I am.


Mirror. 29

降霊会で起きたポルターガイストと暗転に怯え、縮こまっていた南さんとオリヴァー・デイヴィスを後目に、俺たちは録画した映像を確認するべくベースへ戻った。
そこには所感を聞くために五十嵐先生と鈴木さんも同行してもらう。

リンが見せてくれた映像では、暗転してもなお映る性能のカメラを使ったため一部始終の動きがきちんと捉えられていた。
その為、一枚だけ違う色のインクで書かれていた『死ニタクナイ』という文字は、鈴木さんの手から離れて床に落ちる直前に浮かび上がったのだというのもわかった。
「書いている時、どんな感じでしたか?」
「手だけを引っ張られるような感じです」
五十嵐先生の問いに対して、鈴木さんはどこか気が抜けた様子で答える。
身体を、自分のものではない力が通り抜けていったせいで、内側が微かに摩耗しているのだと思う。
おもむろに近づいて行き、ぴと、とくっついて抱きしめると、鈴木さん本人と横にいた五十嵐先生は驚いた。
だがすぐに、俺は首の後ろ部分の服を引っ張られて剥がされる。

「馬鹿。すみませんうちのワンコロ、懐っこくて」
「眠いのかもしれないわ、この子ったら、オホホ」
滝川さんと松崎さんが、戸惑う二人に謝罪して笑いながら誤魔化した。

その時、視界の端にいた原さんがよろめいた。
松崎さんがすぐに気づいて彼女を支えるので、皆の注意がそちらへ行く。
どうやら原さんは、映像越しに怪物の気配にあてられたようだ。
「もう、部屋に戻ってもよろしいかしら……なんだか酷く気分が悪くて」
「いいわよね、あたしも付き添うわ」
「ええどうぞ。……今日はあの部屋にカメラとマイクを置いて、終わりにしましょうか所長」
「そうですね、そうしましょう」
目に見えて顔色の悪い原さんをみて、松崎さんは真剣な顔だったしナルも異論はないようだ。
その様子を見ていた五十嵐先生も、そろそろ部屋に戻ると言って立ち上がって、鈴木さんと二人連れだってドアの方へ行く。
横をすれ違うと微かに甘い香りが鼻をつき───俺の視線は鈴木さんの背中へと吸い寄せられた。
「麻衣も、一緒に戻るわよ」
「はあい」
だが、すぐに松崎さんに呼ばれて、彼女の方へと駆けていく。

変だな、鈴木さんから、もうすぐ死ぬ人間と同じ気配がした。



───「お願い」
───「やめて、いや」
───「誰か」
───「誰か助けて!!!」
───「死にたくない……っ」

夜が明ける少し前に、そんな声が俺に届いた。
ベッドに寝転がる身体の内側に、妙な疼きがある。
呼ばれるがままに身を任せると、屋敷の中心部に引き摺り込まれていった。

暖炉のある部屋を通ってそのわきにある扉をくぐると、暗くて細い通路がある。そのまま道なりに、気の向くまま進んでいくと薄暗い部屋に辿り着いた。
床や壁がタイル張りだが、そこかしこが黒く変色していた。バケツがいくつか置いてあり、その中に乱雑に刃物が突っ込まれている。
中央にある寝台らしきものには人間が横たえられ、ベルトで身体を拘束されていて、寝かされている人間は、昨晩別れた鈴木さんだった。

台の横には二人分の人影があり、彼女の肩と頭を固定する。
支離滅裂な悲鳴が上がりながら、俺にはダイレクトに救助を求める意思が響いた。
だが、鈴木さんの首に当てられた刃物は、皮膚に食い込み力任せに動かされる。
肉が裁たれたそこからは血が溢れ出し、銀色に光る刃物をぬらりと濡らした。
喉は血に溺れ、次第に叫び声も上げられず呼吸もままならなくなるが、溢れた息が血と混ざりたびたび飛沫を上げる。

