Mirror. 28
昨晩トイレに立った(ということにした)際の出来事を、皆に話した。かいつまんで───バスタブから大量の血と共に男らしき人物が現れ、俺に縋りついて来た。そして「死ニタクナイ」と残して消えたことを。
「その"男"が誰なのかはわかるか?」
「わからなかった」
ナルに聞かれて、俺は素直に首を振る。
本当にわからなかったのだ。多分霊なのに、人なのに、俺にその本来の姿や記憶が映らないとくれば、その存在はもはや人の範疇を超えた何か───怪物である。
「……とにかく、ドアや壁を隔てると効果が薄いのであれば、松崎さんはシャワールームの分も護符を」
「わかった。シャワーくらい落ち着いて浴びたい、もの……ねえ…………」
ナルと松崎さんが話しているのが、徐々にしぼんでいく。
ん?なんだかまた俺が見られているぞ、と顔をあげて全員の顔を見返した。
リンやナルは早々に、考えるのを辞めたとばかりに顔を背けたが、それ以外は何かもの言いたげ。
「なに?」
「谷山さん……よくまたシャワー浴びてくる気になりましたね」
「え、くさかったら、悪いなって思って」
安原さんが何だかひどく優しい目をして、「そっか」と頷いた。
朝食の後は、滝川さんと安原さんとジョンを連れて計測を始める。
まずは部屋の外の廊下をはかって、ドアの位置をポイントして部屋数を把握し、番号を振った。
そして一部屋ずつ中に入ってサイズを計測していくのだが、この屋敷は部屋数がかなり多いので、時間がかかりそうだと思った。
「思ったんですが、谷山さんってこっちで計測してていいんですか?」
三階の九つ目の部屋の中、数値を表に書きこみながら、安原さんの声に応じる。
「なんで?」
「原さんと松崎さんは屋敷内を一通り見て回るよう言われているじゃないですか。あちらの方が良かったのではないかと」
「この作業はあたしが一番慣れてるし、これから全部屋見ることになるわけだから」
「ああ、なるほど」
ざっくり全体を早く見るか、じっくり全体を時間かけて見るかの違いで、やることは同じだと言えば安原さんは納得した。
結果が出るのは早い方が良いのだろうが、それは原さんの意見で十分賄える。
「おーい、外のサイズやっぱり間違ってねえわ」
話がひと段落ついたところで、丁度ドアが開き滝川さんとジョンが部屋の中に入ってきた。
今は部屋のサイズが外と中でどうしても合わない部分が出てきた為、一部測り直しをしている最中だったのだ。
「OK、そしたら壁の厚さが2メートルってことね」
「んな建築物あるわけねーだろ……」
もう二度測ったのでこれ以上は無駄だろうと、そのままの数値を表に書きこんだ。
滝川さんは不明点が多いことが思考の邪魔になっているのか、かなり疲れた顔になっていた。
部屋を出たときによその霊能者に会って、俺たちの若さを軽んじられたり、オリヴァー・デイヴィスと遭遇しないか気もそぞろな滝川さんを安原さんがつついたり、気の抜ける場面はいくらかあったが集合時間までにはある程度の数値はとれた。けど、その数値は目も当てられない不正確な数値だった。
「……全然合ってないじゃないか」
「測れた場所はこうなんだもの」
図面を作成していくと全く家の外のサイズに合わないことから、ナルが俺をじとりと睨む。
「そこで僕ら思ったんですが、隠し部屋があるんじゃないかと」
「……厄介な話だな」
安原さんの推理に、ナルはその可能性は大いにあると肩をすくめた。
「明日、もう一度正確な計測をしようか」
パソコンの前に座るリンの後ろから、ナルと並んで画面をのぞき込む。
俺の提案にナルは「そうだな」と短く返事をした。
「家の中心部に行けば行くほど、妙な部屋が多いって安原さんが言ってたんだよね」
「そうですそうです」
「妙な部屋?」
