I am.


Hope. 03

———気づけば屋上に居た。
男子生徒の後ろ姿があって、柵に肘をついて向こうを眺めている。
もう生徒は帰宅した筈なのに。そう思いながら彼女は近づいて行く。
彼から疲労の色がうかがえるため息が聞こえて不安になった。
隣に立ち、彼女は同じように向こう側の校舎を見た。
窓ガラスの奥の暗闇を、人魂のようなものが泳ぐ。認めたとたん、夥しい量の人魂が周囲を漂っていることに気づいた。
「すごいだろ……これ」
「うん」
目を細めて向こうを見ている彼の横顔を見た。あーあ、と小さな声で呟いてから、彼女の方に身体を向ける。片腕を枕のようにして、柵にのせたまま。
「ね、夏服の男の子、見なかった?」
「……え?」
その瞬間彼が、夏服の男子制服を着ている事に気づいた。
この人、普通の生徒じゃない。
喉が癒着したように声が出なかった。









修はナルに言われた仕事を片付けてベースに戻る。そこでうたた寝をする彼女を見てふっと笑みがこぼれた。
誰かと何かを話しているような寝言が聞こえるが恐らく目当ての人では無いのだろう。
「なにがわかったんです?」
「あああ!?」
麻衣は、修がからかうように声をかけると飛び上がって起きた。
「サボってると渋谷さんにいいつけちゃいますよー」
「はははは、さ、作業終わったんですか?」
「うん頼まれた分は。コーヒーいれますね」
何度かしたことのあるやり取りをこなして、修はインスタントコーヒーの粉が入った瓶を先にとる。
マグカップに入れてお湯を注げばすぐに済むので麻衣が手を出す隙はなかった。
にはあえた?」
「……ごめんなさい」
「いえこちらこそすみません。誰かと話してるみたいだから。———じゃあ渋谷さんかな?」
ちょっとした意地悪のつもりで聞くと、目を覚ましたときよりも顔を赤くして狼狽えた。
麻衣は話をそらすように、コーヒーを一口飲んでからこの学校のコックリさんは変わっていると指摘した。
「えっと、ヲリキリさま?でしたっけ?」
「そう、色々決まりがあるみたいだね、一度使った紙は二度と使えないとか、使ったら神社にすてなきゃならないとか、呪文を唱えたり」
「呪文?」
「をん、をりきりてい、めいりてい、めいわやしまいれ、そわか」
「え、え?えーなにそれ、よく覚えてますね、やったんですか?」
「ううん、僕はやってない。……けど、よく聞いてたから覚えちゃって」
「やってない人の方が少ないですもんね、そりゃそっか」
麻衣は苦笑を浮かべながら、なんでこんなに流行してるのかと疑問を口にした。
「流行の原因を分析できれば苦労は無い、なんてね。色々変わってて真新しいから、皆飛びついてるんですよ」
「……安原さんって冷静とゆーか……」
「ははは、僕若年寄って言われてるから。あだ名が越後屋っていうんだ、がつけたんだけど」
「なんでですか?」
のお母さんに色々吹き込んだからかなあ」
「え、え?」
「元々は、緑陵に入るつもりなかったんだ。でも僕がよくの勉強を見てたし同じ高校通えたらいいなって思ってたから、のご両親もその気になっちゃって」
麻衣は目を白黒させたが、段々破顔していく。
「まあ最終的に一緒に通おうってちゃんと誘って、了承は得たんだけど」
「仲良しなんですね」
「うん。……そういえばきょうだね、十二日目。また更衣室で火事がある」
「……更衣室、じゃないかも———……」
何の話をしているのか分かりかねて、首を傾げた麻衣に言葉を続けると、段々表情が固まってくる。何か思い当たる事がありそうだなと見つめていれば、うわ言のように否定を口にした。
詳しく聞こうとした途端滝川とジョンが帰って来たので話が途切れる。
一度悪ふざけをしてからまた麻衣に促せば、もう一度彼女の口は開かれた。


麻衣が見た通り、火事は更衣室ではなく放送室でおきた。なおかつ被害は大きくなっている。おそらく、人魂が喰い合い禍々しい鬼火になっている為と思われた。
ナルは麻衣の見た、大きな鬼火がある所に注意をするように喚起した。









