I am.


komorebi. 14


公開キス事件、別名『とっておきのシャレたチョコレートそれは私の唇♡』事件だが仁王先輩をこらしめた皆さんのご協力により、噂にはならなかった。
仁王先輩も反省していて、なぜかバレンタイン当日に焼肉奢ってもらった。最高。
俺からのバレンタインやり直す手間が省けてよかったなーと思ったけど、ホワイトデーどうしたらいいんだ?というのが目下の悩みの種である。
「麻衣ちゃんあんた、律義すぎない?」
「そうですか?」
「あたしだったら、3倍返しじゃすまないってーの」
仁王先輩がテニス部の試合で公欠してるとき、しづ先輩とあかね先輩が誘ってくれたので、教室で一緒にご飯を食べながら相談してみたところ、大変同情された。
沢田先輩はジュースを奢ってくれたついでに合流し、他のクラスメイトの人たちももはや保護者の顔をしている。
なおバレンタインが焼肉だったことはナイショだ。
「ホワイトデーも仁王に返させたらいいだろ」
「そうよ!麻衣ちゃんは何もしなくていいの」
「あたしもう一回蹴ろうか?」
しづ先輩が一番喧嘩っ早いみたいで、あの日もどうやらケツを蹴り上げてくれたらしい。
「もしホワイトデーで仁王に何か強請られたり拗ねられたりしたらうちらにいいな!」
クラスの人たちはほぼ同意見のようで、ご飯を食べ終わって教室に戻る俺を盛大に見送った。
仁王先輩こんなにクラスメイト敵にまわして大丈夫か……?


「と、言うことがありまして。ホワイトデーに何か希望はありますか?」
「希望によっては吉野の蹴りがあるんじゃろ」
仁王先輩に報告すると、しづ先輩の蹴りが滅茶苦茶痛かったナリ……と青い顔をする。あの人何者なんだ。
「でも焼肉、結構したでしょう?俺の残りモンのカップケーキじゃ割に合わない気がして」
「そんなの考えないでよか。麻衣の手作りってところに価値はあるしの」
「はあ……でもなんかこう、俺としても男が廃るっていうか」
「麻衣は俺の彼氏でもあったか……」
バレンタインがトラウマになっていそうな仁王先輩にこれ以上話を続けるのは困難な気がした。
しづ先輩だけでなく、クラス中から大顰蹙だったらしいしな。
俺があんなに拒否して逃げださなければ……いやでも、仁王先輩が悪いな。
怒りというよりも、複雑な感情がぐるぐる回り、眉をしかめる。
「じゃあ、麻衣が俺にしたいこと、してもらいたいことあったら、言えばよか」
「へ?」
眉間によった皺を親指でうにうにと伸ばされる。
俺の間抜け面が、仁王先輩の色素の薄い瞳に映った。
にんまり笑った弧を描く口元を見ながら、もうあの日みたいに真っ赤にはならないけど、頭の隅にはずっとずっと残っている記憶から目を背ける。
「なんでも叶えちゃる」
「───じゃあ、考えときます」


