I am.


Mirror. 15

*三人称視点

暗くなった外を隔てる窓ガラスは、明るい会議室をまるで鏡のように映した。
ナルは背後に見える机や壁、棚にドア、そして正面にある顔を見る。ちっとも微笑もうとはせず、ナルが動いた通りにその姿も動いた。目の前にいるのはユージンではなく、ガラスに映った自分の姿なのだから当然のことだ。
───ふいに、背後の机に頬杖をついて微笑んでいるジーンを見た気がして振り返った。
しかしそこにいたのは、麻衣だった。

麻衣はジーンとどこか似ていた。
ジーンよりは活発で抜けたところが目立つが、人をすぐに受け入れてしまう柔らかさや、時折存在感を消してしまうほどの静けさが二人にはある。

「ナル」

ナルを呼ぶ発音も、完全には放っておいてくれないところも、余計なナルの紹介も、頬をつねって来たあの仕草も、ジーンみたいで───。

「───ナル。……ねえ、ナルってば、リンも、……これってあたしにだけ見えるのかな」

はっとして我に返って声の方に視線をやると、麻衣が教室の中で佇む後姿がある。
そしてその向こうに、天井から逆さまになってぶら下がっている着物の女。長い黒髪をぞろりと垂らし、青白い顔が目を閉じたまま麻衣の目前に下りてこようとしている。
ナルとリンが麻衣の肩を掴もうとしたその時、女の目が開かれた。
奇妙に大きな眼球は血走り、麻衣と目を合わせたかのように思えた。───だがその瞬間、女は跳ねるように天井に逆戻りをして消えた。

「リン、何かしたのか?」
「まだ何も」
逃げた女の様子に首を傾げる二人をよそに、麻衣は何を考えているのかわからない横顔でどこかをみている。

「───谷山麻衣……"あたし"?」
そして呟いたのは妙な確認だった。



翌日、朝一番に来ていた麻衣は笠井千秋とベースで仲睦まじげに話しており、ナルとリンが現れるとにこやかに挨拶をした。
千秋はというと二人の顔を見るや否や、入れ替わるようにして出て行く。ナルは、麻衣に彼女がここへ来た用件を尋ねた。
「笠井さんと産砂先生が、何か手伝えることがあったら何でも言って、だって───ああでも、産砂先生は無理になったんだ」
「どういうことだ」
「体調を崩して、今日は休んでいるらしいから」
「へえ」
「あと昨日の夜中、あたしのところにまた霊が現れたよ───二人と見たのとはまた違う奴だったと思うんだけど」
「は?」
ナルはわざわざ素人の手を借りるほど困っていないので話半分に聞いていたが、突如麻衣が続けてする報告に意識を引き戻される。
「子供みたいな姿をしていたかな、礼美ちゃんみたいな。足から絡みついてきて腹の上まで這ってきたの」
「そう、それで?」
「消えちゃったあ」
───ここで、例えにされる礼美に憐憫をおぼえる者は誰もいなかった。


「なんで麻衣だけ二回も霊を見てるわけだ?」
話を聞いた滝川が指摘したのはそこだった。ナルも同じように気がかりだった点はこれだが、綾子は二度目は寝ぼけて見た夢だろうと片づけようとしていた。
真砂子に至っては霊媒としての自信を失っているのか、昨日から口数が少ない。
「複数の霊がおって、麻衣さんに憑いてってしもたんですやろか」
「まあそれは否めないわな」
「今までの相談者はたいてい、同じ現象を繰り返して徐々に悪化していくことが多かった。これはどう思う?」
「どないでっしゃろ……とにかく麻衣さんはお一人にならない方がええんとちゃいますか?」
「だな。今日は俺たちと一緒にいろよ」
「そうしようかな、いいよね」

結局何もわかることがないまま、麻衣は滝川とジョンと共に校内を歩くことになったが、その日麻衣の前に霊が現れることはなかったという。
だが帰る直前、ベースに集合した時に麻衣から寄せられた情報、「産砂先生、入院したらしい」というものにナルは考えを巡らせた。
産砂恵はたしか、相談者ではなかった。一部の相談者は現象が悪化したのか、ストレスかで胃に穴が開いて入院した者もいたが、彼女はそうではないはずだ。
体調不良と聞いていたが風邪とか、そういったものだろうと思っていた。
「だれ、産砂先生って」
「笠井さんのことを庇ってる先生」
綾子も記憶になかったようで、麻衣に聞いている。
「このあと、笠井さんとタカがお見舞いに行くっていうから一緒に行こうと思ってんだ」
「お前ら、いつの間に仲良くなってんの」
「何回か会って話したから自然と」
「へえ~、さすが女子高校生」
「ナルも一緒に行く?この中で産砂先生と笠井さんと面識があるのはナルだけだし」
ナルは断るつもりで口を開きかけた。
だが妙に麻衣の感心が気になり、一度閉じる。
麻衣なら一度会っただけの人の見舞にも行くだろう。だがおそらく、わざわざナルを誘ったりなどしない。
───今回、麻衣は妙に"引き"が強い。そして何かを感じ取って様子を見ている節があった。
ナルに言わないのは自覚がないからなのかもしれないが、言う気がないのかもしれない。
「……行こうかな、何かがあったのかもしれないし」
色々なことが気になる中で、麻衣のその誘いにナルは乗ってみることにした。


