Mirror. 13
ある日、普段とは違うタイプの派手な服装でオフィスにやってきた滝川さん。本業はスタジオミュージシャンというやつらしく、その仕事帰りの格好なのだそう。
彼はいつもみたいに俺たちの顔を見に来ただけというわけではなくて、ナルへの相談をしにやってきたらしい。
正式に滝川さんから依頼する段階ではない状況だが、その現象は明らかに人智を超えているのではないか、と。
すっかり寒い季節なのにアイスコーヒーを頼み、一杯目をすぐに飲み干した滝川さんのためにおかわりを注ぐ俺は衝立の向こうの話を何となしに聞いていた。
二杯目のアイスコーヒーが入ったグラスをテーブルに置きながら「聞いたことがある話だね」と会話に交じると、現象に対していちいち否定や質問ばかりのナルが口を閉ざした。
一方滝川さんは、それを"よくある話"だと言われたのかと、一瞬顔を歪める。
「おい、同じ席に座った人間が三回だぜ!?聞いてた?しかも電車の───」
「あ、それじゃなくて他の……湯浅高校じゃない?」
「へ?知ってんの?」
滝川さんが俺たちに食ってかかろうとするのを制して、聞き覚えのある高校の名前を告げると、彼は拍子抜けしたようだった。
「近頃よく、そこの生徒がうちに依頼に来ていたんだよね。ナルがすべて追い帰していたけど」
「……ああ」
俺が見ると、ナルは少し視線を下げて考え込む。
まあナルが追い帰したのは、要領を得ない説明だったり、相手が十代の子供だったりで、依頼を受けるには心もとなかったからだ。せめて学校の許可があったり、保護者が一緒に来ているのであれば具体的な話をできたのだが。
とはいえナルは、そういった事情を抜きにして単純に面倒であるから断ったし、相手への配慮は一切なかったので俺が後から彼女たちに色々と説明をしたあげたのだが。
「滝川さんとジョンを紹介しようと思っていたんだよね、連絡先も聞いてある」
「───なあ、やっぱりこれはタダ事じゃないだろ?ナルちゃん」
「……」
まだ考え込んでいるナルを、俺と滝川さんは見つめる。
しかしその時、事務所のドアが開き、一人の男が入って来た。
それが、今話していた湯浅高校の校長だった。
校長からの直々の依頼ということで、ナルの重い腰が上がり俺と滝川さんとナルの三人で件の学校へ行ってみることにした。リンは明日以降、必要な機材を揃えて合流する予定だ。
湯浅高校は生徒が全て女子の都立高校で、現在は二学期の半ば頃にあたるため、生徒たちは普通に勉学に励んでいるところである。
校舎に入り校長に顔を合わせると、学年主任という吉野先生を紹介された。普段はしらないが、第一印象からして草臥れた感じの痩せた中年男性だ。死の気配すら漂っているのは、病気でもしてるのか、"原因"があるのか。いまにも死ぬ、というわけではないが何だか不思議な感覚を抱いた正体が気になる。
「失礼ですが先生には何か持病がおありですか?」
「え、持病……ですか?いえ特には……ただ、その」
「こらこら、初対面でなんちゅーことを聞いとるんだ」
廊下を歩きながら学校内のことを軽く説明する吉野先生の話が途切れたすきに、何気なく聞いてみたことだったが滝川さんに窘められた。
「ごめんなさい、顔色がよくなさそうだったから」
「いいですよ、ははは……じつは最近よく眠れていなくて……、……」
吉野先生は俺の素直な謝罪に苦笑した。
その後何か言いたげに黙り込むが、ちょうど会議室と名のついた部屋に辿り着いた為、ここをベースに使って欲しいと説明にもどる。
生徒には相談者はここにくるようにと通達があるそうだ。
「───それで、その、早速ですが私もよろしいでしょうか」
「もちろんです」
俺が睨んだ通り、吉野先生は怪奇現象に苛まれて、身体に不調を感じていた。
ただし吉野先生を見ても、その正体がよくわからないあたり、直接的に霊が纏わりついてるわけではないような気がする。特に死者特有の記憶だとか思念だとかも感じられない。
話を聞く限りでは、夜中に窓を叩く手が現れて睡眠を妨げてくる、嫌がらせ程度のようだし。
「わ、本当に来てるー!♡」
吉野先生が出て行った少し後、ベースにやって来たのは親し気な声をあげる、誰かの知り合いっぽそうな女子生徒だ。
滝川さんがバンドの追っかけの女子高生から相談された、と今回の話を持ち込んできたのでおそらくその子だろう。
他にも二名ほど友達を連れているので、相談者ではあるようだが。
「そっちの顔がいいのが渋谷、あとアルバイトの谷山」
「あたし高橋優子っての、タカって呼んでね」
「よろしくおねがいします。谷山麻衣です、麻衣って呼んでね。───あの人はナルって呼んであげて」
「勝手なことを言うな。……渋谷です」
滝川さんの紹介にあずかり、俺は自分で名乗り直したが、ナルが全く喋る気配がなかったので軽く繋いでおく。すると、俺を睨みつけてわざわざ名前を言い換えた。まあ、こっちではナルシストという性格にあやかってつけたニックネームなので呼ばれて気持ちが良いものではないのかもしれない。
ちなみにそんなやり取りを見て滝川さんは笑いをこらえていた。
その後、タカが連れてきた友達が呪われた席の被害者だそうで、電車のドアに腕を挟まれて引き摺られ、肩を脱臼し足を骨折したそうだ。
