I am.


Beautiful World. 01

※アイドルをやってる主人公を推すリンがいます。


なんと呼び止められたのかも理解しないまま、声に反応して足を止めた。
馴染みのない街で周囲の情報をほとんど排除していた為、本来なら自分に声をかけられているとは考えもしなかったはずだ。
けれどリンは引き寄せられるようにして意識も視線も身体も、その声を迎え入れた。
「これからライブやるんです!よろしくお願いしまーす」
栗色のショートカットに、リボンのついたベレー帽、学生服を過剰に装飾したような格好をした少女がいた。
彼女は足を止めたリンに一歩だけ近づいてきて、小首をかしげて愛想よく宣伝する。
言われた言葉の意味や、格好の理由が少しずつわかってきた。
「……ライブ……?」
何も言わずにその場を離れるはずだったリンは、聞き取った言葉をおもむろに返していた。
興味の片鱗を感じ取ったのか、少女は更に一歩リンに近づいてきて手に持っていたポスターを見せながら自身のグループを紹介し、この後21時からライブがあってチケットが一席余っているのだと説明する。
それを、リンはよくわからないまま、「はい」を繰り返して聞いてしまった。
「おにいさんこれから時間ありますか?」
子犬みたいな瞳が切なそうに揺れてリンを見たので、何も考えず「はい」と頷いた。
「わ。じゃあ観にきてみませんか?」
「───はい」
チケット代やライブに要する時間を聞きもせず、リンはまた頷く。
「!うれし~。奇跡だ♡」
頷くたびにどんどん喜びをあらわにする彼女の、トドメの笑顔と一言がリンの胸に刺さった。

それがリンと推し───麻衣たゃとの出会いである。
気づいたらリンはライブ会場にいて夢のような時間を過ごした。その間ずっと麻衣たゃだけを見ていた。歌もダンスもトークも、なにもかも可愛い。ずっと見ていたい。
リンは日本人が嫌いで、日本という国も嫌いで、日本で仕事をすることになって、何の楽しみも感じていなかった。
だがこの出逢いで全てが一変した。
麻衣たゃが日本人なので日本人は素晴らしいし、麻衣たゃの生まれた国である日本に感謝しかないし、麻衣たゃと出会うために日本で仕事をすることになった───。
これが『奇跡』。
他ならぬ本人が言ってた。







ある日、リンはとある学校の使われていない古い校舎へ調査にきていた。
昇降口に置いたカメラの付近で物音がするため見に行くと、詰襟の後姿がまさにカメラに触れようとしている所だった。
高価な機材を素人に触れられてはたまったものではない。その為、厳しい声を浴びせた。
覗き込むような前かがみの姿勢がびくりと震えて、リンの方を振り向く。
───麻衣たゃがいた。
いつもの可愛いアイドル衣装とは違って男子制服に身を包み、オレンジベースのメイクをしていた顔は今や何も塗られておらず、髪型も栗色のショートヘアーではなくて黒髪の短髪になっているので見た目は違う。けれどリンの五感も魂も、彼が推しであると告げている。
そもそもこんな可愛い生き物を見間違えるだろうか、否、ない。
「ご、ごめんなさ……わ、」
少年、基い、麻衣たゃは驚いた拍子に身体をよろめかせ、下駄箱に手をつく。
しかしそれがいけなかった。古くて脆く、そして予想外に軽くなっていたそれは、人の体重を支えたりなどできず、大きくぐらついた。そしてカメラや麻衣たゃのいる方へと倒れてきた。
リンは咄嗟にその小さな身体を抱き込んだ。
カメラやリンの上に容赦なくのしかかって来た下駄箱は壊れ、大きな物音をたてて散らばる。
多少の痛みや重みがあるが、たいした衝撃ではない。
「ってぇ、……」
胸の下にある呻き声が微かに痛みを訴えるので、身体を起こして見下ろす。
床についた両腕の間に推しの小さな顔があり、ぼんやりとした目でリンを見上げていた。
「───っっっ、」
アングルが良すぎて心のシャッターを一万回押しながら、即座に身体を離した。あと良い匂いがしたし、体温も感じたし、抱きしめてしまったのでその身体の小ささとか華奢さを実感して、頭に駆け巡る情報によってパンクしそうだ。
なので自分の足首が痛いのもどうだって良い。
───そんなことより、推しの玉肌に傷がついたらリンは死ぬ。
怪我の有無を問いたいのに言葉が出てこず、無言で様子を窺っていると、物音を聞きつけてやってきたであろう上司の足音が聞こえ始めた。
「……何があった?」
現れた上司、ナルは惨状を見て顔をしかめた。
「下駄箱にぶつかっちゃって……ごめんなさい」
「立てるか?」
「はい」
ナルは推しの言葉を半ば無視するようにリンに手を貸した。その扱いは許せないがリンは反論も出来ずにナルの肩を借りて立つ。
「そっちを支えて」
「あ、はい」
しかしナルはもっとありえないこと───推しにリンを支えろと言い放った。素直に手を差し伸べてくる麻衣たゃはそれはもう天使みたいに清らかで、召されるかのような錯覚に陥ったけれど。
先ほどは不可抗力で触れたとはいえ、その聖域にリンが触れるなどあってはならない。否、ただの意気地なしである。
「あなたの手は必要ではありません」
どうにか逃れようとしてリンは手を弾いた。

