Hope. 01
※Friend.→.i am→27-CLUB.→Ray.の順番です。「なんかあったのか」
久しぶりにかつてのバイト先に顔を出して、少し話をした後、滝川につれだされて飲み屋に寄った修は、グラスにゆっくりと口をつけながら苦笑する。
おそらく、オフィスで楽しく会話をしていた際、ふいに言葉を失い顔を抑えて動けなくなったことについて、問うているのだろう。
同じオフィスでアルバイトをしている麻衣が大口を開けて笑っていて、ジョンも一緒に隣で微笑んでいた。綾子や滝川はあきれた顔をして、それでも親が子を見るような優しい目をして彼女を見守っていた。その場にいた修も楽しいと思ったし、会話に混ざっていた筈なのに声が出なくなった。嗚咽を零しそうになって、小さく息を詰めたのだ。
「滝川さんも以前、僕が入院したとき会った事ありましたよね、僕の友人に」
「ん?ああ……やけに勘がいいとかいう、なんか麻衣に似た感じの」
「やっぱりそう思います?」
修が入院したのは一度だけで、わざわざ石川まで見舞いに来た友人は彼だけだった。
「なんとなく似てるんですよね、ほんと。どこがどうとかじゃなくて」
「そうだなー、俺もちらっと思っただけだけどさ。んで?」
焼酎のはいったグラスを傾けながら回す滝川は、小さく笑ってこっちを見た。
「亡くなりました、少し前」
修の言葉に息を呑んだ。手首はかたまり、目は見開かれ、薄い唇は結ばれる。
言葉にできていたかどうかわからなかったが、滝川の反応で声に出ていた事を確認した。
なんで、どうして、と言いたげな、言葉にならない問いかけがあって、グラスを置いてテーブルの木目を見つめる。
彼は癌だった。調子が悪くて病院へいったらそう申告されて、余命がいくばくもないと、同時に知ったそうだ。若い故に進行もはやく、痛みや不調を和らげるだけの薬を処方された。
修がいつも学校帰りによく行く地元駅前のカフェでバイトをし続けていたくせに、通っていた大学はあっさり辞めていた。
修と会うために、元気だというために、バイトだけは続けていたのだろう。
実際彼は病気の事をよく隠して来た。亡くなったと報せを受けるまで、修は病気の事も、最後のひと月は入院していた事も知らなかった。
近隣に住む同級生の多くが訃報を知り、葬儀に参列した。
修は家族全員で彼に別れの挨拶をしにいった。
手紙を一通残していたらしく、彼の母から受け取った。内容は病気を隠していたことを謝るものだった。怖くて言えなかった、という文字を見て涙が出た。
彼は何が怖かったと言うのだ。病気であると口にすることか、修に知られることか、気を使われ悲しまれる未来か、何が、怖かったのか。せめてその怖さを共有させてほしいと思ったがもう遅い。
虚しい気持ちと、思い出せる彼の笑顔しか修はわからなかった。
辛い思いをしていた彼を何一つ知らない。
修はそれこそが恐ろしくてたまらない気持ちになった。
麻衣の前では堪えた涙がこぼれた。滝川は数回背中を叩いた後は何も聞かず見ないふりをする。
誰にも言わないでくれと口止めするまでもなく、滝川は言わないだろう。
麻衣には普段通りにしていてほしいし、それこそ彼と似ている姿と重なる。辛くなど無い。幸せな事だから涙が出そうになったのだ。
いつもより言葉少なに店を出た。
「僕はまた、にあえるかな……滝川さん」
滝川は外のネオンを眩しそうに見る。
「あえるんじゃねーかな、と俺は思うけどな」
仕事上の含みも何も無く、簡単なことのように希望を肯定されて、修は小さく笑った。
その日の晩、夢を見た。
初めてオフィスに依頼に行った日、だと漠然と思う。修はもう何年も着ていない詰襟を身に纏い、渋谷の人混みを歩いていた。目的地の、品の良いドアを開けるとベルが鳴る。中にはセーラー服姿の麻衣の後ろ姿があり、ゆっくりと振り向いた。
おずおずとかける声に対し、顔をぱっと花やがせる。
「あ、ご依頼ですか?」
修は一瞬驚いてしまう。麻衣はそのものだった。
常々麻衣とはどこか似ていると思っていたが、こんな風に重なってしまうとは思わなかった。
夢だからなのか、彼女が麻衣であってであるのだと素直に受け止める。記憶の通りに物事は進むし、と麻衣は同じようなことをして世界に馴染んだ。
時々見せるらしい一面に修は胸が温まるのを感じる。
麻衣のようにベースでうたた寝をしているけれど、寝顔は全くのそのものだ。机に顔をくっつけて、ふにゃりと歪んだ顔を眺める。
修はふと、額になにか汚れがついているように見えて前髪を梳く。長めの髪をどかせばそこには、普段ないような印が出来ていた。霊感というものはないはずなのに、それは普通に見えるものではないと理解する。
