I am.


Salad. 09


帰り道で幸村先輩に会うのは初めてかもしれないな、と前を歩く姿を見つめた。
追いつきそうで追いつかない、でも走って突撃するのもなあと思ってたら信号のサイクルのおかげで追いついた。
「こん───ん?」
「ん?」
「です!」
こんばんはっていうの変かな?お疲れ様です?と思ってごまかすと、幸村先輩はふはっと笑う。
「いま帰り?遅いね」
「練習ですー」
海原祭という、いわゆる学園祭があるんだけど、俺の想像してた学校のそれよりも数倍ほど規模のデカイものらしい。
「あれ、部活は入ってなかったよね」
「ん~演劇部に助っ人?一時入部?することになって」
「どういう経緯……?」
「夏休み前くらいから誘われていて」
幸村先輩は、ああと納得の声を上げる。
どうやら俺はあの応援団で女の子に見えたからではなくて、声が印象的だったらしい。
それは多少の自覚もあったけど、スカウトまでされると気恥ずかしいな。
「ウチ、母子家庭なんですけど」
「うん」
急に自分の家の話になってしまったけど、幸村先輩は一瞬だけ目を見開いた後は真摯に聞いてくれた。
谷山家はお父さんが幼いころに他界、お母さんは今女手一つで俺を育ててくれている。
立海は私立中学なので実のところ学費の捻出は大変で、それでもなんとか奨学金と特待生制度の利用で今学校に通っているので、部活をする余裕がなかったというのが本音だ。
「でも、やりたいという思いもあって」
「そうなんだ」
「お母さんも背中を押してくれたので」
「良いお母さんだ」
お母さんを褒められて気分が良い。
「実際のところ高校生になって、バイトしてから自分のやりたいことを始めようと思ってたんですけどね」
ちょっと照れ臭くなって後頭部を掻く。
立海に入ったのだって、お母さんの強い勧めだ。学費が高いけれど、進学先のメリットがいっぱいあった。将来長く見積もって、そう結論を出しての入学だ。
ここまで考えつつ、女子の制服を着ているのはなんだかおかしな話なんだが。俺が麻衣と呼ばれる限り、侵せない聖域みたいになってるんだよな。
「谷山さんは───夢があるんだね」
「え。夢というほどのものでは……まだない、気がするんですけど」
「そうかな」
ふふっと含み笑いをされて、照れくさくなる。

俺は一度夢を諦めたことがある。いや、夢を見てたかどうかすら怪しい。
子供のころに見てたあれは、夢ではなくて現実から目を逸らした先の幻想だったのかもしれないとさえ思っている。

「幸村先輩に夢はありますか?」
少し間をおいて、投げかけた。
俺に夢の話をしたからには彼にもしてほしいという悪戯心もあったけど、人の話を聞くことで自分の意志を確認したかったからと言うのもある。
「なんだか、照れるな」
そう口ごもった幸村先輩は俺が思ってた以上に強く、輝かしい未来に夢を抱いていた。
それもそうか、彼は小さなころからテニスプレーヤーで、今も中学テニス界ではほぼ負けなしとされる経歴を持ってると聞く。
来年度のテニス部の優勝という目標も背負って、さらなる高みへと進む心の準備ができていた。
仲間のためにも、周囲の期待のためにも、自分のためにも頑張れる強さがある人なんだなあ。
「素敵ですねえ」
俺は素直に関心して、少し背の高いところにある顔を見上げた。
海辺を背に立ち止まった幸村先輩は、そんな俺の単純な褒め言葉に顔をくしゃっとさせて笑う。
赤也とか部員には厳しそうだし、基本的に穏やかで優しい大人びた人だと思うけど、たまにこういう、中学生っぽいところがあって可愛い。


