I am.


komorebi. 18


春休みのテニス部はほとんど毎日練習で、一日だけ開いた日に、仁王先輩と会う約束をしていた。
待ち合わせの、桜が満開の、並木道にあるベンチで待つ。
まだ散り始める前の、たっぷり花が付いた枝を、まじまじと見ていた。
ふいに、隣に座った人にぱっと視線をやる。仁王先輩だと思ったから、あ、と声を出しそうになったけれどまったく知らない女性だった。
「一人でお花見?」
「え、いえ……」
反射的に笑顔を向けてしまったせいか、相手もにこやかにこっちを見てくる。
「待ち合わせしてます」
「そっか、友達?男?女?」
「おとこ……」
俺はだんだんと理解していく。
今、女の人にナンパされているのだと。
彼女は友達も呼ぶから、一緒にお花見しない?とかカラオケ好き?と聞いてきた。
俺は今髪が短いし、今日はカジュアルな服装でいたので男に見えてもおかしくはないけれど。
「あの、俺……」
「麻衣、待たせた。───どちらさん?」
安堵して胸がすく。ベンチの背もたれに手をかけた仁王先輩が俺を覗き込んだ後、隣に座る女性に目を向ける。
「あ、連れの子?タイプちが~う」
俺は小柄で幼い風貌だろうが、仁王先輩は背も高いし大人びた顔をしているのでそう思うだろう。
なんだったら中学生には見えないしな。
女性から、仁王先輩にも改めて誘いがかかったが、「いらん」ときっぱり断っていた。
俺に断られるよりも、仁王先輩に断られる方が幾分迫力があるので、女性はあっさり諦めてその場を離れた。
仁王先輩も俺を掴んで立ち上がらせて、その場から離れていく。
「すまん、遅くなったか」
「いいえ、全然。時間通りでしたよ」
「でも早く来ればよかったナリ」
腕をつかむ手が緩く開かれて、滑ったついでに手と手が触れた。一瞬だけ指先を絡めて繋ごうとして、俺はゆるやかに手をほどく。
仁王先輩も深く追いかけてはこなくて、横に並んで歩く。
「───お休みって一日でしたよね、いいんですか?俺と遊んでて」
「いいに決まってるじゃろ」
じゃなきゃ誘わん、と言われてそれもそうかと頷く。
「ゆっくり花見もしたかったしの」
「ああ。なんだかんだ、見逃してしまいますよね、こういうのって」
通学で散々桜の下を歩いているけれど、ゆっくり時間をかけて愛でることはないから。
特に俺はここ最近、上を向いて立ち止まる余裕もなかった。
「……そろそろ四十九日か。お墓、神奈川にあるんだったか」
「はい。もう少し東京よりになりますけど」
「今度、一緒に行ってもよか?」
「ん」
長いようでいて短い時間だった。大半を学校に通っていたからかもしれない。
家に帰ればお母さんに心で話しかける毎日だったけれど、それもだんだんと無くなるんだろう。
少しずつさよならの準備をすると、感情が凪いでいく。
もちろん、事故で命を奪われた理不尽に納得したわけじゃない。家族を喪った悲しみが完全に癒えたわけでもない。
本当はここから動かずにいたいし、ずっとこの悲しみの中にいれば、お母さんと別れなくて済むかと思ったけど、世界は思いのほか無慈悲にまわる。きっとそれは、人が前に進むためなのだと分かっているけど。

並ぶ屋台を吟味して、食べ歩きながら景色を味わう。といっても、俺も仁王先輩もそんなにたくさん食べるわけじゃないけど。
桜並木が途切れるところで、見納めとばかりに立ち止まり、うんと首を逸らして真上を見た。身体が反るのを心配されたのか、背中に手が回ってきたので、ふざけて体重をかける。
「転んでも知らんぜよ」
とかなんとかいいつつ、絶対転ばせないようにされている気がした。
「仁王先輩には感謝してもしきれないですー」
「ん?」
この約一年間、どれほどこの人に助けられたことだろう。
お母さんとのこと、周囲とのこと、自分自身のこと───全部、仁王先輩が傍に居たから出した答えだと思っている。
だから今の俺がここにこうして立っているのは、仁王先輩なしには語れないわけで。
さらに体重をかけると、仁王先輩は身体で俺を受け止める。ああ、だからこういうとこ。
俺は自分が始めたふざけた遊びをやめて、きちんと立つ。
「人をオモチャにするんじゃなか」
「ははっ、甘えおさめ?しばらく会えなくなりますから」
「学校が始まったらまた会えるぜよ」
社会に出るともっと極端に人に会わないことが多くなるのに、学生時代の休み期間に感じる異様な長さはなんだろう。
「ううん、俺、立海にはもう通わないんです」
「は……?二年から先生の家に下宿して通うんじゃなかったか」
当初は仁王先輩の言う通りの予定で、せめて中学を出るまでは子供だけで一人暮らしをさせまいと考慮されていた。
高校は立海に進むにせよ外部受験するにせよ、一人で暮らすことになるだろうと思っていた。
でも俺の面倒を見てくれるはずだった先生の関西に住むお父さんが身体を壊したことにより、急遽そちらに移り住むことになったのだ。
先生は俺に選択肢をくれたけど、俺は一緒に行くことにした。
「こっちには残れんのか?」
「いいの、決めたから」
「いい?───俺は?俺はいいのか?……麻衣は俺のこと少しも考えなかったと?」
「考えた」
「ならなんでそんな簡単に……」
こんなに反対されるとは思ってなくて、ちょっと驚いた。
俺だって出来ることなら、神奈川に居たいし、立海にだって通っていたいけど、天涯孤独で遠い親戚すら見当たらない俺を保護してくれる人はそうそういないのだ。
だから泣く泣く、仁王先輩とのこの距離を手放そうと決めたというわけ。
「仁王先輩にとって、俺って彼女じゃないと駄目なのかなって、考えた」
「───、……麻衣と、別れるつもりはないぜよ」
風が吹いて、桜の枝がざわりと揺れる音がたつ。
俺の問いかけに対し、微妙に交わらない答え。
そっか、と苦笑して肩を竦めた。



next.

もうちょっと環境変えようか(大阪に行かないとか)迷ったんですが、書きたい未来もできたので。
あと仁王雅治が別れを切り出されたけど断固別れねーかんなっていう話が書きたかった、まる。
July.2022

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