I am.


Fire. 05

(滝川視点)
がうちに入り浸るようになったのは三年生になる少し前くらいのことで、春が終わり夏が終わり、気づけば部屋にはの私物が至る所にあった。
歯ブラシ、タオル、寝間着に下着に靴下に私服。本人がいない時でも靴が一足あるくらいだ。
買ってきたCDも読みかけの雑誌も、学校からもらってきたプリントも、家に持ち帰らず当然のようにうちにあった。

───それを見つけたのはたまたまで、ベッドにもたれかかって座った時、手を置いた指先にベッドの下からはみ出た白い三角があった。引っ張り出して見ると、それは進路に関するプリントだった。日付を見たら新学期始まってすぐに配られたもので、もう二ヶ月近く経っている。
下部分に希望進路を書く欄が用意されて、切り取って提出することになっていた。
俺がプリントをまじまじと眺めていることにも気づかず、隣でギターのチューニングをしているは、声をかけてようやく顔を上げた。
「あ、それ、そこにあったんだ」
あっけからんとした物言いに、おそらく新しく書類をもらい直して提出したのだろうとわかる。

その流れで、そういえば受験勉強や就職活動をせずにうちに居るの存在に違和感を覚えた。
高校を卒業して十年近く経つと、学生がいつからどんな行動に出てたのか、ってのはわかんなくなるもんで。
もしや音楽一本で頑張るのか、と淡い期待のような不安のようなものを抱きながら、恐る恐るそういえば進路は、と聞いた。
は手を止めた。そして少しだけ考えた。
イギリスに留学する、とうつむき気味に囁いて、再び手を動かした。
「な、なんで?」
音楽やんのか、洋楽好きだから英語勉強すんのか、ジーンがいるからか、霊媒としてナルやSPRに誘われてんのか、色々と思い当たる節がありすぎて逆に留学する意味がわからずに聞いた。
「ナルっていうか森さんに誘われて」
「あ、そう」
「ジーンを連れて一度イギリスに行きたいと思ってたし、そのことを相談したらナルが家に招待してくれて」
「うわ、想像できねえ……けどそうだよな、お父さんお母さんに紹介するか」
「うん。前から俺の話はいってて、会ってみたいって言われてたんだよね」
ナルが自宅にを招待っていう響きがすごく変な感じだが、よくよく考えればおかしなことではない。
「ちょうどいいから向こうの調査に参加してみてほしいって、ナルと森さんが相談した結果そうなって、ホームステイして語学留学でもするのはどうだろ?となったわけだ」
「ずるずる期間引っ張られてんじゃねーか」
「でも全部費用あっちもちで、学校もいけるんだぜ、うぃんうぃん」
チューニング中ののこめかみを軽くど突く。
「……どんくらい行くんだよ」
「最低一年かな」
学校は一年間、それでもが向こうに興味を持ったらSPRに本格的に勧誘されて、長く帰って来ない可能性もあった。
弦を一本一本弾いていた音が止んだと思えば、手慣らすように複数の弦を弾き、軽く音楽を奏でた。どうやら確認作業は終わったらしく、ゆっくりと響いた音を優しく押し止めた。


ある日の帰り際、は一足靴を袋に入れて持ち帰ろうとしていた。履いてきた靴があるため、いつかはそうするか、古い方を一足捨てなければならなかったが、やっぱりそっちの方法をとったか。
些細な回収だったが、ああ、荷物を減らしてんだな、というのがわかった。
それから少しずつ物が減って行くのを感じる。実際にはよくわからないんだが、が下着以外は全て俺の服を着てるのも見かけるようになった。つまりは、着替えももうほとんど持って帰ったんだろう。
いつか全部なくなって、鍵を返されて、が来なくなる日がくるのだと思うと、喉の奥、いや肚の奥から苦い味が広がる。
出発日はもう決まっていて、こっちの色々な申請も、向こうの入学手続きも終わっていた。
あとは呑気に卒業式を待てばいいだけの話である。

そんな折、幸か不幸かうちのいまいちなヴォーカルが風邪を拗らせて肺炎で入院したことにより、が一時的に俺のバンドに加入してくれることになった。これは最後のご褒美かなんかか。
バンドのメンバーものことは元から気に入っていたが、ライブが成功してさらにハマって、本格的にうちのバンドに入らないかという話になったが、もちろんそれは無理な話で、留学することを理由に断っていた。
でも練習中に、音楽はずっとやっていこうかなと呟いていたので、それが少し心の救いだ。

遠くにいても、が歌ってるって思えば乗り切れそうだ。
俺が一人で練習するときにの音色を思い出そう。
声はいつだって脳裏に響いてる。
声変わり前の中性的で、天使のような柔らかい歌声だって、声変わりをして低くなった艶やかで甘い歌声だって。
荷物のなくなった部屋には、俺の吸っていた煙草を燻らせればがいるみたいな気分になれる。───たまにしか吸わない自分のタバコの消費はの方がはるかに多く、もうの匂いになっていたのだ。
最後の一本に、シガレットキスで火を灯した時の、燃えるような感情と熱、距離、歌以外で呼吸を合わせた感覚もすべて反芻できる。
はタバコをやめるといったが、今後は俺の方が増えることになるだろうと予感していた。


