Mirror. 17
*三人称視点ナルは襲い来る眠気の中で妙な安堵を感じていた。
肩と腕を密着させるように座る隣人の存在、体温、時折ぽつりと躱される言葉のどれをとっても、微睡みを邪魔することがない。
うんと小さなころ、一緒に眠った時もそうだった。
他人の肌の感触も、体温も、匂いも息遣いも、全て神経に障るナルだったが、たった一人だけは違った。空気のように存在感が薄く、毛布みたいに当たり前にそこにある。なにより、まるで同一存在のように近いので、どんな感触も温度も匂いも、意識をしないと分からないほどナルに馴染んだ。
「ナル、おきて」
「───…………」
そんな声がかけられて、ふつりとナルの思考が途切れる。
一瞬自分がどこにいて、なにをしているのかが分からなくなった。
だが自分を起こすなど、珍しいことがあったものだ───と、思いながらナルの視界に入ったのは自分の足と、もう一人ナルよりも短くて細い足。
「……麻衣……?」
「うん?」
怪訝そうな顔をして問うナルに、隣にいた麻衣も首を傾げる。
ナルは何も言わず、顔をそむけた。
「僕は、どのくらい寝ていた」
「ほんの一瞬。眠りたかった?身体が辛い?」
「いや───気を抜いていた……、……?」
「こんなところで?めずらし」
笑う麻衣の肩が揺れて、ナルに伝わった。
一方ナルは、───そもそもなぜ起きていられるのか、と違和感を抱いた。
落下時に力を使ったので、体調が悪くなったり、気絶する覚悟もしていた。それで麻衣を驚かせることにはなるだろうが、落ちた先に瓦礫が積まれているのが見えたので、あのままだったら打ち所が悪くて大怪我をしていた可能性もあったから。
だが実際ナルは、自分が思っていた以上に消耗をしていない。
「どうしたの」
麻衣が考え込むナルに尋ねてくるが、返事をするのに思考を割く余裕がない。
やがてリンが迎えにきたことで、ナルと麻衣は引き上げられることになりヒトガタや呪詛の犯人についてのことで慌ただしくなった。
ヒトガタを適切に処理するようにリンに言い渡したあとナルは再び調べものに戻った。
そして麻衣が提示した産砂恵への疑いを裏付ける情報を探り当て、これまでの状況に辻褄が合うと確信した。
しかしここで、なぜ、恵はあのような怪我をしていたのか。麻衣を見て錯乱したのか。と疑問に思う。
みつけたヒトガタの中に麻衣の名前のものが二つあった。
証言から、麻衣の前に霊が現れたのは二度。それぞれ別の霊のように思えた。
そこから麻衣は二度呪われたということになる。
───"返った"のか?まさか、ありえない。と思いつつもナルはその思考に至った。
恵が倒れたのは昨日朝のこと。麻衣に初めて悪霊が現れたのは二日前の午後と、翌日明け方だったというので、このマンホールにヒトガタを投げ入れておくことは可能だろう。
おそらく、一度目の呪いが返った反動が彼女にはあり、二度呪った後にまた返った。そして消耗していた心身にも異常を来たしているなか、麻衣に現れた霊が恵の元へ繰り返し現れているのだとしたら、あの手足についた痕に説明がつく。
普通、恵に呪いが返ったとすればすなわち失敗を意味していることになるが、麻衣に一度現れているということは成功している証だ。
その上で恵に返ったということは『呪詛返し』以外に考えられるものが、みつからない。
ナルは改めて、恵の病室をリンと共に訪ねた。
学校で起きていることの様相、犯人が千秋ではありえないこと、本人の過去についてを紐解いて並べ立てていく。
犯人が千秋ではない裏付けは麻衣が記憶していた会話の中で判明しているため、恵への否定は楽でよかったのは余談だ。
「失礼ですが、先生のその手足の怪我を見せていただけませんか」
「───、人様にお見せできるものではありませんわ」
「……麻衣の前に一度悪霊が出たのを僕はこの目で見ています」
「!」
「それは女に見えました。白い着物を着て青白い顔をした、目が異様に大きな女。……口から鎌を吐き出し、笑うのです」
