Invisible. 13
麻衣が進級してすぐ、イギリスからまどかがやってきた。ジーンはその日出かけていたのでナルとリンが、急にやって来たまどかに驚いている。
「はいないの?」
「別件」
「そう」
まどかは穏やかに頷いてから、まあいいわと切り替えた。依頼です、と。
ナルはすごーく嫌そうにまどかの持ってきた依頼を受けることにした。
いつもの協力者全員を集めて、安原さんまで呼んで自分の身代わりにした。なんてやつだ。
調査はすぐに始まるためジーンは同行できなかった。
依頼元の美山邸に来てすぐ、麻衣は何か匂いをかぐような仕草をしてからきょろきょろした。でもぼーさんたちに呼ばれてついていく。
この依頼はオリヴァーデイヴィス博士の偽物が調査に参加しているので様子を見てこい、という内容だったのでおそらく麻衣はトランスに入るサポートは受けられない。だからといって俺が暗闇の底まで引っ張っていくのも気がひけるんだけど、どうしたもんかと考える。その時になったら考えよう。
日が暮れるまえに調査をやめること、一人にならないことを念頭に調査は始まった。
人が消えるという噂の洋館は、初日から人が消えることもなく夜になる。麻衣は広い屋敷内を動き回ってつかれたなあとか、人が消えるのはこわいなあ、とか思いながら眠りについた。
約一年で、麻衣の超感覚的知覚は発達しただろう。眠るあいだに意識を彷徨わせ、普通とは異なる次元をふわふわと漂っている。俺は麻衣に意識をつなげているから、麻衣が感じ取ろうとしているものがわかる。
それのどこに連れてってやるかは、まだ、俺次第。麻衣の意識はまるで赤ちゃんのように俺の腕の中で眠ってる。このまま朝まで寝かせてやりたいけど……。
腕を緩めると、麻衣はゆっくりと姿をととのえた。
───ぴちゃんっ。と、雫が垂れる音がした。
風景は宿泊する部屋にかわり、目を開けてベッドから抜け出した麻衣は洗面所へ向かっていく。おそらく蛇口の様子を見にいくんだろう。
しっかり閉められてる蛇口を見て、麻衣は首をかしげた。それからまた、ぴちゃんっと音がして、急に鉄の匂いを感じ取る。
カーテンに遮られた、バスタブのある方からだ。
カーテンを開けてバスタブの中を見た瞬間、麻衣は反射的に目を覚ました。見てしまった光景が、あまりにも恐ろしく、嫌だと思ったからだろう。
起こそうとした綾子がびびるほど、ダイナミックな目覚め方だった。
胸を押さえて呆然としているので、もしかしたら見たものを記憶してないかも。
怖い夢をまた見せるのはかわいそうだし、見られたんだから一歩前進ということで……今日はゆっくり寝かせてやろっと。
一人行方不明者が出た後、まどかとジーンが夜に外から侵入してきた。ジーンはいつのまにか別件の依頼が終わってたんだな。
外で調べ物をした結果を話してる間、ジーンは静かに部屋の隅で座ってる。もしかして何かを見てるのかもしれない。
ゆっくりと口と鼻を押さえた。血の匂いがするのかな。
それからぎゅうっと目を瞑って息を止めてる。麻衣はそれに気づいて近寄った。そっと手を伸ばして、肩に手を置くとジーンははっとして目を見開く。
「だ、だいじょうぶ?真砂子もここに来て具合悪そうにしてたから、もしかして渋谷さんも?」
「……っああ、うん、大丈夫」
詰めた息を繰り返し吐き出しながら、ジーンは柔らかく笑って見せた。
「麻衣はなにか、夢を見た?」
「あたし?別に……あ、なんか、怖い夢を見た気がするけど…………忘れちゃったの」
だめだなあ、と下を向いた麻衣に、ジーンはどうしてと首をかしげる。
「何かわかったかもしれないのにさ」
「いいんだよ、怖かったんだから忘れたって」
具合の悪そうだったジーンはすっかり立ち直ってて、麻衣を励ましている。
そういえば意外と強かだったな、昔から。
「───無理しないで、目を瞑ってしまったらいい」
あれ?ジーンってもしかして俺の言ったこと根に持ってる?