あ、と小さな悲鳴が聞こえて彼女は振り向いた。
昼間の授業中に現れた大きな犬が荒らした教室で、茫然としているところだった。
真砂子が踞っている。彼女は反射的に駆け寄ってしゃがみ、肩を抱く。
「どうし……———え」
視界が急に暗くなった。
身体が宙に投げ出されたみたいに、頭上に校舎が見える。それからまたぐるりと視界が反転したような感覚がした。何かに、引寄せられたような感じだ。
上も下も分からない暗闇に、もっと禍々しくどす黒い鬼火がひとつ在る。周りには白く光る人魂が漂っていて、鬼火が伸ばす粘ついた炎に絡めとられて行く。
「だめ、だめ……!そっちにいったらだめ!———さん!!」
夏服の後ろ姿があらわれて、鬼火の方へ行こうとした。
腕を掴もうと手を伸ばしたが捕まえられない。
彼の名を呼んでも、振り向かない。
鬼火に喰われようとしている人魂を助けようとして、彼もまた鬼火にとらわれる。
———坂内くんはそこにはいないの。
伝えたくても声が出ない。
次第に彼は鬼火から抜け出せずに藻掻き始める。
どうしたら彼を助けられるのか分からなかったが、脳裏になにかが響く。
彼女はそれを口にした。
「身体を思い出して……!」
彼はえ、と小さな声を漏らして彼女を見た。









ベースに顔を出した修は、霊能者達の妙な視線に首を傾げた。
昼間に騒動があったことも、いつもそこで何が起こっていたのかも知っていたが、坂内がいないと聞いた修はさほど心配はしていなかった。
「安原さん、安原さんの所在はご存知ですか」
「もちろんです。地元市内の病院に入院しています」
「確かめたい事があるのですが、病院を教えていただけますか」
に、何かあったんですか?」
修は身体が冷えるのを感じた。
皆は沈黙を貫く。こういうとき、普通の高校生で、依頼人であることがもどかしい。
気を使われ、情報を正しく受け取れないのだ。
「谷山さん、見たものを教えていただけませんか?病院を教えるのも、に会うのも構いません。彼の両親には僕が話をつけます」


麻衣と真砂子は犬の出た教室で、同じものを見たそうだ。
が学校に居るのは坂内を探していたからで間違いはないらしい。そして、坂内がその場に現れるかもしれないと踏んで探しに来たようだった。
二人とも喰われたという感じは受けなかったが、麻衣の声を聞いたは姿を消した。身体に戻ったのか、ただ一時的に姿を消す事ができたのか。それを確かめる為にナルは修にの所在を聞いたのだ。

やっと、ナルとを会わせる機会が巡って来た。
たとえどんな形でも、きっと良い方へ事態が転がると信じて病院へ向かった。

ナルの他には麻衣と真砂子が心配して、滝川は車の運転の為についてきた。
平日の日中は基本、の母親が病室に居る。修がまず一人で許可をとりにいく間、ナル達は同じフロアで待機していた。
「あ、修くん。、修くん来たよ」
ベッドは上半身を斜めにあげられていて、の母親が脇に座っている。振り向いた彼女は泣き腫らした目元をしている。
彼女の後ろから、少しやせた手首がぬっと現れてぼとりとおちた。
「ん、おお……」
!」
思わず駆け寄りベッドを覗き込む。
「目を……覚ましたの……」
「おは」
ふにっと微笑むは、しっかり意識を持っていた。
どうやら今日の午前中、大きな犬が現れたあたりの時刻に、は目を開いたらしい。まだ混濁した様子だったが医師の処置により、意識を回復させることができたそうだ。
「あー……凄い、寝てたみたいだね」
「ほんとだよ」
安心して項垂れる修の後頭部に、の手がぞんざいに置かれた。ぺしぺし、と首の後ろを叩くが暫くは甘んじてこの戯れを受け入れる。
しかしゆっくりしている場合ではないことを思い出して、そうだと顔を上げる。
も目を丸めていた。そんな顔を見てまた嬉しくなって、修は笑ってしまう。
に会わせたい人がいるんだ」
「え、彼女……?」
「違うから」
はわわ、と言いながら口に手をあてたに、普段だったら付き合ってやるところだが簡潔に否定する。
よりもの母親に了承を得て、修はナル達の待つ待合所へ足早に行った。
「あの、が、目を覚ましました」
「おお!」
「!———よかったあ」
滝川と麻衣は修の報告を聞くなりとても嬉しそうに笑った。
ナルと真砂子も無言ではあったが頷いている。
「話は出来ますので、よければ会ってください」
「ありがとうございます」
ナルが立ち上がると皆もぞろぞろと後をついて行く。
待ち合いスペースを通り過ぎて、病室の並ぶ廊下の方へ曲がった。
「ここに、いらしたの」
「真砂子?」
ふいに足を止めた真砂子に気づいて、麻衣は彼女の方を見る。
全員が立ち止まり彼女を振り向いたが、ゆっくりと視線を前に戻す。
「二番目の病室ですか?」
「え、ええ」
「病室の前に、坂内さんがいらっしゃいます」
修はぎこちなく返事をしながら、真砂子の言葉を聞いて息を詰める。
「ひどく責任を感じています、それから、怖がっていて、病室の中には入れないし、見られない」

