I am.


Mirror. 08

*三人称視点

「ナルって結局あの子と付き合うの?」

ある日、リンがうっかり資料室から出て行った瞬間に、麻衣がナルに対して話しかけているのを聞いてしまった。引き返すのは逆に目立ちそうで、聞こえないふりをしながら二人の背後を通り抜けて目的の棚へと向かう。衝立があるが、もちろん話声が聞こえないほどではない。
───ちなみに、麻衣がナルをそう呼んでいるのは『ナルシスト』からとったそうだが、ナルはそのまま好きにさせているし、ナルも麻衣を下の名前で呼ぶようになった。
リンからするとナルの"あれ"は自己愛ではないと思うのだが、そこを突き詰めるのが恐ろしくて見ないふりをしている。

話を戻し、質問された方のナルはというと全く思い当たることがない為無視していたが、麻衣が「よくデートに誘われてるじゃん、原真砂子さん」と指摘するのが聞こえた。
真砂子というのは先月調査の現場で出会った霊能者だが、彼女はナルが『オリヴァー・デイヴィス』であることを知っている唯一の人だった。
以前したPK実験の映像をアメリカのSPRで見ていたらしく、調査の後になって思い出したとオフィスに訪ねてきた。そして、事情を話すことになり口止めした。
しかしどういう訳だか、たびたびナルをお茶やコンサートに誘って連れ出していくのである。

「デート……?」

ナルは不思議そうに言葉を返す。
麻衣にこんな風に言われるまで、そのことに思い至らなかったようだ。リンも自分のことではないので興味がなかったとはいえ、初めてそのことを認識した。
言われてみれば、デートである。
「もしその気があるならわざわざオフィスに迎えに来させるんじゃなくて、自分で会いに行けば?スマホで連絡すればいいわけだし」
「僕にその気があるように見えるのか?」
「気があっても態度に出すようには見えないから、あたしにはわかんないけど」
「……」
「断らないからてっきり」
「断れるものなら断ってる」
「弱味でも握られてるの?…………大変そ」
麻衣は自分から聞いて来たくせに、唐突にナルを見放した。
確かにそれ以上彼女が踏み込む話ではないが、そもそもどうしてこんな話になったのだろう。リンはよくわからないまま、衝立の影で気配を消していた。なぜなら、資料室に何食わぬ顔をして戻るのに、もう一度二人の後ろを通り抜けなければいけないことに気が付いて、勇気が出なかったからだ。
ナルは結局何も言うことなく席を立ち、所長室へと去っていったドアの音がして───リンはその数秒後に何食わぬ顔して通り抜けようとした。
「あ、リン」
だが、麻衣に見つかってビクリと身体が揺れる。
「今の話聞いてたよね」
「……、」
不可抗力だったが後ろめたくなりながら、彼女の黒々した瞳に見つめられて頷いた。
「原さんの握ってるナルの弱味って、弟のこと?」
「!……言えません」
「ふうん。ま、聞かないけど。……次に誘われた時、少し手助けしてあげたら?」
「私のすることですか?」
突然の提案を、リンは否定の気持ちで聞き返した。
ナルは元々人に干渉されるのを嫌うし、リンも人の面倒を見るのは苦手である。もう、小さな子供ではないのだし。
もちろんリンはこの日本に来るにあたって、ナルの保護者兼監視役という立場があった。しかしだからこそ、気を配らなければいけないことは、もっと他にある。ジーンの行方とか、ナルが無茶をしないようにとか。───それなのに、ナルが人に好意を向けられたからといっていちいち気にかけてやるのは、リンのすることではないと思うのだ。
「だって他に、人がいる?」
そう聞かれたリンは、心の底からジーンがいれば……と渇望した。
ジーンがいたらそもそも、ナルに言い寄る人間は出てこなかったはずである。同じ顔をして態度の良い人間がいると、おのずとそちらに人気が偏る。たまにナルの方へ人が行っても、ナルは面倒なことは全てジーンに任せてきた。そしてジーンはそんなナルをけして放っておかなかった。
「……そんなこと、自分でどうにかすべき問題です。いつまでも誰かが助けていては成長しないでしょう」
苦し紛れに吐いた言葉だったが、とてもまっとうな理由だった。今までナルにはジーンがいたけれど、そのジーンがいないからと言ってリンや麻衣が気にかける問題ではない。
すると、ぽかんとしていた麻衣が、みるみるうちに表情を笑顔に変えていく。
「そりゃそーだ!あはは、あたしったら」
リンはこの時ばかりは麻衣と心が一つになった。
ナル、頑張れ───☆の気持ちで。



