Mirror. 12
*三人称視点滝川の身体を押し返して離れた麻衣が、突如立ち上がる。
その姿は不思議と宙を見上げていて、両手を軽く広げていた。
まるで、雨が降って来たことに気が付いたような仕草だったが、突如そんな麻衣の頭上から、大量の水が降り注いできた。
バシャンッ……と、頭や顔、肩に水がたたきつけられる音がした。
「麻衣っ」
滝川は慌ててそんな麻衣の身体を掴む。
傍にいたのに、滝川には軽く水が跳ねただけというのが、居たたまれない。
それに水の量が聞いていたよりも多くて、かなり痛そうだった。
麻衣の瞑られていた目がゆっくりと開き、色素の薄い光に透けた睫毛がふるりと震えた。
その先端にぶら下がっていた雫がぽたりと落ちて、顔を濡らす水と同化していく。
「おい、大丈夫か……!?」
「ひ、ど、……い……」
「あ、ああ、まったくだな。痛かったろ、かわいそーに」
滝川は慌てて、たどたどしく泣き言を零す麻衣を抱き寄せて、コートを羽織らせてやる。
自分が濡れるのも構わなかったのは、それだけ麻衣が憐れに思えたからだ。
「麻衣っ」
「谷山さん……!」
そしてそんな麻衣たちのところへ、ナルと真砂子が駆け寄ってくる。
「ど、どうして、あたしが」
「そーだよな!!うん」
わなわなと震える麻衣に、滝川は強く頷いた。
よりによって、軽い気持ちで人数合わせに呼んだ罪なき子供に当たってしまったので益々罪悪感を刺激した。
「また」
「───また?」
ナルは、麻衣の言葉に首を傾げる。
「ナル、この方は、谷山さんじゃありませんわ」
「「え」」
真砂子は驚きを隠しきれない様子でつぶやいた。
その言葉にナルと滝川が真砂子を見ると、突如麻衣が動いた。
両手で顔を覆って、その場に座り込む。
「うえぇぇん、どうしてあたしがまたっ、こんなメに遭うのよう~~~~」
そして泣き喚いた。
麻衣は確かに明るい女の子だろう。感情も豊かだと思う。だが憚りなくこんな場所で泣き出すような子ではないし、そもそも口ぶりからして麻衣ではない。
しかも泣いていたと思ったら、突如、滝川を睨みつけて指をさす。
「あんたと、この子に!かけようと!思ったのに!!───あ、今ならあの男に復讐が出来るじゃなあい!」
麻衣───便宜上そう呼ぶほかない───は、情緒が乱高下していた。
立ったり座ったり泣いたり走り出そうとしたり、あまりに動き回るので滝川がかけてやったコートは一度地面に落とされる。
しかし麻衣の身体で変なことをさせるわけにはいかず、滝川は責任もってコート諸共麻衣の身体を捕まえる。
「やめなさいよ~あんた別にあたしの好みじゃないのよ~」
「おうおう悪いなあ、お嬢さん。しかしとりあえず落ち着いてくれんかね」
「あなたがこの公園で水をかけていたんですね?」
「ええそうよ~。あんたは良い男だけどちょっと若すぎるわあ~」
「女性ですわね……先ほど二人の上に現れましたが……生前辛いことがあったんでしょう」
「───…………」
真砂子の言葉に、麻衣は急に静かになる。
なにか、言ってはいけないことを言ってしまったのかもしれない───と、一瞬強張った一同だったが麻衣は両手を伸ばして、真砂子の肩を掴む。
「そ~なの~~きいてくれるう??涙なしには語れない話よお」
あ、大丈夫だ、なんか愉快なヒトだ。
そう思って、滝川は麻衣の身体に回した腕を外した。
彼女は身の上を大げさに語った後、真砂子と滝川に諭されて、案外あっさりと成仏していった。
「───あ、終わった?」
そして麻衣もあっさり我に返った。
今まで霊に憑依されていたとは思えないほど、元気である。
普通の人間だと、もう少しぼんやりすると思うのだが。真砂子のような霊媒であるならともかく。
「よう、大丈夫か?」
「終わったって言ったな?何があったのかわかるのか」
「記憶がありますの?」
