Clear. 02
夕方になって、姉の綾子が家に帰って来た。帰ってくるのは明日だって聞いてたから、普段は別に出迎えに行かないけど部屋から顔を出して玄関をのぞく。
「ただいま」
「今日だったんだ?」
俺の聞き間違いかと思って階段を降りてくと、綾子は荷物を指差す。
「ちょっと予定が変わったの。これ部屋まで運んでおいてちょうだい」
「え〜」
「お土産も入ってるわよ」
マニキュアをした爪先で、のそのそやってきた俺のおでこをどついた。
シャワー浴びてくると言った綾子は本当に荷物を廊下においたままにしたので、俺は仕方なく荷物を持ち上げた。一週間ほど留守にしてただけあって荷物は重い。そんな俺の背中に遠いところから綾子の声がかかる。
「シャワー浴びたらお茶ね」
いれとけってことか。
綾子の部屋に荷物を突っ込んだ後、キッチンへ向かう。これが、わがまま女王様気質の姉を持った弟の姿である。
今日はお茶を準備してくれる人がいないので、大人しく丁寧にお姉さまのご所望通りアイスティーを作って部屋に持っていくと薄着の綾子がすでにいた。
「勉強進んでる?うちの親が何も言わないからって油断してたら、痛い目見るわよ」
「はいはい」
「だいたい、あんた夏から塾行くんじゃなかったの?」
「冬からにしよーかなって」
「いい加減ねえ。部活もやってないのに、何してんのよ」
綾子と前に進路の話をした時、夏期講習申し込んでそのまま受験まで塾通おうかなーとは言ってた。
「いや部活やってるって」
「たかがバンドでしょ?」
優雅にグラスを傾ける綾子にふてくされて顔をそらす。バンドを馬鹿にされたくはない。
俺たちは一応秋まで活動予定だ。
「だいたい、バンドしながらも安原クンは塾に行ってるんでしょ」
「あいつは生まれつき塾に行ってんだよお」
お土産のクッキーを二枚一緒に口に入れた。
「おんなじ高校行くんだっけ?」
「えー、修が行くような学校行けるわけないじゃん」
「あんた仮にも医者の息子でしょ」
お前は娘だろうが、と思いつつも口を閉じる。
うちはじいちゃんも父さんも医者だ。総合病院と名のつくもので、家もそこそこでかい。母親は医者じゃなくて、普段はヴァイオリン教室の講師をしてたりする。
両親とも俺に医者になれとは言わないけど、じいちゃんは俺も医者になると思ってる。
綾子は医者になる気はなく、普通の進路に進んで遊びまわってるが、誰にも文句は言われてない。俺だって勉強が好きなわけでもないし、そんなんで医者になれるわけもないのだ。
どうせ親戚にも医者がいるんだからそっちに継がせればいいと思う。
「……お父さん、何も言わないけど本当はあんたにも医者になってほしいって思ってるのよ、勉強しとけば?」
「しーらない」
次の日、俺は朝から綾子に、父さんの着替えを届けに病院へ行けと言われる。
図書館いきたかったのにっていうと、丁度良いじゃないって。何も丁度良くねーよ方向違うわ。
「別にすぐ届けなくたって良いのよ、夕方までで」
「じゃあ綾子が行けばいいじゃん」
「やーよ、あたし今日美容院予約してるの」
行けるじゃん……と脳内で口答えしながら家をでた。
電車内は非常に空いていて、空席がたくさんある。よっこいせーと座って涼んでいると、車内に猫が入り込んで来た。しなやかな黒猫は慣れた様子で椅子に乗り、発車を待っている。え、大丈夫?おうち帰れる?ドキドキしながら見守ってみたが、とうとう電車は走り出してしまう。
俺の隣に、猫は大人しくおすわりして過ごした。違うんです俺の猫じゃありません。
周囲の人に言い訳もできず、手持ち無沙汰に着替えの入った紙袋の取っ手を弄る。
目当ての駅について、何食わぬ顔で猫を置いて降りるぞうっと意気込んだけど、猫は俺より先にとたとたと電車を降りた。同じ駅かよ。
改札を通り抜け無賃乗車を果たした黒猫は駅の外の人混みの中を歩いて行く。……さいなら。
早く病院行って涼みたい俺はほとんど見送ることもせずに歩き出そうとした。ところが、いつのまにか猫は戻って来ていて俺の足元でズボンの裾を噛んで引き止める。
まるで物語みたいだなーと思ってたら、もっと稀有なことが起きてしまった。
せっかく綺麗な猫なのに、どうにもふてぶてしい態度をしたそいつは、俺についてこいと言わんばかりにつきまとう。なんだよ、仲間が怪我でもしてんのかよ。
仕方なく、ちょっと面白そうとか思わないでもないが非常に仕方なく、猫の後をついて歩いた。何をやっているんだ俺は。
何度か脳内で自問しながら歩いていたけど、猫の入って行ったお店の中に足を踏み入れ、もう一度何をやっているんだ俺はと問いかけた。答えてくれる猫は薄暗い店内に消えた。
