komorebi. 17
気づけば眠りに落ちていて、明け方ぼんやり目を覚ます。
カーテンと窓の隙間に手をやると、僅かな朝日が差し込み、同時に冷気にふれる。
仁王先輩はまだ横で眠っていて、それなのに俺を守るように背中に腕を回していた。
さすがにまだ深い眠りの中にいるみたいで、起こさずにベッドから抜け出せた。
足音を立てずに裸足で歩き、ドアを静かに開けて廊下へ出る。それから、昨夜の記憶をたどって階下へ降りた。家の間取りをすべて理解しているわけではないけれどおおよその想像がつく。目論見通り、迷わずに洗面所へたどり着いた。
鏡に映る自分の顔は、案の定腫れていて、容赦なく冷たい水を打ち付けた。
部屋に戻ってきて、ドアを閉めた音が響き、仁王先輩の反応がある。
「……麻衣?」
「起こした……?」
「なに、散歩?腹減った?」
半笑いで寝ぼけている。俺のことを犬かなんかだと思ってるのかな。
常日頃から妙な距離感にいる自覚はあったが、いよいよやばいな、と思えてくる。
「寒いじゃろ、入りんしゃい」
「……」
もぞもぞ、と再びベッドの中に入るくらいには、未だに俺も狂ってるのかもしれない。
悲しみはすぐに癒えないけど、眠ったおかげか、身体はほんの少し回復して、心にも余裕ができてる部分もあった。
「手も足もこんなに冷たく……」
「顔洗いたくて……すみません」
ひいひい言いながらも仁王先輩は俺の腕も足も抱え込んで、体温を分けてくれた。
普段は低い体温も、たまに熱く、優しく感じる。
二十分くらいの二度寝をして、俺のアラームが鳴るよりも前に仁王先輩のアラームが鳴った。
随分早いなと思っていたけど、朝練だとこうなるのか。
「あ~……起きたくない」
「おこられますよ、副部長に」
「鉄拳制裁は勘弁……」
俺を抱き枕みたいに抱え込んでじゃれついてきた仁王先輩に、ウワサの怖い副部長を引き合いに出す。するとあっさりと上半身を起こすあたり、恐怖政治がしっかり根付いているようだ。体育会系ってコワ。
「学校に連絡、できそうにないならうちの親に頼めばよか」
「いえ……自分で話します」
「そか。今日は休むじゃろ」
「そうですね……色々とやることがありますから」
「夜はこっちに帰って来んしゃい。連絡くれれば迎えに行くぜよ」
「そこまでしてもらうわけには」
わしわし、と頭を混ぜられて、返事も聞かずに仁王先輩は部屋を出た。
それからご家族にお礼とお詫びをして、朝ご飯までもらって、お姉さんには会って早々「あ、雅治の彼氏だ」と思い出された。弟くんが味噌汁を噴き出し、仁王先輩が「そうナリ」とのんきに肯定するものだから俺はどうしたらよいのだかわからなくなる。
ご両親は子供たちの戯言とでも思っているのだろう。まあ実際そうなのですが。
仁王先輩のお父さんが出勤前に俺を家に送りってくれて、今度改めてお礼をと挨拶した。
そんなことより今日も泊まりにおいで、と温かい言葉をかけられたので、返答に困った。泣きそ……。
担任の先生がすぐに俺の付き添いとして家に来てくれて、病院や警察署や火葬場、役所に家、その他もろもろハシゴしてくれた。大人と車って本当に助かるな、と思った。
俺が孤児になったことや、お母さんの財産について、交通事故の後処理、保険金とか慰謝料とか、よくわからないことが目白押しで、実際色々やって終わってみても、結局何がどうなったか整理出来てない。
お骨になったお母さんと家に帰ってくると、ぷつりと身体の力が抜けた。
仁王先輩の家に泊まりに行く元気はもうなかった。
この先、否が応にも一人で生きていかなきゃならないのに、仁王家に入り浸ってしまえば、いっときの幸福に味をしめて、お母さんと向き合う時間が減る気がした。
仁王先輩には、学校の先生に色々とお世話になることと、お母さんと離れたくないことを伝えて家に行くのをやんわりと断った。
毎日放課後家によってくれるが、連れて帰ろうとはされなくて、俺は一週間ほどの忌引きをゆっくりお母さんと一緒に過ごせたと思う。
時々思い出すと、ふと涙が出てきたりはするけれど、多分取り繕えるようにはなった。
クラスメイトは忌引きで休んでいたのはわかってるだろうが、唯一の肉親とは思いもしない。普通に挨拶をされる、その適度な関心の無さが丁度良かった。
最初はいつも通り過ごせるのか不安だったけど、友達の顔を見れば笑顔でおはようと言えたし、授業で難しい問題を自力で解いたときは達成感があった。
ただ音楽の授業で歌ってるとき、ふいに涙が出てきてしまって、慌てて隠した。
きっと誰にも気づかれてないだろうし、あとで聞かれたら大口開けてたからあくび出たとでも言おうと思った。
「相変わらず歌上手いのう」
昼休みに花の手入れ当番があったので、仁王先輩とのお昼もなしに屋上庭園で雑草抜きをしていると、仁王先輩が現れた。
無意識に鼻歌を歌っていたことが、その指摘によってわかる。
「土、つくぜよ」
「え、ああ」
手を取られて、顔に触れようとしてたのを阻止された。
「俺、泣いてない?」
「うん?……泣いてないナリ」
「よかった」
安堵して、仁王先輩の手から自分の手を抜きとり、また雑草抜きを続行する。
「……麻衣は、歌ってるときが一番無防備じゃな」
「そうかも」
何も考えてないはずなのに歌っているときに涙が出たりするのもそういうことだろう。
「だから泣いているより、よっぽど良いんじゃなか」
泣くよりは、歌う方が好きだな。
音を聴くように心に耳を傾けて、歌うように感情を出せばいい。
悲しさを受け入れるべきか、避けるべきか、わからなくなった今、その言葉は思いのほかしっくりきた。
next.
歌ってるときにも涙は出たりするけど、それは悲しくて泣くのとはまた違うというか。
July.2022