それからしばらくして、真砂子がオフィスにやってきた。
ナルはたまたま麻衣にお茶をいれさせたところで、ソファに座って本を読んでいた。
「ごめんくださいませ」
「ま、」
苦し紛れに麻衣に何かを言いつけようとしたのか、ティーカップを微かに揺らして顔を上げたナルをよそに、麻衣はすっと立ち上がりわざとらしく声を上げた。
「あっリンにもお茶を頼まれていたんだった☆」
「は……?」
今までリンが麻衣にお茶を頼んだことは一度もない。
麻衣がいそいそとナルから離れていき、真砂子に「ごゆっくり……」と軽く会釈をする。そして給湯室へその姿を消した。
「こんにちは。今日はこちらにいらっしゃるのね」
「……どうも」
ナルは本からなるべく視線を外さないようにして、ティーカップに口を付けて外す。そして、一応真砂子に返事をした。
だが今まで素っ気ない態度のナルを幾度となく連れ出してきた真砂子に、その程度の壁が通用するはずもなかった。
「失礼しまーす」
一方で麻衣がお茶を零さない程度の早歩きでリンのいる資料室へと入っていくのを、ナルは何も言えずに見送った。


「……なにか?」
資料室に勢いよく入って来た麻衣の動きに、リンは若干驚きつつも応じる。
手に持っていたお盆に載せたお茶が、零れていないのは奇跡だと思えるほどに麻衣は慌ただしい様子だった。
「いやちょっと、逃げてきた」
「逃げて……?」
「例の、原さんが来てる」
「!」
「だから、リンにお茶いれる名目で逃げてきた」
「そうですか」
いいながらリンの手元にことりと湯飲みが置かれた。見れば本当にお茶をいれてもってきたようである。
今までは聞き流していた真砂子とナルのやりとりだが、今更そうもいかず逃げてきた、という麻衣の居たたまれなさは理解できた。リンだって今は外に行きたくはない。
「しばらくいさせて、静かにしているから」
「……どうぞ」
麻衣は宣言したからには静かにしているつもりなのだろう。普段話しかけてくるときは物怖じしない態度だが、何もしない時はこっちが戸惑うほど静かなのである。
そしてリンが了承するなり、麻衣は部屋の隅に歩いて行き、ぺたりと床に座った。そのまま、膝を抱えて小さくなる。
「なにをしているんですか!?」
「静かにしている」
「……イスにくらいかけてください」
自分をないがしろにするかのような麻衣をみて、リンは非常に居心地が悪くなった。
ジーンのことがなければなるべく関わりたくない、興味もない相手だったはずが、会うたび話すたび目に映るたび、リンの意識を割いてくる。
それがどうしてだか不快にならないのは、彼女が誰かに───ジーンに、似ていたからだ。

ジーンも麻衣も、人当たりが良くて、穏やかでありながら結構やんちゃな部分があって、賢いくせにもの知らずで、どこか抜けている。
それでとにかく情操に乏しい。ジーンの場合は気づくまで時間がかかったのだが、麻衣の場合は前例があるせいかより早く理解できた。
麻衣の言動には時々『欠け』が見える。そして、ナルはきっといち早く彼女の『欠け』に気が付いたのだ。
ナルが麻衣を傍におき、麻衣がナルとうまくやれているように見える所以はそこにあるとリンは思う。
そしてそれは、自分にも言えることなのだと気が付いていた。



ある夜、リンはイギリスにいる上司のまどかと電話で話をしていた。
まどかはナルからの報告でアルバイトを雇ったと聞いて、その人物が気になっていたらしい。
ナルが他者を気にかけるのは稀なことであったし、それ以上に他者がナルについて来られるというのも稀であった。
麻衣がアルバイトになってからは約三ヶ月しか経っていないが、普通の十六歳の少女が過ごすには中々に長い期間ともいえる。
『どう?噂のアルバイトさんは、続けられそう?』
「今のところは」
続けられそう、とも言えないのが麻衣である。
なにせナルに言われるがままアルバイトになった経緯があるので。
『ジーンのことは、何か聞けた?』
「いえ……」
『あの子が日本にいた期間は短いはずよね?それでも……』
「何をしていたのかを聞いてみましたが、生い立ちが特殊で───母親を亡くした以前のことはあまり記憶がないそうで」
『……そうなの』
ジーンが消息を絶った頃と同時期に、麻衣の母親は事故で命を落としている。
麻衣にとっては唯一である肉親の突然な死はショックだったのだろう。
ただ、ナルから一度逃げようとしたのはジーンのことを知っていたという可能性があった。
そのことを話すと、まどかはナルがわざわざ彼女をアルバイトとして雇ったことを納得する。

『それでその子、どんな子なの?』

とうとうまどかは、おそらく一番聞きたかったらしい麻衣本人の人柄についてを話題にした。
「どんな───よくわかりません」
『ええ?でも三ヶ月もいるんだから、少しくらいわかるでしょう』
「……少しジーンに似ています」
リンが言った言葉に、え、と電話の向こうの声が止まった。
だがこれでは正しく伝わらない気がしてリンは言葉を重ねる。
「ジーンはもっと、大人しい人でしたが」
『そうなの。ということは、明るい子なのね』
明るいといえば明るいが、と、リンはまた細かく伝えきれないニュアンスを感じた。
ナルやリンと比べればそう表現できるだろう。

けれどふいに彼女はその存在感を消してしまう時がある。決まって、一人でいるときだ。
そこに妙な違和感を、リンは感じていた。



next.

おおむねリン視点。
主人公は人の心がわからないというか、まあまあ無遠慮。
時々言動から人間力の低さが垣間見えたらいいなと思います。
June.2024

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