I am.


Invisible. 07

エンジンとブレーキの音。地面をタイヤが滑る音。
あぶない、と誰かが叫んだ。
鈍い音がして視界がゆれた。体が、脳がゆれた。
勢いよく地面を引きずられ、身体が削れるようだった。
車に衝突されたのは分かってた。向かってくるのが見えていて、人を庇ったんだから。
ようやく動きが止まったあと、自分の呼吸や意識があることを理解して、痛みがやってくることを恐れながら待つ。そのせいで、脳はむしろ痛みを迎えに行くように働く。余計なこと考えやがって俺のバカ。
内出血で眼窩に血が溜まる。

まぶたの色は赤かった。

、まって」
かすかな声がした途端視界は黒くなる。
目を開けると、俺とジーンは地面に転がっていた。
ジーンは怪我をしている。俺はあわてて、起き上がって体を動かそうとするが力が入らない。

そうだ、車に轢かれた。生きていた時も、今も。
車は少し離れたところで止まり、座席から人が降りて着た。横たわるジーンを見て声をあげる。焦って怯えて、言葉にもなっていない。
「救急車!」
頭の中で誰かの声が響いたのと同時に俺も叫んだ。
俺は生きていないので、周囲に声が届かない。でも普通は呼ぶだろ。
運転手は一目散に車に乗った。呼んでくれると思ったのに、どうして、車を走らせるんだ。
「ジーン、起き……むり、だめ、だ」
横たわるジーンはすぐに起き上がれる様子はない。
……って、俺の名前が聞こえる。これはジーンの声だった。
諦めるなバカ。俺と同じになったっていいことはなんもない。

迫り来る車から目を離せずにいた。

俺は『あの時』人間だったからできたけど、肉体がない今、体をクッションにしてやることはできない。
代わりに俺にはできることがある。
ポルターガイストは苦手だったけど、何年霊をやって来たと思ってる?ジーンとナルと、研究したんだ。どんなことができる、できない、練習してみようって。あれはまさしく、ーーー楽しかった。
迫り来る車を見据えて、感覚を思い出す。

ハンドルをきるイメージで力を込めると、ぎゅいいっと車が方向を変えてガードレールにつっこんだ。おおよかったな、落ちて行かなくて。ぶつかったのが助手席の方で。
とりあえず車が止まったのを良いことに、ジーンをそっと見る。怪我は治せないんでどうしようもない。
車のドアを開けると、運転手は呆然としていた。軽蔑するが今はそれどころじゃない。
憑依しやすそうな状態だったけど、霊媒以外に憑依したこともないし、俺は今落ち着いてるわけじゃない。うーん、救急車呼びたいんだけど。
助手席に、携帯電話が転がってるのが目についた。
今まで散々練習したんだから大丈夫。……電話はしたことなかったけど。

ジーンとナルとしてきたこと、研究は無駄じゃなかった。
少なくとも俺は今そう感じている。ジーンのために車を止めることも、救急車を呼ぶこともできた。
死んだ時のことも、自分のことも、とてもクリアに思い出した。
なんだかなあ、”条件”が揃ってしまったぞ。

「ジーンが遠い……」

千代さんと俺は、ゆくゆくはきっと自分で昇っていけるだろうと結論を出した。
ジーンともそれまではよろしくと、一緒にまたイギリスへ帰ろうと、話したばかりだった。
まさか、帰り道で車が猛スピードでやってくるのを目にして、庇って一緒に轢かれた気になって、死ぬ瞬間がフラッシュバックするとは思わなかった。
多分ジーンも一緒に見たんだろう。思い出した死の瞬間、目を瞑ろうとしたのを、ジーンは引きとめた。
俺は、素直に死んで行くところだった。それをとどめたのは、多分ゆっくり昇ってほしいとか、話したいことがあった、とかだと思う。
俺だって別れを言いたいし、ナルにだってもう一度会ってからいきたかった。
でもダメそうだ。
イギリスに行ける気がしない。だってジーンにすらついていけないんだもん。
なんでだか、救急車にも乗れなかった。せめてジーンの顔を見ながら逝こうかなって、……そういうのもできないのか。
道端に残され、本格的に浮遊霊となった、推定・成仏間近な俺はしかたなく、まじかよと思いながらも光のお迎えとやらを待った。

ところがどっこい、一向に来ません。まじかよ。
日が暮れて、山々が見える道に立ち尽くす。俺はこのまま朝が来ないのか?ずっと暗闇の中にいるのか?
……いや朝は来た。普通に来た。
成仏しなかったのでジーンのお見舞いに行こうとしたが、どの病院に運ばれたのかさっぱりわかんない。気配が感じられない。
もともとどこにいてもわかるって程じゃないけど、なんとなくいるっていうのは感じてた。それが今では生死すら不明だ。
事故の所為か、俺が色々思い出した所為か、俺たちの波長がずれちゃったのかな。
稀にそういうことってあるらしいし。

行くあてもない俺は千代さんの家にもう一度行ってみることにした。ジーンやナルに連絡をいれてもらえばいいかなと。
そうして訪れた千代さんのお家では、千代さんにも気づいてもらえなかった。
ジーンのアシストがないからなのか?千代さんに用があって来たにもかかわらず、全く見えてない様子だった。
俺が変わってしまった可能性も大いにあるので、この事態にも諦めがついた。

