Mirror. 20
機材の設置を終えて接続を確認した後、夜中の三時くらい。ナルに寝て来いと言われて宿直室へ戻った。松崎さんは先に眠っていたので、音を立てないように中に入ると、俺の分まで布団は敷いた状態にあった。
立てた膝を抱え込んで座ると、窓の向こうからシャッター越しに、グラウンドを照らすライトの明りが透けて見える。
部屋内はエアコンが付けられていて、少し乾燥していた。
それがある時、ふつりと消える。
室温が急激に下がっていくなか、隣で眠る松崎さんの様子を見た。
空気が変わったことに気づいたのか、息遣いが少し変わったけど起きている様子はない。
視線を逸らし、リモコンを探るように手を動かしたとき、上履きがすぐそばにあるのが目に入った。
つま先を辿って視線が上がり、スラックス、ベルト、シャツのぼたんや肌が剥き出しの腕を通って顔に行きつく。───坂内智明だ。
相変わらずのっぺりとした顔だったが、おもむろに動き出し、前屈みになって俺の顔を見てくる。
彼の黒々とした目にはその心が映っていた。
俺には十六年にも満たない短い人生が見える。苦痛や怨念に塗れながら終えたのが。
だというのに、
思わず、ふ、と笑う。
それは目の前の顔が笑ったからだ。
───たのしい。
そんな気持ちが沸き起こった。
どれくらい時間が経っただろう。
坂内智明はふつりと姿を失い、奇妙な静寂に包まれていた部屋に、音が戻って来た気がする。
ふと、松崎さんが目を覚ました気配がしたと思えば、
「きゃぁ!」
と、悲鳴を上げて飛び起きる。その大きな声や反応に俺も驚いて目を見開いた。
「……ちょ、ちょっとあんた、何してんのよそんな格好で……しかもさっむい、やだあヒーターが消えてるじゃない!リモコンどこ?」
起き抜けとは思えない饒舌さにのまれ、口を挟む隙が無い。
言われるがままエアコンのリモコンをとって渡すと、松崎さんは長い髪をかき上げながらそれを操作した。
「今から寝るところ?まさかそのままの格好で寝るわけ?」
「うん、呼ばれたらすぐ出られるように」
「こんだけ人集めてるんだから、わざわざあんたなんかを呼び出したりしないわよ。楽な格好になってちゃんと寝なさい」
無事エアコンがついたところで、松崎さんは俺に背を向けてまた布団に潜り込む。
おやすみ、と言われたので同じように返した俺は、結局そのままの格好で朝まで過ごした。
何故なら普段着の着替えしか持って来てないからだ。
翌日、松崎さんはアラームをセットしていたようで、電子音が鳴り始めた。
彼女は少しの間起きなかったけど、やがて蒲団から腕を出し、その音を頼りにスマホを掴んだ。やや乱暴な手つきである。
そして布団から顔をのぞかせて、眩しそうに眉をしかめた。
「……あんた、ちゃんと寝たわけ?」
「え?」
おはようの挨拶を言う前に、松崎さんは俺を見て言った。
思わず自分の服装を見下ろす。着替えなかったからそう言われているのかと思って。
「いや……気のせいかも……そんなわけないわ」
「??」
続く言葉は要領を得ず、俺はよくわからないまま自分の布団を片付けることにした。
最中は結局服を着替えなかったことを咎められ、服がないことを言えば呆れられ、自分のを貸してもいいが洗い替えが……と悩む彼女にいらないよ、と答えてため息を吐かれるなどして俺たちの朝は過ぎていった。
原さんとジョンが緑陵高校にやってきたのは授業が始まったころだった。
さっそく校内を見てきた彼女は霊の姿はない、といった。否、正確に言えばわかりにくい、というようなことだ。
しかし中でも、一人だけはっきりと感じられる存在がいるらしく、ナルが新聞の記事を見せて心当たりのある顔を見せた。すると原さんはこの子だと肯定する。
つまりこの学校内にいるはっきりとした霊は『坂内くん』のみだということになった。
