Candle. 01
ジョンは彼に打ち明けられた秘密を聞いて、驚きはしたもののすぐに受け入れた。まっすぐな人柄を知っていたので、嘘やからかいではないことはすぐに分かる。
彼、今の今まで彼女だった麻衣の本当の名前はという。告げられた名前を復唱すると、は酷く嬉しそうに笑った。初めて名前を呼ばれたのだと言うので、教えてくれた父はどうだったのか、思わず訊ねそうになったが口を噤む。
未だ女として麻衣と言う名前で戸籍に登録されているので、普段一緒に調査をする同業者や、彼の雇い主であるナルにも言わないでくれと頼まれた。
もちろん人の出自に関することを、勝手に言うものではないと思っていたので言うつもりはない。けれど、聞かずにはいられないことがあった。
「どうして、僕に言うてくれはったんですか」
「さあ、ジョンがジョンだからかな」
例えば、ジョンが敬虔なクリスチャンで神父であったから。告解するように、偽りがある事を言葉にしたのかもしれない。
それとも、たまたま街で見かけて今このタイミングで声を掛けたから。の迷いや開放を願う気持ちが揺れ動いていたから。
色々とあるのかもしれないが、ジョンは自分が自分であったからという言葉を聞いて胸が温まるのを感じる。いくつか浮かんだ可能性の全てでもなく、けれどその全てが当てはまる答えだ。
「その、僕はこれから、なんとお呼びしたらええですやろか」
「変わんないよ———麻衣って呼んで」
本当の名前があるのなら、ジョンは是非ともそう呼びたいし、嬉しそうにした彼もそう望むだろうと思ったが、麻衣と呼ぶ事を望まれた。
いつも通りの様子に戻って、にこにこ笑いながら他愛ない話をするにジョンは頷くしかなかった。
ジョンはに何をしてあげられるのかと考えた。
彼が望んだのは麻衣と呼ばれる事、秘密を知りつつも受け入れ、それを周囲には明かさずただ知るだけの存在で居る事。それでが救われると言うならば、ジョンは喜んでそうしたい。
———それ以上、何かしたいことはないのか、してほしいことはないのか、聞けずに居た。
おそらくそれを聞くことも、叶えることも、は望まないことなのだ。
それからしばらく、には会わない日が続いた。渋谷サイキックリサーチが一時的にオフィスを閉鎖したからだ。以前緑陵高校の調査が終わってすぐに慰労会をした時、そのことをから聞いていた。なので、彼に会う為にオフィスへ行っても意味はないし、たまたま依頼で会う事もない。
会ってどうしようということもないのだが、彼の秘密と同時に、現在の暮らしを知ってしまった今、気にかけずにはいられなかった。
両親を早くに亡くし、誰にも相談できずに居たのだ。寂しくはないだろうか、迷いはないだろうか、何か言いたい事はないだろうか。自分はきっと聞くことしか出来ないし、も多くは望まないのだろうが、それでも会って話をして、彼と不安を共にしてあげたいと思うのだ。
一度渋谷のオフィスに立ち寄ってみたが、案の定不在だった。
ジョンは上品な作りをしたドアを少しだけ見つめてから踵を返した。
春になると、ナルからの呼び出しがあり、オフィスが再開されたことを知る。
行けば、よく一緒になる同業者が全員揃っていた。その中にの姿はなく、思わず辺りを見回してしまう。いつもなら出迎えてお茶を出してくれるのだが、今日は何故かいたナルの知人と思しき女性がもてなしてくれた。
その後は男の装いで資料室から出て来て、凛々しい顔つきで渋谷一也と名乗る。
茫然とする面々をよそに、すぐに屈託ない顔をして笑った。確かに彼は男なのだと再認識していたのはジョンだけで、皆はやたらと似合うその格好に好意的な反応を示す。
は偽りを信じる人々に、慣れた対応をしていた。冗談で、胸がないからと傷ついてみせた時、ジョンは思わず飲物を噴き出しそうになって噎せた。
嘘を咎めるつもりはないのだが、の行動がつい気になってしまう。
ナルのふりをやってのけながらも、あまり具合の良くないをみてジョンは心配していた。人が消えて行くことを気に病んでいたのだろうが、極めつけとばかりに攫われ殺されかけたので特にだ。
「さん」
「!」
東京に戻り、長い移動時間で疲れていた為皆帰る準備に集中していて、誰にも聞こえないことを確認してから、彼の名前を呼ぶ。
は驚いて肩を揺らした。
「な、なに?」
自分でも周囲を確認してきょろきょろと目を動かし、顔を寄せて来る。
「その……大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
