I am.


Mirror. 05

*三人称視点

ジーンが日本へ行って五日ほど経ったある日、ナルは彼の上着を借りようとクローゼットを開けた。
記憶にあった目当てのものに腕を通したその時、立っていられないほどの衝撃を受ける。
視界は黒とも赤とも灰色ともいえぬ、妙な暗転を経てからぼやけた景色に変わった。
衝撃を受ける直前にまるで外にいるような風景を見た気がしていたが、今は地面に横たわり誰かの靴くらいしか見えない。───つまり、誰か、倒れている者の視点だ。

自分の能力と、手にした物体からして瞬時にナルは理解した。
これはジーンの体験だ、と。

ジーンは突如車に撥ねられて、救護されるどころかもう一度車で身体を潰された。
そうなるとナルの視界はグリーンのハレーションがかかったようになるのだが、これは対象が死亡した時に現れる特徴で───ジーンが死んだことを意味していた。

うそだ、と否定しかけたがやめる。
ナルの優秀な頭脳は、これまで幾度となく見てきた特徴と、ジーンの状況からして、生きていることは絶望的だということが分かっていた。
それに、ジーンの身体は湖の中に沈められた。

目を瞑っていても流れ込んでくる光景と、冷たい水の温度を感じてナルは震える。
同調というには曖昧だが、このまま体温が下がって自分も死んでいくように感じた。

───「……のは、……か?」

脳裏に誰かの声が響くが、水の音が邪魔をして聞き取れない。

───「……まで、……に……」

誰かなんて、きっとジーンに決まってる。

───「オリヴァーだから、"ナル"だ」
───「今日は寒いんだね。ナルの手、冷たいや」
───「寝不足は寿命を縮めるよ、おやすみナル」

段々明確になった声は走馬灯のように、ナルの頭を駆け巡る。
まるで別れを惜しむかのようだった。

けれどやがて、暗い水底に辿り着くと、すべてが沈黙した。

ナルはそのまま暗闇の中で目を凝らし続けた。
次第に濁った視界の中に揺らぐ光があり、それが全て晴れた時、目の前には綺麗な星空と月が広がった。
まるで水面から顔を出したかのような光景がそこにある。耳元で水が揺れる音さえもしてきそうだった。

「ナル!!」
「目が覚めたのね!?」

突如、ルエラとマーティンの顔がナルの視界いっぱいに入り込んでくる。
先ほどまでは夜空を見ていたが、ナルは明るい部屋にいて、そこはどうやら病室のようだった。
両親曰くナルは突如部屋で倒れて意識を失い、そのまま二日程目を覚まさなかった。そしてジーンと連絡が途絶えてしまったことで、気が気じゃないままナルの目覚めを待っていたらしい。
ナルがこんな風になるのも、ジーンが音信不通になるのも、つながりの深い双子を見ていた両親からすれば何か意味があるのかと思えるのだ。

───だけどナルは自分が見たことは言わなかった。

サイコメトリーという性質は、自分の中に最初から備わる感覚として当たり前のものだった。
けれどこの時初めて疑念が生じた。
ジーンはナルの経験上では死んでいた。だがその後に見たヴィジョンはまるで、ジーンが蘇生して湖から浮上したかのような『続き』があった。ジーンがされたことを思えば到底生きているとは思えないというのに。
もし家族にそんな話をすれば、ジーンの死を見たショックで頭がおかしくなったのだと思われかねない。だからナルはジーンを探しに行くことにした。

「僕も日本へ行く」

起きるなりそう言ったナルに、両親をはじめとする大人たちは当初反対したが、ナルが自分の決めたことを素直に覆すことはなく、行くの一点張りで貫き通した。
最終的にはナルとジーンはたった二人の兄弟で、人探しに長けたナルが探すというのだから、と諦めた。ただしジーンが何の連絡もなく帰ってこないということは、何かの事件に巻き込まれた可能性が高く、ナルの危険性も鑑みて十分に注意をすることを厳命した。

その為ナルは目立った行動をしないこと、リンがついて行くこと、もちろん一人で力を使わないことなどたくさんの約束をして日本へやって来た。
そして出逢った唯一の手掛かりは、ジーンとナルがかつて体験したことを『怪談』として話した、一人の少女だった。

校長先生に聞いた名前は『谷山麻衣』───数カ月前に母親を亡くして孤児になった後、この高校に入学してきた。
彼女は母親が事故で死ぬまで、戸籍がなくその存在を世間ではないものとされていた。学校にすら通っていた形跡はないらしい。
ある日住民の死亡の報せを聞いて部屋を訪ねた住宅管理者が、そこにいた麻衣を見つけて保護。
自分の名前やこれまでの生活の記憶がなかったが、最低限の常識や学力があったことから、戸籍を作り高校に通わせることになったというのが経緯だ。

彼女の境遇に、ナルは微かな親近感を覚えた。
ナルとジーンは親が失踪した後に衰弱したところを保護されたし、『ユージン』はその時まで出生届を出されずこの世に存在しない者とされていたからだ。
麻衣はそんな風に世間と切り離されて生きてきたにもかかわらず、ジーンから詳しく伝え聞いたかのように、鮮明に体験談を話した。
ジーンと会う可能性はゼロではないにしろ、なぜその話を聞いているのかは全く見当がつかない。
だが、麻衣に問い詰めても「覚えてない」の一点張りだった。
本当に覚えていないのか───麻衣は何かを知っているのか。そしてそれは後ろめたい事なのか、口にするのも嫌なことなのか、何もかもが分からない。
だがこのまま関係を終わらせてしまえば、彼女はきっとジーンの存在など思い出さないに違いない。そう思い、つなぎとめるためにナルは仕事を手伝わせることにした。
だが、戸惑いながらも大人しく手伝ったのは最初だけで、翌日は現場に来なかった。
気になって教室に行けば、そこには見知った生徒は一人もない。せめて怪談の約束をしていた子でもいれば、麻衣の行方を聞けると思ったのだがそれも出来ない。

