Clear. 06
せっかく仲良くなれたと思ったのに、遠くへ行ってしまうのか。でも距離が問題なんじゃなくて、見ているステージが違うのがなんか辛い。
俺って楽器弾いて歌ってていいんだっけ?受験生なのに。そう思ったら練習にも身が入らなくなった。
「どうかしたの」
修にはすぐに気づかれてしまった。多分ジョンも先生も気づいてたけどあの二人は何も言わない。
部活帰り、楽器を背負ったまま修の家に行った。
「ごめん」
「……何か心配事?原さんのことなら、あんまり気にしない方が良いんじゃない」
「?原さん??」
「あれ、違うんだ」
コンビニに寄って買って来たジュースを飲みながら、修はきょとんとした。
そういえばちょっと噂になったっけ。
「じゃあ天沢くんだ」
「修知ってんだ、あいつのこと」
「ちょっと有名だよね、綺麗な顔してるし。そういえばジョンが去年同じクラスだったらしいよ」
「そうなんだ」
「なんで急にと天沢くんが話すようになったんだろうって、僕たちも不思議だったけど」
居間から持って来た座布団を丸めて肘の下においやる。
「別に、知り合ったのは本置き去りにしてたからだし。たまたま、母さんのヴァイオリン教室に通ってたっていう関係はあったけど」
修の妹の部屋から借りて来たテーブルは可愛らしい。修はそこに頬杖をついてにっこり笑いながらふうんと相槌をうった。
何か言いたそうだな。聞いても答えてくれないんだろうけど。
「それで、その天沢くんがどうしたからの音は冴えないの?」
「うっっ」
「あはは、ごめん。でも演奏中ぼーっとしすぎ、ミス連発しすぎ、歌詞飛びすぎ」
「ほんとーにすいませんっした」
「なに言われた?」
軽快なトーンを急に落ち着かせた修に息をのむ。
隠しててもしょうがないし、修に相談するのはやぶさかではない。
「あいつ、イギリスで研究者になりたいんだってさ」
「へえ、すごいね」
あっけからんと返事をした修に、まあその程度だよなと内心で納得したけど、俺自身がそういう風に感じられない理由に疑問を覚える。
「なんか比べちゃって」
「……好きなんだ?」
「はあ?」
変な声が出た。ミルクティをひっくり返しそうになって、慌てて立て直す。
中高生なら思い至る悩みかもしれないけど男同士だし、普通そこは劣等感とか、焦りとかあるだろ。
「だってジョンは将来を決めてるし、僕は決めてないけどどんな進路にだって進める余裕がある」
「ハイ」
「それでもは僕たちの中で堂々と歌っているじゃないか。どうして急に出て来た天沢くんに足元すくわれる?」
「なるほど……妙に説得力のある……」
「彼を尊敬するのは悪いことじゃないよ、僕も聞いててすごいなって思うし。でもだからってが自分を卑下する必要はないし、自慢の音を濁らせるのはよしてくれ」
「うん」
「が天沢くんに惚れてるように、僕たちはに惚れてるんだから」
「その言い方やめろよ」
座布団に顔を押し付けて隠した。
俺がジーンに惚れてると指摘されたからか、修が俺に惚れてると言うからか、どちらにせよ照れ臭くてしょうがない。
笑う目から逃げるようにミルクティーを飲み干した。
明日から気を引き締めて頑張るといって家に帰ると綾子がいた。
大学の課題をやってるみたいで、ノートパソコンに文字を打ち込んでいる。
綾子はこっちを見向きもせずにおかえりという。答えながらあけっぱなしの部屋の前を通り過ぎようとしたら呼び止められた。
「今日は吉川さんが体調不良だっていうから帰した。夕ご飯はあたしが作るわよ」
「へえそうなん」
うちのお手伝いさんである吉川さんはいつも晩御飯まで作って帰るんだけど、どうやらそれができなかったらしい。
「荷物置いたらジャガイモの皮剥いといて。ひと段落ついたら行くから」
「え〜」
お前が作るんじゃなかったんかい。
「なに?夕飯いらないの?」
「……」
今日は練習に身が入らなかったから家でも練習がしたかったんだけど。
こういうときお姉様に逆らえるはずもなく、というか正論なので黙って荷物を部屋におきに行った。ギターケースとバッグをベッドの上に無造作に置いて制服を脱ぐ。楽な格好をした後キッチンへ行って、手を洗ってからジャガイモをむくことにした。
