Invisible. 01
まぶたの色は何色だっけ。見ようとしたら自然と目があいた。目を瞑っている時の色はよくわからない。光を遮断してるから見えないんだ。
さっきまでいたのとは違う場所にいる気がする。まるで寝起きみたいに頭がうまく働かなくて、ベッドの上で朝日に目を眩ませて、今日は仕事だっけ、休みだっけ、と逡巡する瞬間と似てた。
「今日は……何曜日だ?」
ぼんやり口をひらけば、隣にいた気配がもぞりとうごく。いつのまにか俺は座っていて、その隣には小さな男の子がいた。
知り合いじゃないので、俺の独り言に驚いたんだと思う。目を丸めて、ためらいながら口を開いた。
「金曜日」
「そっか……仕事、行かなきゃ」
家を出て、外に居たんだっけ。芝生をさくさく踏みしめて歩く。
いってらっしゃい、という小さな声が背中をほんの少しだけ押した。
仕事に行く途中で気がついた。
俺はもう仕事に行かなくていいんだった。どうりで、仕事への行き方がわからないはずだ。だってここは俺の知る町じゃない。
じゃあ今日は休みだし、ふらふら歩きまわってみようかな。
「仕事行かないの?」
存分に休みを堪能していた俺は、以前唐突に目を覚ましたことのある公園のベンチに座ってた。その時の子供が同じように隣にいて、俺に問う。
なんだか胸が痛いよう……。
別に俺は、リストラされて家族に言えずに毎日出勤するふりして家を出て公園で時間を潰すお父さんじゃないんだ。けして。
「行かない。……この公園ブランコないね」
「向こうの大通りを挟んだところにある公園にはブランコがある」
ベンチで膝を抱えてぼやいた俺に、男の子は遠くを指差しておしえてくれた。
「いきたいの?」
「うん」
いい歳した大人でも、ブランコに乗ってみたくなる時だってある。
彼に案内されるまま違う公園へやってきた。
木の板に腰掛けてぐっと膝を伸ばしてから足を投げ出す。ゆっくり身体が傾いた。
キイキイと軋む音がふたつぶん。見た所5歳くらいの男の子と並んでブランコに乗る光景はさぞかし変なんじゃないかと思う。いや、父と子ってことになるのかな、この場合は。
「どうやったらそんな風にこげるの?」
乗り方のコツを知ってるので俺は大きくブランコを揺らしてた。隣の男の子はブランコから身を乗り出してくる。
キラキラ輝いた顔に、笑みがこぼれた。
「押してあげようか」
「自分でのる!」
「うん。……足をね、こうして、それから体も倒すんだ。タイミングはこう」
ばたばたしてた手足をたしなめるように、ゆっくり喋って、ゆっくり見せてやる。次第にコツが掴めたらしく、俺と同じ動きを真似して上手に漕ぎ出した。
「あんまり」
「ジーン……!」
「あ」
あんまり漕ぎすぎるんじゃないよって声をかけようとしたところで、遮られた。男の子と俺のブランコはリズムが狂い、ばらけていく。
向こうからやって来たのは、隣にいる子供とそっくりな子供だった。双子の兄弟だろうなあ、と一目でわかる。
俺はブランコから早々におりた。後ろで、重りをなくして鎖がガクガク揺れる音が聞こえる。
二人の子供は何か会話をして、去っていこうとしてた。
呼びに来た方は俺に一瞥もくれないが、一緒に遊んでいた方はちらちらこっちを見ながら離れて行く。俺はにこっと笑って手を振り見送った。
あの子は嬉しそうに笑って、手を振って兄弟と公園を出て行った。
ジーンと呼ばれた通り、子供はジーンという名前だった。呼びに来たのは双子の弟のナルだって。
二人はすぐそこの孤児院で暮らしているらしい。
「あなたのなまえは?」
「」
「!」
ジーンは嬉しそうに俺を呼んだ。人懐っこい子だな。
よく考えたら平日の昼間から知らない大人の男と遊んでていいのか?