ナルは本来、霊の姿を他者とすり合わせることに意味はないと思っているが、この場合は恵の動揺や自白を引き出すためには効果的だと思って使った。
案の定、恵はナルの説明を聞き、目を極端に動かす。
「二度目は子供です。足元から這い上がってきて、べたべたと湿った手で触れられて腹の上にまで乗る───」
「あなたねっ!?あなたが私に……!」
麻衣から聞いた話をまるで見ていたかのように詳しく説明すると、恵はナルに掴みかかるようにして遮った。
その言葉からして、恵にはおそらく麻衣に現れたのと同じものが現れているらしい。
麻衣を見て動揺したのはおそらく、最近呪ったのは麻衣だけだから、そして二度も失敗したからなのだろう。
「呪詛返しを行ったのは僕ではありません」
リンが恵を取り押さえるようにして引き離しながら、ナルを一瞥した。
呪詛返しという言葉を聞いて、リンは自分以外に出来る者などいないと思ったはずだ。
それはナルも同じである。だからこそ恵に、麻衣と同じ呪いが返っているのかを確認したかったのだ。
「あなたの力が弱まった───それだけです」
本当はそうではない、とわかっていながらあえてそう口にした。
しかしそれは全くの嘘ではない。
「これだけたくさんの人に厭魅を行えば、心身ともに消耗していきます。あなたの目的は最初、笠井さんを守るためだったはずなのに、いつしかそれも見えなくなっていった。そして何の関係もない人間にまでその手を広げた───あなたには休息と、カウンセリングが必要です」
「───……私はおかしくなんて……、…………」
───トン、
その時不思議な音がした。
びくり、と大きく身体を揺らしたのは恵で、ベッドのうえで硬直する。
目に見えて青白いその顔色に、ナルもリンも警戒して周囲を見渡した。
トン、トン、……トン……
何度か、また音がした。
次第に、音はベッドの下から何かに叩かれてるものだと気づいた。
キシ……、キシ……
ベッドが微かに揺れる。
リンがはっとして目をやった先に、ナルもつられた。
視線がそこに釘付けになる。恵のベッドの下から、手が出てきて、枠とマットレスを掴んでいたのだ。
しきりにベッドを揺らしたり、叩いたりするものが、下にいる───。恵はベッドから降りることもできず、ただその振動を受け続けた。
「また、また失敗……また……」
耳を塞いでも、その振動は身体に伝わるだろう。
ナルもリンも信じられない顔で恵と、ベッドの下から這い出る手を見ていたが、やがて静かになった。
「三度目を、……したのか」
うわごとのように呟いたナルに、リンは隣で息をのんだ。そして血相変えて「ヒトガタはどこです」と恵に尋ねた。
恵はショックのあまり茫然としていたが、枕の下からはみ出た何かがナルに見えた。
手をさしいれて引っ張り出すと、それはやはり『谷山麻衣』と名前が書かれたヒトガタだった。
麻衣の近くに埋めずとも発揮したのであれば、かなり凄まじい効力にに思えた。しかし今回ばかりは、麻衣の前に現れずにただ失敗した、という可能性もある。
ともあれ、恵にとってはこのことが、今後の抑止力になるだろう。
校長へ報告することもそうだし、ナルやリンがそのことを知っているというのもそう。
人を呪った事実を他者に知られているいうのは、人を呪う時に気後れする要因となるのだ。
あとは休息とカウンセリング次第で、正常な判断力と理性を取り戻していくことを願うしかない。
彼女の今後の人生も、千秋との絆も、麻衣との確執についても、ナルは何の責任も持てないけれど。
「───は?終わったァ!?」
三日程霊能者たちに連絡を取らないでいたら、とうとうオフィスに詰め掛けられた。
そしてナルがすっかり湯浅高校については終わらせていたことを報告すると、素っ頓狂な声を出して驚く。
しかもこの時、滝川や綾子、ジョンや真砂子の霊能者だけではなく、千秋と優子まで来ていた。
おそらく学校側から、ナルと校長で作り上げた結末を知らされたのだろう。
