I am.


Invisible. 17

ジーンの服を借りようとクローゼットを開けて、目当てのものに腕を通した途端に視界が奪われた。
目を瞑っていないのに真っ暗になって、思わずバランスを崩しそうになる。持ちこたえて目に力を入れると、視界は定まった。しかし僕は昼間の道路にいて、後ろを振り向いたところだった。
音は拾えなかったけれど、猛スピードで走って来た車に撥ねれて視界が定まらない。それから、の姿まで見えた。
これはジーンが見ているものだとわかった。
の姿を見るということは、単なるサイコメトリというだけではない。もともと僕とジーンの間にあったテレパシーは歳をとるにつれて距離があると繋がりづらくなっていて、ジーンとは今遠く離れた異国の地、日本へいる。こうしてビジョンがつながっているのは偶然か、強い衝撃があったということだ。
は肉体がないくせにジーンを庇おうとしてきた。自身の認識のせいで、自分も車に轢かれたと思っているのだろう。道路に転がる視点の中にの横たわる姿が見えた。

今度は一瞬にして、視界が赤く染まる。
これは、が死んだ時の記憶だ。霊媒のミセス・ジャンヌに聞いて知っていたが、人を庇って事故にあい死んだ時のことを、おそらく今は思い出している。
死にゆく、強烈な微睡みが僕とジーンを襲う。
行くな、と訴えた。
目を覚ませと自分に言い聞かせるのではなく、僕はを引き止めた。
瞬間、の意識は途切れた。が消えてしまったのかわからないでいるうちに、今度はジーンの現状が頭に流れ込んでくる。
車から降りて来た人物がジーンを見下ろして、車に戻って発進した。逃げるつもりなのだろうか。
否、それどころではなかった。
車はもう一度、ジーンを轢くつもりでいた。タイヤが道路を這う光景が鮮明に映る。
けれど恐れていた衝撃が来る前に、ハンドルが切られたようにタイヤもうねり、ジーンを避けて走り過ぎた。そのままガードレールにぶつかり車が止まる。
今のはなんだったんだと思いながら、僕は我にかえった。

数時間後、ジーンが日本で事故にあい病院に運ばれたと連絡がきた。
命に別条はないらしい。両親はすぐに日本へ行く準備をしたが、僕は特に行くつもりもなかった。それなのにジーンが僕を呼んだので行くことになった。

「───がどこにもいないって?」
日本のジーンが入院する病室で、二人になってから事情を聞いた。ジーンはベッドに横たわったまま小さく頷く。
は浮遊霊で、自分の意思でどこへでもいけるが、その意思でジーンについていたはずだ。交通事故にあったジーンから、何も言わずに離れるとは思えない。
「最後に見たのはいつだ?」
「車に轢かれた時……それ以降は、姿を見てない」
の記憶は?」
「ああ、ナルにも届いたのか」
僕は小さく頷き、ベッドのそばの椅子に座っていた足を組み替える。
「僕……を引き止めてしまった」
「うん」
「だってあのまま消えて行くなんて、なんか嫌で……」
怪我をして擦りむいた腕で、目を覆うジーン。
「いや、違う……僕が、まだと別れる決心がついてなかっただけなんだ」
ジーンはに少し負い目があった。
まだ霊との付き合い方がわからないうちから、試行錯誤を重ねてきた経験がある。その最たる練習相手がだ。
今までもジーンは説得に失敗して除霊することになったり、手を出せずに別れた霊もいたが、を傷つけてしまうことをなにより恐れている。
「それで、が消えたっていうのは?浄化されたのか?」
僕たちのものだとでも言うようにを付き合わせた自覚は僕にもある。
けれど過ぎてしまったことは仕方がないし、はジーンが思っているほど繊細ではないだろう。
「まだこの世にいると思う。でも、どこにいるのか全くわからなくなった」
「いることはわかるのか?」
「少なくとも、僕が救急車に乗るまでは同じところにいたんだ」
姿は見えなくなっていたが、気配は感じられていたらしい。
しかし、救急車に一緒に乗ってこなかったのは驚きだ。
「事故の衝撃か、記憶を思い出した衝撃か、僕とのチャンネルがずれたいみたい」

その夜僕らは病室でに呼びかけた。とジーンの波長が合わなくなったとはいえ、ジーンは霊媒だったし、が協力的な霊であった場合はなんらかのアクションを起こせるはずだ。少なくとも、何か物をうごかしたりくらいは。
ジーン曰く全く気配が感じられないというが、僕にはその感覚すらわからない。
僕の場合とやり取りをするのは筆談だったから紙とペンを用意してみたけれど、動くこともなかった。


と最後にやり取りをしたのは、日本へ行くほんの少しだけ前のことだった。
ジーンによっての研究は停滞していたせいで暇を持て余した彼は、僕やジーンについて学校へきていた。僕は授業そっちのけでと会話することに楽しみを見出していて、あの日もルーズリーフの脇でいる?と呼びかけた。
出しておいたの分のペンがころりと机の上を転がってゆっくり自立し、肯定するように丸をつけた。
ちなみに、授業を受けろといいたいときはペンがペンケースに戻って行く。最初のうちはそうだった。
あの時話したのは、奇遇にもがこの世にいる理由についてだった。

”本当は思い残すことなんてなくて”
”僕たちのために、ここにいるんじゃないの”

そう問いかけたのに、は答えてくれなかった。いつだって、僕たちの問いには最大限答えていたのに。
答えられなくても、わからないとか、自分で考えてごらんとか言っていた。それによく、どうだと思う?どうしたい?どうあってほしい?と聞き返して来た。
僕は聞き返されることになると知りながら、僕たちのためにここにいるのではないかと聞いたのだ。
そして、僕のためにこの世にいたらいい、と言おうとしていた。
子供染みたわがままでも、研究対象に対する興味でも、なんと言われようが構わない。
無責任に願っているわけではなかった。僕は一生涯といたっていいし、僕が死んだら終わりにしたらいい。
永遠にこの世にとどまり続ける可能性よりも、僕を理由にしたほうがよほど建設的だ。

アメリカに全く縁がないのにジーンの前に現れたことも、イギリスについて来て家の屋根裏部屋に棲むことも、僕たちの実験に付き合ったことも、明確な理由はわからない。本人さえ曖昧だというけれど、少なからず僕たちのことを考えていたことは事実だろう。
それを認めたらきっと、今度は僕たちのことを傷つけると思ったのかもしれない。
僕の方がきっとを傷つけるし、ジーンほどを尊重してやれるわけではないのだけど、それでも確かに僕はを大事にしようという気持ちはあったのだ。


next.

じつはナルの方が主人公に対して愛が重かったらいいなと。
ジーンはいつか絶対成仏してほしいし、見送りたいと思ってたけどナルは成仏しないっていうならしないでいいし、一生面倒見てやるって言いたかった。見るといっても大したことはできないけど、だからこそ主人公が自分たちを理由にこの世にとどまっているというなら、その気持ちを最大限に利用したかったというか。
姿形を見て触れること、肉体があり生きていることが全てではないと、ナルは普通に思いそう。
むしろ霊だからこそ、愛せそうな気がして来た。よっマッドサイエンティスト。
英文は、目に見えないものに愛情をそそぐ、というような意味で、つまりナルのことです。
Aug 2017

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