ジーンは一人でやって来て俺の隣に座ってる。いつもの公園のいつものベンチ、が定位置になりつつあった。
「ナルは一緒にこないの?」
「うん、ナルは外で遊びたがらない。どうして?」
ナルだって子供だけど、せめて一人じゃない方が安心なんだけどなあと思って聞いてみた。しかしこの間見た通りそっけないようで、一緒に行動することはないみたい。
孤児院の子供だちも同じで付き合ってくれることはなく、ジーンは普段一人でふらふら出歩いているらしい。
「……一人で出歩いたら危ないだろ」
「今日からはがいる」
「じゃあ、今度から会うときは俺が迎えに行くし、帰りも送るからね」
「やった!」
ジーンは無邪気に笑って、今日は何をして遊ぼうかって聞いてくる。俺は子供のしたい遊びがするっと出てこないので、どうしようかと聞き返す。案の定ジーンは最初から決めていて、行きたいところがあると言い出した。
そこは町の教会で、いつもジーンがお祈りにくるところらしい。
「お祈りってどうするの?」
「やり方なんて別にないよ。僕は、怖いものが来ませんようにってお願いする」
礼拝堂の並べられた椅子に座って小さくなった子供の横顔を見て、俺はまるで映画のワンシーンみたいだなあなんてことを考えた。
「怖いもの?」
「うん、夜とか」
高い天井を見上げると、白い光がふりそそぐ。
「夜ねえ。暗いから?」
「ううん……怒らない?」
ジーンが震えた声で聞くので頷いた。
「死んだ人が見えるんだ」
泣きそうな瞳が揺れている。俺は言葉に詰まって、死んだ人、とくりかえす。ジーンは俯いてしまった。
子供のたわ言だと、怒られた経験があるんだろう。
「脅かそうとしたり、僕を誰かと勘違いして話しかけて来たり、手を引っ張って連れていこうとする」
縮こまった背中を見つめながら言葉を探す。
「ナルは無視すればいいっていう。でもできない」
「じゃあ無視しないでいる?」
「できないよ」
どうやら双子の弟は、ジーンを否定してはいないようだ。
「どうしたい?ジーンは」
「来ないようにしたい」
「……言い方を変えよう、今できることはなに?」
本当の願いは一番最初に聞いた。でもそれができるかどうかは難しい。
「何もできないよ」
「できなくないよ。見えるんだろう?話声が聞こえるんだろう?」
「うん」
いつのまにか泣き出していた、濡れた頬を両手で覆ってやる。
「目を見て話を聞いてみたらいい」
「……こわい」
無責任なことを言っているかもしれないけど、これは本人が頑張るしかないわけで。
俺はくしゃっと目を瞑ってしまったジーンにおでこをくっつけた。
「目を瞑っているよりは、こわくないはずだ」
孤児院まで送ったついでに、中に顔を出してみたけど人はほとんどいなかった。
遠く離れたところで子供達が遊んでいるのに、大人の姿は見つからない。
子どもを預かる施設としてどうなんだろう。
ちょっとした闇を感じつつ、ジーンが平気そうにしているので金曜日に会う約束をして別れた。
約束の日、孤児院の門のところに立っているとジーンがやってきた。
行きたいところがあるそうだ。
一緒にバスにまで乗ることになったけど、道中ほとんど口を開かないから説明を求めるタイミングを失った。
おりた場所は俺の知らない、来たことのないところ。
バス停から少し歩いて、ある家にたどり着いた。そこは色々な人が出入りをしていて、みんな喪服に身を包んでいる。そうではない服装の人もいるけど。
多分この家の人が亡くなったんだろう。それで、みんなが挨拶にやってきたわけだ。
俺たちは目立つことなく家の中に入る。
リビングにひしめきあい、慰め合う人たちの間をぬって階段を登って行く。壁には写真がたくさん飾られていて、家族が写っていた。お父さんとお母さんと、女の子が一人。
まわりから一人娘だったのに、という惜しむ声を拾ったので亡くなった人は容易に想像がついた。
「おともだち?」
「ちがう」
みたところ、ジーンよりいくつか年上くらいだろう。
写真を一瞥してから背中に問いかけると、首を振って否定された。
二階は誰もいなかった。廊下に並ぶ部屋のひとつ、可愛らしく装飾されたドアノブを、ジーンは手にかける。部屋の中は暗く、そして少し寒くて、ちょっと湿気った匂いがした。
「窓を開けて欲しいんだって」
たしかにずいぶんこもった匂いだ。
ジーンの後に続いて部屋に入る。
電気をつけると、少女の部屋が照らされた。ボタニカル柄の壁、水色のテーブル、淡いピンクのベッド、レースのシーツ、テディベア、ハートのクッション。
ベッドのそばにはフリルのカーテンがかかっていて、閉まりきっている。その奥の窓をあけたらいいんだろうけど、カーテンを開けた途端に背後から物音がして、か細い女性の声が聞こえた。
俺とジーンは振り向いて、ドアのところに立つ人を見る。
飾られた写真で見た、母親だろう。戸惑っていて、勝手に入ったことに腹を立てている様子ではない。たぶんジーンが小さな子どもだからだ。
ジーンはゆっくりと口を開いて、ここに来た理由を告げた。すると女性は泣き出してしまって、壁にすがりつく。
俺はわからないけど、ジーンと、亡くなった女の子と、お母さんにはわかる話だったんだろう。
なんのお咎めもなく家の外に出ると、ジーンは振り向いて二階の、開けられた窓を見上げた。
「あの窓から、エマはいつも空を見てたんだ」
「うん」
この家の少女エマは病弱で、ベッドのなかで過ごすことが多かった。だから毎朝お母さんにカーテンを開けてもらっていた。
天気の良い日には窓もあけていたという。
───次の満月の夜は窓を開けてほしいの。
それがエマと両親の約束だった。けれどエマは満月を見られなかった。
「満月を見たらねむれるのかな」
「どうだろう」
俺に聞かれてもな、と思いつつ答えを濁した。
「でもジーンに言葉を聞いてもらえたこと、エマは嬉しかったんじゃないかな」
「そうだといいな」
俺たちはまた二人で、言葉少なくバスにのった。
next.
幼少期のジーンとナルに出会ってお友達する話です。
今まで自分が書いてたジーンは立派な霊媒だけど、最初から霊の付き合い方を知ってたわけじゃよね、と。霊を怖がるジーンを書いてみたかったんです。
教会に行くのとか、女の子のお願いを聞いて上げるのは、私の好きな映画シックスセンスのオマージュ的なものです。
July 2017