I am.


komorebi. 24


暗闇と青い光が織りなす幻想的な空間に、仁王先輩の髪が青白く浮かび上がっていた。
俺が立ち止まっていたことに、何歩か歩いてから気づいて振り向く。
「どうした?」
「綺麗だなーって見てた」
「ああ」
海洋生物の影が身体の上を泳いだので、仁王先輩は俺の言葉に納得した。
今いたのは、アクアゲートと名のついたアーチ状にガラスの張られた通路で、外側には水槽が広がっている───というよりは、俺たちの進む通路が水槽の中に在るというのがニュアンス的には近いのかもしれない。
「よそ見してて、はぐれないようにな」
追いついて隣に並ぶ俺に満足げに頷いたと思えば、手を小さく振るので差し出すと掴まれた。
薄暗いから、皆水槽を見ているから、人が多いから、誰もこっちなんて見ちゃいないだろう。
「はぐれないよ、ずっと仁王先輩のこと見てたんだから」
「、は……?」
「水族館がよく似合う」
なんだそれ、と仁王先輩の顔がしかめられたが、褒めてるのだと言うと投げやりにお礼を言われた。

トンネルを抜けるといくらか明るくなったので指を広げた。
それでも手がほどけることがなくて、繋がれたまま次のブースへ引っ張って行かれる。
……離さなくていいんだろうか。
迷いながらも、動揺したらこの空気が壊れてしまう気がして、静かに身体を寄り添わせ、しばらくなんてことないように過ごした。
やがてひょんなことで手は離れていったけど、久しぶりに繋いだ手の感触はしばらく俺の手の中でじわじわと微熱を持っていた。


「夏休みもあと少しか……」
屋外に出て休憩していると、仁王先輩は海を一望しながら、感慨を込めたように、嘆くように呟く。
「早く学校行きたいですか?」
「逆」
「えー行きたくないの」
思わず笑う。俺は夏休みの長さに非常に退屈しているので。
まあ仁王先輩からしてみれば、テニスが生活の大半を占めているから、勉強なんてってやつだろう。
こうして今日、大阪に遊びに来られたのだって珍しいことだ。
「受験じゃない子はいいなー」
「……ピヨ」
皮肉を込めて羨んだ。
しっぽを引っ張ろうとしたら逃げられたけど。
「勉強捗ってるか?参謀に受験対策ノート作らせるか?」
「アハハおかげさまで」
受験対策ノートは正直喉から手が出るほど欲しいけど、どういうスタンスでお願いしたらいいのだかわからないのでノーコメント。
「……受かればだけど、東京の学校行く」
志望校は、と聞きたそうな顔してたので自分から言っておく。
何で立海の高等部じゃないのかと渋られたけど学費を考えて断念した。ひとり親でも厳しいのに、孤児じゃもっと厳しい。そうしてまで、という感じだ。
「じゃあ、家は?どこに住む」
「都内で部屋探します。学校が紹介してくれるんで」
学校は俺みたいに親のいない子とか、収入がどうしても少ない家庭とかにも優しくて、その辺手厚い保護が受けられるのだ。
それに、働きながら通えるようにと、単位の取得についても色々と免除されるのでアルバイトもしやすい。
そういうメリットをいくつも併せ持った学校が東京だっただけで、神奈川の学校だって探してはいたのだ。
お父さんが生きてた頃に住んでた家もあるので、そこに住むことだって考えてた。
でもまだ正式にその家を所有するほどには至っていないので、無理に神奈川に帰ることもないかと思っている。
「都内ならまあ、神奈川にも結構帰れると思うんですよね」
「大阪よりはな」
頬を片方だけつねくられて、イヒヒと笑う。
「仁王先輩のことだって考えたよ」
「ん?」
「東京で学校通いながらバイトがんばって、神奈川に会いに行くし」
海の上を飛ぶ鳥がにゃーにゃー鳴いているのがよく聞こえる。
仁王先輩は静かに俺が話すのを待っていた。
「俺は一人暮らしになるから、仁王先輩もいっぱい遊びに来れば?……とか」
「ああ、行く」
俯いたら髪の毛が落ちて頬や目にかかる。
ちょっと伸びたな、と思う。
そしたら仁王先輩の指先が、さっきとは比べ物にならないくらい優しく触れて、髪の毛を耳にかけた。
露わになった頬が、途端にぽっと熱くなった気がする。



高校の入試に向けて、神奈川に帰るのを控えた。受験の関係で何度か東京には行くのだけど、通り道というわけではないし、寄る時間はさほどなかったからだ。
仁王先輩とは主にSNSとか電話、メッセージアプリでだけで、近況を報告し合う。
転校してからおよそ二年の時が経つけど、立海に通っていた時の友人でいまだに交流が続いている人はずいぶんと数が少なくなった。
インターネットが普及していてSNSとかでの繋がりがあったとしても、心が日々1センチくらいずつ離れて行ってしまう。俺もその縁を手繰り寄せようともしないし、かといって別に切りたいわけではないから、そう言うものだと思っておく。
仁王先輩にだけは、少しずつ心が近づいていくようだった。
連絡を取ろうと思いたつその指に、手懐けた野良猫の写真を撮ろうとするその目に、寒いと凍える赤らんだ頬に、その人がいる。
合格を一番に伝えたのも仁王先輩だった。

春になったら、帰れる───。
神奈川でもなく、前の家でもないけれど、仁王先輩のところへ。



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デートは海遊館。
July.2022

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