覗き込んでいた修をよそに目を覚ましたは、顔を上げる。もうそこに印はなかった。
それ以降は特に問題も無く事態は進む。記憶よりも手っ取り早く事が済んだように思うのは麻衣がだからかもしれない。やっぱりには、人には分からない事が分かる力があるのだと思う。そしてよく不幸な目に遭う人だと思った。
麻衣だったらならない事態に陥る。よく怪我をするようだし、しまいには攫われるのだ。
前のはそこまでトラブルメーカーではなかったはずだった。
とにかくずっと、この夢を見ていたかった。
麻衣には悪いがが生きて楽しそうに笑って、元気にしているのだ。一晩の夢のはずが修の体感ではもう何年も一緒に居た。彼は女装を辞めてと名乗り、大学に通っていた。前は中退してしまったけれど無事卒業して就職も決まった。
一緒にお酒を飲みに行くのも、社会人として元気に仕事をしているのも、見る事は無いと思っていた姿だ。
ただし現実は、夢は、長く続かないもので、は死んだ。
今度は事故だった。まさか訃報を知らされるところまで夢で見せることはないのにと、夢を恨む。しかし結局夢だから、の死を拭えない自分が悪いのかもしれないけれど。
なんて悪い夢だ———。そう思いながら頭を抱えた。
少女の金切り声を聞いて目を覚ました。
ベッドに寝ていた修は飛び起きて、同じく部屋に居たジョンと滝川の顔を見る。
ホテルのようで、しかしどこか古びた一室は、かつて調査で訪れた美山邸だとわかった。そして悲鳴の主は麻衣であって、おそらくじゃないということも。
麻衣の元へかけつけると、取り乱しながらの名前が繰り返された。
「失礼します」
どうしたものか、と皆が困惑する中聞こえて来た声に修は胸をふるわせた。
ああ、また声が聞けた。と。
少しあどけなさを残した懐かしい声だけれど、紛れも無く自分の知る彼の声だった。
「ど、して」
「すっごい叫び声がしたけど、怖い夢でもみたか?姉ちゃん」
「なんでがいるの……?」
は麻衣のベッドに腰掛けて、紅茶を差し出した。
運命なのか、彼は相変わらず不運なようでまたしても浦戸に攫われるはめになった。
一刻も早く壁を壊すべきだと思ったが条件や情報が揃っていないため、修は所長の代役でありながら美山邸を後にした。自分に一番出来る事は情報収集しかなかったからだ。
攫われた事こそ不運ではあったが、彼は調査では死ぬ筈が無いと、不思議と自信をもって断言できる。
いつももっとどうしようもなく、思いがけなく、彼は死んでしまうのだ。
救出されたは泣いてる麻衣をよしよしと撫でて、後部座席に座っていた。
今度のはバンド活動に精をだしているらしく、偶然にも滝川がかけた曲が彼の昔ネットに流した歌だったと判明し、意外な事実に笑みがこぼれる。は歌がうまくて、よくカラオケに誘われていたなと思い出した。
「そういやこのバンドメンバーはいまどうしてんだ?……あれ、?」
「あ、あの、寝てはります、さんも」
麻衣は泣き疲れて先に眠っていたのだが、滝川の問いにいつのまにか答えなくなっていたもそのようだった。
ジョンが控えめに、けれど慌てて答えた。
修は振り向いて、双子が寄り添って眠っているのを見る。ふと、眠るの前髪の隙間に何かがあるのが見えた。血は落として来た筈だったのにと思いながら腕を伸ばす。
「どうかしはりました?」
「———いや、なんか汚れが見えた気がしたんですが……」
前髪を退けて額を見ると、また印が見えた。前と同じように、けれど違う数字が浮かび上がっている。
修以外誰も見えている様子はないし、が眠っている時にしか見えなかったものだ。
前の印は、が死んだ年齢をうつしていたと、今になって思う。
カウントダウンが始まった気がした。
このときのは非常に質の良い霊媒体質だった。それからナルの双子の兄であるジーンが麻衣ではなく彼に助言し指導霊となっていた。いわゆる成仏、というものが出来ないでいるらしいジーンに付き合うように、彼は頻繁に渋谷サイキックリサーチの調査に同行するようになった。
ナルは日本で心霊現象を調査するべくオフィスを置き続けるのだが、麻衣とが大学を卒業して就職するとなると消極的になる。人手が足りないということもあるのだろうし、ある程度データを収集し終えたということにもなるのだろう。
もしかしたら両親のいない双子を思う、ナルの親切なのかもしれない、という点は調査に参加する同業者の間では稀に議論になるが、本意は一向に分からないままだ。
とうとうナル達がイギリスに帰る事が決まったそうだが、修はがイギリスに誘われていることを麻衣から聞いて知った。
「え、どういうこと?」