ナルと麻衣は最初、恵の病室のカーテンの外で待った。
先に千秋と優子が入り、二人が見舞いに来たことを言う手はずとなっている。
麻衣はともかくとしてナルは男なので、その辺の配慮である。
「恵先生大丈夫~……え、ど、どうしたの、それ!?」
「ああ、これはちょっと引っかかって切ってしまって、包帯なんて大げさよね、大したことないのに」
「体調とかどうですか~」
「軽い貧血なの。心配してくれてどうもありがとう」
「あのね、恵先生、お見舞いなんだけど、麻衣と渋谷さんも来てくれたんだ。ほら、手伝えることがあったらって話してた矢先のことだったじゃない?だから心配してくれてさ」
「───、……そう、そうなの、なんだか気を使わせてしまったようで、ごめんなさいね」
そんな声がしてきて、カーテンから顔を出した優子が手招きをする。
ナルと麻衣はゆっくりと奥に進んでいき、カーテンをそっと開けて、恵のスペースに足を踏み入れた。
「突然訪ねてしまって申し訳ありません」
「ご迷惑でしたか?」
「!……いいえ、そんなっ、ありがとうございます」
恵はベッドに座ったまま二人を見上げたが、一瞬にして弾かれるように下を向いた。
化粧をしていないとか、顔色が悪いとかかもしれないが、ナルはそういった機微に疎い為によくわからない。
「学校で起こっている事件のことで、気が張ってしまっていて……もしなにかあるようでしたら話を聞かせてもらいたいと思ってきました」
「そうでしたの。でもわたしは全然、関係のないことですから」
ナルは僅かに震える手を見た。しかしそれよりも、腕に巻かれた痛々しい包帯の巻かれ方が目につき「その腕は」と指摘する。
先ほどカーテンの向こうで聞いていた話によると、引っかけて切ってしまったということだが、両腕に巻かれる傷とはどういった経緯であるのかが気になった。
「痛そう……大丈夫ですか?」
ナルが問いかける前に、麻衣が恵の顔を覗き込み手に触れる。
すると恵は顔をわずかに上げたが、みるみるうちに蒼褪めていくのが麻衣の頭越しにナルにも見えた。
「ぁ───、」
「恵先生?」
引き攣ったような声を出して硬直した恵に、千秋も戸惑う。
「めて」
「え?」
「や、め───やめて、もうやめて!お願いだからもうやめてっ!!!」
恵は必死の形相で麻衣の両腕を掴み返して、言い募る。
いきなりのことに驚きを隠せない千秋や優子は互いに縋るように抱き合って硬直し、麻衣は恵にされるがままになっていた。
「産砂先生、落ち着いてください。高橋さんは病院の人を呼んできてくれ」
「わかった!」
「け、恵先生!?どうしちゃったの!?麻衣をはなしてっ」
ナルは麻衣を掴む恵の腕を外そうとその手を掴む。彼女は指を目一杯開き爪を立てるので、麻衣の腕に指が強く食い込んでいた。
その分ナルの手の力も強くなってしまい、恵の腕に巻かれた包帯が緩む。
「きゃあっ、まって渋谷さん!恵先生の腕が!」
「!?」
千秋の悲鳴と共に、ナルにも恵の腕の状態が見えて反射的に手を放す。
恵の腕は切り傷だらけになっており、痛々しい惨状となっていた。
そして、藻掻いて暴れた拍子に一瞬だけ見えた彼女の足には、青紫に変色た痣のようなものが、いくつもついていた。見間違えではなければ、それは小さな手の形をしていたように思う。


ほどなくして優子に連れられてきた看護師と医師の手も加わって、恵と麻衣は引きはがされた。
すると恵は徐々に勢いを失い静かになる。意識はあるが宙を見ており放心状態だ。
「どうしてこんな興奮を?」
「よくわかりません、彼女が腕の包帯が痛そうと指摘しただけです」
「あの!腕の傷ってどうしたんですか?」
医師に聞かれて答えたナルは麻衣を示す。その横で千秋が怪我の経緯を尋ねた。
どうやらあれは、数時間前に急に恵が叫び声をあげたと思ったら、ああなっていたとのことだ。
そもそも恵は今朝、出勤しようとして意識を失い病院に運ばれた。その時は貧血だろうと言われており、念の為一日入院することになっていた。
体調不良で休むというのは当初生徒を混乱させないために学校側がそう伝えて、入院は後から親しくしていた千秋にだけ零された話らしい。
「……とにかく、産砂先生には話を聞ける状態じゃないな」
「そうだね、帰ろうか。笠井さんもタカも、また今度にしよう」
「だね……」
「……うん」
恵によく懐いていた千秋は呆然としたまま返事をして、麻衣と優子にそれぞれ両側から手を引かれて病室を後にした。

「───ねえ、恵先生って、今起きてることと関係あるのかな?」
病院を出たとき、千秋はぴたりと足を止める。ずっと手を引いてた優子と麻衣は数歩先に来てしまい、足を止めて振り返った。
「今まではあたしのこと嘘つきって言った人達ばっかりがああなってたのに……っもしみんなや恵先生のこと、あたしが知らない間に呪ってたんだとしたらどうしよう」
泣き出す千秋に、優子は困ったようにナルと麻衣を見た。
すると麻衣はおもむろに動いたと思えば、千秋を抱きしめて撫でている。優子もつられるようにしてそれに加わった。
なのでナルは言葉を選びながら千秋の言葉を否定することにした。
「産砂先生にあれだけの傷をつけるなら、無意識に呪えるレベルではないと思います。明確な悪意がある……」
「じゃあ誰かが恵先生を呪ってるってこと?」
「そもそも、呪いとは限らない───」
その言葉の先には"霊"の姿が少なくとも一度、麻衣が寝ぼけていないのであれば二度現れている、と続くはずだった。
しかし千秋と優子に調査の進捗を言うには不確かだったので、口を閉ざした。

そして心の中だけで考える。

恵に害を与えたものも霊であるなら、呪いによって霊が現れるなんてことは、……。



next.

千秋とタカと麻衣のJK三人組についてくナルって絵面がかわいくないすか。
July.2024

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