「そだ鍵」
「ん?あー……」
俺の家を出る、最後の日が来てしまった。
飛行機は明日の便で、はこれから家に帰って、家から出発することになっていた。
身体一つ部屋を出て、鍵を返せば終わりになる。
「返した方がいいよね」
靴を履いてドアの前に立ち、振り向いたは鍵をポケットから出す。それはまだ、麻衣と住む家の鍵と、実家の鍵と一緒につけられている。
ブサイクな犬のキーホルダーを指にひっかけて、ぶらりと鍵をゆらした。
俺はにてのひらを出して、外すのを待つが、どうも外そうとしない手を見て顔を覗き込む。
すると、すべての鍵を握りしめて、俺を見た。
「できれば、持って行きたいんだけど……だめ?」
「いいよ、持ってけ」
思わず腕に閉じ込めた。
留学と同時に麻衣は引っ越して小さい部屋を借りるそうだから、鍵を回収されるのだとぼやいていた。帰る家がなくなる……とか。実家の鍵もあるが、それだけじゃ心もとないってことだろう。
それでも俺の家の鍵を持って行ってくれるならと喜ぶ俺がいた。
頬に耳をつけて鼻先を首筋によせた。の鍵を握っていた手は俺の背中に回った。くすくす笑ってるようで揺れていた。
もうからはタバコの匂いはしない。あれだけ勝手に吸っといて、あっさり辞められるもんなのか甚だ疑問だが、本当に匂いがしない。
だから抱きしめた時に香るのは俺からするタバコの匂いだろう。
移れ、染み付け、とばかりにすり寄った。背中はあやすようにリズミカルに叩かれたが、最後に一瞬シャツを握りしめられるような爪を立てられるような感触がした。
はあ、と詰めていた息をこぼすみたいな音が、肩に飲まれる。
抱きしめてるのでどんな顔をしてるのかわからなかったが、しばらく動けそうになかった。
「そろそろ行かないとね」
どれくらいそうしていたのかわからないが、けして長い時間ではなかった。しかしとても蜜な時間に感じた。それは俺だけだろうか。
はあっけからんとした声で、俺に言い聞かせるようにして体を引き剥がす。
あの口ぶり、ジーンがそろそろとでも言いかけたのか。
今までも時折、俺といても俺じゃないやつと話していることがあった。そりゃ守護霊がつきっきりなんだから仕方がないけど、こう言う時は邪魔すんなよって思ってしまう。
「早く帰ってこいよ、さびしーから」
「ん、わかった」
それでもジーンの存在を煩わしく思うのは愚かに思えて、やり場のない嫉妬心をひそめた。
抱きしめて頬をくすぐって匂いをつけられるのは俺だけだと思うようにして。


「───あんだって?」
『おじーちゃん、耳遠くなった?』
「そうじゃねーよ」
この歳になるとがいなくたって一年なんてすぐ、すぐ、と思いながら毎日毎日じりじり過ごしてた。すぐじゃなかったと思うけど、そろそろ一年が経つと思えば待っていた期間に溜め込んだ憂鬱なんてかなぐり捨てて、心は浮上するもんだ。
しかし、一年間の学業が修了したという知らせとともに聞いたのは、留学延長のお知らせだ。
まだイギリスいるから〜っていうかアメリカにも行くんで〜とのたまうに、俺は素っ頓狂なでかい声で聞き返した。
電話口のは変わらない様子で笑っている。
『アハハ、いやあ色々とジーンを連れ回してみようかと思って』
なんの報告もないからそうだと思ってたが、やはりジーンはまだのそばにいるらしい。
『色々頑張ったご褒美もらってさー。だからぶらぶらしてくる』
フィールドワーク研究の一環だったり、実験協力だったりで、は報酬をもらったらしい。
学校に通ってそれなりに英語力も身についたようだし、その流れでしばらく色々なところを見てくるのも手だろう。
それを邪魔したいとは思わないが。
『ジーンとニルヴァーナのゆかりの地を巡りたい。アバディーンとか……』
「同列にすんなよ」
『じゃあついでにする』
果たしてどっちがついでになるのか。
『大丈夫大丈夫、ちゃんと自分のしたいこと優先するからさ!』
多分これはジーンに対して答えてるんだろう。
口ではそう言ってるが、きっと旅をするのはジーンのために違いない。は自由奔放でいて、友達や家族思いの男だ。
俺はタバコを口に挟んで火をつけた。赤く滲むように灯る先を見つめ、やがて白い煙が上がるのを待つ。
重みや香りが、口内から肺を巡った。
『あ。タバコ吸ってんな』
「んー」
火を灯す音が聞こえたらしいの指摘にのんびりと返事をしながら、タバコを指に挟んで膝の上に手首を置いた。
『いいなあ、俺もほしい』
心から寂しがるような声だった。



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流れが早いのは私のいつもの手口なので、ご愛嬌です。
会えない(書いてない)時間が二人の愛を育ててる。
どうでもいいこというと、私セリフで場面転換する癖がある。

April 2019

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