I am.


komorebi. 15


どうやって病院に駆けつけて、どうやって病室にまでたどり着いたのだかはもう記憶になかった。走ったんだったか、タクシーに乗ったんだったか。
気づけば病院の真っ暗なロビーで一人、座ってた。
離れたところにある受付だかナースステーションだかが、ぼんやり明るく滲んでる。
泣きすぎてドロドロになった眼球では、それしかわからなかった。

多分わずかに残った理性で、スマホと財布だけを握りしめて出てきたんだろう。
上着すら持ってきてなくて、靴を履いてるのは最低限の習慣だったということだ。
ふと、スマホのバイブが俺の身体に伝わった。
「……ぃ、」
声を出したつもりだけど、ほとんど出てない。
もう一度声を出すのも億劫で、ぼんやりと電話口の人を待つ。
誰から電話がかかってきたのだか、わからないまま出たけれど。
『麻衣?起きてるか?』
仁王先輩の声だ……そう思ったらまた、目の中が熱くなった。
鼻が詰まってて、喉は痙攣して、唾も飲み込めない。
「ぁ、……、」
『お母さん、どうじゃった。全然連絡ないから心配───麻衣?』
ずっ、と鼻を啜ると、ひくりと息が引き攣った。
『泣いてるのか?』
「おか、さ、」
『ん?どうした』
優しい口調に、どこか強張った声。
俺がお母さんに泣かされたと思って、代わりに怒ってくれているのかも、とわかった。
でもそうは思って欲しくなくて、俺は吐き出すように言った。
「おかあさん、かえってこなかっぁあっ……っ、」
『───、なにがあった?今どこにいる?』
決壊したように崩れ落ちて、ぐずぐずと泣き出す。仁王先輩の焦る声が、少し離したスマホから聞こえ続ける。
なんとか答えようとしたけど、悲しさと戸惑いで、上手く言葉にできない。
「ごめ、今、話せない……」
『切るな』
電話を切ろうとした俺に気づいて仁王先輩は強く言った。
びくりと肩が跳ねて、怒られたわけじゃないのに、うるうる涙が滲む。
『一人になろうとするんじゃなか。話さなくていい、泣いてていいから』
声を求めるように再びスマホを耳につけた。
一人という言葉に打ちのめされて、それでいて、スマホの向こうにいる人が俺のそばにいることを実感して、悲しくてうれしかった。
そのまま話もできないまま、嗚咽を零したり、しゃっくりに襲われたりする俺を根気強く慰め続けてくれた。

頬が渇いた涙の跡でヒリつく。けれどまた流れる涙が、違う道を作った。
「交通事故だって……電話来て、今病院にいます」
『どこの?』
暫くして、たどたどしく言葉にできるようになる。
仁王先輩は俺が病院名を伝えると、すぐに行くと言ってくれた。
「病院ついたときはまだ息があって……話せなかったけど」
電話口の向こうではわずかに、物音や人の声がするけれど、気にならなかいほど、自分の話をし続けていた。
「ぼんやり目が開いてて、それで、俺を見て少し安心してくれたみたいに、笑ってて」
小さな相槌は、ひたすらに俺を受け止めてくれる。
「すぐにまたうつろな目になったと思ったら、機械がビービー言い出して……それっきり」
言葉にすることで反芻して、最期の記憶を強く強く胸に刻みたかった。
お母さんとの、もう作ることのできない思い出だから。
「麻衣って呼んでくれたと思う……手が俺の耳に触れて、髪も」
少しの機微すらも逃がしたくなかった。
何も言えなかった俺が、せめてお母さんの伝えたかったことを読み取れたらと思った。
でも結局はよくわからなくて、希望でしかない。
『ん、ちゃんと会えたな』
「う……~~っ」
『おお、泣いとけ泣いとけ、すぐ、そっち行っちゃる』
心に少しの余裕があれば、遠慮してたんだろう。でも俺は今包み隠さずむき出しの心のままで、早く来て、とばかりに泣き続けた。
本当に仁王先輩の姿を見たとき、俺は形を失うほどに崩れてしまうんじゃないかと思った。
それでもきっと、仁王先輩は俺を掻き集めて、抱きしめてくれる気がする。


ほどなくして、病院の外に来たという仁王先輩の言葉に駆け出した。
外に出て、迷子の子供みたいにひたすら周囲を見渡して、色素の薄い髪が暗闇の中にぼんやり光るのを見つけて立ち止まる。
俺に気づいた仁王先輩が走ってくるのを見て、力が抜けそうになる。立っているのが、泣かないでいるのが精いっぱいだ。
「上着は?もってないのか?」
ジャンパーをするりと脱いだ仁王先輩は俺に被せて包み込む。温かくていいにおいがした。
「どうやって来たんですか……?早くない?」
「親父起こしたき、車ですぐぜよ」
「あ、ごめんなさ」
「いい、いい。気にしなさんな……お、さっきまで泣いてたな」
頬はいつもより優しく掌で包まれた。しっとり濡れているはずなので、肌に少しだけ吸い付く感触がした。
「病院にいたいか?帰っていいならうちに来んしゃい」
一人の家には帰りたくなくて病院で夜を明かそうと思ったけど、薄い部屋着のままだったので、多分このままだと風邪をひきかねないというのが分かった。
「帰る……家に、下ろしてもらえたら……」
「うちじゃだめか?」
「ご迷惑になるし、上着とかないし、多分鍵閉めてないかも」
「そりゃいかん」
手を引かれて、仁王先輩の家の車に乗せられる。
お父さんは事情を知ってるようで、俺が恐縮するのを優しく宥めた。
「家寄るき、上着とか着替え持って戸締りしたら、うちに来んしゃい」
仁王先輩と少し似た色をした、でも先輩より低くて落ち着いた声で言う。
朝にまた病院行くんだろうから送ってやると言われて、何から何まで申し訳ないと思いつつも甘えることにした。



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July.2022

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