Sunset. 10
財前は夏の大会が終わったので部活を引退する。他の運動部もそうだけど、特にテニス部は規模が大きいし、引退の日は騒がしかった。
図書室で放課後の当番をしていた俺は、その盛大なお別れの光景を音だけで感じ取る。
多分財前はまたかったるそうにしてるのか……それとも部活に対しては俺の知らない顔があるのか。おそらく、あんなドライな男でも真面目にやってた筈だし、今年も好成績を残しているのだから色々思う所だってあるだろう。
生徒の殆ど居ない図書室で自習をする俺とは大違いだ。
「テニス部、えらい騒ぎですね」
「うん」
空調を効かせてるために窓は閉じられてるけど、喧噪は聞こえるから後輩は苦笑した。
少しだけ会話を楽しむけれど、話半分にシャープペンを走らせ続ける。これは中間テスト用のまとめなので、今はそんなに頭を使っていない。テスト直前に見返す用のノートってところだ。
「先輩て、頭ええですよね」
「いやいや、全然」
「せやかて春からしょっちゅう勉強してはるやないですか」
「今年だけね?内申点あげとかんと」
「そんなん考えなあかんのです?やだもー受験生になりたない」
「がんばれがんばれ」
俺は適当なテンションで後輩を励ます。
あんまり楽観視させるのも、脅すのも可哀相だ。
本人が受験生になったとき、自発的に危機感を持つなり楽観するなりしていただきたい。
くすくす笑い合っているとふいに図書館の窓が、かつかつと突かれる音を立てる。テニス部もそうだけど、運動場に向かうための道に面しているから、ここは運動部がよく行き来をしている。それから駐輪場もそうだから、図書委員や図書室に居ると思しき生徒に用がある場合は窓からのぞくこともある。西日対策にカーテンを閉めているので、誰がいるのかは分からない。
「先輩に客ちゃいます?」
「えー」
確かに図書室を利用する人は少ないし、携帯を持っているこのご時世なので、なんの心当たりもない場合は俺である確率は高い。ほんのちょっぴりな。
過去金ちゃんが窓からのぞきに来たこともあるけど、金ちゃんだったらでっかい声で「ハムちゃーん」って呼んで来るし、先輩達は校舎内に入って来てたし。
そろりとカーテンを開けると、意外にも財前が居た。
「どしたん」
「謙也さんたちが来とんねん」
「はあ、宜しくお伝えください」
窓に手をかけたまま、財前を見下ろす。閉めるとでも思ったのか、窓の桟に手を置かれた。
「ハムちゃんハムちゃんうるさいねん」
「麻衣ちゃん麻衣ちゃんってゆえや」
「ええから後で顔出し」
こいつ、頑だなあ。
麻衣のことをハムと言い換えてる節がある。
そういえばハムって呼ばれなくなったと思ってたら、先輩達に会ってから再発したし。あれは財前なりにアピールだったんだろうか。……なんの?
言いたい事だけ言って去って行った財前の背中を見ながら、ぐにょっと首を傾げて悩む。
友達的なあれなんだろうか……照れる。ぽっと顔があったかくなるのを感じて頬を抑えていたら後輩に呼ばれ、俺はいそいそと元の位置に戻った。
「財前先輩なんて?」
「テニス部のOBがまた来とるから顔出せって」
「ああ」
後輩は前にも先輩達に会ったことがあったので、上に視線をやりながら声を漏らした。それから「行ってきてええですよ、あと30分やし」と言ってくれたのでお言葉に甘えて早めに帰らせてもらった。どうせそんなに仕事がないというのは知ってるのであんまり良心は痛まなかった。
「お、麻衣ちゃんやー」
「え!?」
テニスコートの端っこの所に行くと、まだジャージ姿のテニス部員がたむろしていた。そんな中から手をあげて俺に呼びかけたのは先輩ではなく、金ちゃんだった。俺はぱふっと両手で口元を抑えて、身を震わせる。苦節半年ちょい……やっと、名前覚えてくれたのね……!
