I am.


komorebi. 16


仁王先輩の家につくと、家族は気を使っているのか眠っているのか、顔を出すことはなかった。仁王先輩のお父さんは明日の朝、一緒にご飯を食べようと言ってくれたので、その時にお詫びとお礼を言おうと思う。
今はただ静かに、仁王先輩の部屋に入ることにした。
「眠れそうか?」
「頑張る」
「頑張らんでよか。ただ、寒いところには行きなさんな」
自分の上着を脱いで渡すと、仁王先輩が自分のコートと一緒にハンガーにかけてくれた。
低く沈めた声でボソボソ話すけど、真夜中の部屋の中では十分に聞こえる。
「布団は、まあ我慢な」
「いや、俺……」
シーツを洗濯したのがいつだとか、他人のベッドだとか、そういうのを気にする以前に、自分の方が汚れている自覚があった。
寝間着にはなったけど、俺はずっと外出していたまま、風呂も入ってないし。
ベッドの上で膝をついてすぐ、腰が引けたが引き寄せられて布団にくるまれた。
「顔、本当は冷やしたほうがいいかもしれんが、今は寒いしの」
ふっくらぽってり顔が腫れ始めてるので、明日の朝ヒドイ顔になるであろうことはわかりきってた。
それを心配したのか、仁王先輩はベッドに寝転がる俺の顔を暗闇の中で目を凝らして見る。
「おかまいなく……明日、最高新記録のブサイク顔をご覧にいれます」
「見物じゃな」
おちゃらける余裕があるのではなく、何も考えずに口にした。
フッと笑われ吐息がかかる。
それが少し気まずくて、向かい合っていたのを自然なそぶりで変えて背中を向ける。
後ろから腕が回ってきて腹を抱きしめられたけど、顔を見ながら眠るよりは幾分かマシだ。

仁王先輩は普通に部活や朝練などをしているはずなので、しばらく静かにしていると眠り始めた。
俺は無理に眠ることはないと言われていたので、暗闇の中で、色々なことを考える。
明日やらなければいけないこと、これからどう生きていくか、お母さんの最後、どうして事故にあってしまったのか、俺の髪が切れてしまったこと、仁王先輩の本棚、昨日の課題、転寝をして見た夢。
そういえば、とスマートホンに触れて、明日のアラームを確認したついでに、お母さんからメッセージを見返す。

───母さんはきっと好き。
───怪我がなくて本当によかった。
───今日はすきやきにしようか。

髪の毛が短くなっちゃった、と恐る恐るメッセージを送っていた俺に、お母さんから返事があった。
多分それを見たまま転寝して、あの夢を見たんだろう。
だからあれはきっと、帰ってきたときに正夢になるはずだった、お母さんの反応だと思う。俺の遺伝子がそういってる。
「っ、───ぅ」
嗚咽が背中に伝わりそうで、布団からそっと這い出た。
部屋から出たらドアの音が鳴って起こすから、机の上にあるティッシュを探すふりをして、椅子に座った。
裸足のつま先が冷たくて、膝を曲げて握り込む。じわじわ流れてくる涙は、顎を乗せた膝に吸われた。
もっと早く俺の気持ちを話すべきだった。そうしたら、なぜこうなったのか、なぜ俺は麻衣という女の子の名前なのかが分かったんだろう。その答えはもう一生わからない。
でもお母さんの呼ぶ「麻衣」は間違いなく俺への愛があったはずで、これまでの幸せは本物だった……と思うしかないじゃないか。

「───、まい」
お母さんではない声が、俺を呼ぶ。
いつのまにか仁王先輩が起きていて、ベッドから出てこっちに歩いてくる。
慌てて涙をティッシュで拭いて、暗闇の中に表情を隠した。
「ごめんなさい、うるさくして」
「寒いとこ居るんじゃなか」
肘を掴まれて、立たされる。
腰を強く抱かれて仁王先輩に密着すると、そっちに体重がかかって足が少し浮く。おかげで、縺れた足を床につく暇もなくベッドに連れ戻されていた。
「足キンキンぜよ」
「……」
ベッドに座ると爪先を握り込まれた。いつも冷たいと思っていた手は、今の俺の足よりはずいぶん温かかった。
「仁王先輩、眠れなくないですか……」
「正直眠れん、お前さんが泣いてるなら余計に」
「ごめんなさい……」
反射的に謝ったけど、きっとそれは要らなかった。仁王先輩はこれも織り込み済みで俺を連れてきたのだ。
でも、そこまで素直に仁王先輩に甘えるのも憚れる。今まで散々、支えになってもらって、秘密も、弱い部分も純粋な部分も全部、曝け出してきたのだけど。
俺の一番見せたくないものは、きっと泣いてるところだ。
電話で泣いたし、顔だって見られてるのに、最後の一線として───仁王先輩に縋りついてわんわんと泣き出すことだけはしたくなかった。
「俺の前で泣けんでも、俺のそばから離れるんじゃなか」
ああ、くそ、ずるい。そばで泣きたくなる。
とろりと涙がこぼれてきた。
見せたくないから仁王先輩の肩に顔をうずめた。
人の服に涙をつけてでも、それを隠した。
泣くのを堪えるために、仁王先輩の背中の服を強く握った。
それに呼応するように、背中と腰に回る腕が締め付けられる。
「う、」
「すまん、苦しかったか?」
ふいにうめき声が零れたら、腕が緩まった。
瞬きと同時に涙が睫毛から弾けて落ちて、視界がクリアになる。暗闇に慣れたせいか至近距離なせいか、仁王先輩の顔がよく見える。
やだ、と、声にならないままに、縋りつこうとした。
「……っ、───、」
吐いた息の熱に惹かれ合うようにして、どちらともなく唇に辿り着く。
身体は俺の方が熱いだろうけど、仁王先輩は奥底に孕む熱が強い。俺を呼ぶ声も、見つめる目も、後頭部をかき混ぜる少し乱暴な手つきも全部。
苦しいけど、それが欲しかった。
息なんてしたくなかった。
自分自身が消えてしまいたいほどの悲しみから逃れる、唯一の術だった。



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July.2022

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