Hope. 02
修は最初、と特別仲が良かったわけではなかった。同じ地区に住む、同じ歳の子供が他にも数人つるんでいた。大きくなるにつれて周囲の仲間達が外れて行くのを見送っていたらああなったのだ。修が戻って来た事に気づいたとき、まだ小学校六年生だったのでクラスメイトの数人もよく一緒に遊んでいた。泊まったのがだけだったのは、たまたまの両親が親戚の結婚式に出る事になって遠出するため、母親同士が話し合って決まったのだ。
普段は妹も居たので、友人と自分の家で遊ぶ事はめったになく、おそらくを部屋に入れたのもこのときが初めてだろう。
前述したとおりきっかけなどなく、中学ではと修はよく一緒にいるようになった。修は今では意図しての傍にいくようになったが、不自然なことは何も無い。も当然のように修を受け入れたし、クラスメイトで部活動に入っていなかった二人は、修の委員会がある日以外は毎日一緒に帰っていた。
「さ、宿題済ませちゃおうか」
「はーい、ママ〜」
課題が出ると、修はの家に寄ってから帰る。いつものようにリビングのテーブルで、が入れて来たお茶をはじに寄せてノートを取り出す。
は修の宿題を写すという発想に至らない人だった。真面目に問題を解くし、わからないことがあったら素直に修に訊ねる。教えた事をちゃんと守って再び机に向かい、にっこり笑ってできたよと見せてくるのだ。
「終わった?」
「まだ、あとちょっと。修は早いなあ相変わらず」
数学は比較的得意らしいが、修よりもゆっくりと、は数式を読み解いていた。シャープペンがノートの上を滑るのを眺め、順調であることを察する。
「って字薄いよね、筆圧弱い?」
「あー?HBだからじゃないの」
「僕もそうだけど」
「うそだろ、お前……うそだろ」
問題を解いているせいか、おざなりな言葉が返ってきた。
修の書く字を想像して言っているであろうことは分かる。特別自分の字が濃いと思ったことはないが、同じ濃度の芯を使っているとは思えない程、二人の文字の濃さは違う。
「もっと文字にやる気だしなよ、読めなくて欠点くらってもしらないよ」
「かーちゃん、俺いま宿題してるから」
「早く終わらせて。そしたらおやつにしましょ」
「それ俺んちのおやつだろ」
間違えたらしく消しゴムをかけながら、は笑う。
修はいつもの宿題を見ているので、の母親からおやつをしょっちゅう貰うし、どこに入っているかも聞いている。宿題終わったら食べなさいね、ということだ。
「だってうちの冷蔵庫開けてお茶飲むじゃないか」
「おう、切らしたら新しいのも作ってる。……終わったよママ〜」
「はいはい、じゃあおやつ持ってきましょうかね」
笑いながら立つ修の背後で、はリビングのテレビをつけた。
ワイドショーを聞きながら、菓子類が入っている戸棚を開けて見繕う。の好きなものと修の好きなものがいくつか入っていて、今日はの好きなものを手に戻った。
「そういや修さあ」
「うん?」
袋をあけて、がだらりと座るソファの隣に腰掛けた。
「志望校どこ」
「緑陵高校だけど」
「だよね?やっぱり?」
は背もたれに頭まで預けていたのを、起き上がって詰め寄ってくる。のけぞりながらそれがどうしたのかと聞くと、乱暴に菓子の袋に手を突っ込んで来た。
「おまえ、俺のおかんに何か言ったろ」
「何か……言ったっけ?どうして?」
「俺の志望校緑陵だと思ってんだけど、おかんもおとんも」
「ああ!」
ぽん、と手をたたくとは恨めしそうにこちらを睨め付けた。
修は先日の母親と会った際に、志望校を聞かれて答えただけだ。幼い頃から長く一緒にいるせいか、の母親は深く考えずにそう思ったのだろう。
修はまだ、その話はしていなかった。
「———あのさ、一緒に緑陵高校行こうよ、」
「え?むりむりむりむり、偏差値たんないよ」
「まだ一年あるから、今から頑張れば行けるよ。実際、前より成績上がってるしね」
今度はがのけぞった。ぶんぶん振られるの手を軽く掴んで説得する。甲斐甲斐しく宿題を見ていたのはこのためだ。本当なら放っておいても、の成績は悪くないし本来の志望校にだって受かる。
最初から緑陵高校に誘うつもりだったのだ。
そうしないと、眠るの額に浮かぶ十八の数字は消えない。
他の人生では名門大学を卒業して大学の助教授にまでなっていたのだ、ポテンシャルはきっと高いはずだ。現に中学の一年間で成績はぐんとあがったし、今はクラスでも上位にはいっている。学年ではまだ上位とは言い難いが、なんとかなると修は踏んでいる。
「俺の成績があがったのは、修がひっぱってきたからだろ?」
「受験対策もしっかり手を引くよ」
「進学校でやってけるかもわかんないし」
「同じ学校じゃないか」
「修に頼れって?いつまでも手を引いてもらって、それじゃ本当にママになっちゃうぞ」
「……だめ?」
ぎゅっと手を握ると、は静かになった。
困ったような顔をして、目をそらす。洗剤のCMがやけに大きく、リビングに響いた。