それから一週間くらい経った頃、俺は仁王先輩に無理難題をふっかけることになった。

「仁王先輩、髪の毛伸ばしてくれません?」

ちょっとした事故だった。調理実習中に熱した油に具材を入れたとき、水気を切らなかった人がいて、盛大な火が出た。それに驚いてフライパンをひっくり返され、火が俺の髪に燃え移ったというアンビリーバボーなやつ。
顔や身体にやけどもなく、二つ結わきのうち一つが犠牲になって事なきを得たのだから、不幸中の幸いというやつかもしれない。
髪をそっちに合わせて切った方が良いだろうということで、先生の計らいから美容院に連れて行ってもらい俺はばっさりショートカットになってきた。
噂を聞きつけて保健室に駆け込んできた仁王先輩は、ショートヘアーになった俺に真っ先にケガはと聞いてくるくらいには心配してたみたい。
そこで俺は、あの愚かな願い事を言ったのだ。
仁王先輩の答えはもちろん無理の一言。
「ですよねー」
「ショックだったな……短いのも似合ってるが」
保健室の女の先生は、俺の頭をぽんぽんして撫でる。
似合うのは知ってる……というか、男なのでこっちの方がそれらしいっていうのはわかってる。
いつかこのくらい、いやもっと、短くする日が来るのは覚悟してたけど、それが急にやってきたので俺も心が追い付かない。
「……少年、って感じ」
「谷山は中性的な顔立ちだもんなあ」
仁王先輩は終始無言で、じいっと俺を見てくる。
俺は保健の先生とゆっくり会話をすることで、気持ちを落ち着けようとしていた。
鏡を見ると、スカートが視界に映らないので、ぱっとみたら男に見えた。
違和感はないけれど、どこか寂しい感じがした。髪の毛は女の命ともいうが、そこまで大事にしてたわけではない。ただ、付き合いが長かったからだと思いたい。
「今日、家に帰れるか?」
ふいに投げかけられた仁王先輩の問いかけは、俺の心を揺らした。
途端に、この焦燥感を明確に言い当てられた気分になる。
「……か、帰るよ、帰ります」
「麻衣はこの後授業出るのか?早退?」
「谷山は早退しな。仁王に送ってもらうか?いつも一緒に帰ってたろう」
先生は特例でな、と言って苦い顔をした。
俺の複雑な事情と、仁王先輩との複雑な関係を、察してくれたのだと思う。
「仁王は部活あるんだろう、送ったら戻ってこい。外出扱いにしてやる」
それでも無慈悲に……いや、これも慈悲か、先生はお母さんに学校内での事故で俺の髪を切ることになったことは電話で伝えると言った。
まあ、俺としてもあらかじめ伝わってたほうがいいのかな。
「麻衣、お手」
仁王先輩はわざとらしく犬のように扱って俺の手を引いた。
犬みたいに鼻と喉がきゅうきゅう鳴るのは、全身全霊で甘ったれてることを表している。
「散歩までしてくるんじゃないぞ」
「ケチ」
先生の揶揄にも、仁王先輩は軽やかに返して保健室から連れ出した。

自転車に二人乗りする間、俺はずっと無口だった。
髪の毛が風に煽られる感覚も、首筋が寒いのも、いつもと違くてなんだか不安になる。
家にずっとつかなければいいのに、そう思いながら仁王先輩のしっぽを眺めた。
でも当然いつかは家に着くわけで、自転車は家の前で停められた。
「わざわざ送っていただきありがとうございます。授業中なのにごめんなさい」
「一人で帰す方が嫌じゃき、気にしなさんな」
やさしいなあ、と仁王先輩の顔を見つめた。
「ん、少しいい顔になってきたな」
俺の頬を人差し指でつっつく。
「仁王先輩のおかげで」
「そりゃいい。髪は伸ばしてやれんけど……いくらでも元気づけてやるぜよ」
「……俺、男に見えますか?」
家の前で、自転車に跨ったままの仁王先輩を少しだけ引き留める。
「まあ見えるが、俺はもともと知ってるし───お母さんだってそうじゃろ」
ぴくり、と自分の手が動揺に揺れた。
「お前さんを生んだ人が、知らないわけがなか」
震える手を取られて、包み込まれる。
固まった握りこぶしをほどかれて、仁王先輩の細いけれどごつごつした指に絡められた。
「仁王先輩も、お母さんも、俺のこと……がっかりしない?」
「見縊ってくれるなよ」
俺があんまりなことを言うので、仁王先輩は少し強い口調で言った。
反対の手が俺の頬に伸びてきてぶにっと潰す。ああブサイクにされた。
「こんな顔も可愛くて困る」
え、と固まる俺をよそに、顔を掴んでた手は離れ鼻の頭を人差し指でくるくると撫でる。
「チチンプリプリ。元気になったか?」
「何その呪文」
ふはっと笑ってしまう、仁王先輩らしい魔法の呪文。
こわばってた顔が途端にほぐれていく。仁王先輩の物理的なマッサージと、精神的なぬくもりで。
「ありがと、フェアリー・ゴッドニオー」
自分で言ってさらに笑けてきて、仁王先輩もくすくす笑った。
ああもう、顔が痛いくらいだ。

仁王先輩にころっと元気にされてしまった俺は、お母さんの帰りをドキドキと待つ。
先生から連絡が言ってたみたいで、メッセージで髪を切ったんだってね、怪我はないか、と心配する内容が来ていたけれど会うまではやっぱり緊張した。
「やだ可愛い!似合うじゃない!良い!」
お母さんは帰るなり、感激したように飛び跳ねた。
俺がしょげてるだろうからって、すき焼きの具材まで買ってきてたけど、別の意味でお祝いだわとちょっといいお肉を食べる。
───そんな夢を見ながら転寝してしまって、目が覚めたら夜の20時を過ぎていた。
すき焼きは完全に夢だろう、と思いながらスマホでメッセージを確認しようとした時、知らない電話番号から電話がかかってきて、反射的に通話のボタンを押す。

俺は何が何だかわからないまま電話に出て、話を聞いて、お母さんが未だに帰ってこない理由を知った。



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チチンプリプリ。
July.2022

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