安原さんも話に巻き込むと、彼が通常の家ではありえない造りをいくつか上げてナルに伝える。俺たちが寝泊まりする部屋周辺や、最初に集まった広間のあたりは非常にまともな様相だが、家の中心部はひとことで言えば"ごちゃごちゃ"している。
「───たぶん、中心部に大きな空白がある」
俺はリンに仮の立面図を出させて、中心部を山なりに指でなぞる。
「歩いて回ってた感じ、このあたりに入れない。ズレが生じたのはその所為だと思うんだ。空白部分には先々代が住んでいた家に相当するんじゃないかな」
「増改築する前の家か」
「そう。最初は取り壊されたか、改築して家が大きくなったのかどちらだろうと思ったけど、もしかしたら"閉じ込めてある"かも」
「閉じ込めてある?」
ナルは俺の言葉を急かさずも、続きを促す。
そこで今日測った数値をメモをした方の紙を開いた。そこはおおまかに、廊下全体から部屋に至るまでの位置関係を軽く図にしてあるので、正確ではないがある程度の平面図が出来ている。
「えんとつの数が違うの。室内でそれらしい換気口は六つあったけど、初日に外から見たときに出ていたのは五つだったから、おそらくここが母屋の換気口のまま、外に出ることなく途中で閉ざされているの。これは、母屋がまだ存在しているからじゃないかな」
存在しているにも関わらず、上まで閉じているというのが意味深である、というのは言葉にせずともナルには伝わったはずだ。
少しの間、睨みつけるように図面を見下ろしていたナルはやがて、明日もう一度計測するときは「階段等の段差も正確に測ること」と注意事項を付け加えた。
日没後は作業を控えることになっているため、ナルとリンだけをベースに残して他の皆で夕食を食べた。
食事中、滝川さんは明日も一日肉体労働だということで憂い、対抗するように松崎さんも自分たちも苦労したと話す。「松崎さんは文句の方が多かったですけれど」というのは原さん談。
そんな折、安原さんの背後に、年配の女性が立つ。
向かいに座っていた俺が気づき顔をあげるのと、彼女が安原さんに「渋谷さん」と声をかけるのはほとんど同時だった。
「───あ、はい?」
「ご歓談中にお許しくださいませ」
安原さんは渋谷と呼びかけられたのを一瞬自分のことではないと流しかけ、遅れて返事をする。
声をかけてきたのは『防衛大学教授の五十嵐様』と紹介された人で、彼女は今晩降霊会をするのに渋谷サイキックリサーチを誘いに来たようだった。
南心霊調査会というところも呼んでいるそうで、安原さんは少し考えるそぶりを見せてから丁度部屋にやってきたナルを見て立ち上がる。
「鳴海くん、丁度良かった。僕は今晩五十嵐先生のところの降霊会に参加しようと思うんだけど、君はどうする?」
安原さんや五十嵐先生が少し距離をとったからか、滝川さんが「うまい」と、揶揄いと感心の声を小さく上げた。料理がおいしいという意味にもとれるが、彼は今なにも食べていない。
「そうですね、どうせ夜は大した作業はできませんし。僕も参加させていただきます」
「そう」
「では、二十一時にここの隣の部屋をお借りしておりますので、そちらで」
「ええよろしくお願いします」
俺はそんな会話を繰り広げられる最中も、目の前に置かれた料理を口に運んでいた。
みんなして、あれも食えこれも食えと俺に差し出して来るせいで、いつまでたっても食事が終わらないのだ。
それで結局皆が食べきって、ナルが食事を始めるまでも俺はもこもこと頬を膨らましている。
ふと、ナルの皿にあるローストビーフを見て思い出す。ナルは調査中はもちろんのこと、普段もあまり肉類を好んで食べない。
今までの調査の時は自分で選ぶ食事だったので調整していたけど、ここでは"出された食事"なのでナルに食べられないものが多すぎる。
「ナル、お肉たべようか?」
は、と動きを止めるナルだったが、本人よりもまだ残っていた人たちが「こら」と声を上げる。「食べ足りないからってナルの分までとるんじゃない」と。