「———なんだろうなあ、修が一緒なら行けそうな気もするよ」
は修をまるで母親だとからかうが、の方が子供を見る大人の目をしていた。
「修がこんなに寂しんぼさんだったとはな」
「知らなかった?僕は結構寂しがりやなんだよ」
緑陵高校の合格通知が二人の元に届き、中学校に報告に行く道すがらは、修のおかげだなあ、と笑った。勉強を見てやったのはたしかだが、毎日文句を言わずに勉強を続けたのは本人だ。
「って本当は何でもできると思う、それに、何にでもなれるよ」
「あはは」
「ただなあ、僕と違って運が無いから」
「うるせ」
ふざけて蹴っ飛ばしてくるから逃げて、修は苦笑した。
三年後、彼にはどんな不幸がふりそそぐのだろう。
何度も彼の死を見て、どうして自分は幸福な彼を想像してやれないのかと悔やんだ。最初は夢だと思っていたから、彼を殺しているのは自分で、一度彼の死を知った悲しみの底に沈んだままなのだと。しかしどうやらこれは夢ではないらしい。感触や感覚はリアルだし、空腹を感じたり疲労や眠気や痛みもある。
修だけが、何度も色々な世界に異動を繰り返しているのだろうかと、専門知識に疎いながらもあたりをつけた。
もうを死なせたくない。
そして、もしそうすることができたなら、修の思考も世界も前に進めるのではないかと思えた。
たとえ元の———が自分を置いて行った場所に戻るのかもしれなくても。
今となりに居るを生かすためなら、なんだってしようと思った。
最初の二年間はあっという間に流れた。
一年のときは進級できるか危ういと言って、赤点を二教科とったが無事補習で及第点をとった。二年になると定期テスト前は以前にも増して勉強をするようになっていたので赤点はひとつもとらずに進級した。
三年間、一度も同じクラスになれなかったが特に心配はないだろう、と考えていたのだが修の詰めは甘く、は想像の斜め上を行く人だった。
接点がひとつもないはずなのに、いつの間にか坂内と顔見知りになっていたは彼の自殺を止めようとしてもみ合い、揃って屋上から落下した。
坂内とについて連絡がまわって来たとき、修はどうしてと思ったし、またかと思った。そして、が『何かを知っている』ということを今の今まで忘れていた事に気づく。
病院に駆けつけると、は生命維持装置をつけて眠っていた。全身を強く打ったのでいくつか骨折もしているが内臓の損傷は少ないそうだ。坂内と重なって落ちた為だろうと言われている。
下敷きとなった坂内は息を引き取った。
———僕は犬ではないという遺書と、呪詛を残して。
が目を覚まさないまま、呪詛は悪化の一途をたどり、渋谷サイキックリサーチの調査員を迎えた。
学校に来てすぐ、大きな犬が授業中の教室に出現した。そのことで一時騒然となったが、とにかく被害に遭った生徒たちを集めて順番に会議室へ向かわせる。修自身も集団食中毒と新聞で取り上げられた一件には見舞われていたので、クラスメイト数名に声を掛けた。
「安原さんも被害者だということですか?」
「そうです」
ナルの問いに頷いた。修は何度かこの説明をしたことがあるのですらすらと当時の状況を話す。
続く問いは、おかしいと思い始めたのはいつごろからなのかというものだった。最初からおかしいとは思っていたが、特に印象が強かったことをひねり出して答える。
そして一行は、教室を見に行くといって席を立った。
夜になって、リンと綾子が合流する。明日には真砂子とジョンがくるそうなので、修は少し楽しみな気持ちもあったし、気を紛らわしたい気持ちもあった。どうも、麻衣が滝川やナルと会話をしているのをみると、と重なるのだ。
は年が明ける前に18歳になった。もしかしてこのまま、ナルたちに会うことなく息を引き取ってしまうのではないか、そう思いそうになって不安を払拭するように頭を振る。
どうにか、関わらせることができないものか。
が起きていたなら引っぱりこんで彼との関係を作ろうと思っていたのに———。
「よしっと、こんなもんかな」
修は麻衣と二人、夜の校舎へ機材の設置にきていた。教室にマイクを設置している麻衣をぼんやり眺めていた所為で、何をしているのか分からない顔をしていた、と思われたのだろう。これで怪しい音が出ないかをチェックするのだと説明された。
腑に落ちない返事をしてから、驚いたふりをする。
「ナルは霊能者じゃないから。———ゴーストハンターだって本人はいってます」
「あ、知ってるそれ」
「めずらし……ふつう知らないですよ」
「うん……坂内……例の自殺した一年生がね……」
本人と話した事が無かったが、彼のことは話題にあがった。それに、自殺と呪詛を止めるわけには行かないと思っていた修は、ただの話題として受け流すことは出来なかったのだ。
麻衣はしょんぼりと頷いて、坂内を思う様子を見せた。
彼も彼女も素直に人を案じることができるから、似ているのかもしれない。
