Soup.01
(幸村視点)病室の外から聞こえてきたのは、子供がたどたどしく歌う声。
優しい曲調と情趣に満ちた歌詞。
子供が歌うには少し不釣り合いだったけど、俺の心によく響いた。
辛くてどうしようもない時でも、歌えば前向きになれるかも───そんな乗り越え方を聞いたばかりの俺は、病室から出て歌い手を探した。
「大きい声ださないよ」
「しー」
俺の姿を見かけたからか、歌っていた子供のそばにいた母親がたしなめる。
それでも子供は我慢できず、廊下のベンチに座って足をばたつかせながら口ずさむのをやめない。
「ボウヤは歌が上手だね」
「ごめんなさいね、さっき聞こえてきた歌にハマっちゃって」
「へえ」
「うねをぬーらしたなーみーらが」
「違う違う」
頬を挟まれて口を尖らせた子供の顔に笑いながらも、人づてに流れてきた音楽が今度は自分の中に染みわたっていくのを感じていた。
前もこんなことがあったと思い出す。
仁王が人から聞いた鼻歌が頭から離れないといって、みんなに聞かせて歩いていた。
「聞こえてきた歌、と言ってましたよね。どこから……?」
「ついさっき、そこの階段から」
母親が指をさしたのは、エレベーターの先の階段で、「男の子みたいな頭が下に見えた」と語ってくれた。
俺はこの時、確信めいたものを感じていた。
久しぶりに会った谷山さんは長かった髪を切って、少年という言葉が似合うくらいに中性的な容姿をしていた。先ほど別れて、エレベーターか階段かのどちらかで帰っていったはずだ。
そしてなにより、谷山さんの声は、よく耳に残る。
「うめ?」
「ゆめ。夢を濡らした涙が」
親子の会話聞き流し、思い浮かべたのは続く歌詞の海原だった。
入院生活中、部活の仲間や家族は頻繁に俺を励ましに来てくれた。
一人ではないこと、帰る場所があること、頑張りたいことがある。それが励みになった。
時々何も手につかないくらい落ち込むこともあって、感情的になって人を避け、自暴自棄にもなった。けれど永遠にそこに囚われることもなく、息を吐くように、血が巡るように、感情にも波がある。
ふと凪いだとき、エメラルドのきらめきを思い出し、自分の辛さが少しずつ海へ流れていくのをイメージした。
手術後のリハビリは苦しくて辛くてもどかしかったけど、差出人不明のスポーツドリンクが俺を励ました。
いったい誰なのかわからず、けれど正体がわからないというのも面白くてレギュラーメンバーに話して聞かせた。
俺が入院していることは周知だろうけれど、こっそり応援してくれるのは───。
皆の考えの中にいるのかどうかはわからないが、俺はこういう時にこぼれ出る谷山さんの名前を期待した。
冷静に考えて、谷山さんであれば顔を見せてくれるから、違うのだけど。
「───そういえば、谷山さん元気かな」
最近みんなの口から名前を聞かないから、つい声にする。
「麻衣は……」
一番親しい赤也はわかりやすく顔を歪め、同じく付き合いが長い柳を見る。
「精市には話すタイミングを窺っていたんだが、ちょうど良いから今伝えておこう」
何かがあったのだと察した。ベンチに腰掛けた俺は硬直して、続く言葉を待った。
「麻衣は関西の中学校へ転校した。二年生になる直前だ」
「───え、あの時少しもそんな話は……」
復学すれば会えると思っていた俺は、閉ざされた未来に衝撃を受けた。それ以上に、最後に会ったあの日、何も言ってくれなかったことに驚いていた。
少しの動揺に耐えて、柳を見るとまだ重たい雰囲気で周囲を見る。
「お母さんが亡くなった───だから、言い出しづらかったんだろう」
俺は絶句した。周りで聞いていた谷山さんのことを知っている部員たちだって、言葉に詰まっているからきっと事情は知らなかったんだろう。
「どう、して……?」
たどたどしく言葉を紡ぐと、交通事故だったと語られる。
母子家庭だったため、担任の先生の家に下宿しながら通うはずだったけど、先生側の事情で引っ越すことになり同行したそうだ。
「───もしかして、前に病院で見かけたのは」
ふと、思い当たることが一つ。
それは、ある朝早くに目が覚めた俺が何気なく病室から外を眺めていると、広い駐車場に佇む人を見たこと。
向こうもこちらに気が付いて見上げていたから目についた。表情までは見えなかったけど、谷山さんだと思った。
離れていたのでなんのアクションも起こせずに、視線を外して動き出し、車に乗り込んでいくのを見送る、───そんな光景を、今更ながらに思い出す。
「母ちゃん、ここに運び込まれたらしいっす。言わないでって言ってたけど」
赤也は吐き捨てるように言うけど、柳に窘められてきまりが悪い顔をした。
「あとでわかる方が辛いっしょ、麻衣だって変に隠すことねえのに」
俺は少し受け止めきれないでいた。
谷山さんらしき人を見かけた、と話したときの二人をよく覚えていない。
とにかく、あの時もう、お母さんは亡くなっていたということだ。
「何も気が付きませんでした。どれほど辛かったでしょう……」
「しばらく学校を休んでいたのも、家庭の事情で転校することも聞いていたが……不甲斐ないな」
「いつも元気だな、なんて思っちまってたよ」
皆、俺以上に顔を合わせていたから、気丈に振る舞う様子を思い起こしているんだろう。
「……慰められる余裕もなかったってことだろい」
「そっとしといてやるのが正解じゃの」
丸井と仁王はそういいながらも、項垂れるようだった。
「麻衣も、落ち着いたら自分で話す───本当はそうしたかったはずだ」
「うん」
柳の言葉に俺はようやく絞り出した声で答えた。
谷山さんが口を閉ざしたくなる気持ちもわかる。俺も身に覚えがあった。
一度、谷山さんが見舞に来てくれた時も、自分で報告するつもりでいた。けれどその日は体調に不安があったうえに精神的にも参っていて、病室に閉じこもったまま柳に嘘をつかせて帰した。
俺はドアにもたれて声を聞いていた。
帰っていくのを追いかけられないくせに、行かないでくれと唇を噛んだ。
でも、会って口を開けば、みっともなく縋りついてしまいそうだった。それだけはしたくなかった。
谷山さんもそうだったのかな。
辛い記憶があるはずの病院へ来て、俺を励まし、触れながら、どんな気持ちでいたのだろう。
俺が言葉を、熱を返せていたなら、もしかしたら腕の中で谷山さんは泣いていたのかもしれない。
思えばそのくらい、寂しそうな顔をしてた。
なのに口では俺をやんわりと遠ざけて、笑って別れた。
それはきっと、自分で立ちあがることを選んだからなんだろう。
next.
幸村視点特に書くつもりなかったんですけど、声が届いてることが書きたかった。
Apr.2022