Mirror. 03
ナルが俺の肩を揺さぶって「起きて」という声がいつもの目覚めの合図だった。とにかく俺は、そうやって望まれなければ、きっとずっと眠り続けてしまう。
だから毎朝ナルが起こしにくることで、およそ十年、眠ったら起きる同じ人間として生きてこられた。
「まったく、いつになったら一人で起きられるんだ」
「いっしょうむりかな……」
覚醒の遅い唇から出る言葉。
ナルはじっとりと俺を睨んでからため息を吐く。
「僕に一生起こせって?」
「さすがにそんなこと、ナルに頼まないよ」
「どうだか。日本で寝坊して約束に遅れても、僕は知らないから」
「はあい」
呆れたナルの物言いに肩をすくめた。
俺は死の気配を感じる特性があるので、死んだ後の人間の魂が現世に残っているのもわかるし、記憶を自分の中に映すこともできる。
ナルたちはそれを霊と呼んで研究するのが生き甲斐らしい。
そこである調査を手伝っているとき、わかった霊のことをうっかり口を出してしまったおかげで、俺は表向きに霊視能力者として少しだけ名が売れてしまった。時には依頼まで受けることになってしまったので、ちょっとだけ困っている。
イギリス国内だけじゃなくて、色々な国から霊を見てほしいとか、話を聞かせてほしいだとか依頼がくる。ナルはサイコメトリーという能力に頼って送られてくる、人を探してほしいという依頼をほとんど全て断っているくせに、俺への依頼は面白そうなのがあれば行って話を聞いて来いというし、時には自分もついてくるんだからずるいよな。
まあ、極端に欲のない子が出会ってしまった唯一の興味あるものがコレなので、仕方がないのか。
そういうわけで俺はナルのために日本に行って、ナルに言われた通りに依頼を受けた。
寝坊に関して言えば、寝なければいい話なので特に遅刻はしていない。今更気づいた。
ちなみに、帰ったら「なんとか起きられた」とナルに嘘をつこうと思っている。
きっと驚くぞ───。
ドンッ!!
考え事をしながら歩いていた俺の視界が急に暗転した。
ものすごい衝撃を感じて、気がつけば地面に身体が転がっていた。
あ……車に轢かれたんだ、とわかる。
「あぁあっ……どうしよう、どうしようっ……死、死ぬ……?」
俯せのまま様子をうかがっていると、車から降りてきた人が寄ってきて狼狽しながら俺を見下ろしている。
俺には靴くらいしか見えないが、やがて慌てて遠ざかっていき車のドアが閉まる音がした。
しまった、救急車を呼ばれたらやだな。病院へ行って処置されるのは面倒だし、軽傷のフリをして起き上がろう───ああでも、エンジン音がするからひき逃げなのかも……と思ったその時、俺は再び車に身体を潰された。
なんだ……殺すつもりだったのか。
長年ナルに合わせて維持してきた身体に、愛着がなかったわけではない。
ただ酷く壊されてしまった上に、俺を殺した人間の前で起き上がってまうのはよくない。
人間ではないとバレてしまうし、同じ顔をしたナルに迷惑がかかる。
仕方がないので、ユージンはここで死ぬこととにした。
ユージンの身体は車のトランクで運ばれた後、シートに包まれてどこかの湖に沈められた。
わざわざ息の根をとめたのだから、このくらいの事はすると思ったが、死体遺棄へのフットワークが軽いなと思う。
念のため二日くらい水底に沈殿してから、身体を包むシートを破って浮上した。
ぱしゃん、と音を立てて湖から顔を出すと、満月と星空が見える。
「ナル、大丈夫かな」
ざぷざぷ、と水面を揺らす音に交じる呟き。
これからどうしようかと考えながら、とりあえず第一に湖から上がることを考えて岸まで泳ぐ。
その間に俺は少しずつ、ユージンの姿を失っていく。壊れた身体では動きづらいんだもの。