「べつに足りないわけじゃないよ、ただナルはお肉たべないし、食事を残したら怒られてたから、癖で、つい」
松崎さんが追加を頼んであげるから、と言うのを制止して事情を説明したが、皆の顔から表情が雲った。あれ、ヘンな事いったかな。
「ここには食事を残しても怒る人間はいない」
しん、とした食卓をナルの言葉が一刀両断したことで、俺の疑問は晴れる。
孤児院では残したら罰を与えられるので、ナルの食べられないものは俺が食べていた。デイヴィス夫妻に引き取られてからはルエラが理解して気を使ってくれていた。
そんなことの積み重ねで俺の認識が形成されていたのが、ここで俺たちはどちらかというと客人である。食べ残したとして咎める人はいないのだ。
というか、そもそもナルの代わりに麻衣が食べてやる必要性だってなかった。
けれどそうは言わず、ナルにも自身の孤児院での経験があることから、俺の言葉の意味を理解したうえで否定したのだと思う。
俺は「そっか」と納得して、再び目の前の食事と向き合った。
五十嵐先生と約束の二十一時、ベースからリン以外が目的の部屋に行く。
南心霊調査会からは所長の南さんと、オリヴァー・デイヴィスが参加。彼らはビデオカメラを持ってきたようだが部屋を暗くすると聞いた途端に、映せないとごねだした。
たいていの降霊会は部屋を暗くするものだと、俺でも知ってることだけど。
「所長、うちのカメラをお貸ししてはどうでしょう」
「あ、そうですね。そうしましょう」
せっかく録画ができると思ったのに、と困っている五十嵐先生を見かねてか、自分もその記録が欲しいからかナルは提案する。
安原さんはそれに乗じてナルにカメラを持ってくるよう言い、ナルはジョンを連れて部屋を出て行き、しばらくしてカメラを持って戻ってきた。
降霊会は丸いテーブルに、五人が並んで座り手を繋ぐ状態でスタートした。
霊を下ろす身体は五十嵐先生の助手である鈴木さんが担うらしく、片手でペンを持って待っている。
部屋の電気は全て消され、テーブルの上にある蝋燭が一本火をつけた。
人の動きやなんかで風が起きるから揺らいでいたが、その動きはほんのわずかなものだった。
「この家に棲まう方、どうかこちらの女性の身体をかりて、お話しください」
五十嵐先生の声が霊を呼ぶ。
彼女自身に霊的に惹かれる要素は薄いが、作り出した雰囲気とこの屋敷の状況によってこの場所の空気は変わり始めた。
ここに居る霊たちは皆意識は薄いが、感情は強い。それを吐き出したくてたまらないのだ。
キュッ、トントン、と音がし始めた。
それは鈴木さんが手に持つペンが、紙を滑ったり叩いたりする音だった。
次第にその音は激しくなって、紙が何枚も捲られていく。テーブルの上や下にそれをまき散らしながら"叫び"は続いた。
霊たちの感情は最初細い線のようにして彼女に繋がっていたのが徐々に太くなっていき、そのつながりの奥底から這い上がってくるような"モノ"がいた。
あ、昨日の奴が来た。
そう思った途端、部屋中にエネルギーが膨らみ広がった。溢れて飛び出す余波みたいに空間に罅が入り、壁や床、テーブルがガタガタと揺れ出した。
振動か、動揺した人間のせいか、蝋燭が倒れて火が消えて、人々の混乱が高まる。
イスが倒れる音や、悲鳴、「動かないでください」という注意喚起などで部屋が騒々しくなったところ、空間を裂くように滝川さんがマントラを唱える声が強く響いた。
この部屋を一時的に彼のエネルギーが支配したところで、場をおさめることに成功したようだ。
「どうやら霊は呼べたようですね」
ナルはひとり、冷静に部屋の電気をつけにいっており、さっきとは違う場所に佇んで光に照らされた紙を見て言った。
そこには『死ニタクナイ』の文字が赤く綴られていた。
next.
主人公が家の中心部をあれこれ推測してナルに話せるのは、透視()しているからと、かつてナルと調査をしてきた経験に基づく知識があると思ってもろて。
Aug.2024