二人目、三人目と行方不明者が出た。麻衣は最初の日以来夢を見てない。全く意識にかすらないので俺がつれていくこともできなかった。
ジーンの言葉が効いたのか、夢を見る前に情報が着々と揃っていくからか。……多分どっちもだろう。
俺の記憶では麻衣は首を裂かれる夢を見るはずだったけど、そんなことはなかったし、リンが鈴木さんの霊を呼ぶのも真砂子が代わりに口寄せをした。
鈴木さんは死んでしまったことに気づいてなかったけど、自分の殺され方を思い出して、美山鉦幸のペンネームである浦戸は血を求めるヴラドを意味しているのだとヒントを残して消えた。
そのことからナルはヴラドと混同される人物であるエルジェベッドの名をあげた。
ふと、麻衣の脳裏に忘れていた怖い記憶が蘇り、俺の方にも流れて来た。
麻衣は小さく声を漏らしてパッと口を押さえた。
「浦戸はいるんだ、この家に……まだここで、生贄を求めている」
ナルの声が麻衣の脳裏にじわりと滲む。
その夜夢の中で、麻衣は無意識に知覚しようとしていた。それは浦戸の死にたくないという声だったり、ここで殺された人の悲劇や恐怖の記憶だったりと、とにかくあまり良いものではない。
防衛本能で忘れていた血の浴室に浸るヴラドの姿も思い出してしまい、今の麻衣はとても敏感だ。
助けて、どうして、痛い、死にたくない、なぜ死ななくてはいけないの、───怖い。
「麻衣」
恐怖に囲まれている麻衣の、震え彷徨う意識を引っ張り上げる。俺の方を見させれば、俺に見えない、つまり俺以外のものは遮断されるから、少しは落ち着くだろう。
「───ぁ、」
ぺたりとすわりこむ麻衣を支えながらしゃがむ。
目を開きっぱなしでぽかんとしているので、そっと手をかざして視界をふさいだ。ゆっくり俯くのを見ながら背中を撫でて宥めていると、小さな声で「さん」と呼ばれた。「うんうん」と返事をしながら背中を叩いて手をはなすと少し落ち着いたみたいだった。
「平気?」
「……」
ゆっくり頷いた。んー、これはあんまり平気じゃなさそうな、でも怖かったら怖かったっていうだろうし。
「もう、眠れそう?」
今度はぶんぶん首を振った。
ほらあ、平気じゃないんじゃん。
「とにかくベッドに入って」
そういうと真っ暗闇の世界が急に麻衣のいた寝室に変わる。ベッドの上でぺたっと座ったままだったので俺に促されるまま、慌てて布団をかぶって足を伸ばす。
横になるように肩を押すと、大きな枕に頭がぽふっと沈んだ。
「目を瞑って、もう怖い夢は見ない」
今日は俺のそばで眠らせよう。
また顔の前に手をかざした。麻衣の目はとろんとしてまぶたは閉じられる。
「麻衣が眠るまでここにいるから」
「なにか、お話しして」
「……子供みたいなこと言ってー」
ちょっと呆れた声でぼやくと、麻衣はふふっと笑って目を開けた。
「まだ子供だもん」
そうだね、まだじゅうろくちゃいだったね。
おでこをくるくるくすぐって、他愛ない話をいくつかしていたら麻衣は眠った。
ジーンが言った、目を瞑ったらいいという言葉を実行できた気がする。そうか、こうしてやればよかったのか。
眠る麻衣の顔を見下ろして、いつかの泣いてた小さな子供を思い出す。
言い訳をさせてもらうと、麻衣はこうして守る方法がわかったけど、ジーンは守ってやる方法がわからないからしょうがなかったんだ。
翌日、壁を取り壊したところから人の遺体が出た。霊能者たちと一緒にここに来て消えてしまった三人ではなくて、おそらくこの依頼をするきっかけとなった行方不明者だ。
そのことでここに居る化け物は到底太刀打ちできるものではないと結論づけたナルは、他の霊能者達の前でそう報告した。霊能者たちも次々と撤退していくし、デイヴィス博士の偽物は行方不明者の連れに云い募られ、自分が偽物であることを暴露して逃げてった。おちまい。
……ってなるところだったのに、帰る直前になって真砂子が行方不明になった。理由は麻衣と、ちょっとした口論になったからだ。まあ、単なるヤキモチだったんだけど。……ナルが麻衣のことだけ下の名前で呼ぶのがやだったんだって。ひゅうひゅう。
一人になりたいって出て行く真砂子に、俺はついていった。ただ、さすがに拐われるところにまではついていけなかった。壁の向こうの空間につれてかれる段階で、俺は弾かれてしまったのだ。
真砂子救出計画を立て、壁を取り壊して行くなか麻衣は当然落ち込んでいた。シャワーを浴びると言って麻衣と真砂子を二人にした綾子も綾子だけど、麻衣は真砂子を一人にしてしまったから。
「ちょっと寝たら」
「……でも」
綾子は憔悴してる麻衣を心配して言ったけど、どうせ情報収集もできないしと渋っている。
「原さんなら大丈夫だから」
「え」
撤収の手伝いにと合流していたジーンは麻衣の背中を叩いた。
「見えるんだ」
「うん、だから安心して、今は休もう」
微笑んだジーンに促されて麻衣は膝を抱えて座る。目をゆっくり瞑って、顔を腕の中にうずめながら、「さん、さん」と呼んだ。
「……なんで俺を呼んだの?」
麻衣の隣で同じように座っていた俺は困惑しつつ笑う。
みんなは穴を空けるために壁のところにいるので誰もこっちを振り向かない。俺が現れても、ジーンはやっぱりもう何にも感じないみたいだ。
「夢を見る時、いつもさんがいてくれるから」
「……怖かったよね、ごめんね」
麻衣はふるふると首を振った。
「さんが見せてくれるの?あなたは、本当にさんなの?」
今度は俺が首を振った。
「麻衣は見られる可能性と、選択肢を持ってる。俺はその方向を示しているだけ」
「真砂子のこと、見られる?怖い思い、してないかな」
「見たい?」
「うん」
俺は立ち上がって、麻衣の手をとった。
伏せていたまぶたを持ち上げて見せた麻衣の瞳は、強い光を持っていてとても綺麗だった。
next.
主人公はあくまで麻衣ちゃんの見られるものを選べるだけなので、ナルやジーンとの中継はできません。ちなみに首を裂かれるのはナルのサイコメトリーだってのは忘れています。
ぼーさんや綾子って呼ぶのはゴーストハントだって気づいたからと麻衣の真似で、リンとまどかが呼び捨てなのはナルとジーンの真似だしゴーストハントだって気づいてなかったからです。
Aug 2017