちる。
「ありゃ。とれちゃった」
「あ……大丈夫?」
不格好になるし、もう片方もとっちゃえ。そう思いながら髪を全部ほどく。
視界に髪の毛が泳ぎ、シャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。
こんなに風強かったっけ。
「すみませんお構いなく。けして寝顔を覗きに来たわけじゃないんですよ」
「うん、わかってる」
風の動きを受けて、髪の毛が顔にかかって、隣の彼を見ているつもりだが視界は髪の毛で埋まっていた。
「あはは髪すごいな。すいませんがこれで」
「っ、待って───」
髪を頑張って耳にかけて挨拶をして去ろうとすると引き留められた。
振り向いたらまた、風のせいで髪が浮く。
「さっき、歌ってたのって君かな」
「え、わかんないです、歌ってたかも!」
無意識に口ずさむ癖があって、でもなんか、認めたくなくて誤魔化した。
正直何の歌を歌っていたかは覚えていなくて、気の向くままに思いついた部分を歌ってたのだろう。
彼は、俺の返答にぽかんとしてしまったので、それを良いことに手を振って別れた。


階段を下りていくと、仁王先輩が上がってくるところだった。
あれ、と思うと向こうも俺に気づいて足を止める。
階段を進む俺を待つので、屋上に用があるわけじゃないらしい。隣に並ぶと、同じ方向へ歩き出した。
「どうしたんですか?今日部活ないって……」
俺は委員会があったから、たとえ仁王先輩に部活がなくても遊びに行けないなーと思って伝えていたはずだけど。
「待ってた」
「じゃあ一緒に帰ろ」
素直な物言いに思わず笑ったけど、純粋に嬉しいと思った笑顔でもあった。

「もうすぐ10月かあ」
「うん?」
仁王先輩の自転車を取りに駐輪場へ行く道すがら、まるで秋の深まりに浸るみたいな雰囲気で言ってしまい、首を傾げられた。
「ほら、俺たちが付き合ってる?みたいになって、5ヶ月」
「もうそんなか?俺はいまだに男どもに恨み言をぶちまけられるぜよ」
「ははは。じゃあ俺も、仁王先輩のファンに憎まれるくらいにならないとだ」
「なんでそうなる」
笑って自転車にまたがった仁王先輩の後輪の上の荷台に、俺もまたがりかけて、横向きに座り直す。
腰に腕を回して、背中にそっと身体をくっつけるとバランスがとりやすいし、風も避けられるので丁度良い。
「俺と付き合ってて、大丈夫ですか?」
「快適快適」
「えー……彼女、欲しくない?」
「今んとこ、そんな暇ないぜよ」
自分の身の回りにあることで満足してるってことなんだろう。特定の好きな人がいればまた違ってくるだろうけど、そうでないなら向けられる好意が疎ましく見えるのかも。
とはいえ俺たちは別に、周囲の好意から逃れるために付き合っているふりを始めたわけではなくて、初めはちょっとした冗談からだったはずだ。
だからいつ辞めたって良いはずなのに、周囲の反応にのっかって一緒にいるようになってから、それが当たり前になって、この日々を手放す気のない自分がいる。
仁王先輩って反応があっさりしてるのに、どこか懐っこくて、一緒にいて楽しいんだ。
「麻衣は?」
「へ、俺がなんです?」
「好かれるのが嫌なんじゃなか?」
「嫌だなんて、おこがましいですよ。……俺に好意を抱いてくれた人はきっと、本当のことを知ったらがっかりする……それが申し訳なくて」
自転車が走行する音と、街の喧騒に置いてけぼりになるであろう俺の声は今、仁王先輩だけがきちんと意味のある言葉として受け止めてくれている。
「世間に性別を偽って、落胆されるのが怖いとか、罪悪感があったりするのに───俺はお母さんに『本当のこと』を言う方ができないんだよなあ……」
一人だったらすぐに消えゆく呟きを、仁王先輩の背中にだけ吹き込む。
「今の俺が胸を張って恋愛できるの、仁王先輩だけだ」
なんてな、と言おうとしたとき身体がぎゅんっと傾いた。なぜなら仁王先輩が急ブレーキをかけたからだ。
「あっぶねーっ、何?何があった?」
仁王先輩が足をついてバランスをとった、その背中にほぼ乗り上げて、自分でも自転車を降りた。
ここは、閑静な住宅街の一画で、特に周囲に変な物はない。
「虫でも飛び込んできた?」
「……おー。心臓に悪い……」
仁王先輩の安全を確認すると、ハンドルに覆いかぶさって、深く深くため息をついてるので、多分無事。
俺は自分の妙な発言の言い訳する機会を逃した。

その後仁王先輩に家まで送ってもらったら、お母さんが仕事から帰ってくるところだった。
ジャージを洗濯した時に仲良くしてくれている先輩がいることを話したし、その後も何度か遊びに行ったことを話しているので、初めて会ったとはいえお母さんにとっては覚えめでたい人物である。
「いつも麻衣がお世話になってます。晩御飯食べていく?」
「お母さん、そんな急に」
「でも、うちまで送ってくれたんだし、きっと遠回りでしょう?お腹減ってるでしょ」
そういえばそうだ、と今更ながらに気づいた。
「や、いいです。今日は。また今度機会があったら」
仁王先輩はちょっと戸惑いながらも、笑って挨拶した後家に帰っていった。
家で晩御飯作ってるかもだしね、とお母さんも深く引き留めることせず、気を付けてと見送る。
「かっこいい先輩ねえー、もしかして彼氏?」
「……だったらどうする?」
「麻衣が好きになった人なんだから、応援するに決まってるじゃない」
お母さんあなたの息子に彼氏ができて、どう思いますか。
そう思いながら問いかければ、にこりと微笑まれてしまった。
どういう意味なんだろうな。───俺はまた、それ以上言葉を紡ぐことができなかった。



next.

屋上で歌ってたのは「まぶしいきみのビューティフェイス♪」
多分ずっと思い出せない。
July.2022

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