三人で麻衣を取り囲んで、念のため様子を確認する。
特にナルが言う通り自覚をしているのかが気になった。普通あそこまで意識を乗っ取られていた場合、本人の意志はかなり弱まっている。その為自分が見聞きしたことや、何をしたかなんて自覚していないことが多いはずだった。
「直前、目に映ったから───多分、女の人だったよね」
「……たまたま波長があったのか……?」
「憑依された感覚的にそう見えた気がしたのかもしれませんわ」
真砂子が言いたいのは、麻衣が霊を見たことへの懐疑心というよりは、目に見えた時点で反射的に警戒するから憑依をされにくいと言いたいのだろう。
だが滝川は、直前の麻衣の行動を振り返って言った。
「いや麻衣───お前さん、水が来るってのをわかってたな?だって俺のことをどかしたもんな。それで立ち上がって、宙を見つめた時、あれは霊の姿が見えていた。違うか?んで、にもかかわらず、霊を受け入れたってわけだ」
おや、と感心したような麻衣はやがて笑った。
「滝川さんは人をよくみているね」
その返しは肯定をあらわしており、滝川をはじめとし、ナルや真砂子も頭を抱えた。
「お前もうちょっと、危機感ってものをよ……」
滝川は、立ち上がって水を被った麻衣の姿が今も脳裏に焼き付いている。
少しドラマチックにさえ見えたあの瞬間は、恐ろしいことをやろうとしていたのだから。
「やだ、あんた、そんなことしたの?霊媒でもないのに!!」
後日、事務所に来ていた綾子やジョンを前にして当時の状況を話せば、案の定綾子が叱り飛ばした。
近頃彼女は麻衣のお母さんみたいになりつつある。そして滝川はお父さんみたいになりそうだ。
ジョンもお兄さんみたいに心配して、「アブナイですよ……」と注意している。
「情報共有が早いなあ」
麻衣は笑って、滝川にはアイスコーヒー、綾子には温かい紅茶、ジョンにはコーヒーをそれぞれ出す。この、自分たちのために別々の飲み物を入れてくれる気遣いとかを思うと、面倒を見てやりたいという気持ちになるので仕方がない。
「あら、皆さんおいででしたの」
その時、真砂子が事務所にやって来た。すると麻衣がほんの少し驚いたように目を見開くのを滝川は見逃さなかった。
「こんにちは、ナル、呼ぶ?」
「結構ですわ、今日は単純に差し入れですの。谷山さんにはお世話になりましたから」
「いいのに。でもありがとう、美味しそうだしいっぱいあるから、皆で食べちゃおうか」
滝川もその話を聞いて報酬は遊びに行くとか、飯食わしてやればいい、と思っていたことを思いだす。
「そういえば俺も麻衣に報酬やらにゃ。何が良い?」
「ああ、カラダで払ってくれるっていうやつ」
「ぶはっ、お前、人聞きの悪い……せめてデートといえデートと」
「あんたにロリコンの趣味があったとはねえ!」
綾子は呆れと笑いがない交ぜになっている。
だが滝川はそこですかさず、「相手もいないくせに」と言い返した。
「はあ?いるわよ!ね!?ジョン!!!」
「えええ?ボ、ボクですか!?」
「───あたくし、これで帰ります!!」
綾子がジョンを引き合いに出してうるさくなり、なぜか突然、真砂子が立ち上がる。男女の人数が合わなかったとはいえ、そんなにムキになるほどか……と滝川が思ったところで所長室のドアがいつもより乱暴に開けられた。
「うるさいっ!ここを喫茶店にするなとあれほど───……」
「ちょ、真砂子っ!?」
同時に真砂子が事務所のドアを出て行ったところで、丁度入れ違いになった。
ナルは綾子の引き留める声に反応して、閉まったドアを見ながら言葉を止める。もう真砂子の姿はそこにはない。
「ナル、原さんがさっき来ていたけど」
「もうお帰りになったようですね、挨拶できず残念です」
「差し入れもらった、たべよう」
「みなさんでどうぞ、───くれぐれもお静かに」