二人は、鈴木さんの半分ほど切れた首を、まるで血を押し出すように捻じって搾る。流れ出た血は、台の下に置いてあるバケツの中にびたびたと落ちていった。
溜まった血は部屋の脇にあったバスタブの中に注がれ、いつのまにか動かなくなっていた鈴木さんの身体は部屋から運び出される。

一連の行動の最中、二人はとても無機質で、何の感情も感じられなかった。
ただそうすることが決まりで、そうするためだけに存在しているかのよう。
もしかしたらあれは怪物が作り出した影、もしくは支配してしまっている霊の成れの果てなんだろうか。

部屋の中をぐるりと見渡すと、自然と血の溜まったバスタブへと目が行く。
此処で殺された人間が全て首を切られて血を流していたこと、原さんが血の匂いがすると言っていたこと、俺の前に現れた時に血の中から這い出してきたことを加味すると、ここの怪物は血を求めて人を殺している───と考えられた。

今、あのバスタブの中にいる。

足を踏み出そうとしたその時、俺は何か力のようなものにはじき出されるようして部屋から遠ざけられた。
ここに来たのは鈴木さんの死の間際の声に引き寄せられてきただけだから、この場に長くとどまれないらしい。
残念だ。



朝、身支度を整えて松崎さんと原さんと共にベースに行くと、何やら騒々しい。
男たちが既に集まっていたのに加えて、昨晩別れた五十嵐先生がいたのだ。そして彼女は困った様子で人々に尋ねて回る。

「鈴木さんを見ていませんか!?」

誰もが見ていない、と言って首をふった。
彼女は昨日怪物に攫われて命を落としたはずだが、そういえば身体はどこに行ってしまったのだろう。
この調査の発端となった二名の行方不明者も、捜索したというのに見つかっていない。
となるとやっぱり、中心にある母屋は閉じ込められているから、誰も入れないということだ。
「計測は予定通り朝食後から、」
「午前中いっぱいは鈴木さんを──」
俺と安原さんの言葉が重なって、ナルにかけられる。
安原さんとぱち、と視線が合った後、すぐに自分の意思を曲げて言い直した。

「そうだね、鈴木さんを探してから計測がいいね!」

どうせ計測するのに全ての部屋を回り、彼女がこの屋敷内の人が入れる部分にはいないことは明らかになるだろう。加えて、入れない部分があることもだ。
そうすることによって鈴木さんは"発見"に至るかもしれないけれど、一度は探してみるのが人情というやつだったのだ。気が利かなくてすまないと思ってる。
ナルも安原さんの意見を否定することはなく、午前中いっぱいを捜索にあててその後計測ということになった。

だけど午後になっても、鈴木さんが見つかることはなかった。



俺たちは昨日と同じように、安原さんとジョン、滝川さんと四人で屋敷内の寸法を測っている。
階段や、そこかしこにある段差も全て測り、正確な図面を作るための作業は昨日よりもかなりの時間を要するだろう。
だから日没までに終わるかどうかはわからないのだが、ナルはかなり時間に厳しく全員の持っている時計の表示を正確に合わせて、決まった時間になったら必ずベースに戻ってくるよう指示した。
知っている限りでも三名の行方不明者、家の図面がままならない、正体不明の存在相手では分が悪いというものでその警戒は当然と言えよう。
「鈴木さん、外に出ている可能性もありますよね」
「せやけどドアの施錠は夜職員の方がして、朝開けるまではそのまんまやったと」
「ま、出る方法はドアだけじゃねえけど。だからって夜中に一人で出る理由ってあるかね」
「うーん、降霊会で字を書いたのが自作自演で、罪悪感とか」
「だとしたら『死ニタクナイ』の文字に説明つかんだろーが」
「そっか」
三人が後ろで会話をしているのを聞きながら、俺はせっせと数字を書き込んでいく。
「こうも詳しく部屋を見ていて、鈴木さん以前に行方不明になった人を見つけてしまったらどうしましょうね」
「そんな簡単に見つかるならとっくに出てきてるっつーの。今は正確に図面を作るしかないってこったな……そしたら捜索活動も捗るだろう」
「やっぱり───なんか滝川さん、だんだんナルに似てきた気がする」
必要な部分は全て書き終えたので、俺はバインダーから顔をあげて滝川さんを見る。
すると彼はぽかん、と拍子抜けした顔で固まった。が、すぐに弾かれたように動き出す。
「はあ!?どのへんが!?」
「……似てますかねえ?」
自分の身体を抱きかかえて後ずさった滝川さんと、にこにこしている安原さん、そしてよくわからないと言いたげなジョン。つまり、俺だけがそう思ってるだけらしい。
「気のせいかも」
「そうであってくれ……」
しくしく、と泣きまねをした滝川さんには何も言わないでおくことにした。

