I am.


Clear. 07

いつまでも塾に通おうとしない俺に、家庭教師がついた。
志望校はどうであれそろそろ勉強しないと、って感じだったけど、俺が未だにちゃんと答えてないので親の言う通りの学校を受けることになってんだろう。俺のあまりよろしくない成績に先生もちょっと表情がぎこちなかった。今後の学習計画がハードなのはきっと、志望校が親の言う通りな証拠だ。
「え、そんな忙しいの?」
「そーなんだよお」
「だいじょうぶですか?しっかり休まないと……」
毎日課題が出るようになったので机には向かうが、ギターの練習もしなきゃで捗らない。なんとかこなしてはいるが、ギターのが楽しいから本当困る。
課題終わらないと寝れないし、おかげで最近寝不足気味だ。修とジョンにそのことをこぼすと割と真面目に心配された。
「うん……でもギターは毎日触っときたいし」
「気持ちはわかるけど……今日も課題?練習してて大丈夫?」
「今日はセンセ……来るまでは時間あんだ」
正直先生が来る日の方が楽だ。その日は練習してから帰って先生と勉強して、終わったらギターがまたできる。勉強中は先生がいるからギターに触ろうという気にはならないし。
「体壊さないように、ギターもほどほどにな」
「ギターをほどほどにしたら、心が壊れちまう!」
「そんなロックスターみたいなこと言ってねーでちゃんと寝ろ」
滝川先生は、俺の頭をガシガシかき混ぜた。


気が遠くなるほど勉強して、先生が帰った後に家を出た。ジーンの家……というかリンさんの家についたらもう23時をすぎていた。
こんな時間に訪ねたら迷惑な気がして、店の前で立ち止まる。
帰ろうかな、どうせ見送りする約束じゃなかったし。
「───?」
「へ」
急に呼ばれた名前にぽかんとしていると、上だと言われて見上げる。
二階の窓からジーンが顔を出していた。


「もう荷造りってしてあんの?」
「まだ。ギリギリでいいかなって。使うものもあるし」
「へえ」
家の前の段差に座って、なんてことない話をふってみる。
は最近忙しいんだって?」
「なんで知ってるんだよ」
「結構うわさ話が聴こえて来るよ」
「勉強してろよ受験生……」
顔を覗き込まれて、少しだけ身を引く。
「なんだよ」
「暗いからよく見えないや」
「なにが?」
「眠れてないんじゃないかって思って」
「忙しくなったのはつい最近なんだ、まだ顔には出てないだろ」
至近距離の綺麗な顔にドキドキするけど、あっちは平気な顔をしてまじまじと俺を見つめる。
なんだかずるい。俺は目を合わせないようにジーンの襟元を見てるのに。
「それって、僕がいなくなった後に顔に出始めるってこと?」
「さあ……。もう少し要領よくこなせるようにするけど」
離れて行った顔にほっとしながら、膝の上にのせた手を絡ませた。
「医者になるの?」
「そうかもな」
ジーンはふうんといったきりだ。ようやく俺は、顔をあげてそっちを見る機会を得た。特に表情もなく少し離れたところの地面を眺める横顔。
「───ジーンの顔を見たから頑張れそう」
「僕の?」
ゆっくりと視線が戻って来た。黒目が俺をうつす。
「だって頑張ってんじゃん。だから、俺も頑張ろうと思って」
お父さんの職業を目指すジーンに、ちょっと感化された部分もあった。
だからって医者になるかはまだわからないけど、同じようにしてみたいって。

そろそろ帰らないとと思って立ち上がる。
相変わらず、ジーンは送ると言うけど、今日は自転車で来ていたから断った。
「僕もがいれば頑張れるよ」
「へ……?」
背後から声がかかって、ペダルにかけた足を下ろす。
「勉強とか、将来のことだけじゃなくて、ぜんぶ頑張れる」
なんで、って言いかけた。
これを聞くのは勇気がいる。
「イギリスにいったら、の歌ってた曲をたくさん弾いて頑張るから」
「うん、俺も」
何をするというでもないけど。
でも、ジーンが原動力になる気がした。

家に帰ったらギターが弾きたくなった。防音になってるから迷惑にはならないし、その日は一晩中眠れなかったので練習してた。
土日は課題をやって、あいた時間にギターか歌の練習をして、ろくに休めないまま月曜日を迎えた。
眠いとは思わなかった。でも授業中にぼうっとして先生に注意されたり、食欲がわかなかったり、体調が悪いのはほんの少し自覚してる。
テストがあるから学校での練習は禁止されてて、まっすぐに帰れるのは幸いでもあった。
重たい体にギターを背負うのはしんどいから、家にギターを置いてある。ライブをする予餞会はテストの二週間後だし、十分音合わせはできる。

