I am.


Mirror. 19

冬休みが終わってしばらくすると、ナルは千葉にある進学校『緑陵高校』からやってきた生徒『安原さん』の依頼を受けた。
本来の依頼人であった校長には一度断っていたけど、生徒の署名を持って嘆願に来た彼の熱意におされたらしい。
緑陵高校は近頃、集団ヒステリーだの異臭騒ぎや小火騒ぎだのが頻発していて、新聞やテレビ、雑誌などをにぎわせている学校だ。
学校の周りには記者がウロウロしているらしくて、ナルは当初行きたくないと渋っていた。
俺だって、ナルの顔が万が一どこかに載って、ユージンを轢き殺した人間の目に止まったらと思うと気が気ではない。
けどナルが、安原さんと生徒たちが本当に困っているという願いに折れてるところをみて、いいこに育って……と感動してしまった。



初日はマスコミの目につかないよう滝川さんの車で、ナルと俺と三人で学校に入った。
夜にはリンが松崎さんと機材を乗せて現場入りする予定となっている。
学校に足を踏み入れたその時から、チラチラと羽虫のような存在が漂っていた。いちいち身体に触れては通り過ぎていくので「ブーッ」と唇を震わせて吹き飛ばしていたら滝川さんに「やめなさい」と言われた。

校長室には、机の前に座っている剥げた頭の太った男がいた。それが多分校長で、横に立っているのは目つきの悪い中年の男。───強い死の気配がその男から漂っていた。
男は『松山先生』といって、生活指導を担当しているらしい。校長室から出た俺たちを先導し、道中では霊能者への不満をぶちまけた。
あとは、外にいる記者にはくれぐれも見つかってはならない。授業の邪魔をしてはならないとか。ほかにも、生徒に無闇矢鱈と接触してはならない。何をするにも学校に逐一許可をとらなければならない。そして速やかに事態を収束させなければならない。など、たくさんの言いつけしてくるのを、ほぼ全て聞き流した。

ベースとなる会議室には安原さんがいて、松山先生とは軽い押し問答があったが、最終的に松山先生が出て行き安原さんが残ることになった。
彼の方が調査に協力的で、素直に手を貸してくれそうなので良かったと思う。
そしてその目論見通り、学校で起きている異常現象について、体験したという生徒たちを順次会議室に来るよう手配してくれた。

何番目かの面談では、そんな安原さんが体験者として俺たちの向かいに座った。
どうやら安原さんの在籍するクラスでは突如『異臭』が発生し数人の生徒が体調不良に陥った。新聞ではガス漏れが疑われて調査中ということになっているけど、それはどうやら学校側が説明した言い訳のようで、そもそも教室にガスを発生させる器具などはないそうだ。
ナルはその教室を見に行きたいと言うので、俺と滝川さんも便乗してついていくことにした。



安原さんは三年生。生徒は自由登校となっているため、教室にいる人はまばらだった。
中に入るなり窓へと直行した滝川さんと違い、ナルは「においの強い場所はなさそうだ」と冷静に教室の中を歩く。俺もその後にゆっくり続いた。
「まどまどまどまどまど───……お前らなんで平気なわけ!?俺がおかしーの!?」
「僕はすっかり慣れちゃって、それでも別のクラスから来る人はみんな顔をしかめますよ」
窓から身を乗り出した滝川さんが、息継ぎをしてから振り返って俺たちを非難する。
ナルはしっかり臭いを感じたうえでの反応で、安原さんは慣れてるというわけだが、最後にどうなんだとばかりに滝川さんは俺へ視線をよこした。
クン、と鼻を小さく鳴らしてから首を傾げる。においを感じることはできるが、なんと表現したら良いのだかわからない。ただ俺の感覚的に言うと、
「……甘い匂いがする……」
「甘い匂いだぁ!?腐った酸っぱい生ごみの匂いみたいな、つまりクサイ!!……だろ?」
滝川さんと俺は、ジャッジを委ねるようにナルを見た。
ほぼ負けは確定しているようなものだが。
「甘い匂いではないな」
「……あの、どちらかというと滝川さんの方が正しいです」
「お前とんでもなく、鼻バカだったんだな……」
「ウン……」
不可解を通り越し憐れむような視線が約二名から向けられる。
だが結局、においの感じ方は人それぞれ、ということで片づけられ、ナルは早速話を変えるように「ここで降霊術をやらなかったか」と生徒たちに尋ねた。
さっきからいくつかの机に触れながら歩いていたから、サイコメトリーをしてその光景を読み取ったんだろう。

