I am.


Mirror. 27

広すぎる屋敷内では、まずは安全確保が最優先だった。
ベースや泊まり込む部屋の周囲から確認していき、範囲を地道に広げていかなければならない。
そのことでかなりの時間を要するだろうと思った滝川さんは、カメラを運び出そうとしながら急に俺を振り返った。
「麻衣ー、かなりの長丁場になるから、親に連絡入れとけよ」
「うん、入れとく……フフ」
思わず笑ってしまったら、滝川さんがむう、と顔をしかめた。
俺が笑ったのが気に障ったのではなく、なんだろう、きまりが悪そうというのかな。
「今更って思っただろ」
「うん。そんなこと言われたの、初めてだから」
「なんとなく機会を失ってただけだよ」
「そういえば谷山さんはアルバイトで、高校生なんですもんね。学校は良いんですか?」
今回からが初の正式参加の安原さんも、興味深そうに俺と滝川さんの会話に入ってくる。
緑陵高校での調査も平日だったし、この調査も平日に連日行われるので、俺は学校を休んでいるということになるわけだ。
「学校はね、特待生だからいいの」
「と、特待生!?」
松崎さんも静かにはしていられず、具合の悪い原さんまでもが目を見開く。
特待生といっても、印象は大きく分けて二つだろう。成績優秀者か、生活困窮者。まあ俺はそのどちらも兼ね備えているのだが。
「もしかして成績上位者なの?あんたって」
「順位で言えば、そうだよ」
松崎さんはおそらく先に、より"あり得ない"と思われる方を確認した。
だがそれを俺が肯定したので、ショックを受けたように言葉を失った。
「───でも、学校より調査優先するなんて、谷山さんもかなりオカルト好きってことですね」
「……はは。言われてみると、そうみたい」
一瞬安原さんの言われていることが理解できなかったが、確かにそうなるんだなと思って笑った。


雑談もそこそこに、ナルから尻を叩くような催促を受けて俺たちは廊下へ追い出された。
今は所長じゃないのだから働け、その尊大な態度をどうにかしろ、と言われていたナルだったけれど、一度滝川さんと松崎さんをやり込めてしまったので誰も逆らうことなど出来なかった。

俺は滝川さんと安原さんと三人で、近くの部屋から順にカメラを置いたりしながら屋敷内を歩いた。
廊下に変な段差があったり、階段が途中で途切れていたり、ドアを開けたと思ったら壁だったり、おかしな造りをした家を存分に味わったところで滝川さんは「ウィンチェスター館みたいだ」とぼやく。
「ここの改築を繰り返したのは先代なんだっけ」
「そうみたいですね」
「改築理由は『怪物が出てこないように』って言ってたよね。恨みでも買う仕事だったのかなあ」
「子供にそう言ったんだっけ?どうだかねえ、金持ちの道楽かもよ」
「そうなの?」
「僕にはわからない世界ですねえ」
「でも『朽ちるに任せろ』って言い遺したのは何でだろう」
「作品、的な……?」
「先代───変な芸術家になってません?」
「フッ」
「ンッハ」
俺たちは三人で顔を見合わせて笑った。
面白い発想ではあったけど、なんの裏付けもない憶測という名の雑談である。
もう少し屋敷内を見る必要性があるだろうな、───と、思っていたその時、計測中の部屋に南心霊調査会というところの所長、南さんが入ってきた。
俺の持っていた温度計を見て感心しながら、自分は温度計を振り回しているのだから、どうにも行動が伴わない。

変な人だったなあ、と思いながら彼がすぐに退室するのを見送り、その後部屋の中に視線を戻す。
俺はちゃんと温度を計測してからベースへと戻った。



その夜、俺はベッドで横になっていた。
眠気というのは少しもなく、意識を失うわけではないけれど、ふいに起きだす原さんや松崎さんを驚かせないように寝たふりをする。

夜はやはり人ではない者たちが活性化して、護符のある部屋には入ってこないが周辺を横切る気配が何度もあった。
目をつむって闇の中に意識を凝らし、麻衣の身体をそのままに、自分の意識だけを取り出した。これは眠るのとは違うので、戻れば身体はきちんと起きられるはず。しかしあまり遠く、長く離れていると形を保てなくなるので要注意だ。

部屋から距離をとって、この家を全体から見てみると屋敷の中心部に(屋敷と比べると)小さな家が見えた。
ここには先々代が生きてた当時に住む家があったが、先代が手を加えていったと大橋さんが言っていたから、あれが元あった家なのだろう。
この屋敷はきっと、その家を中心に建てられているのだ。
もしくは、家はすでに取り壊されていて、幻影として残っているだけかもしれない。
家に近づいてみようかと思ったが、それよりも先に家の死者の記憶を読んでみることにする。しかし、そのどれもが殺された恐怖と苦痛の記憶を抽出しただけの存在であった。

時間をかけたくなくて、特に目ぼしい情報は得られないままに身体に戻って目を開く。
ゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡した。なんとなく、二人が起きてないかの確認だ。

ピチョン、……ピチョン、……ピチョン

と、水が垂れるような音が聞こえた。
ベッドから下りて、横で眠る二人を見るが起きだす気配はない。
音は、部屋の中の扉の先、シャワールームがある方から聞こえている。

洗面台を見に行くと、その蛇口から水は垂れていない。
次にシャワースペースを仕切るカーテンに手をかけて、止まった。

───なにかがいる。

部屋には松崎さんが護符を貼って霊避けをしているが、もしかしたら壁やドアを隔てたこちら側は効果が薄れるのかも。

そっとカーテンを開けると、そこにはもちろんバスタブとシャワーがあった。
バスタブの中には黒い水が溜まっている。
最後に俺がシャワールームを使った(ふりをした)時、水を溜めたりはしていない。ましてや、黒い水なんてもってのほかだ。

