Mirror. 06
旧校舎の心霊現象調査の手伝いに駆り出された俺は、計測を終えて立ち上がろうと壁に手を着いた。ところがその壁は、実のところきちんとした壁ではなく、ベニヤ板が張られただけの軽いものだった。手を着いただけで亀裂が入り、よろめいた身体を支えてくれることはない。
そのまま、校舎から下の端材置場へと落下した。
およそ4メートルない程度の高さからじゃ大怪我はしないが、折れた柱とか破れた板が積まれたところだったので身体は色々と打ち付けてしまったような気がする。
「麻衣さん!ダイジョウブですか!?」
ジョンが血相変えておりてきて、更にはナルやリン、他の人たちまでやってきた。……あれ、何か一人多いな……?まあいいや。
落ちた態勢のまま、どうしよお、と宙を眺めていると、松崎って女と滝川って男が俺の身体に手をのばす。彼らはジョン曰く、巫女と僧侶と聞いた気がする。全くこれっぽっちも想像がつかない風体だけど。
「頭とか打ってない?」
「意識は、あるな?」
「だいじょうぶ」
「下手に動かさない方が良い。痛みや、眩暈、吐き気は?」
「ないよ」
ナルが俺をゆすり動かそうとする二人を止めたが、俺は結局自力で起き上がった。
皆が俺を見て顔色を変えないということは、目に見える大怪我をしていないということだろう。
そして、足元が悪い瓦礫の山を縺れながらおりる。周囲の人がオロオロと手を差し伸べてくるのを適当に掴んでバランスをとった。
「救急車を呼んだ方がよろしいのではなくて?」
「え、いいよ、病院ニガテだ……」
「駄目だ。病院に行って検査を受けるまでは油断するな」
「そんなお金ないよう」
健康保険には入ってるけど、検査とか、もし入院ってなるとそれなりにかかる。
今は両親がいる家ではないので、しなくても良い治療なんてしたくなかった。
「治療費はこっちで持つに決まってるだろう。とにかく大人しくしてろ。何があったのかは覚えているのか」
「何があったって、別に。思いのほか壁が薄かったんだよね、解体途中だから雨風防止のベニヤ板が張られてただけだったみたいで」
そういえば俺はナルのところのアルバイトという扱いになったんだったか、と思い出して治療費の心配をしなくてよくなった。
なので大人しくナルに言われるがまま、瓦礫の上に座って救急車を待つことにする。
途中何人かはお大事にってその場を去っていったが、俺のクラスメイトである黒田直子は何でそこにいたんだろ……。
救急車がくると、わざわざストレッチャーに横たえられ、ナルに付き添われて病院へ向かった。
調査に戻れと言いたいところだが、責任者として俺を放っておけない事情と、治療費の支払いがあることを考えるとそうは言えない。
病院に運ばれた後はまず、看護婦らしきひとに軽い問診をされた。痛いところや打った覚えのあるところを聞かれてレントゲンを撮る。そしてその結果と共にようやく医者に受診。
結局骨に問題はなく、医者は俺が見るからに元気だったので異常なしってことで終わった。
ユージンもだが、麻衣の身体は肉体が実在し、内臓や骨もちゃんとある。
ぶつければ損傷するし、痕がついたり、切ったら血が出たりもする。
だが痛みがわからなかったり、物を食べたり飲んだりしなくても生命活動をしていたり、色々と不思議なメカニズムをしているので病院はやっぱり緊張してしまう。
なので無事に切り抜けた後は、フウ……と息を吐いた。
「ただいま」
「……もう終わりか?」
「うん。後で痛み出したらまた病院来てって」
ロビーで待っていたナルの隣に座れば、本当に調べたのかとじろじろ見られる。
意識があり症状を自分の口から伝えられる───それも、どこも怪我をしてないと言う───患者に、医者は長く付き合いはしない。
元気であることを示すために両手をぶらぶらさせると、ナルはひとつため息を零した。
