I am.


Eve. おまけ


リンさんとの関係性が変わった夜が明けたが、朝は時間もなかったし、会話は必要なことだけで、手早く身支度を整えてホテルをチェックアウトした。
目的地に行くまでも、なんとなく昨日の夜のことを蒸し返すことはできなくて、どうでもいい話とか、これから行く調査の話とかをしていた。

着いたら着いたで、もっとリンさんと話をする機会は失われた。
二人きりになるなんてもってのほかで、だからこそ仕事に向き合っていたらあっという間に帰る日が来ていた。
俺だけは、調査が終わらなくても、日曜の午後には帰らないといけない。
次に会うとしたら調査が終わって帰って来たときか、来週またここに俺が来ることになる。そう言ったら皆には嫌な事を言うなと言われた。もちろん、後者にはならないだろう、どっかの誰かさんが入院とかしなければ。
「……あれ、どした?」
ベースを出て寝室に忘れ物を取りに行ってから帰ろうとしていた俺は、廊下の向こうからやって来たリンさんを見て足を止めた。
俺にとっては仕事が一足先に終わったからだろうか、気を紛らわすものが何もなくて、ついつい浮足立つ。
「仮眠?」
「いえ、」
「それとも、俺に会いに来てくれた?」
「……はい」
叫び出しそうな衝動を堪える。自分で聞いた癖にいざ肯定されると死ぬほど恥ずかしい。そして嬉しい。人が居なさそうとはいえ人の家の廊下で抱き着いてしまいそう。
最低限の動作で身悶えている俺を、リンさんは不思議そうに見ていた。
「なんか、夢みたい。実感がわかなかったし」
あの夜の出来事が日を追うごとに少しずつ薄れていたから、こうして会いにきてくれたことでまた上書きされて、実感が伴う。
「……夢にされては困ります」
「ふふっ、ごめん」
顔を顰めるほどイヤな表現だったみたいで、逆に笑ってしまった。
くすくす震えている俺に手が伸びてきて、顔に触れられる。
こんなことをするのはもちろん、俺たちが特別な間柄である証拠なわけで、夢なわけがない。
「でも、リンさんはまだ仕事あるもんな」
独り言ちるようにそういうと、リンさんの動きはちょっと止まった。
真面目なリンさんの仕事を中断させてまで、甘やかしてほしいわけじゃない。
「終わるまでおあずけだ……」
俺の顎まで滑ってきたリンさんの手をとって、親指にちゅっとキスした。
これくらいなら、しても許されるだろう。
「───終わったら、会いに行きます」
「うん、連絡して」
一瞬詰めた息をそっと吐いたリンさんは、静かに言葉を口にした。
これでちゃんと、約束と楽しみが出来た。