事故の経緯は、何気なく電車から降りたところ、車内から腕を引っ張られた途端にドアが閉まってしまったそう。しかしその腕を引っ張った何かが"何"であるのかは全く分かっていない。
「……今はその席は?」
「この前の子が入院中だから、今は誰も座ってないよ」
「「見てみたいな」」
俺のつぶやきと、ナルの声が揃った。とはいえ、俺の声は小さくて誰にも聞こえていないだろうが。
「じゃ、あたし案内する!」
そしてタカが挙手で立候補してくれたので、俺たちはぞろぞろとベースを出た。
無人にしてよかっただろうか、と思ったが留守番を言い渡されるのも嫌だったので、言わないことする。
呪われた席は、目の前にあると妙な存在感は放っていた。
吉野先生よりはよほど強いが、滝川さんとナルの後ろにいる状態だと、あまり近づいたりベタベタ触ることもできない。
ナルは席替えのタイミングや、机が入れ替わるのかどうかを聞いていて、俺もその話を頭に入れながら机をじっと見る。
しかし人の荷物が入っているとかでひっくり返してみることもなく、ベースに戻ることになった。
滝川さんとタカ、そしてナルが俺とすれ違って教室のドアの方へと行く。
俺は反対に一歩机に近づいたのだが、
「麻衣、おいて行くぞ」
ナルに呼びかけられるままに振り向き、三人が廊下で待つ方へと足を踏み出した。
ベースに戻ってみると相談者が待ち構えていた。
それからはひっきりなしに話に応じるはめになり、ありとあらゆる怪談を聞かされて、飽き飽きした。大抵が気のせいでは、考えすぎでは、と言いたくなる内容である。
ようやく人が途切れたころには外は真っ暗になっていた。
これならもう生徒は帰っただろうし、職員だってこんな時間に相談に来ことはないだろう。
「まったく、どーなっとんじゃこの学校は!」
机に突っ伏した滝川さんの頭をよしよしと撫でる。
「なあナルちゃんどうすんの」
滝川さんは、顎で顔を立てながら窓の外を眺めるナルの背中に声をかける。
外は暗くて、室内が明るいため、ナルの顔が窓ガラスに映っていた。
そして離れた所には麻衣も映る。滝川さんは丁度俺の角度からだと、ナルと被ってしまって見えなかった。
「───……数が多すぎて、機材が足りないな」
振り向いたナルと目が合ったが、ナルはその次に滝川さんに視線をやる。
そしてぼやくように、明日からはリンだけではなく松崎さんとジョンと原さんも呼び出して現場に行って除霊してみてもらおうと言い出した。
翌日、ナルに急遽呼び出されたにも関わらず全員が揃った。
事務所に戻って遅くまでかかりながら手分けして作った、校内怪談マップと相談内容リストアップを皆に回して、それぞれ見に行ってやってもらうことをナルが説明する中で、原さんが空気を凍らす。
「あら、真砂子と呼んでくださって構いませんのに」
何で今唐突に……?と思いながらナルを見やれば無表情である。
いや、そうか、最近デートはしてないみたいだから会える時に絡んでいくのか。
ナル、頑張れ───☆の合言葉を思いだしてリンを見ると、丁度目が合ったのに逸らされた。
「……原さんと松崎さんはまず例の席を見てきてください。そして出来れば除霊を」
「あぁら、普段なら随分なことを言ってやり込めるのに、真砂子には優しいじゃない?」
「それなら松崎さんにもそろそろ実力を発揮していただきたいですね」
一方でこんなやり取りがあったが、ナル、頑張れの気持ちで聞き流した。
「麻衣をベースに待機させて中継にする。───寝るなよ」
「あたしがいつあんたの前で寝た??」
「何もしないのは寝ているのと同じだ」
俺は麻衣になってから眠っていない。
それを言い当てられたわけではないが、ナルには反論が出来なかった。
だがナルに言われっぱなしになるのは癪だったので、手を出した。
滑らかな肌の肉付きの薄いほっぺたを指でつまみ、ひっぱる。松崎さんは横で「っひ、」と引き攣った悲鳴を上げた。
「な、何をなさるの!?」
「馬鹿お前っ」
「おそろしいことするんじゃない!!!」
「し、心臓が止まるかと……っ」
原さんに腕をはずされ、滝川さんに距離をとらされ、松崎さんに詰め寄られ、ジョンに泣き言を言われた。ナルはぽかんとして、ついでにリンも目を見開いて固まっている。
ユージンだったときもこうして悪戯もかねて軽い体罰を行っていたが、そのあとにナルが俺に手を出したことはない。なぜならナルは予期せぬスキンシップには固まってしまうからだ。
とはいえそれは、相手がそこらにある野菜と同等の他人であった場合は反射的に拒絶できる。だが家族やユージンなどの多少関わり合いになれる人間だと、拒絶することもできなくて、ただただ固まってしまうのだ。
───するとナルは、麻衣を"拒絶できない"というわけか。
おそらくここに居る人たちにもそうなんだろうと思うと、少しの進歩が見えて嬉しくなった。
にこにこと笑う俺と、黙り込んだナルを見比べ、来たる罵詈雑言の嵐に備えて縮こまる皆は、やがて何も起こらぬ空模様に少しずつ顔を上げ始めた。
「さ、仕事にかかろうか」
最終的に俺がそう締めくくると、お前がいうなという目つきで皆が会議室から出て行き、リンもため息をついてナルを引っ張って行った。
next.
主人公の自己紹介(+ナルの紹介)は定型文。
July.2024