原さんは浮遊霊を見るのが苦手で、何か強い思いを抱いていないと感じられないのだそう。だから今この部屋にもいる小さな異物にも気づいていない。
息で吹けば飛ぶような弱弱しい異物は、ひとつひとつに大した力はない。だがたくさんあるそれは全てその性質が同じか、相性が良いかで結びつき大きなひとつの存在へとなっていくらしい。
そうしたものは徐々に力を持ち、初日に教室に現れた犬となったり、安原さんの教室に蔓延した異臭となったり、他にも話を聞いたいくつかの異常として出現されるというわけだ。
ではなぜ、それらはひとつになるのか。
「───やまさん?……谷山さん」
ぽん、と肩に手を置かれて始めて、安原さんが俺の顔を覗き込んでいたことに気がついた。
俺以外誰もいないベースの真ん中で、一人でぽつんと立っていたらしい。
そこに戻って来たであろう安原さんは、この光景がさぞ気味が悪かっただろうに、俺の気を取り戻すために声をかけてくれたらしい。
「居眠りしてると、渋谷さんにいいつけちゃいますよ」
「あは」
人って立ったまま寝るんだろうか。そう思ったが、安原さんの話に合わせておく。
彼が見ないふりをしてくれた、というのは一拍遅れて気づいた。
「ナルとリンは別行動?」
「ええ。二人はまだ寄りたいところがあるとかで、僕は一旦ベースに戻って待機です」
いいながら安原さんは「お茶いれますね」とポットに手をかける。
二つコップを準備しているのを後目に、俺は椅子に座って彼が戻ってくるのを待った。
そして持ってきてもらったお茶を受け取り、お礼を言いながら口を付ける。
今、校舎内には原さんと松崎さん、ジョンと滝川さん、ナルとリンがそれぞれ二人組で回って除霊を試みているところだ。
安原さんはもちろんのこと、俺にも大した力は期待されていないので(ナルの判断基準で言うと、実績がないので)こうして空いた時間が出来るのは仕方がない事だろう。
「そういえば、今日だね」
「なにが?」
「更衣室での小火」
「ああ……」
ヲリキリ様やなんかの雑談の末、おもむろに切り出した安原さんに、相槌を打つ。十二日ごとに起きる発火現象というのは、確かに前回から数えると今日となる。
俺は一度更衣室に行ったときに見かけた、少し大きめの異物を思い浮かべた。
あれは何の意味があってそこにいたのか、どうやってあそこまで大きくなったのかはわからない。だが今日こうして多くの霊能者が力を振りまいたことで、刺激されないとも限らない。
今この瞬間にも、漂ってる異物たちは動き、くっつきを繰り返しているのだから。
「───大きくなってるかもなあ」
「え?」
何気なく呟いたつもりでいたけれど、安原さんに聞き返されて、また感覚がズレていたのだと思い知る。
「それってどういう、」
安原さんが目を見開き、俺に追及しようとした時、ベースのドアが開き滝川さんとジョン入ってきた。
滝川さんは俺たちを見るなり、お、と口をすぼめる。
「二人っきりか。悪いね、デートの邪魔して」
「あはは、やだなあ───気を利かせてくださいよ、今いいところだったのに」
にまりと笑った滝川さんは揶揄うときの顔だとわかったが、隣でにっこり笑う安原さんの顔がどういう時の顔なのかはわからず眺めた。
滝川さんとジョンは思わずこけそうになるほど動揺し、ジョンなんかはホワイトボードに頭をぶつける。
「ちょ、ちょっと、少年……来なさい」
「なんですか?」
にこにこ笑顔のまま、安原さんは滝川さんに呼ばれていく。
「麻衣が好きなのか?」
「はい、好きですよ」
言った途端、ジョンの顔がポッと赤くなった。
安原さんが麻衣を好きだと、ジョンが照れるのか。
「渋谷さんも好きだなあ、綺麗な顔をしていますし。───でも、一番好きなのは滝川さんです」
「少年……からかってるな?大人を」
「子供をからかおうとするからですよー」