普段どれほど勉強してなかったのかが露呈しそう。……今回は勉強漬けだったので、テストの順位は驚くほど上がった。俺のテンションは、低いけど。
貼り出されてる成績上位者の掲示板に初めてのっかって、ぼんやり顔を上げた。
「お、初めてじゃないか?月島」
嬉しいような、嬉しくないような。
滝川先生が通りすがって、俺の背中をばしんと叩いた。
よろけた俺に、先生はちょっと驚く。
「おまえ、ちっと痩せたか?」
「先生にそれは禁句ですよ」
隣にいた修がからかいの声を上げるが、否定する気も怒る気もおこらない。
「せやけど、さん最近、あんまりお弁当食べておまへんね」
「まあ、たしかに」
「そうなのか?やっぱり痩せたんだろ」
「……体重計乗ってないし、わかんない」
廊下の喧騒と、 心配される声が頭の中で反響する。次第に全部が混じり合って、ぐわんぐわんしてきた。修が俺の顔を覗き込んで、なんか言ってる。ジョンがその後ろで俺の様子を見てる。滝川先生の顔を見上げる元気がない。

気がついたら家に帰って来てた。修やジョンや先生に、何て返したっけ。
そもそも自分で家に帰ってこられたかどうかも曖昧だ。いや、なんとなく道を歩いてた記憶はある。よく車に轢かれなかったな……信号みた覚えがない。と、ぞっとする。
お手伝いの吉川さんに重たい弁当箱を預けて、制服のままベッドに寝転がった。
寒気がする気がして、布団をかぶる。

しばらくして綾子が家に帰って来る音がして起き上がる。
寝てたのか、何も考えてなかっただけなのかもわからない。よれた制服のまま起きて外に出た。
夜は肌を刺すような寒さがある。自転車に乗ってる間は余計に寒かったけど、体を動かしているから次第に寒さは感じなくなった。
坂道を登りきると、汗が額に滲む。セーターの袖で拭うと、ごわつきを感じるだけですっきりはしない。
ジーンがいないことはわかってるけど、なんとなく来てしまった家の前で目当てのものを見つけた。
「ナル」
飼い猫じゃないし電車にも乗るやつだから確信はなかったけど、なんとなくここらへんにいるとは思ってた。
ナルは俺の声に反応して耳をぴくりと傾けたけど、店の前で座ったままだ。
手をいれて抱き上げたら嫌そうな顔をされた。
それでも腕の中にいてくれる可愛さはある。
「お前がジーンだったらよかったのにな」
ふわふわな体に顔を埋めて息を吐いた。
あたたかく柔らかい動物を抱きしめていると、急に店のドアが開いた。クローズになっていて、電気も消えていたのに。
「……月島さん?」
「あ、……こんばんは」
リンさんは驚きながらも中へ案内するので、ナルを抱いたまま入った。
どうやらナルが最近いつもこの時間に来るからご飯をあげようとしたらしい。
俺がここにいた理由を問わず、多分具合が悪そうな顔をしているのも触れられない。ただ夕ご飯は食べたかと聞かれて素直に首をふると、うどんでいいかと聞かれる。
……一応断ったんだけど、お腹がぐうってなっちゃった。
暖かいところにいるようにいわれて、俺はずっとナルを膝に乗せたまま座ってた。
「ジーンから少し前に電話がありました」
「え」
「二週間後には予定通り帰って来るそうですよ」
「そう、なんですか」
「……月島さんは顔をだしているか、元気そうか、心配していました」
うどんをすすりながら、リンさんをみる。
ナルに餌をあげてから俺のそばの椅子に座った。
「ここを発つ少し前に、もしあなたが店に来たらよろしくと」
「……すごいな、こうなることわかってたんだ」
「彼も、身に覚えがあるだけですよ」
「え?」
リンさんはふっと笑った。
「ジーンも悩んだり、苦しい時期があった?」
「もちろん」
「そっかあ」
なんとなく安心しながら、スープを飲む。薄味で、温かい。
最近ではものを飲み込むたびに喉が痛かったけど、少しずつやわらいでくるようだった。
「ジーンの時はインスタントラーメンでしたが」
リンさんの小さな思い出話に、もう一度そっかあと返事をして笑った。


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リンさんの手作りうどんって……私はとんだ世界遺産を創り出したのでは(愕然)
主人公は小説書くことにはならなそうなので、こう言う感じになりました。
Sep. 2017

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