慇懃無礼なナルは明らかに真砂子と何かあったような気がするが、誰も聞けなかった。
だって麻衣ですら聞かない。
「え……いったいなんなの?真砂子とナルって……付き合ってるの……?」
「せやけど、そんな感じには」
「あ、喧嘩中?もしくはこの前の感じからして真砂子が───」
「わかんなあい」
麻衣はさっそく真砂子からもらった差し入れを開いて、一つを咀嚼している。
わかんなあい、ことはないんだろうが、言う気がないのだろう。
三人は「これおいしいよ」と笑いかけてくる麻衣をみて、詮索を辞めた。
数日後、真砂子とナルの恋路とか、綾子のいないデート相手だとかをよそに、滝川は麻衣と待ち合わせをしていた。
渋谷ではなくて新宿で、滝川が提案した通り映画に連れてってやる予定だ。その後はファミレスでも焼肉でもスイパラでもなんでも、好きなものを───と考えながら待つ。
「いた!」
すると、遠くから麻衣が手を振って駆け寄ってきた。
緩くウェーブがかかった髪とか、見たことない白いニットの膝丈ワンピースとか、そこから伸びる生足とショート丈のブーツとか、もう普通にデートに来た女の子の装いだ。
「───法生さん、待った?」
少し大きめのミリタリージャケットとかアクセサリーは何もつけてないところは、シンプルないつもの麻衣のテイストがのぞくのだが……そんなことより、滝川のことを『法生さん』と呼んだことの衝撃の方が強かった。
「ぉエっ?いや、待っ……てないけど」
そしてそのことを言いかけて、思わず言葉が出なくなった。
デートだからめかし込んで来いと言ったのは過去の自分であるし、そこで冗談で下の名前で呼んできたのは麻衣がふざけているのだろう。なので一度深呼吸してからは落ち着いて、取り戻した余裕の中で格好を褒める。
「今日、かわいいじゃん、あんがとな」
「男の人とデートするの、初めてだからよくわからなかったんだけど……合ってる?」
「ン!?ウン……合ってる」
だがすぐにその余裕が消し去られそうだった。
映画は話題になっていたサスペンス系で、そのあと感想の話が尽きずにウィンドウショッピングと称してひたすら歩き回り、良い時間になったので夕食をとる。
店はファミレスどころかファーストフードでハンバーガーだったのだが、普通にずっと喋っていた。
そしてそのあと声が枯れたからって駅で別れて帰った。
全然デートじゃないラインナップで、いつもの麻衣なら本当に年の離れた妹なのだが今日の麻衣はなんだかいちいち滝川をドキっとさせた。
終始下の名前で呼び、時には手を掴んで歩き「ありがとう」「これすき」「うれしい」と感動をあらわにした。
それに、年が離れている割に、麻衣の話す内容には賢さや教養に溢れている。時々抜けているのは人生経験の少なさが見えて逆に良い。
そんなこんなで、滝川はすっかり、楽しくデートをしてしまった。
ちょっとイイ……と思うくらいには。
しかし数日後、
「あ、滝川さんこの前はどうも」
「おう、あの後ちゃんと帰れたか」
「じゃないとここに居ないでしょ」
この通り、いつもの麻衣に戻っていた。
呼び方は戻り、デートの後に連絡が続くなんてことはなく、今は制服姿にいつもの髪型。
根本的な部分は変わっていないのだが、あの特別感がない。
映画の話を振ればまた盛りあがり、食事に行けばどんな店でもいつも「おいしい」というのだろうが、なぜかそれだけでは物足りない。
きっと麻衣は、デートに行く女の子をやってみたかっただけなのだ。
自分を可愛く演出し、男心をくすぐる練習───そうやって、やろうと思えば相手の思考を見透かせるくせに、普段はぜんぜんこちらに興味がないのだろうな……。
そう気づいた滝川は、九も歳の離れた女の子に弄ばれた気がして、少しへこんだ。
next.
主人公はひとでなしなので。(いいわけ)
June.2024