ナルの問いかけに、安原さんは思い当たるような節がある顔をし、残っていた女子生徒も「それって」と口走った。
そうして判明したのがこの学校には『ヲリキリ様』と呼ばれる降霊術があって、学校中で大ブームを巻き起こしていること。
日本では「こっくりさん」と称し(他にもいろいろ名称はあるらしい)、そこらにいた浮遊霊をいたずらに呼び出す行為に値する、というのが滝川さん談。
「霊を呼び出すのは素人でもできるが、帰すには専門的な知識と力が要る。二度とやるな!」
滝川さんは『素人』がそういう"遊び"をするのが大嫌いみたいで、生徒たちを叱り飛ばして、ヲリキリ様の紙を丸めるとゴミ箱に向かって投げた。
それを俺はぱふっとキャッチをした。「こら」と叱られる。
くしゃくしゃにされた紙を一度伸ばしながらナルや滝川さんを見たが、呆れた顔をされた。
べつに、遊んでるわけじゃないんだけどな。
「捨てとけ」
「いいの?捨てちゃって」
「ベースに戻るぞ」
二人はすっかり興味がないようで、教室を出て行ってしまう。
置いて行かれるのは困るので、仕方なく紙をゴミ箱に捨て直して後を追いかけた。




「ちょっとぉ、ホテルとってないってどういうことよ!?」

松崎さんはリンに連れられて学校に到着し、寝泊まりする部屋に荷物を置いた後、俺たちをなじった。
ホテルをとらなかったのは、学校の出入りは最低限にしなければならないからだ。
寝泊まりする部屋は校舎とは別にある宿直用の小さな建物で、六畳二部屋である。それが彼女には大変不満らしい。
「お前らなんてまだマシだろ、俺たちは四人だぞ」
「なによっ!ここまでくるのだって大変だったんだから……!」
宿泊部屋は当然不満だが彼女の苛立ちの大半は、これまでの鬱憤である。
リンと三時間近く無言で車に乗っていたのが苦痛だったんだと。
「おつかれさまー」
「やってらんないわよ。ねえ麻衣紅茶入れて」
「はぁい」
「麻衣、あんまり世話やくこたぁないぞ」
「コーヒー飲む人~」
「あ、俺も」
「あんたこそ麻衣に甘えてんじゃないわよ」
「俺はちゃんと働いたっての」
二人の言い合いを受け流しながらポットの方へ行く。
そうすると安原さんが近づいてきて、俺と共にカップの準備をしてくれたのでお礼を言った。彼は朗らかな顔で頷き「にぎやかですねえ」と返した。

コーヒーと紅茶一つずつ入れるのを、安原さんはせっかくだからと全員分を用意する。
これから本腰入れて動き出すので、そのミーティングもかねてブレイクタイムを設けるのは賛成だ。
だけど、ふと思ったことがあったので、俺は隣にいた安原さんを見る。
「安原さん、ずっといるけど帰らなくていいの」
「あ、僕も泊まり込もうと思って」
「うんわ……」
滝川さんがうんざりしたのは、泊まる人数が増えたからだろう。部屋が狭くなると。
「寝袋持ってきましたのでそう場所はとりませんよ」
「安原さん、お気持ちはありがたいですが、やめたほうがいい」
普通に考えて夜のこの学校に安原さんがいるのは危険だ。そのためナルは一度断ったが、
「もちろん邪魔になるようなら言ってください」
「……じゃあ、頼もうかな」
そんな風に言われるとナルは彼を"邪魔"と切り捨てることができなかった。
結局安原さんはこの後俺と一緒に機材の設置に回ることになる。