なんの液体だろう。と、バスタブの中を覗き込む。その時、水面がゆらりと波打って動いた。
見ているうちに、水の底から何かがぽてり、と浮上して来た。
黒々とした水が徐々にはけていくと、本来の姿があらわれる。

そこにあるのは、茶色く変色した、人の顔だった。
鼻や頬骨、額や唇、顎の形が浮かぶ。そこからまた首や鎖骨、肩まで出てくる。

両手が自発的に動き、びちゃ、びちゃ、とバスタブのへりを掴んだ。
痩せて骨と皮しかない身体に見えたが、自分で動く力はあるようだ。
コプッと鼻の孔から空気が出て、やがて癒着したように閉じられていた唇と目蓋がうっすらと開かれる。

ハァ───ッ……ハァ───……、カフッ……

呼吸が徐々に荒々しくなるにつれ、バスタブからその身体は身を乗り出してくる。
ソレを、俺はじっと見ていた。

「………シ…タク……」
「ん?」
「……ニタ……ナィ」

どうやら俺に、何かを訴えるようだ。
ぜいぜい、と肋骨の浮いた胸が呼吸の真似事をして、まるで具合の悪そうな咳もする。
やせ衰えた人間の成れの果てに見えるのに、それを突き動かすのは感情ではなく、本能のような無意識。
伸びてきた手が、俺の肩を掴む。
だがその手はずるずると落ちて行き、胸や腰を滑り、バスタブから半分程はみ出るように倒れた。

「死ニタク……ナイ…………」

へえ。
最後に振り絞った言葉だけは聞こえた。



その後、俺はベッドに戻って朝を迎えた。
松崎さんが少し前に一度起きたけど寝て、その後原さんが起きる。
とうとう二人が揃って起きて声を発したのを見計らって、俺も目を開けて身体を動かし始めた。
かけていた布団を手でどかしながら身体を起こして、差し込む朝日に自然と目を細めた時、原さんと松崎さんが俺の動きに気が付いて振り返る。

「あ、おは───キャアッ!なによそれ!!!」
「っ……!?」

途端に二人の顔が引きつり、悲鳴や息が詰まるような音が聞こえる。
なんなら身を寄せ合って後ずさるので、俺は自分の身体が何かおかしいのかと考えて見下ろした。
すると、俺の肩から下に向かって、真っ赤な手が擦り付けられるような痕が残っていたのだ。昨晩付けられたあれが、幻か何かではなかったことを理解する。
俺はあのまま布団をかけて眠ったので、おそるおそる今自分が剥がした布団を見てみると、やっぱり赤く汚れていた。
「どうしよ、布団汚しちゃった」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
「谷山さんから酷い血の匂いがしますわ……っ、どうして今まで気づかなかったのかしら」
「え、あたしくさい?シャワー浴びた方がいい??」
原さんの嫌そうな顔が、俺の存在しないハートに地味に刺さる。
「麻衣は念のためそのままでいなさい、真砂子は誰か呼んできて」
「ええ、すぐに」
二人が慌ただしく動いてる間、俺は仕方がないので汚れた格好のまま汚れたベッドの上で正座になった。
「一応聞くけど、生理とか、ふざけて血糊撒いたとかじゃないのよね?」
「そんな面倒な事しないよう……」
松崎さんからの嫌疑を否定していると、すぐに廊下が騒がしくなった。
足音や声が近づいてきたと思えばやや乱暴にドアが開いて、滝川さんが入ってくる。
続いて来たのはジョンと安原さん。原さんは姿を見せなかったので、ナルとリンも呼びに行ってるのだろう。

「な───んだ、こりゃあ」

滝川さんが俺を見下ろし、顔をしかめた。
ジョンは心配そうに「お怪我は」と口ごもるので「大丈夫」と手を振った。
そうしている間にとうとうナルとリンも部屋へとやってきて、俺の姿を見るなり眉を顰めた。



俺を立たせてじろじろと見た後、ナルはため息を吐き、一度服を着替えてきて良いと言うので着替えを持ってシャワールームへ行く。
詳しい話を聞く前にそうさせたのは、気遣いだったのだろう。
服を脱いで自分の肌に汚れがついていないかを確認し、本来ないはずの体臭をクンクンとかいでみる。……わかんないな、多分無臭のはず。
けれど一応シャワーで水を被って一通り流してから濡れた身体を拭いて服を着た。

着替えたあと集まったベースでは、俺が持ってきた寝間着を皆で取り囲んで見下ろした。
この赤が血なのか、誰のものなのかは依然として不明だが、とりあえず俺や、この部屋にいる人間ではないことは確かだった。
「───にしても、綾子の護符が全然利かないってことだよな、これって」
「ちょっと!霊の仕業とは限らないじゃないのよ」
「じゃあ麻衣がやったってのか?見ろこの手の大きさ、明らかに麻衣の手じゃねえ」
「べ、別に麻衣のイタズラを疑ったわけじゃないわよ」
滝川さんの言葉に、松崎さんは拗ねて顔を背ける。
彼女は自分の護符が効かなかったというのを、認めたくないだけだろう。
「松崎さんの護符が効かなかったわけじゃないよ」
「そうよね?だからこれは、あ、きっと布団が汚れてたとか───」
「ううん、それが付けられたの、シャワールームだから」

松崎さんの濡れ衣を晴らすべくそう伝えると、皆の顔がいっせいに俺に向いた。



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皆の心の声。身に覚えがあるなら早く言え。
Aug.2024

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