Sunset. 12
ご飯の後自室に財前を入れた。食後の家族の団らんに居辛いとか、財前と内緒の話をするとか、そういうことはないんだけど、なんとなく。先生達も特に訝しむ事もないし、奥さんは後でお茶持ってくと見送った。
「私物少な」
「色々捨ててきちゃったからなあ」
前は勉強机とかキャビネットとかあったんだけど、引っ越しの時に最低限のものだけ持って来ようとしたら殺風景な部屋が出来上がった。
押し入れがしっかりある部屋なので大抵のものは箱に入れたまま突っ込んであって、申し訳程度に物を収納できる棚には家族の写真と、前の学校での写真が入ったアルバム、今の教科書、どうしても捨てたくなかった本などがおさまっている。
テーブルとクッションがあるので勉強はそこでしていて、多分財前もコレを見たら学校で勉強した方が効率が良いし広々使えると思うだろう。
だからといって、別にこの部屋には何の不満もない。
一周だけぐるっと見た財前はテーブルの前に座ったので俺も向かい側に座る。
「あー、財前の部屋も見ときゃよかったな」
「おもろいもんなんかないで」
「この部屋程でもないっしょ」
「せやな」
ちょっとだけ不公平に思ったのでぼやくと、財前は頬杖をつきながら棚の方に視線をやった。唯一なにかありそうな棚があれしかないからだ。
「……アルバム?」
「おん、見る?」
「わくわくされると見たないって言いたくなるわ」
「勝手に見せてやろう」
へへへっと笑って立ち上がり、家族用のアルバムと、学校に入ってからのアルバムを持って来る。一冊ずつで事足りるのはちょっと切ないけど、うちは写真を撮る習慣があんまりなかったんだ。お父さんは小さい頃に死んでしまったし、お母さんと二人で暮らすのは楽ではなかったし。
財前は先に最近の方をとって見始めたので、どんどん歴史を遡って行く感じになった。
「髪長かったんか」
「おんなのこやからな」
肩につくくらいの長さで二つにさげていたころの写真を見た財前は、そこから視線をそらさず言う。
「女に見える」
「今もそう見える筈なんですけど」
「男にしか見えへんわ」
皮肉と見せかけて、ちょっと褒められているような気がしちゃったのは内緒だ。
本当は麻衣でありたいとも思ってるんだけど、財前にだけはもう良いかなって思ってる。多分、財前以外の、俺の本当の性別を知らない人から言われちゃうと、もうちょっと女の子らしくせねばって気になるかも。
そう育てられた弊害が若干出てることをそっと感じたけど、今の所構わないだろう。
「高校行く時、戻さんのか」
「ん、うーん、まだかな。ちょっと思う所もあって」
「なんやねん、思う所て」
「言葉にはできないなあ〜。踏ん切りがつかないのかも」
アルバムをぱらぱら見送りながら財前は疑問を口にした。
「お父さんがな、むかし———」
そう言いかけた所で、奥さんが本当にお茶を持って来てくれたので一度言葉を切る。俺達がアルバムを見ていることに笑って、髪の長さの話を軽くしてから去って行った。「財前くんは髪長いんと短いんどっちがええ?」と聞かなくても良いことまで聞いてくし、財前は「今の方すかね」と適当かつ優しい答えをくれるし若干空気がおかしくなったので、お茶をずずっと啜って俺は空気を誤摩化す。
「オトンがなんて」
「ああ……いつか、麻衣じゃいられなくなるって言ってたんだよなあ……」
「それはそうやろな」
「それまでは、ね」
「身体ゴツくなるまでほっとくんか」
「いやあ、どうだろ。そこが限界で、それよりも早いかなあ、ほら……声とか」
「まあ、どうでもええけど」
ええんかい。
俺はもう一度お茶を啜る。
一冊目のアルバムをぱたんと閉じた財前は、指先でもう一冊をたぐり寄せて開いた。
幼稚園とか幼児の頃の写真がある方だ。その頃からもう既に”思い出していた”ので、ピースとか笑顔を向けている写真が多い。
「愛想の良い子やろ」
「自分で言うなや……———なんやこれ」
「ん?あ……」
次のページを捲ったところには、古びた半紙が挟まっていた。
名付けたときに書いたらしきもので、そこには『麻衣』とともにこっそりお父さんが後から付けてくれた名前が重なって折り畳まれている。
麻衣の後ろにあるので、二枚同時に開いた財前は麻衣の方をみただろう。俺は後ろにほんのりと透ける自分の名前をみて、どういうわけか焦燥感にかられた。
「挟まってたか、アハハ」
笑みを作って、ぱりぱりになってる半紙を取りさる。
「二枚目のはなんなん」
「……いつかの分」
察しの良い財前は、じっとりと俺を見ていた。
「なんでこれもろた時、こっちがええ言わんかったん」
「……」
すっかり熱の引いたピアスホールがつきんと痛んで、髪の毛を耳にかける動作で時間を稼ぐけど、財前は目で早う吐けと語る。
「わ、わかりません」
なんとなく正座して答えた。
「———麻衣って呼ばれても……俺は、うれ、……うれしかったんだよ」
言ってるうちになんだろうな、俺って、と笑えてくる。
「どんな名前でも、お父さんとお母さんが呼んでくれた名前だったからね」
「嬉しい……まあそうやろな。いつもそんな顔しとるわ」
「え、どんな顔」
俺は驚いて財前を見る。
「……気に食わん顔しとる」
「気に食わんて」
だからこいつ俺のこと頑に麻衣って呼ばなかったんだろうか。もともと苗字で呼んでるので機会はすくないけど。
わざわざハムって言い換えたのも、顔が気に食わんということなら分かる。確かに麻衣ちゃんって呼ばれるとハイ麻衣ちゃんです!って感じになるから、財前からみたら鬱陶しそうなアホだったのかもしれない。
「本当の名前は全然呼ばれんでも平気なんか」
「別に平気……っていうか、呼ばれたことほとんどないし、よくわかんない」
長らく麻衣と呼ばれすぎてて全然違和感ないし、本名のありがたみというのも分からない。
麻衣は俺の本名ではないけれど、間違った名前ではないから。
俺は少しだけ興味が沸いて、自分の名前を眺める。財前はその様子をじっとみていて、もしかしたら透けてるのを読んでいるかもしれない。
折り畳んでそれを差し出すと、財前はちょっとだけ躊躇ってから受け取った。見ても良いのか問うようにこっちをみるから、笑って頷く。ゆっくりと半紙が開かれる音がして、それから時計の音と、リビングから聞こえる微かなテレビの音を聞いた。
「覚えといたるわ……どうせまだ、戻らへんのやろ」
「うん、ありがとう」
そう言って、財前は俺に名前を返した。
なんだ、呼んでくれないんだ。でも確かに俺はまだ麻衣だから、財前が呼ばない気持ちも分かる。
いつか俺はその名前にもどり、財前にもしかしたらそう呼んでもらえるのかもと思うと、少し楽しみだった。
next.
あんまりシリアスなの書くつもりはなかったんですけど、名前のこと教えたらしんみりしました。財前くんには知っててほしくて。
Mar 2016