どうやらふざけていたみたいだとわかったので、俺はジョンに近づいた。
除霊を済ませたところにサインと日付を入れている最中のようで、行った先の教室を眺めながら尋ねる。
「どうだった?手ごたえは」
「せやですね……なんやあんまり」
こういうのは結局個人の感覚的な部分になるのだが、俺が思っていた通りそう簡単に祓えた気はしないだろう。
滝川さんもこちらに加わり、頼みの綱だった原さんは『あのとおり』だから、と口ごもり肩をおとす。
「谷山さんはどうなんですか」
そこで当然話を聞いていた安原さんが俺に話を振った。
ジョンも滝川さんも、なんで、と首を傾げていたけれど。
「さっき言ってましたよね、大きくなってるかもって」
「言った」
「大きく……?そりゃまた、なんで……?」
滝川さんたちは俺の呟きに対して、更に困惑した。
霊が変化(凶暴化や鎮静化など)するというのは聞いても、大きくなるという表現はあまりしないかも。
「僕にはその辺よくわかりませんが、そもそも谷山さんも坂内の霊、見てるじゃないですか」
ぎゃん、とショックを受けて固まる。こんなひどい裏切りってある?
戦慄く唇で安原さんを非難しようとしたが、言葉が上手く紡げない。
「はあ!?」
「い、いつですか!?」
そんな俺よりも頭の回転が速かった滝川さんとジョンが俺にぐるんっと顔を向ける。
だが俺はまだ安原さんから視線を外さない。
「な、なん、なる……、なる……」
「あ、渋谷さんには内緒ですよね。お二人ともいわないでください」
「~~~~~」
ナルに叱られるから内緒って言ったのに。ナル以外になら言ってもいいってことじゃないのに。……言葉ってむずかしい。
「谷山さんが見たと言ってたのは、初日に機材を置いて回ってた時ですね。僕たちが坂内の話題を出してたので反応したんじゃないかって……だけどあまりに自然だったので、僕はてっきり谷山さんは見える人なのだと」
「まー……確かに麻衣は見える時あるよな、公園の時といい、教会の時といい、憑依までさせてるわけだし」
安原さん全部言うじゃん、と思いながらも話が進んでいく。
二人にしてみても俺はナルから『センシティブ』『ESP能力者』という診断をもらってるからおかしな話ではないと納得の姿勢が見えた。
つまり、「で、なんだって」と俺に視線が集まるのだった。
問い詰められた俺はすぐに観念した。
ここで誤魔化すほどの話術を俺は持たない。そして元々迂闊に発言をした自分が悪いのだ。
「───つまり、学校中に無数の人魂が漂っていて、それが何かの拍子に融合して力が強まっていき悪さをするに至るって?」
戻って来た皆(もちろんナルも)を前にして、俺が話したことは滝川さんによって周知となった。
「らしい。で、麻衣がいうにはその人魂は動くし今この瞬間も大きくなってる可能性はあんだと」
「大きくなるっていうか除霊に失敗してたら悪化するってことでしょ?でも、あたしは失敗してないわよ、ちゃんとやったもん」
「本当かよ、そういって成功した試しあったか?」
「あまり効き目はなさそうでしたわ」
「なんですってえ!?」
生産性のなさそうな言い合いを見て、らちが明かないと判断したナルは、一番結果がすぐに出やすい更衣室へ行くことにした。
そこにまだ人魂があるのか、大きくなっていないのかを俺に確認させるためだ。
結果、更衣室に以前あったものは無くなっていた。少なくとも火を出すような悪さをするレベルに育った存在はいない。
そう告げると松崎さんはふん、と鼻で笑う。
「除霊が成功したってことでしょ?」
せっかくのところ悪いが俺にはそうとは思えない。
だから首を振って部屋の壁を指さした。
「移動している」
next.
安原修の華麗なる裏切りという名の告げ口。
主人公は咄嗟に取り繕えず、うにゅにゅってなった。
July.2024