「ほら、って結構貴重な霊媒みたいだから……見てみてほしい案件があるんだって」
「くんはなんだって?」
「んー、まだジーンが傍に居るらしいから、もともとイギリスに一度は行く気だったみたい」
「あ、正式にSPRに入ったり、霊媒として霊能者になるとかじゃないんだ」
「森さん的には推薦してもいいみたいなんだけどお」
あたしのこと心配してるのかも、と麻衣は小さな声で言う。
とにかくナルの誘いに乗って卒業後はSPRで調査員をするが、正式に入る気はほとんどないそうだ。
じゃーいってきまーす、と間延びした挨拶をして旅立ったは、二年後に日本に帰って来た。
「ジーンは無事に逝けたよ」
帰って来た理由としてはそれが一番のようだ。そもそも、イギリスに行った一番の理由がそうだったのだが。
修は麻衣ともともまめに連絡を取っていたため帰って来たを空港で出迎えたし、その日は一緒に食事をとった。
東京で就職をして一人暮らしをしている修の部屋に、を泊める約束もしていた。
夜中に水を飲もうとして起きた修は、眠るを見下ろす。彼の額にある不幸を予言する印は、イギリスに行く前に消えていたというのに、再び現れていた。
あの時、安心して見送った筈だった。
薄暗い中、のそばに跪いて茫然とする。
寝顔を見る事など滅多に無いが、ナルについてイギリスに行く前だけは彼に死の予言はなかったはずだ。
「———そうか……」
ゆっくりと理解して、自分の額を抑えた。
前回、事故で息を引き取る前に通行人が彼の最後の言葉を聞いたと、修は又聞きした。それが『ナル』だった。
彼らがどういう関係だったのか、どれほどの絆だったのか、いまいち分からなかったがはきっとナルと関わる道を歩まなければならないのだ。
これが夢ならば、どれ程良いか。
けれど修はもう夢ではない事を知っていた。
の血を止めようと躍起になった。汗と涙がこぼれて、におちた。はどんどん呼吸が薄くなってゆく。動かなくなったの顔をさいごに、修の視界も真っ暗になった。
再び浮かんだ印の年齢どおりに、は死んだ。
修が目を覚ますと朝だった。自分が若返った事や今どういう立場に居るかなんてどうでも良い。ただの死を見た後の目覚めは、最悪だった。
すぐにここが実家であることを理解する。年月日的には、高校をこの間卒業したばかりだ。
ふと、渋谷のオフィスに顔を出す予定を思い出す。美山邸の調査で所長の代役をして欲しいと言われていたのだ。
オフィスには麻衣がいた。
そして、ジーンがいた。
驚かないようにつとめて、普段通りに行動する。の姿はどこにもなく、安心したような、けれど寂しいような気持ちを抱いたまま長野へ向かった。
赤毛と紫の目をした、今までで一番大人になったを見る事になるのは、数時間後だ。
まるで自分の事を知っているかのように懐っこいは、年齢を重ねていてもかわらなかった。
けれど記憶があるわけではなく、修は下の名前で呼ばれない。しかし生きているだけで嬉しいので気にしないことにした。
何度も繰り返して、正気を保てるのはやはりに会えるからなのだと思う。
ここでのは、ナルとジーンの義理の兄だった。イギリス人で、家族だ。離れることはないだろう。どの程度傍にいないといけないのかわからないが、おそらく大丈夫だと修は思った。
彼の勤める大学に遊びに行った時、うたた寝をしているのを見かけたけれどその額はまっさらで、綺麗なものだった。
———よかった、これでずっと、が生きられる。
そう思ったのも束の間だった。
彼が死ぬまでもなく修の世界は暗転していた。
修はまたしても若返り、いつもと違う朝を迎えていた。
ベッドの下のフローリングには布団がそのまま敷かれていて、幼いがぷうぷうと寝息を立てて眠っている。
小学校六年生の夏休み───今日は、初めてが修の家に泊まりに来た日だ。
カレンダーに丸が付けられていて理解する。
の額には、数字があった。
「……18……」
声変わりしていない自分の声を、久々に聞いた。
「むえ」
「ひどいな……」
鼻を摘んで、を起こしにかかる。その絶望的なまでに小さな数字を見ていたくなかった。
next
安原さんは霊感とか皆無なのが良いんだけど、あえて不思議体験もさせたいという。
この話を書くきっかけは、何気なく、この主人公GHでの幸薄さすごいな、またしても早死にしそう……と思ったからです。ナルの傍に居るときはなんか大丈夫そう(世界の中心的な意味で)って思ったので、その事に気づく安原さんを書くつもりで。幼馴染みスタートなのは闇だし、そもそも希望のない話として考えていまして、ここで終わる予定だったんですが続きます。
Mar 2017