ユージンではなくなったということは、おそらくまた人間ではなくなった。
でもナルに出会う前ほど、おぼろげな存在ではない気がした。だって今はナルのことを覚えていて意識と自我が残っているのだ。
しばらくそのまま日本で漂ってみることにして───たまたま目にした交通事故で、命を失う女に引き寄せられる。
ぼんやりと開いた瞳に、女と同じ顔をした俺が映り、同時にこれまでの記憶まで読み取った。
ナルと同じように双子を名乗ることも考えたが女の年齢が三十九歳だったので、娘のフリをしようと思い、記憶を辿って若くした姿をとる。年齢はナルと同じでいいかと十六歳の想定だ。
そして事故の混乱の中人混みに紛れて家に帰ると、数日後に人が家に訪ねてきた。
案の定俺の存在には驚かれたが、最終的に俺は女が出生届を出さずに育てた娘として、戸籍を得ることに成功した。
新しい名前は「谷山麻衣」である。
「ね、麻衣!今日の放課後さ」
「うん」
保護された後入学した高校で、新しく出来た友達のミチルが言いかけた言葉をまつ。カラオケかな、クレープかな、プリクラかな。それとも、
「怪談しない?」
「へ……怪談?」
思わず拍子抜けすると「あ、つまんなそうって思っただろ~」と指摘されてしまい、慌てて取り繕う。怪談なんて聞き飽きた───というか見飽きたというか。
「ううん、初めてだからさ、あたし上手くできるかなって」
「内容はなんでもいいよ、怖くなくても許すっ」
ミチルはどうやら四人でやりたいらしく、人数合わせの意味でも俺に参加してほしいと言った。
複数人で怪談をして霊を引き寄せて、最後に参加人数を数えて『誰か』を呼び寄せるという降霊会に似た形式だ。そこに四人である必要性はよくわからないが、三人じゃ格好がつかないとか『四』と『死』を連想させるだとかいう日本特有の語呂合わせだの験担ぎだのが含まれているのかもしれない。得体の知れないものの発生が験にあたるかはさておき。
俺は別に参加したくないわけではなかったので、「怖くなくてもいいなら」と予防線を張って参加した。
なお、俺が披露した怪談は滅茶苦茶怖かったらしく、次の恵子が話すまでに暫く時間を要した。
時刻は夜の八時を過ぎ、外では雨が降りだしていた。
視聴覚室の分厚いカーテンの外では窓ガラスに雨がぶつかる音や風の音がする。
「じゃあいくよ」
雰囲気も相まって、裕梨は押し殺したような声で準備を促す。
人数分あったペンライトの光は、一人怪談をするごとに消していて、全てが消された今、この空間は暗闇に包まれていた。
いよいよ怪談の話をした順に「いち」「にぃ」「さん」「し……」と数字を数えていく。そして、───「ご」と、あるはずのない声がした。
「キャアァ!!!」
「いやーっ、いやーっ」
「やだぁ!麻衣ぃ~!!」
俺以外の三人が一斉に悲鳴を上げて、バタバタと暴れ出す。
裕梨に抱き着かれてしまい身動きの取れない俺は、落ち着かせるために彼女の背中を撫でてやった。
その間に、誰かが視聴覚室の電気を付けた。つまり、入り口のところにあるスイッチが押されたということで、人が右往左往しているのを見てほくそ笑む性格の悪い男がいるってこと。それがナルだ。
───なんで、日本にいる……?まさか、俺がここにいることを……。
「い、いま、『ご』っていったのあなたですか?」
「そう。驚かせた?」
ミチルがおずおずと声をかけると、白々しく笑うナル。
目までは笑えてなくて、俺の笑顔には遠く及ばない。あんなにいっぱい、手本を見せてやったというのに。
「そんなあ、いいんですう!」
「何年生ですかぁ?」