海原祭の舞台はミュージカルだったので、俺の役は一曲披露するシーンがあった。
当然のように女役なのだが、声変わり前だから気持ちよく歌えたと思う。まあ場面として気持ちよくなっちゃいけないんで、あくまで喉の状態と言いますか。
夢の話をしておいて、『夢やぶれて』を歌い上げることになるのは些か笑えるけども、ある意味夢やぶれた古傷も疼いて、気持ちも入ったんじゃなかろうか。
出番を終えて舞台袖へ入るとみんながグーのポーズしてくれたし、拍手も起きた。俺自身も今までで一番上手に歌えたと思う。
ショートヘアーの鬘をかぶっていたので、外してネットをとると、ボサボサの髪の毛が零れ落ち、空気を通すように指で掻き梳かす。
ちょっと汗かいてるのでタオルを首に巻いて、髪の毛が肌に張り付かないように流して控室の廊下へ出ると、幸村先輩にばったり会った。
「あ、お疲れ様です~舞台観ましたよ!」
幸村先輩も海原祭では舞台をやっていて、企画・演出・脚本という立場だったらしいので出演はないが劇は観た。
凡庸な感想だけど、たくさん練習した成果の出た良い舞台だったと思うので、幸村先輩の功績は大きいだろう。
「ありがとう。谷山さんも、お疲れ様、観てたよ」
「まだ終わってませんがー」
「あ、ごめん」
舞台は途中なので、つい俺は指摘する。強制することではないけど。
「うそうそ、午後の舞台の準備とかですか?お構いなく」
「いや、谷山さんに会いに来たんだ───思わず」
居心地悪そうに身じろぎをする幸村先輩に俺は動きを止める。
「歌が切なくて、……感動したよ」
「え……」
劇中の俺は小さな子を持つ母で、夫は去り、子を育てるため懸命に働いたが解雇され、果てには髪を売り、歯を売り、性を売って、夢やぶれたと歌うのだ。
切ないと思って衝動的に会いに来てくれたのなら、それは歌い手冥利に尽きるし、役柄としても報われる思いがあった。
「……ありがとうございます。ファンティーヌも浮かばれますね」
「え?」
「また夢がみられそう」
役名を胸に、へへっと笑った。

海原祭の舞台部門で、幸村先輩は総合監督賞をとっていた。
俺も歌で賞をもらったんだけど色々賞があるので端っこだ。でもうれしいなーと、トロフィーをもって家に帰った。
お母さんは大層喜んでくれて、お父さんの仏壇の横に置いて報告もしてくれたくらいだ。
「麻衣は将来、歌手になれるね」
「……うん、なれたらいいな」
俺は初めてお母さんに、大げさだよと返さずに頷いた。

部活はぜひ続けてほしいと顧問にも部員にも、お母さんにも言われた。
担任の先生からも、成績の維持に関しては問題ないだろうし、手助けするからやってみるといいと援助の申し出があり、周囲の人々に夢を応援されている気がした。
その中でもきっかけなってるのは幸村先輩だったりするんだよなあ。
「え、俺?」
その日たまたま、お昼はカフェテリアで食べようと思って海風館に行くと幸村先輩と真田先輩が二人でいた。声をかけてくれたので同席させてもらうと、海原祭の話題になったので何気なく幸村先輩に感謝した。
一番の応援者はお母さんだとか、部員や顧問が声をかけてくれたおかげ、とかいろいろとあるのだけどと説明すると、幸村先輩はいまいちわかりかねてる様子だった。
「なんというか、憧れですかね。以前テニスの話をしてくれたじゃないですか」
これ説明するの難しいし、することじゃない気がしてきた。
ん?憧れ?と言いながら首を傾げる。
「つまり谷山は幸村の姿勢に感銘を受けたということだな」
「それです」
失礼にならない程度に、真田先輩の発言に手を向ける。
丁度食べ終わったので、お箸をおいて、控えめにごちそうさまのポーズをとった。
二人は運動部なだけあって、結構食べるのも早くて、俺を待っててくれたような気がする。まあ食後の歓談を楽しんでたのかもしれないけど。
「幸村先輩がテニス頑張ってるので、自分でもがんばろーって気になるといいますか」
いいことだ、とお父さんみたいにウンウンしてる真田先輩にちょっと笑う。
「そっか。その気持ちはよくわかる。……俺も、頑張るよ」
きっとテニス部の仲間と切磋琢磨してきた人たちだろうから、俺のこの気持ちもわかってくれたのだろう。
俺にはかつて、一緒に夢を見る人はいなかったし、自分自身もさほど夢を見てたわけじゃない。それが一人だったからとか、環境の所為にするつもりはないけど、少しのきっかけとかで、抱く気持ちは大きく変わるんだと思う。
本当に身にしみて、そう思った。



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私はこの主人公に歌わせたい欲があるねん(関西弁)
舞台はレミゼです。
Mar.2022

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