Sunset. 07
急に、雨が降り出した。幸いにもクレープは食べ終わっていて、けれど不幸にも、閑静な住宅街を歩いていたところで、雨を凌ぐ場所はない。
「走んで」
「おお?おん」
きょろきょろしていた俺の腕を掴んで引っ張った。
いつぞやの先輩は俺の手を握って走っていたけど、財前はそういう事をしないタイプなので、俺の気を引いた後は腕を放して前を走る。
この先に公園があることをすぐに理解して、俺も財前の背中を追いかけた。
「うひー、結構濡れたな」
「せやな」
屋根付きの休憩スペースで制服を絞れば、土の上にびたびたと水がこぼれる。
濡れた髪の毛は重たく、制服は肌に貼り付く。五月の末なので寒くはないけれど、濡れた服と言うのはいささか不愉快だった。
「あ、タオル……ずっこい」
「ずっこない」
いつの間にかわしわしと頭を拭いてる財前に気づいて、俺は羨ましそうな顔をしてみせる。貸してくんないかな。
男子の制服は学ランが脱げるからいいけど、女子の制服はワンピースで脱げない上に、今びたびたに濡れてた。
……多分汗拭いた後のタオルだから、格好付けの財前は貸してくんないだろうな。っつうか俺も気が引ける。やっぱり貸してくんなくていい。
「せめてジャージ貸してくんない」
「羽織ってどないすんねん」
「下は体育着はいとるから、制服脱ぐ」
「ここで着替えるんか」
「見えん見えん」
以前ボクサーパンツまるだし事件があったので、なるべく体育着の半ズボンを仕込むようにしたのが役に立つ時がきた。さすがに上の着替えは持ってないので、テニス部のジャージかなんかを借りられないかと聞いてみる。どうせ身体あったまったら脱いでるだろうし、ちょっと汗吸ってても乾きやすい素材だから気にならないと思う。俺的には許容範囲内。
こいつ外で着替えるのかよって顔をした財前にぷんぷん手を振ったら、仕方無さそうにテニスバッグからジャージをべろっと出した。
触ってみてもさらっとした素材なので、やっぱり汗っぽい感じはしない。
目の前でかぐのは失礼だからさっさと羽織ってジャージのファスナーを閉める。そして、中で制服をいそいそと脱ぐ。
もう一回ぎうぎうと制服を絞ってみたけど、薄手とはいえワンピースは結構な量なのでなかなか力は入らず、いつもより重たい。もう面倒くさいからいいや。
「返すの明後日とかでも平気?」
「おん」
雨が降り続くのを眺めながら問うと、頷いた。
隣で携帯をいじくってる財前は、またブログをやってるのだろうか。こういう時携帯あるのっていいなあ、時間潰せて。
ただ、「ブログ?」って聞いたら「ちゃうわ、迎え呼んどんねん」と言われて目から鱗が出る所だった。携帯の役割はそういえばそうでした。
なんでこんなときにブログ更新したり見たりすんだよって話だ。
五分もしたら車がやってきて、財前は携帯電話をしまってテニスバッグをしょいなおす。
「ばいば」
「ほな、行くで」
ばいばいって言う前に、財前は俺の腕をぐっと掴んだ。今度は放されなくて、俺はきょとんとしたまま、財前と一緒に屋根から出てしまった。濡れるのは嫌だから、急いで財前ちの車に乗り込んだ。
「お、おじゃま、します!」
「こんにちは」
乗せてくれるなんて聞いてない!
俺はあわあわしつつも運転席の人に声をかける。ミラー越しににかっと笑ったのはお父さんではなさそうな若いお兄さんで、多分財前の言う兄貴だろう。
甥っ子がよく話に出て来るからその流れでお兄さん夫婦も一緒に住んでるらしいことは感じてた。まあお母さんが来るよりはあり得なくもない展開。
「なんで兄貴がくんねん」
「今日は外回りの直帰やったんや」
「ふうん」
「オカンは今晩飯の支度で忙しい言うから代わりにな」
兄弟の会話をきょときょとしながら聞いていたんだけど、俺が口を出す隙間がない。いや、もちろん会話に入って行きたいわけじゃなくて、あの、車発進させてるけど、俺どうすんの?財前ち行くの?家の場所自分から言って送れってアピールするの?
後部座席に俺を詰め込むように追いやって隣に座っていた財前は、途中で会話を切り上げてから借りて来た猫のように大人しくしてる俺をちろっと見た。
「ああ、せや、家どこやったっけ」
「し、しんさいばしのほう」
ようやく聞いてくれたね!?
「え!?」
そしたらお兄さんがぎょっとする。なんだよ、心斎橋の方は知らぬ間に隕石でも降ったのか?
「なんや」
「夕飯くってくやろ?」
「は?」
俺は思わずぽかんとする。
財前ははあとため息をついた。
「どこから出たんやそんな話」
「オカンが言うてたけど?今日うちスキヤキやねん、食べてきや」
もう一度ミラー越しに目が合うお兄さん。あうあう狼狽えながら財前を見ると、「どっちでもええわ」と投げやりに言って肘をつきながら窓の外を見ていた。なるほど、財前の家族だからもっとドライかと思ってたけど、こういう家族だから財前が育ったのか。
「ならうち行くで」
どっちでもいいっていうのはおそらく俺に対してだったんだろうけど、お兄さん的には自分に決定権があったようでハンドルを切った。
おうちについたら電話を借りよう……。
家についたら先にどすどす洗面所の方へ行く財前に置いてかれ、俺はお兄さんに連れられてリビングに案内された。二世帯なので結構広いおうちで、先生の家もそこそこ大きかったけどこっちはもうちょっと新しい家って感じだ。まあ、築年数違うわな。
「えーと、名前なんやったっけ」
「あ!谷山麻衣です」
そういえばお兄さんに名前いってねーや。いけね。
「なんや、可愛い名前つけられてもうたな」
ほんとそれなって思いながら、俺を男だと思っている気配をうっすらと察知。
今の俺はジャージ姿だ。俺は中性的な顔をしてるので、こういう服装だと男にも見える。というか男なんだけど。
「谷山くんもテニス部なん?」
「いあ、これ財前にかしてもろたんです、制服びしょぬれになったんで」
「光の汗くっさいジャージじゃかわいそうや、アンタ服かしたり」
財前のお母さんがさらっと酷い事をお兄さんに言う。お兄さんもせやな!って頷いて俺をリビングから連れ出すし、もう、すげえぞ財前家。
ジャージは全然くさくないよ。
お義姉さんと甥っ子が止めてくれるわけもなく、二人はテレビを観てるし、財前はよう来て……。
適当に服をかしてくれたお兄さんは部屋を出て行った。いつ女だと言おう……いや、男なんだけども。
タオルも貸してくれたので、ちょっとぺたぺたする身体を拭こうと思ってジャージを床に置く。
「言い忘れとったわ、制服乾燥機かけるか?」
「おいコラ!なに開けと—————」
ドアをしめて数秒で戻って来たお兄さんは遠慮なく部屋のドアを開けたし、どたばたおいかけてきた財前は珍しく声を荒らげたけど一緒になって部屋の中を見た。お決まりの展開に、血の気がさあっと引くんだけど財前の方がびっくりした顔をしてて、俺は妙に落ち着いて「あ、大丈夫デス」と答えていた。
next.
冒頭の雨が降ったという文章から想像していた人もいたでしょう……こういうパターンです。最初は階段から落ちかけて財前くんの腕を胸に回してもらおうかと思ったんですが、場面を想像しても胸にまわらないのでこうなりました。
Mar 2016