Mirror. 24
リンが儀式を行う間、俺は校庭を囲うフェンスに背中を預けて座って、校舎や体育館の様子を眺めていた。そこへナルが近づいて来て俺の隣に立ち、同じように校舎を眺める。
「なにが見える?」
「随分数が減った」
ふいに問われたことに、何の思慮もなく答える。
今や呪詛の力は四つの塊となって、校舎のあちこちで蠢いていた。
それは皆似た意思や目的を孕んだことから惹かれ合い、ゆくゆくは一つになる。
そうして出来上がった悪意の煮凝りという毒をのまされたら、人間は一溜りもなく死ぬ。
「あ───始まったかな」
俺が呟くと、ナルは横で時間を確認する。
リンに何時になったら始めるようにと言っていたのかもしれない。
俺には大きな四つの塊が形を崩して飛散して、体育館へと向かうのが見えていた。
それが学校の外へと向かう様子はないので、ヒトガタはかなり効果があるようだ。
ナルの足元に座っていた俺はゆっくり立ちあがる。そんな俺をナルが見ているのに気づいたけど、構わなかった。
遠く離れた場所で壁に囲まれた体育館の中など、普通見えるはずもない俺の様子は、傍から見ておかしいだろう。だがナルは徐々に俺の『見える』と『わかる』が人とは違うことに気づき始めている。
程なくして、ヒトガタ相手に呪殺という命令を遂行し、形を失い始めたモノが俺の目にも映らなくなったころに体育館を指さす。
「終わったみたい」
ナルは俺をじっと見て、やがて呆れたように「いったいどういう物の見え方をしてるんだ」とぼやいた。
ユージンの時も通常とうは違う俺の視界に驚くこともしばしばあって、ナルの関心はつくづく『霊』やそれを認識する人間の感覚なんだなと感じ入る。
「解剖したい?あたしのこと"も"」
体育館に確認に行こうと歩き出したナルは、足を止めて俺を振り返る。
「……なに?」
ナルがユージンの身体に興味があったことは知っていた。研究者の中には霊能者の脳や体質などを科学的な視点から考える者は多くいるし、ナルもそうだと知っている。
勿論面と向かって解剖したいなんて言われたことはないけれど、きっと研究の発展のために能力ある人間の"しくみ"を見たいと思っている。
俺は、ユージンの身体を探してるのもそのためじゃないかと、導き出した。
「ナルになら全部見せてもいいって思ったの」
追いついて歩きだすと、ナルは黙って横に並んで同じように歩いた。
ナルが知りたいのは霊を見るため、憑依するため、通常人には知り得ないことを理解するためのメカニズムだろう。
ただし、この身体にある情報は"モデル"と同じか、血肉のフリをした何かであるので、研究に役立つわけではない。
でも、ナルの知的好奇心が満たされるなら、ナルになら、別に見せても構わないと思った。
「……『谷山麻衣』をあげるっていったら、『ユージン』のことは諦める?」
言った途端、ナルは俺の腕を掴んだ。
「っどうして…………、……」
「名前を知っているか?何を知っているか?今話す気になったか?」
言葉に詰まるナルの顔を、覗き込んで問う。
強く握りしめた手の指先が変色していて、そこに手をかけてみるも緩む兆しはない。
「全部に決まってるだろう」
「うん、ちゃんと話すよ、今なら言えると思ったの」
宥めるように笑いかけた。
そんな俺の顔を見たナルはやっと手から力を抜いたが、やっぱり俺の手首を掴んだままでいるらしい。……別に、逃げるつもりはないのに。
「ユージンは死んだよ」
はっきりと言葉にしてナルに言い聞かせた。
一瞬だけ揺らいだ瞳に、小さいころポルターガイストを起こした時のことを思い出す。でもさすがにもう、そんなことでナルの世界は終わらない。
「事故だった」
「事故じゃない」
間髪入れずに訂正が入ったので、肩をすくめる。
ナルの手から力が抜けて離れて、ただ肩からぶら下がるだけの腕は少しも動かない。
「ああ、最初は事故だったけど、その後殺されたんだった」
「───……」
ここまで言えば俺がユージンの死を知っていることをナルは理解し、俺もまたナルがサイコメトリーでユージンの肉体の死や、湖に沈められた事は知っているだろうと理解した。
「あたしがそれを知ってるのは、犯人でもなきゃおかしいよね。犯人じゃないよ……でも知ってる。それを、初対面のナルとリンに話すことはできなかった。でも今なら信じてくれるかなと思った」
「どうして名前まで知っている?」
「ユージンの生きてきた記憶を見たから。ナルはユージンのことをジーンと呼んでいたね」
「じゃあジーンが僕を何と呼んでいたかも知ったうえか」
「───Oliverだから、nollでしょ?」
ナルは一瞬、途方に暮れたような顔をした。
麻衣として出逢ったばかりの頃、うっかりナルと呼び掛けてしまったのをナルシストになぞらえたあだ名と誤魔化したけど、本当にナルの名前を知っていたからだと、騙された気分になったのかも。
だけどナルはこれまでのこと全部、俺が今まで何も言わなかったこととかも、責めたりはしなかった。
ただ、多くを言葉にしない彼はその頭の中で色々な疑問を巡らせながらも、「ジーンはまだいるのか」とだけ聞く。
「もうどこにもいないよ」
そう答えると、それきりもう何も言わなかった。
呪詛返しは無事成功し、生徒へ行く厄災は全てヒトガタが肩代わりしたそうだ。
傷がつかなかったヒトガタの生徒に確認をとると、ヲリキリ様をしたことはないと話していたし、他に誰かが突然怪我をしたという報告は入らなかった。