だが裕梨と恵子はナルの顔が整っているだけでちやほやしだす。もちろんミチルもだ。
ナルは渋谷一也と名乗り、学年を濁し、転校生のようなものだと誤魔化した。
「ちょっと点検のために回っていたら声がしたから」
「点検?」
俺はそのワードを拾い上げて会話に入る。
彼も今まで黙って様子を窺っていた俺の声に気づいて、こっちを見た。
だが女の子たちが口々に「手伝います!」「早く終わらせちゃいましょ」と言い出した。なぜならナルは怪談に混ぜて欲しそうにしたからだ。
とはいえ夜遅い時間のこともあって、仕事の手伝いをナルは辞退して、明日の放課後俺たちのクラスに来るという約束を取り付けていたのだけど。
翌朝、俺は昨日の怪談で聞いた学校の旧校舎が気になって行ってみた。
確かに過去ここで人が死んだりしているようだけど、その死の残り香はもう殆どなくて、霊と呼ばれるほど存在感があるものはいないと思う。
昇降口のドアに嵌まる、煤汚れたガラスを指で拭いて中を覗いてみると、なにやらその場にふさわしくないものが見えた。
思わずドアを開けると、やっぱりそこには大きなカメラがあり、繋がるコードが奥へと伸びている。
「……!誰ですか」
ナルが用があったのはここだったのか、と思っていると下駄箱の影からぬうっと人が現れた。
ひょろりと高い身長に、長く前髪を伸ばして片目を隠す不愛想な男───リン。
ナルが一人で日本に来ているわけがないと思っていたけど、その相方はリンだったわけだな。
「生徒は立ち入り禁止のはずです」
「あ、ごめんなさぁい」
にこぴっ、と最近習得した笑顔を浮かべる。ナルの顔でやるには相応しくないが、この顔なら中々愛嬌が出るのだ。
主に、学校の先生にスカートが短いって言われた時と、廊下を走るなって言われた時に使う。今回は本来とは違う形でリンに効いたみたいで、早く立ち去って欲しそうに苦い顔をされたけど。
「もうすぐ始業のチャイムが」
「リン?何をして───昨日の」
ぎゃ、ナル……。
良い感じにフェードアウトしようと後ずさったところで、続いて現れたのがナルだった。
俺を上から下まであからさまに見て、それから首を傾げる。
「なにか用?」
「べつに」
俺はふいっと顔を逸らして、ナルから逃れる。
その目を見ていると、懐かしくなってしまうからだ。
「───今日の放課後、君も参加するの」
「え?」
もう行く、と言いながら昇降口から出ようとすると、背後からナルが話しかけてきた。
一瞬何を言われたのかわからなかったが「怪談」と短く言われればわかる。
「……あたしは別にいいかな。昨日は人数合わせだったし、そんなにネタもないし」
「じゃあもう一度、昨日話したのを聞かせてほしい」
早くいかせろの気持ちでいっぱいに足踏みをしていたのが、縺れた。
よろめき、立て付けの悪い昇降口のドアにぶつかる。
あれ?
「…………昨日の怪談、いつから聞いてた?」
昨日、友達三人を震撼させた怪談はナルと俺の実体験だったことを思い出す。
「さあ、いつからだろう」
恐る恐る尋ねると、ナルはうっすらと笑った。
その時、予鈴が鳴って俺の身体を無意識に突き動かす。
教室まで飛び込むようにして滑り込み、ようやく背後を見てみたが、もちろんナルはここまで追いかけてはきていなかった。
next
ここまでが序章って感じです。
女の子なので一人称は『あたし』
麻衣のお母さん(ではない)の若いころの記憶にある喋り方とか、高校で出会った友人とかを参考にした口調で話しています。
年齢がナルと同い年で高校一年生なのは、単純に入学遅れという認識だけど、おそらく誰も突っ込むことはないです。
ただ生年月日をナルと同じにしておくのもいいな、と思ったり。
June.2024