膝をつきかけた俺は、よろめきながら財前の肩にごすんと顔を埋める。
「なんやねん」
「う、うれぢくで……金ちゃんが……名前呼んでくれた……!」
ぎゅうっとジャージを引っ張ってると鬱陶しそうな声が降って来た。ごめんね!今何かに縋り付きたい気分なの。
「ぎんぢゃん」
「ワイ銀やないで、金太郎や!」
「せやなぁ」
笑いが止まらなくて、震えながら金ちゃんに向き合う。気づけば俺とおんなじくらいに大きくなってたし、そろそろ声も低くなるんだろうか。
俺はまだ声変わりしてないんだけど、それは棚に上げておく。
「ええかげんハムちゃん呼ぶの可哀相やから、さっき教え込んだんや」
「忍足先輩かっこよ!」
「せやろ!?」
ぐっと親指を立てると、同じポーズを返してくれた。
さて、顔見たし帰るか。と思って鞄をしょいなおすと、紐を引っ張られて重みが増す。
案の定帰さんでって顔……してないけど、財前がしれっと俺を引き止めていた。どうせ先輩たち卒業式の日も来るんだろうし、寄り道に加わりたいとかは思ってないんだけど。
前回は逃した気分は大きかったけど、今はそういう気分じゃないし。
「校門で待っとき」
「んえぇ」
「ええな」
「ういっす」
真顔で念をおされたので顎をしゃくりながら返事をした。大変不満ですという顔のまま。
まあ俺をあんまり遅くまで引き止めるような人たちじゃないし、大丈夫かと思いながら校門で待っていた俺の所に一番に来たのは財前で、「行くで」と言う。ようやく待ってろと言ってた意味が分かった。また俺を餌にしやがったコイツ。
女の子と待ち合わせしてる風を装い、巧妙に集団行動から抜けるとは太々しい男だ……。
「あ、ざいぜーーーんむぁ!?」
「金ちゃんシッ!」
ただしテニス部員達は遠くの方からわらわらやって来てるので、金ちゃんがぱっと手を挙げる。忍足先輩が口を塞いで押さえつけて、白石先輩はそっと金ちゃんの前に立ち姿を隠した。え?何やってるんです?
他の部員達もコントみたいにわたわた暴れながら金ちゃんを押さえ込んでいて、一人がしっしっと俺達に手を払う。気の効かせ幅がでかい……これが四天宝寺流か。
完全に俺と財前をカップルだと思ってるね?財前もそれを利用してるわけ?
別にどうでも良いけど若干腑に落ちないので、嫌がらせの為に財前ににっこり笑って手を差し出した。
「帰ろか?」
「……」
眉間に皺を寄せた財前には怯まない。
手を繋いでくれるまで歩くつもりはなく、多分それを察した財前は中指から小指までで俺の指をひっかける。ぎこちな……と思ったけど、妙にリアルな動作に笑って、自分で修正して手を繋いだ。
ちょっとテニス部の面々が色めき立ったのを背後に感じながら俺達は歩き出す。
「あ」
「なんや」
ふと思い出し、俺は手をはなして顎を撫でた。
信号の所で止まり、後ろをちらっと確認したけどさすがにテニス部がどやどやついて来てるということはない。
「いやね、夏に白石先輩に遠距離かー言われたん、あれ遠距離恋愛のことか?」
「知らんわ、何の話やねん」
「いつからそう思われてたんやろ」
財前からの返答は無く、信号が青になったので歩き出す。ポケットに手を突っ込んでしまったので手を繋げないけど、もう用はない。
「———遠距離て」
なんやねんと呟いた財前に、そういえば言ってなかったなと思い出す。
今まで、わざわざ志望校を宣言することもなかったし、部活で忙しい財前と受験の話はしなかった。
「東京の高校行く」
興味無さそうな相槌がひとつ零れた。
こんな反応だと思ってたし、だから俺もそういう話題になるまで言わなくても良いんじゃないかと思ってた。
別に、距離が離れているから友達じゃなくなるってことはないし、相談もせずに決めたのかって怒るような熱いタイプじゃない。
俺の地元が関東にあって、お墓もそっちにあることや、先生の実家に住んでいることを知っている財前は、今までの誰よりも驚かなかった。
今の担任の先生は大人だから、もう少し甘えたら良いとか、いざという時の為に近場にとか言っていたっけな。
「せやから、春までに一回ユニバ行こ」
「お前と行きたがるヤツぎょうさんおるやろ」
自慢じゃないが女友達は多いので、多分その事を言ってるんだと思う。
「男同士がええねん」
「そんなん気にせんやろ」
そりゃ、友達に優劣はつけないし、あっちもこっちもデートだなんて思わないけど。
「財前は、やっぱなんか」
特別なんだよな、と言いかけて大変恥ずかしいセリフだと気づいたので言わなかった。
next.
谷山、東京行くってよ。の巻。……財前君なのでさらっと報告が終了してもた。
Mar 2016