病室のドアを開いても、どうやら坂内は中をのぞく様子がないらしい。
廊下の壁に、祈るように額をあてて俯いているそうだ。
「———そう、だから学校に居なかったのか」
声が聞こえていたらしいは、病室に入ってきた皆を見てからゆっくりと息を吐いてぼやく。
はのそりと手をついて、ベッドから上半身を起こした。
「俺の声は届くかな」
「本人の声だからあるいは……でも、難しいかもしれません」
「とりあえず学校に行かないなら良いや、こっちをさきに片付けよう」
彼らが誰であるのか、何であるのか、全く問う事なくまっすぐに真砂子に訊ねたは、次にナルの方を見上げて笑う。聞きたい事があればなんでも、と言いたげな顔だ。
「眠っている時の記憶はありますか?」
「学校にいた」
「それは何故?」
「坂内が学校にいると思ったから」
は病室のドアをちらりと見て苦笑する。
あの学校で何を見たのか、は鮮明に話をした。麻衣や真砂子の言う通りに人魂が喰い合っていることや、どこが危険なのか、もっと大きな塊が力を蓄えて眠っていることなども指摘し、滝川は深刻な事態に小さく唸る。
「———そうだ、麻衣ちゃん」
「へ」
「声をかけてくれてありがとう」
は真剣な話をしていたのも嘘みたいににっこり笑った。
照れくさそうに、けれど嬉しそうにした麻衣はゆっくり首を振って、が目を覚ます事が出来て良かったと零す。
「……修、手ぇかして」
「え?ああ、はいはい」
「大丈夫か?」
「ありがとう」
先ほどよりもさらに移動したは、足をベッドの下におろそうとして修に声をかける。目を覚まして数時間しか経っていないので、動きはどこかぎこちない。修が脇の下に肩を入れると腕が首に回され、体重がかかる。
滝川はベッドから降りるの腰にそっと手を当ててくれた。
「はーうーやばい足、すごい」
「え、ちょっと大丈夫?」
「いけるいけるいける、生まれたての子鹿もこうやって立つんだよ」
「生まれたての子鹿は人の手を借りないんだよ?」
「俺をはなそうってのか?ひとでなし!」
「待て待て待て、車椅子かりてきてやっから!」
慌てる滝川をよそに、は修の背に伸し掛って部屋の出入り口まで行く。
麻衣は急いで、ベッドの脇にあった椅子を廊下の所に持ってきた。
「あー思った以上に身体が動かない……骨はくっついてるんだけどさ」
「そう、じゃあリハビリ頑張らないとね」
「うん」
よっこいしょ、と言いながら椅子にこしかけたは裸足のまま足首を組んだ。
「坂内聞こえる?見てる?俺はほら、このとーりだから、安心しなさい」
ふふっと笑うは、膝を軽く叩く。
滝川やナルは少し離れた所で、麻衣と真砂子はすぐ傍で語りかける声を聞いた。
修はの隣に立って、後輩の様子を想像する。
二人が連れ立っているのを見た事は無かった。だから一緒に落ちたと聞いた時に驚いたし、どんな仲だったのかも知らない。ただ、がいつもどんな風に人と接して、どんな眼差しを受けていたのかは知っている。
「俺は……んー」
多分、言葉を選んでいるのだろう。困ったように眉を顰めて、視線をそらして笑う。
「今隣に立っています、聞こえています、……姿を見られて、安心してるみたいです」
「そっか。学校にはいかないでな」
真砂子の言葉を聞いて、修が居るのとは反対の隣を見上げた。
「———つかれたろ、ずっと待ってたんだろ、俺はすぐ家に帰れるっていうからさ、一緒に帰ろう。母さんに坂内の家も寄ってもらう。……ゲームに負けた時コンビニでアイス奢る約束したけどさ、もう季節じゃないから肉まんでもいいかなあ」
はゆっくりと壁に後頭部を預けて目を瞑った。ひとり言のような、坂内への問いかけを最後に口を閉ざした。
暫く誰も喋らなかった。
坂内の姿は真砂子にだけは見えていたのかもしれないが、彼女も何も言わなかった。
それからは目を開けて、ベッドに戻ると言うので修はまた彼を負ぶり病室へ戻った。


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今回だけ、視点がときどき変わっていますが、麻衣ちゃんの見てる夢です。
主人公と安原さんの(すごくくだらない)会話を書くのが楽しくて話が飛ぶのは自覚しているが止められませんでした。
iam本編で主人公が、越後屋っていった奴勇気あるな、とか言ってるけど、おまえだよっていう。まあ後付けなのですが。
Mar 2017

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