夜の校舎で見ると、漂う異物はいっそう輝いていた。時折カメラに映る霊の姿がこうした白い光になるが、それと同じものだろうか。
俺は時々顔にわさっとぶつかるのを「ぶーっ」と言いながら吹き飛ばしたり、吐き出したりしているのだが、その時安原さんは不思議そうに俺を見る。
その度に「虫がいました?」とか「大丈夫ですか」とか「あはは」と反応してくれるので、かなり人が良いんだなと思う。
「───それにしても、すごい機材ですね。思っていた霊能者っていうのとは違いました」
目的の教室に辿り着き、マイクスタンドの準備をしながら安原さんは話す。
「うちは霊能者というより心霊現象の研究を主にしているからね、『ゴーストハンター』というんだけど」
俺はコードをほぐしながら答えた。
「あ、それ知ってる」
「知ってる?」
「坂内───九月に自殺しちゃった一年生が、進路調査書にそう書いたらしいんです」
「親しかったの?」
「いいえ、話したことはありませんでした。ただ、教師に呼び出されてかなり叱られたようですよ。噂になりました」
「だから、不特定多数が内容を知っているわけだ」
「そういうことです。本人が周囲に話したのか、教師が漏らしたのかは定かではありませんけどね……」
安原さんは頷き俺からコードを受け取って、指示通りに機械へ繋いでいく。

ふいに後ろに気配がして振り向くと、そこには夏服を着た男子生徒がいた。
生徒から聞いた話の中に、彼の霊の目撃情報はあった。その為、一部の生徒が彼を鎮めようと集会を開いたそうだがそれもまた騒ぎとなって、センセーショナルな見出しにされていただろう。

だから彼の名前も顔も知っている。

「……坂内智明」
「───……」

彼は俺を認識しているのかすら怪しいほどに、のっぺりとした表情だった。
「何か言いました?谷山さん」
背後から安原さんが不思議そうに声をかけてくるので、あまり沈黙していることもできずに目を逸らした。
そしたらその気配はどこかへ消えていく。
「なにも」
「そうですか……何もないとこ見てじっとされると構えちゃいますね、こういう時はとくに」
「?」
「ほら、霊がいるのかと思うじゃないですか。あ、谷山さんは霊能者じゃないんだっけ」
「いたよ、霊───坂内智明」
「え」
ぎくりと固まった安原さんが持っていた、次の教室に置くマイクスタンドを取り去って教室を出ていく。
安原さんは少し狼狽えた様子で俺を追いかけてきて、隣に並んだ。
「坂内がいたんですか?どうして?」
「さあ?話をしていたから反応して?」
「……成仏、できてないんですね」
「残念ながら、みんながやったことは効果がないみたいね」
「うん……」
廊下を歩く足が徐々にゆっくりになっていく。
安原さんは彼と面識はないようなことを言っていたけど、同じ学校というコミュニティの中で自分と歳の近い子が自ら命を絶ったことに、全く影響がないというわけにはいかない。
安原さんの前で彼の話をするのはよくなかったかな、と発言を省みた。
「気落ちさせたかな、ごめん」
「あっ、いや」
そっと顔を覗き込むと、丸まっていた背中が跳ねるよう伸びた。そして取り繕ったように否定した後は、愛想のよい顔つきを取り戻した。
「それにしても、坂内を見たということは谷山さんは霊能者というわけですね」
「ううん。さっきのナルに怒られるかも……内緒にしてくれる?」
「え?あ、はい、わかりました」
なにか言いたげな安原さんだったけど、言葉を飲み込んで頷いた。
おそらく次の教室がもうすぐだったからだ。



next.

急に唇「ブーッ」て震わして遊んでる(ように見える)ので滝川には赤ちゃんなのかと思われ、安原には不思議ちゃんなのかと思われてる。
来てすぐ、犬が現れるところは省略していますが主人公がふーんって思った程度だからということで。
July.2024

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