えっと小さく口ごもった声がして、ぽかんとした顔がやがて、きゅっと唇を結んだ切ない顔になる。
可哀想で可愛くて見てられず顔を逸らした先で、自己嫌悪に苛まれた。
事もあろうに自分は今、麻衣たゃを叩いたのだ。もう生きる価値は無い。
しんとした空気が漂ったためナルは仕方なさそうにため息を吐いた。
そして病院の場所をたずね、学校のすぐ近くにあることを知ると力なく項垂れるリンを引きずって歩いた。
「辛いのか?」
「………………………………死にます」
「そんなに???」
憔悴したリンに怪我の具合を尋ねたナルは、その返答に目を白黒させた。心の問題です。





リンは足を捻挫していた為調査に参加できないことになった。安静にしていなければならず、ホテルの部屋で待機しているように言い渡される。
ナルも一人で仕事ができなくはないだろうが、そもそもリンはナルの護衛兼監視役なので、同行できない時点で調査は中断してほしいのが本音だ。
しかしナルは止まらず一人で調査を続行した。
報告では霊能者が日に日に増え、生徒まで顔を出しているようだが、その中に関係性が不明で異彩を放つ名前がある。
、とは?」
オーストラリア人のエクソシストだと言う人物以外では、おそらくこの人物だけファーストネームを呼んでいる。
霊能者というには見解が出てこない。ならば生徒かと思えば仕事に関わっているようだ。
「ああ、急遽バイトを一人雇った」
「……どういう経緯でそうなったんです」
「リンが庇った生徒がいただろう。彼だ。さすがに荷運びや計測するには手が足りない」
「───、」
思いがけずして麻衣たゃの本名を知りあまつさえ口に出してしまったので、ヒュッと息を飲んだ。
そういえばナルにクラスと名前を聞かれていたかもしれない、と当時の記憶を呼び起こす。あの時はほとんど死を考えていたので推しの個人情報に反応する余裕がなかった。
「……手伝いは不要でしょう、私が明日から復帰します」
「馬鹿なことを言うな。そんな足で歩き回れるか」
「松葉杖があります」
「それならを使ったほうがマシだ」
推しをこき使い、推しの本名をファーストネームで堂々と呼び、二人きりで共同作業をするというマウントをとられた。リンは軽くナルのことを嫌いになりそうである。
きっと推しは素直で一生懸命だから、ナルに言われた通りに頑張って働いてくれたのだろう。おまけに笑顔が可愛くて人柄がよく懐っこいものだから、ナルも絆されて下の名前を呼ぶに至ったに違いない。推しが魅力的過ぎる弊害がここにある。
「とりあえず調査のことは心配いらない。それと、が会ってもう一度謝りたいと」
「謝罪は必要ありません……会う必要も」
「相変わらずだな」
ナルはリンが日本人を嫌いだと思っているし、その価値観はばかばかしいと思っている。だがいちいち他者への態度を指摘するほど関心もないのでその一言で済ませた。

この後推しが正式にアルバイトになることを、リンはまだ知らない。





(おまけ)


はわけあって女装してアイドル活動をしている。
メンバーや一部の関係者は知っているがファンには絶対に秘密だった。
そんなことを知れたらファンが離れていってしまうし、それ以上に男だとバレたら恥ずかしいというのが理由でもある。
なので自身のライブによく来てくれている見知ったファン───リンと、素顔で会った時は肝が冷えた。

怪我をさせてしまったリンの代わりに仕事を手伝うことになったのは良かった。彼は安静にしていなければならない為会わずに済む。
最後の一日だけは会って挨拶と謝罪ができたけれど、が怪我をさせた所為であまり良い印象は持たれておらず、ほとんど目も合わせてくれなかった。
肩を貸そうとしたときも拒否されたことを思い出し、結構嫌われてることを理解した。

それなら尚更、はリンに麻衣であることをバレるわけにはいかなかった。
だというのに後日、ナルから連絡がきてアルバイトに誘われた時、うっかりやると言ってしまった。
だってアイドルだけじゃ家計が苦しいんだもん……。

「あ、リンさんっ、今日からアルバイトすることになった谷山です、よろしく♡」

かくしてはアイドルの麻衣だとばれないようにリンと関係を改善し、普通の同僚になることを目標に新しい職場に来た。
愛想よく振舞おうとしたらうっかりアイドル声が出てしまったが、それはさておき。
リンは「マ゜」とかなんとか声を出したきり黙り込んで、別室に行ってしまったので前途多難である。
少しは仲良くなれる日はくるのだろうか。
それは誰にもわからない。




next.



推しによってキャラ崩壊してるリンさんのラブコメ(?)が書きたくて勢いでやりました。

軽く人物紹介↓
・主人公
女装して麻衣たゃ(ファンからの愛称)としてアイドル活動している男子高校生。
(業界くわしくないのですが、地下アイドルみたいなのに近い感じ)
ファンに正体がバレたくないから適度に仲良くなりたいんだけど、おそらくそんな器用な真似はできない。
リンが自分推しとは思っていない。
・リン
魂レベルで好きなので推しの性別はどうでもいい。
推しへの愛を前にしたら人種とかどうでも良いけど、そもそも推し以外には興味がない。
どう接したらいいかわからなくて推しを避けようとするけど、本気で推しに冷たくはできない。
・ナル
自分と同じく両親のいない主人公の境遇を憐れんで雇った(原作通り)。
兼業で何かしてることは知ってるけど詮索はしてない。
イギリスに帰ることになってリンが嫌がり「日本に永住します」とか言い出した時にようやく何かがおかしい()ことに気づく。
Feb. 2023

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