次の日の朝、真砂子とジョンがやって来た。
どうやら霊の姿が見えないそうだが、全く見えないと言う訳ではないと言っている。
「え、でもこの中で霊が見えるのって真砂子だけなんでしょ?ってことは……」
「いきなり大ピンチ」
深いため息を吐きながら、滝川は一言で現状をあらわした。
降霊術で呼び出された浮遊霊の巣窟となった学校を、どうにかしなければと思っていた所だったのに、霊の姿が見えないのでは仕事がはかどらない、ということだろう。
「存在は感じるんですね?」
「……ええ、霊がたくさん居ることはわかりますわ。どこにいるかも。でも……どんな霊なのかよくわかりません」
おそらく坂内の姿は見えるのではないだろうか、と霊能者達の会話に耳を傾ける。
あくびをした麻衣に声をかけつつ、待っていた。
「ただ、ひとつだけ……強く感じるというか……姿が見える方がいるのですけれど」
「どういう霊ですか?」
「男の子です……あたくしと同じ年頃の」
「ってことは、十六歳ぐらいか」
「ええ、なにか強い感情を感じます。学校でつらいことがあったのではないかしら、学校にとらわれています」
「それは、この子ではありませんか」
ナルが真砂子に新聞の記事を渡す。
「……え?」
一緒になって写真を覗き込んでいる麻衣は訝しげに首を傾げた。それから真砂子も、じっと見つめて首を振る。
「ちがいます、この方じゃありません……」
「では、こちらですか?」
ナルは二枚目の写真を出した。それはの写真だった。
「そうです、この方」
麻衣もあっと小さく声を漏らす。なぜナルも麻衣も知っているのかは知らないが、修はそれどころじゃなかった。
「なんで……が、学校に?」
戦慄く唇で問い、ナルを見る。
の報道はほとんどなかったはずだ。自殺に巻き込まれて生徒が一人怪我をしたと、どこかに載ったがそれだけだ。
ただし生徒の中には意識不明で昏睡状態ということを知っている者も多く居るので情報は漏れないともかぎらない。それでもが校舎内に体外離脱して彷徨っているなど、修は考えもしなかった。
生徒の中にはたびたびの姿を目撃しているものが居た。ただ、修の耳には入れられないようにしていた。
同級生のほとんどは修とが旧知の仲だということを知っている。クラスが違えど一緒に居るし、生徒会長としても学年トップとしても修は目立った。
そんな修に、意識不明で眠る友人が幽霊になって校舎内を徘徊しているとは言えなかったのだ。
生徒達がした除霊も、が身体に戻れるようにと起こしたものだったのだろう。
「安原さんは……この安原さんとは知り合いですか」
ナルたちは、修とが知り合いだったことは聞いていなかったらしく、修の反応を見て逆に驚いていた。
「十年来の友です、は……自分が死んだと勘違いしてるのでしょうか」
「……強い感情があると言いましたね原さん、どんなものだかわかりますか」
真砂子は静かに考えた後、首を振った。
「———探してるんじゃないかな」
「え?」
「坂内くんのこと」
麻衣はぽつりと呟いた。修は彼女に不思議な力があるのを、再三見て来たのですんなり納得したが、他の人達は違う。
「に会ったんですか?」
「え、あ、夢かもしれないけど……」
「なんて言っていましたか」
軽はずみな事をいうな、と言いたげに麻衣に非難の声や視線が飛ぶが、それを遮って詰め寄る。
「夏服の男の子見なかったって聞かれて……、あたし、でもごめんなさい、違うかもしれないの」
「しょーねん、悪い、やめてやってくれ」
泣き出しそうな麻衣の顔を、滝川の掌が覆った。身体を後ろに傾けた麻衣はそのまま滝川に身を預け、ごめんなさいと繰り返した。自分でも確証はないのに言うべきではなかったと思っているのだろう。
「すみません……谷山さん。夢中になり過ぎました」
「あたしも、ごめんなさい、変なこと言って」
「———安原さん今のは素人の単なる憶測です、あてにはしないでください」
「わかりました。谷山さん、そう気負わないで?でももしまた会うことがあったらよく話を聞いてみてください」
「え……?」
ナルはおそらく麻衣を守る為に言ったのだろう。修は笑って頷いてから麻衣に語りかける。
「はもしかしたらこの学校で起こってる事を知っているかもしれません、昔からすごーく勘のいい奴でした」
「は?」
滝川が麻衣の隣で呆けた声を上げた。
「話しやすいタイプだと思いますから、もしかしたら馴れ馴れしく麻衣ちゃんなんて呼ばれるかもしれません。嫌だったら蹴っ飛ばしてください———それと、早く戻って来いと伝えてください」
修が笑いかけると、麻衣は目元を拭って頷いた。
next
『なんだってしようと思った』っていうのは、つまりナルと主人公を会わせようということで。学校に入れることもそうだけど、呪詛も自殺も止めないつもりだったという。
少女漫画畑出身なので、私は意識不明と幽体離脱ネタが好きです。
Mar 2017