とうとう一人でとぼとぼ道を歩くことになった。
行くあてがないって困るなあ。もう何年も屋根裏部屋に棲んでたし。
霊はこうしてさまようのか…なんてのんきに考えながら、知ってる地名のところまで行くしかなかった。
つまり俺の家がある方だ。
死後10年くらい経ってるし賃貸のマンション暮らしだったんで、家族がもう住んでない可能性が高かったけど、マンションすらなくなってドラッグストアになってた。さすがに俺はここの地縛霊をやる気は起きない。
じゃあ勤め先の学校……と思って行ってみたけど、知らない名前の高校になってた。
「えー……」
情けない声を出して校門のところで立ちつくした。
名前が違う、校舎の作りも違う。
なんか古い校舎と新しめの校舎があるけど、どっちも俺の知ってるやつじゃない。
「あの、どうかしたんですか?」
苦笑まじりに、女の子に話しかけられて固まる。
門の脇にある高校の名前をガン見してたんだけど、まさか、こんなときに人に気づかれるとは。
驚いている俺を見て、彼女は照れ臭そうにした。
「すごく悲壮な声だったので、つい」
「ごめんごめん。なんでもないんだ。……ここの生徒?」
「あ!いえ、まだ違います。今日は資料を取りに来てて」
「あ〜そういうことか」
ようやく人に会えた、とちょっぴり感動した。
この学校の制服を知らないので判断がつかなかったけど、どうやら中学生だ。
ああ俺が霊だとは気づいてないみたい。よほど波長があったんだろうなあ。
「生徒……じゃないですもんね、先生とか保護者の方なんですか?」
「ううん、違うよ。……うろうろしてたらここについただけ」
彼女は変なの、とは言わないけど目はそうだと語ってた。いい歳した大人が迷子かよってか。
「越して来たばかりなんだ。家、このへん?」
「ううん、あたしんちはちょっと遠いんですけど、春から近くにくる予定です」
「そうなんだ、じゃあ今後見かけたらよろしくねえ」
「はい!あたし谷山麻衣って言います。お兄さんのお名前は?」
「麻衣?」
俺は思わず聞き返す。はい、と返事をした彼女は谷山麻衣というらしい。
途端に駆け巡る記憶と、勘。俺が今まで接していた双子や彼らを取り巻く人たち。
「あれれ……どうりで」

どうりで、俺の家がないはずだ。

麻衣は俺の様子をみて怪訝そうだったけど、にっこり笑ってでいーよって答えると安心したようにさんと呼んでくれた。

しばらく経ったけど麻衣以外で俺に気づいた人はいなかった。
故意に姿を見せる方法があるにはあるんだけど、なんというか、エネルギーを使うっていうのかな、滅多にやろうと思えなかった。頑張っても必ず見えるとは限らないし。
麻衣でさえ、いつでも俺が見えるわけじゃない。
他人には見えないから堂々と麻衣が通うことになった学校の入学式に参加してみたけど、麻衣には気づかれなかった。廊下から顔を出して教室を覗き込んでみたり、すれ違ってみたりしたけどだめみたい。
「麻衣」
「あ、さん」
帰り道の人気のないところで後ろから呼びかけてみると聞こえたらしい。振り向いた麻衣は笑った。
「入学式だったんでしょ、おめでとう」
「ありがとうございます、さんは今日お休みですか?」
「うん」
毎日お休みだよ……。
とりあえず俺は自分が霊であることは言わない方向で行こうと思ってる。
「友達できた?」
「ええ?……初日じゃなんとも。でも隣の席の子とは仲良くなりました」
えらいえらい、と頭を撫でると麻衣は嬉しそうに笑った。
どうやら中等部がある学校で、内部進学組が多くクラスメイトは大半が顔見知りだそうだ。麻衣のように新顔は何人かいたので、みんなもそれなりに輪に入れようとしてくれるだろうけど。
まあ俺の知ってる麻衣ならすぐ友達できてたし、心配はしてない。

物語の主役であった彼女にこうして目をかけてもらえたのは良かった。ていうか、麻衣だったなら見えるのも頷けるというか。あれ、だとしたらジーンは?と考えて思考停止する。
多分だけど、ジーンは生きてるはずだ。二回轢かれるのは阻止したんだもん。
さん?どーしたの?」
「あ、いや、なんでもない、考え事」
「ふーん。ってぼうっとしてるから、あたしんちついちゃった」
「ここ?」
「そう」
古いアパートが目に入る。
「上がってきます?」
「え」
家までついてくるつもりは、本当になかったんだ。だって、それはさすがにまずいかなって。
知らないままでいようって思ってたんだよ。ほんとだよ。
誰にいうでもなく言い訳をする。
「ご家族は?」
「いませんよ?あたし一人」
知ってたけど聞いてみた。そしたら案の定な答えが返って来てあちゃーと頭を抱える。
気を使わないでいーよっていうけど、そういう問題じゃないの。もう、しゃがみこみたいくらい。
「一人暮らしなのに、会って間もないおじさんを家にあげるなんて……」
「おじさんって、さん全然若いでしょ」
「そんなこと言ってるんじゃないのありがとう」
ぷぎゅっと鼻をつまむと、麻衣は変な声をあげた。大変色気がなくてよろしいかと思います。
さんって悪い人じゃないと思います。なんかさ、お兄ちゃんって感じするもん」
「……そすか」
麻衣の言葉に呆れつつも悪い気はしなかった。


next.

やっとトリップに気がつきました。
Aug 2017

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