調査が無事に終わったと連絡が来たのは火曜日で、夜には東京に着くという。
リンさんは後片付けから三時間ちょっとの運転を経て、ナルを下ろしたその足で俺のアパート近くのパーキングに車を停める。ここに至ってからようやく、俺はリンさんにとんでもないことをさせているなと気づいて走って家を出ていった。
止めるチャンスはあったというのに、俺も浮かれていた。
「だ、大丈夫!?」
会って一番のセリフはこれだった。
俺がパーキングに行くって言ったから車のところで待っていたリンさんは、問われたことの意味が解らないのかはたりと動きを止めた。
「運転大変だったうえにこんなとこまで来させちゃった……」
萎れた俺の言い訳に、ああ、と納得したような声をあげるリンさんは、傍から見ていると全然疲れていなさそうだ。
「疲れてはいません」
「……そう……?」
疲れないわけなくないか、と思いつつもリンさんの日ごろの鉄人ぷりを見てる俺は優しい慰めに安堵してしまう。
「明日からもうオフィス行くの?」
「そうですね。今回のデータもまとめる必要がありますし」
「俺も明日は結構早めに行けると思う。授業終わるの早いんだ」
「その分、朝が早いんでしょう」
「わかる?」
夜遅い時間の人気のない駐車場なので、小さい声でならしばらく話しててもいいだろうと、握った手の指を絡ませながら恋人繋ぎを満喫する。
車に少し寄りかかって隣同士に腕をくっつけ合いながら、少しだけ肌寒いのをリンさんで暖をとった。
「……寒いですか?あとはもう眠るだけ?」
「うん。上に一枚着てくればよかったな……」
風がふっと通り抜けて、首筋が冷えた所為で肩を縮こまらせると、リンさんには寒いのを気づかれた。
シャワーを浴びてスウェット一枚の格好で出てきたことをちょっと後悔している。
「あ、いいよ、そろそろ帰ろう」
ジャケットを脱ぎかけたリンさんの腕を掴んで止めた。
人から上着を奪うのも、これ以上時間や体力を奪うのも悪いと思って。
「……部屋の前まで送っても?」
「だめ。リンさんも早く帰って休みな」
不満そうなリンさんが目で訴えてくるが、俺も笑顔で押し返した。
やがて小さく息を吐いたと思ったら、ゆっくり両手を開く。吸い込まれるように胸に抱き着くと、両腕が腰の後ろで組まれた。
「次は、ゆっくりできるところで会いたいね」
「そうしましょう」
リンさんのシャツの襟越しに首元へ頬擦りすると、腰にあった腕がゆっくり上がってきて、背中やうなじ、耳と顎をなぞった。
俺の部屋でもいいし、リンさんの部屋に行くのもいいな。
普通にデートをしてみるのもいいだろうけどあんまり想像がつかなくて、ただ二人で過ごすなら何でもいいかなと思った。
そろそろ帰らないと、と、もどかしさから抜け出してゆっくり頭を離すと顎をくいっと持ち上げられて、リンさんの方を向かされる。
甘い時間から頭が抜け出せていなかった俺は、そのまま唇が重なるのをうっとり受け入れていた。
───、いや、ここ、外だ。
「え……、っ!」
驚いた俺がぎこちなく硬直したところにまたキスされて、その緊張が唇に伝わったのか笑われる。それもまた唇を通して分かった。
角度を変えて上唇を挟むように合わせてきたので、俺は反射的に下唇で隙間を塞いだ。
そんな風にしてキスは何度も繰り返されてたけど、そのたび、口の中で舌がちゅくっと動いてしまう音がして恥ずかしくなる。
音に気づいてるのか、ただ熱が上がってきたのか、リンさんは俺の唇をかすかに舐めた。
「!、め……」
抵抗の声をあげて、唇を内側にしまい込んで噛む。
すると頬にキスをされたけど、謝られたのか、それとも不満だったのかはわからない。
「……ここじゃ、や、ぁ」
俺の泣き言をいう唇は再び塞がれた。
舌を入れたら嫌がると分かったからか、唇の感触を味わうように食まれる。
俺だって嫌がりたいわけじゃないし、リンさんが求めてくれるのが嬉しいから、本気で逃げることもできない。
結局欲望に負けて、俺もリンさんの唇をちゅうっと吸ってしまった。
そしてもう一度、と口を開けてしまいそうになって、なんとか堪える。
「っ、……さ、む」
「───、」
我に返ったのは冷たい風が吹き抜けて、俺の首や背中を冷やしたからだ。キスの興奮で汗ばんでいたのがあだとなった。
中断のタイミングがくしゃみじゃなくてよかったけど、さっきからこの寒さに逢瀬を邪魔されてばかりな気がする。
薄着で家を出てきた俺が悪いというのは棚に上げた。
「夢中になりすぎましたね」
「ほんとだよまったくもう……話聞いてくれないし……」
キスの余韻に浸れるような環境ではないこともあって、リンさんに責任転嫁をする。
「だから部屋まで送るといったのに」
「ええ……?そういう意味だったのあれ」
今度は問答無用でジャケットを羽織らされてしまったので、仕方なく腕を通した。
「───仕事が終わるまではおあずけ、でしたから」
どうやら調査の帰り際に言ったのを、律義に守っていたらしい。
あれは俺自身に対して戒めとして言ってたんだけど……。
「な、なるほど……???」
だからってここでするか、と思わないでもないが、納得することにした。
結局、俺も欲望に負けてたので。


ちなみにその日、俺はリンさんのジャケットを着たまま帰り、翌日オフィスでこっそりナルに見つからないように返すというミッションをこなした。




next.(おまけ2



前回のお話更新した後拍手で、もっとリンさんにハムハムさせて良いって言われたのでおまけ書きました。へけっ。
今後、仕事中にちょっと甘い雰囲気になったら代替案としてリンさんは親指を差し出してキスを強請る未来がありよりのあり。
SPRのみんな、特にナルがいつリンさんと主人公がデキてるって気づくかチャレンジをやりたいです……。
Jan. 2023

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