え、ここどこなの。
その店の店主は、片目を隠した背の高い男の人だった。
「いらっしゃいませ。……ご依頼ですか?」
「いえ、ね」
猫を追いかけて来ましたとか言えない。
「こ……の置物が気になって」
咄嗟にテーブルの上にあった、すらっとした猫の置物を指差すと男性はああと納得したような声を漏らす。
自由にご覧下さいというので、エヘヘと笑いながらすごすご置物に近寄る。まさか消えた猫はこの置物の仮の姿で……なんて考えはすぐに放棄する。ちょっと小説の読みすぎだね、そろそろ現実見て勉強しないとダメかな。
言い訳にして無理に眺めてみることにしたけど、すらっとした体型の猫の置物はとても神秘的で、綺麗だった。ちょっとだけ見惚れていると、男性は脚立を引っ張り出して来て、壁にかけられた古めかしい時計を弄っている。え、その脚立大丈夫?ギシギシ音立ててるけど。
思わず近寄って支えると、揺れがなくなったことに気づいた彼は俺を見下ろす。
「どうも、もう大丈夫ですよ」
「イエ。あの、何となく入って来てしまったんですけど、ここは何のお店ですか」
「骨董屋、のようなものです」
「この時計も、売り物?」
「いいえ、修理を承っていました。……動くといいのですが」
手に持った何かを見ながらいうので、多分今から試運転といったところなんだろう。
つい、ちょっと背伸びをして見たがった俺に気づいて、彼はそっと手を開いて見せてくれた。そこには男の横顔をしたブローチみたいな部品があった。
「これ何ですか?」
「……さて、何でしょう」
ずっとぶっきらぼうな態度と顔だったのに、ふいに微笑んだ。自分でも楽しみなのかな。
時計の文字盤を覆うガラスカバーを開けて部品を設置した後、螺子を巻く。時計を12時手前にして待機すると、微妙に外れた音階のメロディが流れ、時計全体の半分より下にある木窓が開いた。中には採掘してるみたいな、小さいおじさんの姿がある。
「なんだっけ、白雪姫の小人みたいな」
「ドワーフです」
「面白い、よくできてる……」
「文字盤をご覧ください」
一緒にかがんでドワーフを見ていた男性に促されて顔を上げる。
「うまく行くといいんですが」
その瞬間音楽は途切れ、鐘がなる。
時計の文字盤の上にある、半円状の窓は夜の景色が描かれ、一頭の羊がいたのに、ぱたりと後ろに倒れて姿を隠した。入れ替わるように現れたのは羽の生えた女の人。
「妖精だ」
「ガラスが光りますね、こちらへどうぞ」
俺が興味津々に背伸びしまくってたから、見かねた様子で手を引かれる。
ちょっとゆらゆらしながらも背中を支えられて脚立を上がった。
「ど、どうも」
夜の背景はゆっくりと回転して太陽と雲が姿を表す。
文字盤の一部がぱかりとあいて、さっきの横顔の男が現れて、妖精を見つめるような演出が始まった。
「彼はドワーフの王で、エルフは12時の鐘を打つ間だけ羊から本来の姿に戻れるんです」
「エルフは王女様?」
「そうですね。住む世界の違う二人です」
ロマンチック〜と思いながら、この時計を作った職人にそういう物語があったのでしょうと締めくくられてなるほどなと思う。本に記されるだけが物語じゃないな。
しみじみしてたが体は現実的で、なんかお腹減ってきた。そう思って時計を見ると丁度お昼の時間だった。
父さんに着替えを届けたついでにお昼を奢ってもらおう大作戦を決行するつもりだったのである。
「病院行かなきゃ!」
「病院……右に行った方が早いですよ」
「はい!どうも!あ、また来てもいいですか?」
もうちょっと色々なものが見たくなったので、去り際に声をかけると男の人は小さく頷いた。
足早に坂道を下って、長い階段を降りて行くと病院がすぐに見える。
この時間ならまだ父さんも食事をとってないはずだ。いける。
「おーい、月島くん」
「?」
「月島くん……!」
「え、あ、あ!」
歩道を走っていると、遠くから呼び止められて振り向く。
昨日会ったばかりの、恥ずかしい少年が自転車に乗っていた。いや、恥ずかしいのは俺だけど。
「これ、忘れてったよ」
「は、あ、着替え……、ドモ」
「じゃあ。……またお店、来て」
「ン、ウン」
ぱくぱく口を開閉させたがろくな言葉が出てこなくて、あっさり彼を見送った。後ろの荷台に黒猫が乗っかっててちょっと驚いた。
それにしても、あの恥ずかしさをぶり返してるのは俺だけなのか。
にこっと柔らかく微笑まれて、なんとなく負けた気分になった。美少年の余裕か、むかつく。
next.
綾子姉ちゃんすごいしっくりくる……。家がお医者さん設定はGHの方から。
リンさんは色々不詳(?)を貫き通します。
Sep. 2017