「何かご用?」

途方に暮れていたナルに、クラスにいた生徒のうち一人の少女が声をかけた。
「……谷山さんはいるかな」
「もう帰ったわ。友達と寄り道をするって言ってたけど、あなたは?」
「僕は渋谷……、約束をしてたんだけど」
明確な約束はしていないが、ナルは言いきった。
正直もうこの教室に用はないし、麻衣が帰ってしまって、明日が土曜ということなので住所を調べないといけないと考え事をしていた。
「!それって怪談じゃないでしょうね」
「そんな話もしたかな」
「怪談なんて面白半分にしてはいけないわっ!霊が寄ってくるの」
ナルは急に様子が変わり声を荒らげられて、ようやくまともに相手のことを視界に入れた。
彼女は強いまなざしでナルを見ていて、言葉を続ける。
「聞いたところ、あなたが年長者なんでしょ?それじゃあ困るのよ」
今まで面識のなかった少女に事情を知られていたことに疑問を覚えたナルだったが、おおかたクラスで話されていたのを聞いていたのだろうと片づける。
なにせ彼女は、麻衣が友人たちと寄り道をして帰ることまで知っていた。

ナルは、試しに「旧校舎に何か感じない?」と話をふってみることにした。
彼女の口から出てきたのはあの場所はかつで病院だったこと。そこには怪我をした兵士や看護婦の霊が出ると言い出した。
だが旧校舎は戦前から学校として使われており、病院だった事実はない。
と、そのことを指摘すれば、彼女は途端に不機嫌になった。
「~~知らないわよ、そんなことっ」
「校舎には悪霊がいて工事が進まないそうだけど、君にその原因はわかる?」
「そこで殺された霊が恨んでるのよ」
「君が除霊してあげたらどうかな」
「簡単に言わないでっ!そもそもあなたに言われる筋合いなんて」
ナルは落胆を覚えながら肩をすくめた。
「僕は校長先生に依頼されてるんだ。旧校舎を工事できるようにしてくれって」
「は……?あなた霊能者なの?」
麻衣に逃げられた腹いせに、八つ当たりをしているのではない。けして。
しかし少女とこれ以上話していても、少しも気が晴れなかったのでナルは適当に話を切り上げて教室を後にした。
後ろで引き留める声を上げている少女のことは、もう関心の外だった。


翌日、麻衣の下宿先まで迎えに行くと、驚いたような呆れたような顔をされる。
仕事はまだ終わっていないので文句を言うと、麻衣は飄々と言い返してきた。
───ジーンなら言えば何でもやるのに、などと甘えた考えが過ったのは一瞬だけで、ほとんど無意識だった。
結局麻衣を傍におくには、理由が必要だと考えたナルは彼女にアルバイトを持ち掛ける。それに対しても「えー?」と戸惑ってはいたが、結局ナルの我儘を押し通して連れて行くことはできた。

旧校舎には、昨日増えた霊能者たちが揃って麻衣の登場に首を傾げた。麻衣も麻衣で、誰?と首を傾げていたが説明する必要性を感じず、ナルは必要な事だけを頼む。
すると麻衣は大してごねず、手伝いを申し出たジョンを連れてベースを出て行った。
だがそれと入れ違うようにして現れたのは、昨日ナルと教室で出会った少女───黒田直子だった。
昨日黒田はナルと別れた後、旧校舎に来て若干二名の霊能者、滝川と綾子に手酷くあしらわれている。(その頃ナルは麻衣の住所を聞きに職員室へ行っていた。)
そういえば綾子が空き教室に閉じ込められるハプニングがあったのは、彼女のいたずらだろうとリンから報告されていた、と頭の隅に追いやっていた情報を引っ張り出した。
「あぁら、何の用?子供が来るところじゃないわよ」
「強い霊の気配を感じたから来たのよ」
「おあいにく様、そんな気配はこれっぽっちもないね」
「自分じゃ感じられないだけでしょう?大したことないのね、霊能者って言うわりには」
綾子と滝川が口を開けば、黒田は対抗して強い口調で言い返す。
「それにあんたには、強い悪霊がついてるわ。ニセ巫女」
「はあ?おっかしいの、何言ってるのかしらこの子」
「ここに霊はいませんわよ」
「……あなた、テレビに出てる有名な霊媒師よね、どうせインチキだと思ったわ」
てんで低レベルな言い争いが始まり、ナルはいい加減にしろと口を開こうとした。
だがそれは、リンが急に立ち上がってイスが倒れたことでできなくなる。
同時に何かが倒れるような音や、落下音、そしてジョンの声らしきものが響いた。

「谷山さんが、二階の教室から落下しました」

リンの報告を聞いてすぐ、ナルは実験室を出て行った。



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旧校舎そっちのけで主人公を追いかけてるナルですが、そりゃジーンを探す手がかりが優先だもん、と思ってほしい。
調査はリンさんががんばりゅ。
June.2024

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