片づけと、念のための待機として学校に滞在した後、夜になってこっそり学校に来ていた安原さんのみに見送られて東京へと帰る車に乗る。
来た時と同じように滝川さんの車に乗ろうとして、そういえば人数が増えているしナルは帰りはリンの車に乗るのかと視線を動かした。
「どうした?乗んな」
滝川さんや、すでに後部座席に座った松崎さんと原さんが、いつまでも乗ってこない俺を見て首をかしげる。
助手席にはジョンがいて、人数的には乗れるんだけど、妙に視線を感じて振り返るとナルがこっちを見ていた。
滝川さん達の車から離れてナルの方へ向かうと、「うわ、物好き」と誰かが言った言葉が聞こえた。
ナルは俺が来るのをじっと待っていたと思えば、何も声をかけることなく視線で車に乗るように促した。
滝川さん達と帰った方が賑やかで楽しい時間になったのだろうけど、なんとなくナルに呼ばれた気がして、そうしたほうが良いと思ったのだ。
かといってナルに話しかけられることもないままに、車は暫く走行する。
「───そういえば、スマホって返した方がいいのかな」
俺は思い出したように口を開いた。
ナルは最初自分に話しかけられているとは思っておらず、なおかつその内容に理解が及ばないようで無言だった。
「もうイギリス帰るんだよね?」
「……?」
重ねて問いかければ、更によくわからない、と言いたげな顔をした。
リンは反対側でわずかに動揺したけど運転に集中するためか、そもそもナルが決めることだからか、口をはさんでこない。
「まだ目的は果たしてない」
「どうしても探したいの?」
「……そのままにはしておけないだろう」
どうせ身体は見つからないよ、という言葉を飲み込む。
「誰かさんがもう少し手掛かりをくれたら早く済むかもしれないが」
「…………わかんないな、地名とかは」
「そうだろうな」
「あたしはナルに日本にいてほしくないのに」
「それは残念なことで」
皮肉っぽい口ぶりに、わかってないなと口を尖らす。
「ナルが嫌だとか離れたくて言ってるんじゃない。ユージンはナルと同じ顔で、殺されて湖に沈められたんだよ───もしその人間がナルを見たらどうするの?」
「っおい」
その時、少し乱暴にブレーキを踏まれて身体がつんのめる。
シートベルトが思わず固まるほどの勢いだった。
「───殺されて、湖に沈められた……?ジーンが……?」
すっかりリンに背を向けてたところで、背後から硬い声が聞こえる。
「……え、言ってなかったの?」
「言う必要も時間もあったか?それを麻衣がこんなところで言うから」
「だってリンはナルの保護者でしょ」
ボソボソと言い合っていると、後続車からの短いクラクションが聞こえた。
先ほどは丁度赤信号だったのが、青に変わっていたためリンは深いため息とともに、アクセルを踏む。
「ナルは言いたくないことだった?」
「好き好んで言いたい人間がいるか?」
「でも、リンはユージンの生死くらいは知りたいと思うんじゃない?」
「教えたところで何になる」
「ナルを連れて帰る」
「───それが狙いか」
リンの心なし落ち着かない様子をよそに、俺とナルは再び口論を始める。
でも別に喧嘩というわけではない。
「谷山さんはどこまで私たちのことを知ってるんですか……?」
とうとうリンが口を開いた。
すると、ナルはぷいとそっぽを向いてしまって、話す気がなさそう。
俺はリンにもユージンの死やその経緯を知ってもらう目的があるから、別にいいけどな。
「ユージンの知っていることはだいたい知ってる」
「───そこまで……」
リンはもの言いたげに口ごもった。
俺が知っているということは、リンたちにとっては俺が霊と会ったということになるだろう。
これまでも死者の記憶を読み取るようなことをしてきたし、ユージンの死をナルが半ば認めていることは事実なので、信憑性も高まった。
あとはきっと、最初にしてしまったユージンの体験談を話したことが大きいのかも。
「ユージンとはどこで?」
「しばらくふらふら彷徨っていたのを偶然みつけて、……あたしと相性が良かったみたい」
「ああ」
聞かれると思っていたことなので、用意していた答えを話すとリンは頷いた。麻衣とユージンの相性が良いというのは、性質がすごく似ているはずなので納得だろう。
ふらふらしてた、と言葉にした後ナルが「なにをやってるんだあいつは」と小さく零す。
なので「だいじょうぶ、もういないよ」と軽く返した。
「───このことをご両親に報告は」
「まだしたくない」
「でも」
「ジーンの居場所を見つけるまでは、言いたくない」
リンのハンドルを握る手は、一瞬ぎこちなく動いた。
だけどしばらくナルの気配を窺った後、「わかりました」と頷く。
え、嘘だろ、リン。
お前はナルにそこまで従順な奴じゃないはずだぞ……。
next.
シリーズ通してだけど、緑陵編がなんとなく折り返し地点で、ナルとまあまあ深い話をしたりするのに丁度良い時間経過だと思っています。本編でもそうでしたね。
主人公はナルの研究者っぷりを知っているし、他にもいろんな研究者がいることを知ってるので解剖はそんなに驚かない。
死の瞬間を写真に撮って魂が写るのかとか、体重をはかって魂の重さをはかった研究者だっている。それと解剖が違うとは思わない……っていう解釈。
July.2024