Fire. 01
(滝川視点)山をおりた時から、坊主になるつもりはなかった。
霊視はできなくなったし、世の中にいる自称霊能者の大半がペテンで、そんな世界でやってこうなんて思えなかった。
音楽の道に進みたかったし、仕事にありつく機会もめぐってきた。その傍らで、どうしても心霊現象の噂や依頼が舞い込んでくる。元坊主だっていうのは隠してなかったからだ。
大した能力ないのに除霊が出来るとのたまう大嘘付きは嫌いだし、他の連中にそんな話を持っていって損させるくらいなら、いっちょ俺が一肌ぬごうじゃねーの。……そういう感じで引き受けていたらすっかり副業になってしまっていた。
その日も音楽関係者から相談されてとあるライブハウスにやって来た。なにやら原因不明の音響故障があるらしく見て欲しいってもんだった。
霊の影響で機械に異変が起こるのはよくあることで、地縛霊でもいるのではないかとあたりをつける。
階段を降りて地下へ行くにつれて、楽器の音が聴こえてくる。
「れ?開店前じゃなかったか?」
「あー、練習にときどき貸してるんですよ」
「へえ、そんなんやってんだ」
「一人だけ、特別ってことになってるんで、他の人にはオフレコ頼んます」
珍しげにした俺に、案内のスタッフが苦笑した。借りてるのは元々、繁忙期だけバイトに来てくれる子で、マネージャーやスタッフにも可愛がられているし、掃除もしてってくれる。つまり誰にでも貸してるわけじゃない。
もとよりそんな気は無いが、言いふらしていいもんじゃないなと頷く。
「今日のことも言ってあるんで、ノリオさん顔だしたら帰ると思うから───」
スタッフが俺の方を振り向きながら分厚いドアを開けた。
途端に大きくなるギターの音。開けるまでくぐもって聞き取れなかった歌声がクリアに耳に入って来た。
「じゃん」
「あ、知ってます?」
思わず名前をつぶやくとスタッフは笑った。先ほどの苦笑いとは違い、つい溢れてしまったような、嬉しそうな顔だった。
がらんとした店内のステージに立つと、椅子に座ってそれを見ている一人の男。おそらくマネージャーであり依頼人だ。
俺が入って来たことに気づいて、は演奏をやめ、マネージャーの金巻さんは立ち上がる。
「ノリくん!」
どうもと声をあげかけた金巻さんを遮るように、がギターを抱えてぶんぶん手を振った。
演奏中や歌ってるところはイカすのに、こういうところが子犬っぽいんだよな。
依頼について聞いてたらしいは、俺がきた途端に帰ろうとした。それをまあまあ、と引き留めると口を尖らせる。
「大丈夫かなあ、大丈夫か」
斜め上を見るようにして自問自答するようなそぶりを見せた。
実際そこにはジーンがいるのだろう。
ナルが日本に来て麻衣やと会った時、ジーンも同様にと出会っていた。波長があうことと、が霊媒体質であったために接触を図り、その付き合いは今も続いている。
出会って、もう二年近く経っているはずだ。
心配っちゃあ心配だが、どうしようもないっちゃあどうしようもない。
とジーンに限ってヘンな事態にはならないだろう。ナルもずっとほっとくわけないし。
そういうわけで俺たちは今の所と見えない友人ジーンについては静観しているところがある。
「おまえらがいてくれりゃ、仕事もスムーズにいくだろうし。バイト代出すから」
「別にいーけど……俺何したらいいのかな」
「今、どうよ。いるか?」
が帰らないのに店の関係者は困惑してたが、俺と顔見知りで今までも手伝ってもらっていたと聞くと納得できたようだった。
「いるよ」
「えっ」
あっさりのたまうに金巻さんは身をこわばらせた。
きょろきょろと辺りを見回すが、もちろん金巻さんに霊の姿は見えないはずだ。
「マネージャーと一緒に俺の練習見てたよ」
「ええ〜……」
「あ。っつかお前、前からその霊のこと知ってたんだろ」
俺はそのことに思い至って指をさした。そしてその指に、自分の指をさしてそらすはにっこり笑って肯定の意思表示をした。
「演奏が気になるのか?その霊は」
「そうみたい。前はここに通ってたんじゃないかなあ。二十代そこそこの男の人なんだけど、赤い髪で……」
「あっ……!」
「金巻さん?……なんか知ってるんですか」
「7〜8年くらい前、よくここでライブしてたバンドの一人が交通事故で亡くなってる」
金巻さん自身はまだ見習いでホールスタッフをしていたそうだが、何度か顔を合わせていたそうだ。
その思い当たる人物の名前までは覚えていないけど、赤い髪の毛をトレードマークにしたギターの男で、彼はライブのある日にここへくる途中車に轢かれて帰らぬ人となった。