それは呪いでも、ましてや千秋でも恵のせいでもないものとして、報告されたはずだから。
「少なくとも俺は聞く権利があると思うね!」
「何言ってんの、それはあたしもでしょ?あんなに大変な思いしだんだから」
「差支えなければ、ボクも教えてもらえまへんでっしゃろか」
「あたくしも霊能者として関わりましたのよ」
「校長の説明じゃ全然意味がわからなかったんだけど」
「あの席に座って本当に大丈夫?今度その子、退院してくるしさ」
次々とナルに言い募ってくる顔にうんざりしているが、リンの居る資料室のドアは開かない。
リンがここで助け舟を出す気の利いた人間であるはずがないのだが。
「おつかれさまでーす。ウワなに、打ち上げ?聞いてなあい」
そこにやって来たのは何の救いにもならない麻衣である。
否、麻衣が来た途端に何人かはそっちに流れたけれど。
「麻衣お前も聞いたかよ、ナルちゃんってば湯浅高校の事件を勝手に終了してきちまった挙句、詳細を話そうともしねえ」
「へえ~じゃあやっぱり産砂先生だったってこと?なんであたしが呪われたんだろねえ」
「おい!」
「ア」
麻衣はとんでもない爆弾を投下し、周囲を静かにさせてしまった。
やはり何の救いにもならなかったし、静かになったのは一瞬だけで、それ以上の声量で「はああ!?!?」という声が響き渡る。
かなり、めんどくさいことになった───。
ナルは自分の説明不足を棚に上げて、麻衣を恨めしく思う。
結局隠しても無駄だとわかり、ため息を吐きながら皆に話すことした。
恵を慕っていた千秋はかなりショックを受けたし、皆も後味の悪い結末を飲まされることになっただろう。
とはいえ、知らないままでいたかったと思う人間はここにはいない。
「あ、あたしのせいだ」
「え?笠井さんのせいではないよ」
「だってあたしが麻衣のことを恵先生に話したからっ、人前でスプーン曲げなんてやったからっ」
話を聞き終えた千秋は、目に涙を浮かべて吐露した。
巻き込まれた本人は平気な顔をしているのだが、呪われた理由は酷く曖昧で、受けた仕打ちは理不尽そのもの。麻衣はようやく、周囲が全く納得していないことに気づいて苦笑した。
「……物事にはきっかけがあって、色々な事が結びついているよね。その一連に携わった人に原因があったとして、結局実行したことの責任は当人がとらなければならない」
麻衣は千秋の肩に手を置く。
顔を上げた千秋にぐっと近づき、その目を見つめた。
「笠井さんはえらいよ。人前でスプーンを曲げて注目されて、インチキだって言われたり、いじめられたりしたのに───ちゃんと学校にきて前を向いて、自分のしたことの責任をとってたじゃない。その強さは、後ろ暗いことは何もないと思っていてこそじゃないの」
「あ、たし……は」
「産砂先生はそんな笠井さんの影に隠れて人を傷つけていたのに、そこまで背負うつもり?───笠井千秋。"自分の姿"をちゃんと取り戻すんだよ」
「!……あたしの姿……」
眉間がぱっとひらくような表情変化が、誰にとっても見て取れた。
他者に抑圧され、翻弄され、たくさんのしがらみに隠された、たった一人の少女を麻衣は言葉で浮き彫りにしたのだ。
千秋の何度か瞬きを繰り返した瞳は、希望に満ちて輝いていた。
next.
原作でもナルの気をジーンがどうやって増やしているのかわからないって話だったと思うので、そこにつけ入りたい人外設定です。
私的には、こちらのジーンの身体はナルと同じものを模しているので、主人公がナルの身体でナルの気を生成して返すってメカニズムを考えましたが、そしたら麻衣の身体で出来たらおかしいな、と思ったのでこの理屈は闇の中に葬る。
麻衣の身体で出来ない設定にしてもよかったけど、そうするとナルが倒れることになる。今回は産砂先生を入院させて立場逆転させたかったし、麻衣がジーンと同じことができるというのがミソなのでこれでいいのだ。いいわけ。
July.2024