ジャガイモって表面がぼこぼこしてるから、剥くの苦手だ。料理は慣れてないからなおさら。あんまりやりたくない下準備だけど、手伝いの時は必ずと行っていいほどこういう面倒臭いものから任せられる。まあこの歳になって包丁トントンしたいの!とは言わないけどさ。
「むいたやつ水に浸けておいてよ」
「はいはい」
十分に洗えていなかったせいで土が手についていて、ジャガイモは若干汚れてる。後ろから注意喚起する綾子の声を聞きながら、手とジャガイモを綺麗にしてからボウルを出した。
濡れた手で引き出し触るなとか、剥いた皮流しに放らないでとか色々言われたけど……あとで拭くし片付けるからいいじゃんか。
ジャガイモを剥き終わって水に浸したあとも部屋に戻れる事はなく、夕飯作りを手伝わされた。綾子は冷蔵庫から食材を出して次々と俺に切るように指示。そして切ったものをフライパンで順番に炒めて行く。
「……医者になれんのかなあ」
「なに?」
じゅうじゅうと炒める音を聞きながら、使わなくなったまな板と包丁を洗う。
綾子には聞こえなかったつぶやきを、もう一度ちょっと強く言う。
「医者になったほうがいいの?俺って」
「なれるならなったほうがいいわよ」
「……どっち?」
菜箸についた野菜を取り払うようにフライパンの縁をカンカン叩いた綾子はこっちを見る。
「ーーーあんた医者になりたかったの?」
「べつに」
目をそらして口を尖らせる。なんだか、医者になりたいって口にするのは憚られた。
意外そうな顔をするけど、俺だって一応医者の子供だもの。綾子だって親だって、俺の未来に医者という選択肢をほのめかしてた。けして強要する環境じゃなかったけど、あわよくば、みたいな。
「綾子はこないだ言ってたよね、中学生までは医者になりたいと思ってたって」
「そうだっけ」
「いーかげーん」
けろっとした顔で首をかしげる。なんてことだ、俺はその事でちょっと悩んでいたと言うのに。
「まあ、家がこうだったから、あたしもそうなるのかなって思ってたかもね」
「へえ」
フライパンを上手に動かして中の具材をかき混ぜる横顔をみつめた。
「でもうちのお母さんは医者じゃなかったし」
「綾子音楽もやんなかったよな」
「そもそも親と同じ職に就く決まりなんてないじゃない」
自分の父や祖父のことはそれなりに尊敬している。今まで何不自由なく育ててもらって、俺もそういった環境をもたらせることには憧れもあった。
だからって、医者という職業についてはいまいちわかってない。
「、テーブル拭いて来て」
「はーい」
黙ってぼうっとしてた俺のことなど綾子は気にしていなかった。
その日、母さんと父さんも早く帰ってきたので一緒に晩御飯を食べた。
全員が揃うのは珍しくて、そこで進路の話が出るのは当たり前のことだった。
希望調査書にはレベルそこそこの高校名を書いて出してる。綾子の母校なので反対されたことはない。だというのに、父さんが新たに違う学校を示唆してきた。そこは俺の志望校よりもランクが高く、大学附属高校だった。その大学は医学部もある。
「……修の志望校ばりに偏差値高いよこれ」
「あら、ここ康介さんの母校じゃない」
康介さんとは父さんの弟であり俺の叔父さんだ。もちろん医者。
パンフレットを見て目を丸める母さんに、父さんは小さく頷いた。
OBである叔父さんが推薦してきたのか、じいちゃんか、父さんか、誰の差し金かはわからない。
父さんはいつも、無理強いをしないのであくまでも提案という形をとった。
俺がはっきり嫌といえば、それを尊重してくれるのは知ってる。
でも断ることができなかった。
「かんがえとく」
「ああ」
パンフレットを受け取って、空になった食器を流しにおいて部屋に戻った。
机の上において開いて見たけど、数年前に新設された眩しいほどに白く綺麗な校舎から目をそらす。
目に入るベッドの上のギターにも触る気がおきず、カバンとそれをどかしてベッドに横になって目を瞑った。
next.
綾子姉ちゃん書くのが楽しいです。
Sep. 2017