「心残りがあったのか……気づいてないのか」
「気づいてないね。自分の出番を待ってる」
俺のつぶやきに答えるの言葉で、少しだけ胸が痛くなる。
「俺もここで練習したりライブするとき、たまに見かけるけど……話したことはないんだよね」
「通じなそうか?」
「んーいや、どうだろ、試したことなかっただけ。やっぱり気合い入れてかないとだし、簡単に話しかけようとは思わないから」
「そだな」
金巻さんは昔いたスタッフや知り合いに連絡を取ってみる、と言って事務所の方へ行った。
少しでも霊の身元がわかればとっかかりができるだろう。
はステージにあぐらをかいて座り、練習の時からぶら下げたままのギターをじっと見つめる。
「慌ててここに来たんだろうな、それで歌わなきゃ、歌いたいって気持ちが強いんだと思う。でも出番はまわってこないし、自分がそれ以外の何をするのかもわからないから思考を囚われてるんだ」
弦を撫でながら、の語る霊の思考を聞く。
伏せていた瞼がゆっくり開かれて、双眸が俺を見た。
「その人が満足いく方法、たぶんわかるなあ俺」
俺にもその方法がわかっていた。
金巻さんが、一枚の写真を持って戻って来た。そこにはバンドのメンバーと思われる数人がうつっていて、一人赤い髪の毛をした男の姿がある。はあっと声をあげて、この人であると頷いた。
名前は岡本駿一、通称シュン。所属していたバンドは彼の死後に解散している。
正体がわかるので俺が祓う手もあるが、普段自分から霊能者らしいことをやりたがらないくせに、はこの時ばかりはやらせてと懇願してきた。
「そりゃいいんだけどよ……俺が来た意味なくねー?」
「まあ成功するとは限らないので、最終的にはノリくんに頼むって」
「気をつけろよー。でどうする?ベースいる?あとは……金巻さんドラムできる人います?メンバー的にはキーボードもいたほうがいいのか?」
「いいよ一人で。シュンさんギター兼ヴォーカルでしょ?」
「あ、いや、うん?」
金巻さんがぎこちなく頷く。これから何が始まるのか、いまいちわかっていない風だ。
「俺がシュンさんに身体かします。で、演奏するなり歌うなりしてもらうんで」
その様子を察したが笑って、なんてことのないように言った。
圧倒されたような、心配するような目線が俺との間を泳ぐ。
「失敗したり、満足しなかったら、ノリくんが祈祷するから。ね」
「おー、まかせなさい」
のんきなにつられたのか、元々の性分なのか、俺ものんきに意気込んだら金巻さんに殊更心配そうな顔をされてしまった。
それでも全員なんだかんだ、シュンさんの無念もわかってしまって、結局の提案に賭ける方向にいる。
店内はライブをする時と同じように暗くして、ステージにライトを当てた。
マイクスタンドの前に立つのは一人だけだ。
客席には俺がいつでも祈祷を始められるように座っていた。金巻さんは俺の斜め右後ろにいる。
普段シュンさんが味わっていたライブとは違うだろうが、今日このステージに立つのは魅力的に感じるはずだ。
の音にはその価値があり、歌には光がある。
霊が上を向くにはもってこいの、言葉にできない説得力がある。
シュンさんの望みはおそらく再びステージに立って音楽をすることだから、歌を聴くのとはまたちがうが、同じところに立つのはさぞかし気持ちの良いことだろう。俺が保証する。
「───さ。歌おうか」
マイクに声を乗せたの声はいつもと変わらなくて、ギターの音も、歌い始めた声もそうだった。
しかし途中で、異変が起こる。一瞬だけ電気が落ちたのだ。そして、キインと高音がなり、また元どおりのステージになった。
ステージにいるのが、一瞬だけ赤髪の男に見えた気がした。
はおもむろにマイクを掴んで立て直し、歌を再開させた。その時にはもう、先ほどまで演奏されていた曲ではなくなっていた。
「シュンさんてさ、腕はどうだったんですか」
「ギターも歌もうまかったですよ」
金巻さんと身を寄せ合って話をする。
今のは、普段のとは声の出し方も、伸ばすときの癖も、息遣いも違う。
叫ぶようにして歌いきった後、アウトロをギターだけが奏でる。
そして余韻を残して静かになったステージを、俺は慎重にみやった。
は汗を拭って、息を整えて、マイクを掴んだ。
「サンキュー」
ふっと息を吹き込むような、安堵の滲む感謝の言葉を最後に、腕がだらりと落ちる。
途端にふらつく体を支えに駆け寄って、倒れこんで来たを支える。掴まる元気はあるようで、なんとか自分の足でステージからおりた。
どうやら憑依に成功して、解けたようだ。
next.
ぼーさんと!
本編後くらいの時間軸です。
April 2019