「心配かけてごめんね、学校に戻ろう」
「……今日はこのまま帰っていい」
「わかった~」
さすがにナルは俺を再び働かせる気はなかったようで、タクシーに乗って俺を下宿先に送り届けると、一人で旧校舎に戻っていった。
翌日、日曜。
旧校舎に行ってみるとベースはもう半分ほど片づけられていて、僅差で現れた黒田も目を白黒させている。……ていうか、昨日いたのはやっぱり見間違いじゃなかったのか。
「谷山さんは何か聞いてる?」
「ううん、なんにも」
「……昨日は大変だったわね。浮遊霊があなたにイタズラしたんだわ」
「あ、そお」
「でももう平気よ。昨日わたしが祓っておいてあげたから」
ベースにいないとなると、車か他に機材をおいた教室かな───と、ナルたちを探すのを黒田もついてくる。
俺と同じようにナルとか、他の霊能者を探しているんだろう。何の意味があるのかはわからないが。
「あ、いた。おはよう~」
「谷山さんと……黒田さん?」
ナルとリンがカメラを設置した教室にいたのを見つけて入っていくと、俺たちの登場に驚いたようだった。
俺の場合は安静にしていなくていいのか、という驚きだったらしく身体がぴんぴんしていることを両手を上げてアピールした。
「もう調査終わったみたいだね、撤収?」
「ああ、そのつもりだ」
「撤収!?どうしてよ!」
元々霊が居ない現場だったのでナルはすぐに撤収するだろうと思っていたけど、黒田は納得がいかないらしい。
ナル曰く、この土地は今現在地盤沈下が進んでいて、この校舎に来て起こった数々の、理由が分からぬ心霊現象(ひとつも知らない)は、校舎の歪みによって引き起こされたことで説明がつくらしい。
これまでこの校舎では死者を出したとか、不幸な事故が起きて解体工事が頓挫したとかいうのも偶然の出来事らしいので、解体工事はどうぞなさってくださいという事だ。いやそれ以前に倒壊の危険があるので、そちらの対処をするようにって話か。
「まだよっ、まだここには霊がいるわ!───私には感じるもの」
「いない。数値にもそう出ている。……君が除霊をすれば?」
言い合いがヒートアップしている気がして視線をやる。
ヒリつく空気に、まさかナルがムキになるとなんてと思っていたが、ナルの様子はいたって平常。
俺が感じたのは、黒田のほうだった。
小さいころ癇癪を起してたナルみたいに、体中のエネルギーが大きく揺らぎ、膨張してあふれ出す。そしてぶわりとその波動が周囲に広がった。
黒板や窓ガラスに亀裂が走り、引き戸がバタバタと開閉する。
床は揺れ動き、天井は軋み、パラパラと砂や石が降って来た。
「……倒壊する……?」
そんな風にいいながらナルが天井を見上げるよそで、俺は黒田の身体に飛びついて、ぎゅうっと抱きしめた。
これは地盤沈下でもなんでもなくて、ポルターガイストだ。それも、人由来のもの。
だから俺が飛びついたのはナルを落ち着かせようとするときの、癖みたいなもので。
「きゃあっ」
「黒田さんっ」
丁度窓ガラスが割れたところだったので、身を寄せ合ったようにも見えたかもしれない。
座り込んだ黒田を覗き込むようにして、両肩を掴み、気を落ち着かせる。
「大丈夫、落ち着いて」
耳元で優しく声をかけるのは、かつてナルにしたことだ。
彼女が俺の存在で精神的に安心してくれるかはわからないが、多少身体を楽にすることはできたかもしれない。
「た、たにやまさんっ」
「とにかく外に、この校舎は脆い」
「窓からの方が早いな」
すがるような目つきの黒田は、怯えてはいるが爆発していたエネルギーが落ち着いたようだ。その為ポルターガイストは止まったが、リンが俺たちを急いで立たせる。
ナルも割れた窓に残ったガラスを素手で割り、俺たちに外に出るように促した。
その手が切れているのを見て、あっと声を上げそうになるが同じく外に避難してきた連中が駆け寄ってきて騒ぎだすのでナルの手当てどころの話ではなくなった。