間髪入れずに答えるは、多少無理をしているのが見て取れる。
「でも怖かった」
目を伏せた彼は小さな、誰にも聞こえないような声で呟いた。近くに居たジョンですら聞き逃してしまいそうな声だった。それでもしっかりと聞こえたのは、が不意に寂しそうな顔をしたから。動く唇に目が行き、吐息ばかりの声を掬うことが出来たのだ。
「思わずイエス様に祈っちゃった」
またひとつ心を分けてもらえたような気分になったが、すぐにそれは冗談めかす笑顔に隠された。
都合良すぎるかな、とジョンの方を上目遣いで伺っている。
「───教会に来てみませんか」
「へ?」
「お?何の話だ?」
身を寄せ合って喋っていた所為か、滝川が顔を出す。いつの間にか周囲に見られていたことに気づいて、二人は自然と距離をとった。
「攫われた時助けて神様〜って思ったのを言ったらオススメされた」
「ははは、じゃあ今度寺にも行くか?麻衣」
「いや、正座出来ないから良いわ」
「どっから持って来た知識だよ、別に正座しなくてもいいんだぞ」
「へ〜。ところでおすすめの教会とかある?」
は滝川との軽い会話を終わらせて、すぐにジョンの方へ視線を戻した。滝川は少し口を挟んだだけのようで、それ以上何かを言う事はないが、が教会に行く気を見せている事に少し驚いているようだった。
「え、あ、僕がいつも行くところやったら、紹介できます」
「いくいく」
柔らかい笑みで軽やかに答えるが、けしてその場限りの答えというわけではなさそうだ。
「さーいこ」
はジョンの肩を抱き寄せ、あいている方の手を子供みたいに意気揚々と掲げた。
滝川や綾子は今から行くのかと口を挟み、それに対してはきょとんとしてから、そっかと呟く。
「いつにする?」
「あ、今からでも別に」
「そ?」
「あんたたち、元気ね」
「若いからねえ、誰かさんと違って」
「オホホ、誰かさんって誰かしらあ?」
綾子に言い返すはジョンに密着したまま笑うので、つられてゆらゆらと揺れる。
やがては綾子から逃げるようにジョンを引き連れてその場を離れた。
「あの、ええんですか?」
「何が?」
二人になった所でジョンはの顔をのぞく。
「お疲れでは」
「いや〜全然?車乗ってただけだし」
「せやかて、……怖かった、ですよね」
「うん……でも一人で休むより、ジョンと教会に行くほうがきっと楽しいよ」
一人と言いながら俯く彼の横顔は、特別悲痛に満ちてはいなかった。けれどそれを言葉にした事と、ジョンの服の裾を軽く摘んだ指先を見て、をこのまま家に帰したくはないと思った。
一度ナルに調査の依頼をした時、教会に来た事のあっただが、ジョンが連れて来た教会を気に入った様子だった。
ミサを行う日ではなかったが、ジョンはに強請られて話をした。
「ジョンは神様がいると思う?」
「はい、いてはります」
話し終えるとはぼんやりと祭壇を眺めながら問う。迷いなくジョンが頷くと、ようやくこちらを見た。
「どうして神様を信じたの?きっかけは?」
「僕の場合は、物心ついたときから、神様はいてはると教えられてきました」
「そうなんだ」
「さんは、神の存在についてなんぞ思われることはありますか」
「うーん、……特にない」
苦笑したにつられてジョンも苦笑したが、だからといって落胆はしていない。
信じるものや思うものを決めるのは己自身であって、他人に強要されるものではないと、ジョンは思っている。
「でも今日思うことができたよ」
は目を細めた。
「今までは遠く曖昧な神様だったけれど、イエス様はジョンの中に確かに存在すること」
ゆっくりと立ち上がったにならって、ジョンも立ち上がる。
彼は十字架よりもジョンをその瞳にうつしていた。
「今日は傍にいてくれてありがとう」
「いえあの、また……来てください」
「うん」
ジョンは小さく頷いて背を向けたが見えなくなるまで立っていた。
自分の中にある神様を信じてくれたこと、そして何より自分自身を信じてくれたことがとても嬉しいと思った。
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一応ジョン視点みたいな感じで進みます。
宗教については、ふわっと……察してください。
本編書いてる時、本人に罪悪感とかがあって、教会に通うのもおつかなあとか、ジョンに懺悔()してて正体を知っててもいいなあとか、ちょろっと思っていてですね。でも話を広げ過ぎてもなあと考え、なしにしました。こうして番外編みたいな形でやれて嬉しいです。
Jan 2017