Eve. 03
春になって、俺は大学へ入学した。
孤児に優しかった高校とは違い、大学は自己責任というものが大きい。
普段オフィスで事務員として仕事するならまだしも、急に入る調査への参加は優先度が低くなる。
案の定、五月の初頭に依頼人の家に行くことになったけど、ちょうど休みが明けたばかりで頭を抱えた。
調査員という肩書をもらった俺だけど、もうそれは返上しようかしら、なんて思ったりもする。
「……土日だけでも来られないか?」
「あー予定はないんだけど。高速使って三時間……くらいか……?」
ナルは一応俺みたいなんでも使っておきたいらしい。まあ俺だって、土日はバイトしたい。
車は持ってないが免許はあるし、土日だけレンタルすれば電車で行き来するより楽かなと算段していると、信じられない顔をされた。
「車の運転をする気か……?」
「うん、禁止されてないし」
「金曜の夜にリンがこっちを発つから車で来て、帰りだけ電車を使えばいいと思うけど」
「…………まあそれでもいいか。───言いそびれてたけど、前ほど薬飲まなくてよくなってるからね、俺」
「ふうん」
ナルの心配は最もだったので、一応治療の経過を伝えておく。
ついでにここに居ないリンさんにも言っておいてくれ、と言えば適当な返事がかえってきたのでどうなるかわからない。
金曜日、大学の友達からの飲み会の誘いを断り、まっすぐ家に帰る。
シャワーを浴びて着替えて、二日間留守にする準備をしていると、リンさんから連絡が入った。
どうせ通り道だからと俺の家に寄って拾ってくれる約束になっていたのだ。
「こんばんはー!ありがとね」
「いえ。薬は持ちましたか」
「もったもった」
ボストンバッグをばしばし叩いて笑うと、リンさんも小さく笑った。
もうあんな失態はおかしたくないので、なんだったら予備をポケットにまで入れてきた。
過剰に服用するつもりはないけど、今回に限っては眠ることへのプレッシャーが若干あるので、どうなるかはわからない。
……厄介だな、ストレスも、この恋も。
俺の不眠をリンさんと結びつけたくはないけど、リンさんが俺の心に強く結びついているせいですぐに影響を受ける。
眠れないのも、眠れるのも、ひとたびリンさんが関われば全部そっちに左右されてしまうみたいだ。
「いまのうち、眠れそうだったら眠っちゃう」
「はい」
助手席で鞄を抱いた俺は、沈黙を作る理由として眠りを利用した。
リンさんは別に運転中に場を盛り上げて欲しくなんかないはずなので、小さく頷きスムーズに車を発進させた。
これで本当に眠れたらよかったのだがそうはいかず、挙句の果てには三時間かかっても依頼人宅には辿り着かなかった。
本来ならもうついてる時間なのに、俺たちはいまだ、高速道路の渋滞───否、通行止めの影響で動けなくなっていた。
ナルもこのことは道路情報のニュースを見て知っていたので、道路から出られたら休息をとって朝到着するように再出発って話にまとまった。
「じゃーホテル空いてるか探してみる。もしくはネットカフェかな……駄目だったら車中泊だー」
『空いてるといいな』
「ひとごとだと思って~」
『おやすみ』
リンさんにも聞こえるようにスピーカーモードで電話をしていたので、ナルの白々しい挨拶は車内にでかでかと響いた。
怒りに震えた俺は、意地でもホテルに泊まって経費で落としてやろうと思ってスマホと睨み合った。
リンさんは別にどっちでも良いらしいが、俺はリンさんに足を伸ばして寝て欲しいので頑張る。
とはいえいくらネットで探しても、今すぐとなると空き状況が見えなかったりするし、予約も電話限定になっている。
暫くするとようやく一般道に下りられたので、俺は近くのホテルに電話をかけた。
第一希望はシングル二部屋、次はツイン一部屋、最悪シングル一部屋かダブル一部屋……と何とか刻んでいったらダブルが一部屋とれた。
「…………ダブルで了承したんですか?」
「もう一部屋とる手間省けてよかったー」
俺は多分眠れない気がするけど、リンさんを寝かせられるし、俺も足を伸ばせるので及第点かな、と思ってる。
リンさんも長距離運転の疲れがあるし、俺が横で電話をかけまくった努力を見ていたので、嫌だとは言われなかった。もし言われたら多分俺は車の中で泣きながら夜を明かすことになってた。
ダブルベッドってデカイんだなあ、という感想を抱きながら、荷物を棚の上に置いた。