ナルとリンは言い訳もせず、調べることがあると言ってその場から去っていった。
そして俺は家で安静にしていろと言われたので帰ることになり、再び学校に来たのは月曜日だ。
黒田が朝から昨日のことを武勇伝のように語って聞かせていて、俺を見つけると嬉々として駆け寄ってくる。どうやら昨日一度帰されたのに、夜にまた旧校舎へいってあれこれしていたそうなのだ。
ちなみにナルは不在で、喋らないリンだけが残されていたと。またしてもポルターガイストを起こしたそうだが、黒田自身は霊が居るようで嬉しそうである。
なぜ彼女はそんなにも、自身が被害にあうことを楽しそうに語るのだか、俺にはよく分からなかった。
「お集まりいただきありがとうございます」
HRをしにやってきた担任から校長室に行けと言われて行ってみると、そこにはナルとリンの他に旧校舎で見知った顔ぶれと、学年主任と校長がいた。
見慣れた発光装置があったので、これから暗示が始まるのだと分かる。きっと昨日のポルターガイストが霊の起こしたものではなく、人の起こした可能性について気づいたのだ。
「これからちょっとした実験にご協力お願いします」
ナルは部屋を暗くして、皆に淡々と説明と指示をする。
リラックスするようゆっくり呼吸させ、旧校舎や学校に関連する情報を淡々と、そしてちょっと間延びしたように話すナルの声に聴き入る。
「眩しかったら目を瞑って構いません。目蓋越しにも光は見えますね?」
───いや、俺はこの声に従ってはいけないのだった。
慌ててぱちっと目を見開いたら、一瞬目が眩んだので顔を歪めた。
一方、ナルは言葉を巧みに使って人の深層心理に、学校や旧校舎を意識させ、教室にあるイスが動くというイメージを植えつけていく。
ユージンだったころ、ナルが暗示をかけるときに傍にいたように、ことの次第を分かっていればかかることはないはずだ。
俺は光が強くなったり弱くなったりする光景を見ながら、頭の中では別のことを考えてナルの声を聞き流した。
「もう、結構です」
暗示をかけ終わった時、ナルの声はまるで意識を分断するかのようにはっきりしていた。
そのことで皆もうつつだった意識を取り戻し、今まで起きていたことをよくわからないものにしていく。
その後、今日は誰も旧校舎へ入らないようにと言いつけて霊能者たちを解散させて───最後に「谷山さんはちょっと来てくれ」というのを忘れない。うへ……。
俺はナルに廊下に連れていかれて、しばらく歩く。
周囲に人気がなくなったところでナルは足を止めて、俺を振り向いた。
「さっき、何を考えていた?」
「へ?」
ナルの問いの意味が解らず首を傾げる。
恐らくナルは、俺に暗示がかかっていないことがわかったんだろう。
「今日のお昼ごはん、何にしよっかな~とか」
「……」
飯のことを考えていたのは全くの嘘だが、高校生らしい考え事を捻出したつもりだ。
するとナルは大仰にため息を吐いて俺を見下ろす。この、人を馬鹿にした態度、いつになっても変わらないなあ。
「僕は実験に協力してくれと言ったはずですが?話も聞かずにその場にいるだけのことを協力とは言わないと思いませんか」
「お、思いますう」
「非協力的な人間がいると調子が狂う」
「……でも、あたしに関係ないことでしょ?さっきのやつって」
ナルの表情や指先がかすかに動いたのは見逃さなかった。
「なら問題ないね、結果に支障は出ないさ」
ぱんっとナルの背中を叩くと、少し上体が傾いた。
「何を、」
「あした楽しみにしてる」
抗議なのか、聞きたいことがあったのか、何かを言いかけたナルを遮って笑いかけた。
そしてチャイムが鳴ったのを良い事に、俺はその場を離れた。
next.
基本的にナルのお小言は聞かない主人公。
June.2024