「あ、ここ、なんや床が沈みます」
「早速隠し部屋見つけたか」
部屋を出てすぐ、隠し部屋が絶対にありそうという話をした直後、ジョンが床に違和感を感じた。
カーペットを捲ると小さな扉が出てきて、開けてみると中に空間があるようだった。
懐中電灯で中を照らしてみると、床下収納というわけではなさそう。
「で、誰が行く?」
「じゃんけんしますか」
「あの、ほんならボクが行きますよって」
「ジョン、フェアに行こう」
「───いや、麻衣は普通に考えて駄目だろ」
「えぇ~、仲間はずれはんたーい!」
扉の前で男三人でじゃんけんが始まったのを、床に座って眺める。
結果、滝川さんが負け、様子を見て次にジョンが入ることになった。

中はそんなに大きな部屋ではないらしく、二人は薄汚れたコートを手に戻ってきた。
埃と黴の匂いで目と鼻が痒いと蹲る滝川さんの頭を、汚れを払うように叩いていると、安原さんが受け取ったコート(医者が着るような白衣だった)のポケットから紙を見つけたらしく声を上げる。
「お、こりゃ昔の紙幣だな」
「なんか字が書かれていますよ」
「『ヨゲ……ク、聞?……』んん?『……ニ、戸浦』あ~、途切れてる上に文章にならねえ」
紙の正体は紙幣で、手書きの文字が書かれていたが誰にも解読できなくて困惑する。
そうこうしている間に集合時間が差し迫っていたので、どちらにせよナルに見せるのだからと諦めて、その紙幣を滝川さんが自分のポケットに差し込んだ。

白衣には美山慈善病院とあり、ここにかつてあった病院のことを示している。
美山というのは依頼人の妻の旧姓であり、つまるところ先代や先々代の苗字だ。
慈善病院があったのは先々代の頃で、このあたりではかなり手広く事業を展開していたらしい。───というのは外で調べものをしていたまどかが持ってきた情報である。
先代のことは大橋さんからよく聞けたが、先々代『美山鉦幸』のことはよく知られていなかったから頼んでいたのだろう。
あとは鈴木さんがここを出て、近くで目撃されていないか、タクシーやバスを利用していないかも調べてきたらしい。───その、どれもがスカだったけど。

ナルは皆が話し合っているのをよそに、紙幣を見つめている。
思わず遮るように、その手と紙幣を俺は握った。
「だめだよ」
「!」
サイコメトリーをするとしたら、この紙幣はうってつけすぎる。
死んだ人間の悲痛な思いがここに、かなり残っているからだ。
その人間はおそらく昨日の鈴木さんのように殺された。ナルは俺とは違って、きっとそれを"体験"してしまう。

「ナルはこれに触らない方が良い」
そっと耳打ちするように告げて、紙幣を奪い取った。



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主人公は別に人が死んでも何とも思わないので滲み出る。人でなしなところが。
Aug.2024

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