シャワーは家を出る前に浴びてるし、コンビニで買った軽食はホテルに着く前に車内で食べ終えた。後はもう寝るだけでいいはず。
「あ、俺寝る前に歯磨き」
返事も待たずに洗面所に逃げ込んだ。変な顔してないよな、顔が赤いとかはもってのほかだ。
鏡を見て百面相してから、顔まで洗う。
出てくるとリンさんはさすがにまだ寝てはいなかったけど、ジャケットやネクタイのない格好になっていた。
リンさんが入れ違いに洗面所に入って行くので、そりゃそうだよな、と思いながら俺は緊張を紛らわすためにナルに報告と称して電話を入れた。
『なんだ』
「え?ナルにおやすみって言おうと思って~」
不機嫌そうな声で出たので明るい声で返した。
ホテルの部屋をとれたことと、リンさんと明日の朝にはそっちに向かうことをわざわざ言ったら、心底要らない報告だなと返される。
そうこうしてるうちにリンさんも洗面所から出てきて、洗面所と廊下の電気を消していく。
「じゃあ明日ね、おやすみ~」
早く寝ないとだよなと思って立ち上がり、俺も机の前についたスイッチに手を伸ばしかけたら、背後から伸びてきた手が先に消した。
電話を切ったタイミングと、電気が消えたタイミングはほぼ同じ。そして、背中を覆う圧にびくっと身体が跳ねる。
壁と机につかれた手が物理的に俺を囲った。背後にあるベッドサイドに明りがついているから、リンさんの大きな影も、俺をすっぽり包んでいる。
「っ、……り、んさん……?」
「意地悪をしないで───」
後頭部でした声が動き、柔らかいなにかが耳の後ろをはみ、ちう……と吸われた。
腕が回ってきて、腹と肩を掴み抱きしめられたまま困惑する。
「どうしたの、急に……い、意地悪って何」
「私で……眠れるのかどうかを確かめてください」
息を吸うのに膨らんだ胸が背中に当たり、吐いた息が耳たぶをくすぐった。
予期せぬ展開に俺の心臓も思考力もいっぱいいっぱいで、言葉の意味が理解しきれなかった。
待って、と震える声で告げると腕がゆるんだ。俺は深く深くため息を吐いたついでに、深呼吸を繰り返す。
「俺、少しずつだけどちゃんと眠れるようになったんだよ、だから……リンさんがそんなことしなくていい」
「ナルから聞いてます。薬にあまり頼らなくても良くなったと……でも、谷山さんがほかの人ばかりを頼るから…………、」
嫉妬してるみたいじゃないか、まるで。
そう思って言葉を失う俺を、リンさんは少し気まずそうに見た。
「───す、」
「俺が眠れるか眠れないかの主導権を握ってるのはリンさんなんだよ……───それこそ、薬だって効かなかったりした」
謝罪を口にしようとしたリンさんを遮って言った。
目を瞠り固まったリンさんに見せつけるように、羽織ってたパーカーのジッパーを下ろして脱いで、その場にゆっくり落とす。
中に着てるのは薄いTシャツで、身体の芯からあふれ出す熱気を急速に逃がしていった。
「だから、確かめる必要はないでしょ」
「っ、」
「俺を、ただ、あたためて……」
リンさんの手がゆっくり伸びてきた。
俺も両腕を上げて首に手を回すと腰を抱き上げられ、密着しながらベッドに運ばれて、押し倒されるように下ろされた。
身体を支えられながらカバーを剥いで、二人で横になる。
終始無言で物音だけがする中で、一瞬キスした時だけ、無音になった。
唇が離れていく速度はとてもゆっくりで、名残惜しくてもっとしたいのに、余韻で胸がいっぱいだ。
「俺……今日は人生で一番よく眠れそう……」
「……私は眠れないかもしれません」
掛け布団をかぶり、リンさんの肌や服越しの体温に触れながら優しく背中をさすってもらうと、瞼が重くなるのを感じた。
耳元でちょっと拗ねた声を出したリンさんには、申し訳ないがくすくすと笑ってしまう。
「そしたら明日、俺が車の運転する」
「ナルに叱られますよ」
だって薬飲んでないし、きっともう、ほとんど飲まなくてもいい気がする。
それくらい幸せな気持ちでいた。
やっぱり、全部、リンさんのおかげ。
next.(おまけ)
翌日「何もなかった顔して仕事してるが昨夜恋人になった」っていうモノローグがつく。
リンさんが距離近いのは、そもそも主人公が距離近いせい。つまりりょうおもいだ(花火が上がる)
調査の合間で細やかにBL展開するのがなんかこう……ええやん……背徳的で。
Jan. 2023